52.妃教育
翌朝、妃教育が再開した。
今日から、スケジュールに丸印が付いている授業はローランも同席する。
午前中は座学中心で4つの授業が立て続けに行われた。
今日は、語学、歴史、地理、詩歌。
先生は教科ごとに入れ替わり、全てその分野の権威と言われる立派な先生たちにマンツーマンで教えていただく。
午前中の授業は、やや記憶力に難がある私にとって、人一倍努力が必要となるものばかりだ。
私の記憶力が悪いのは、突然前世の記憶が脳に割り込んできたせいだと思っている。それで、脳の記憶容量を圧迫してしまったはずだ。
だからといって、今さら前世の記憶を消し去る術を知らないので、努力で何とかするしかない。
そういえば、女官になりたての頃も、王宮の部屋を覚えることができず本当に苦労したが、今ではばっちり覚えている。やればできるのだ。
ただ、ローランに「そんなことも覚えられないの?」と思われるのは恥ずかしいので、記憶力重視の教科に丸印が付いていなかったことは不幸中の幸いだった。
私の記憶力の悪さに呆れるのは、目の前の先生方だけで十分だ。
それにしても、妃教育で習う内容は本当に知らないことばかりだ。
少しは前世の記憶が役に立つかと思ったが、語学も歴史も地理も詩歌も何一つ知っていることはなかった。
そういう理由で、先生の仰ることを聞き逃さないよう必死で授業を受けていると、あっという間に昼休憩になった。
ローランは国家行事の昼食会に参加するため、今日は一緒に食事ができないと言っていた。
せっかく一人で食事をするので、先ほど学んだ語学の単語を復習しながら昼食を食べることにする。前世では割と頻繁にこのような「ながら食べ」をしていたが、今世でするのは今日が初めてだ。
当然のことだが、王族や貴族は食事中に勉強するような下品な真似はしない。食事中は食事に集中するのがマナーだ。
だから下品だと思われないよう、なるべく目立たない端っこの席に座り、皆にばれないようにナプキンの下に単語帳を隠す。そして、優雅に食事をとっているように見せかけながら、単語を覚えた。
食堂中の誰も、私が単語と格闘しながら昼食を食べているとは気づいていないようだ。
今世初の「ながら食べ」は、咀嚼と暗記の相性がいいのか、意外と捗った。この調子なら思ったより早く単語を覚えられるかもしれない、と調子に乗って必死に単語を覚えた。
すると、昼休憩もすぐに終わってしまった。
せっかくの美味しい料理も味わうことができず料理長には申し訳ないことをしたが、単語は覚えられたので大目に見てほしい。
午後からは、身体を使う授業になる。
今日は、水泳とダンス。王宮内には立派なプールや体育館も備わっている。
実は、私は身体を動かすのが得意だ。
幼い頃から、辺鄙な場所にある子爵領の湖でよく泳いでいたし、豊かな自然の中でいつも兄や妹と走り回っていた。
ナディエディータ王国では、妃といえど、夫が戦争で留守のときに城を守ったり、いつ何時何者に狙われても対処したりできるように、格闘や武術、護身術等をひととおり修める必要がある。
基本的に戦闘は男性の役目だが、妃も戦力としてみなされているのだ。
とはいえ、戦闘教育は貴族の女性たちには行われない。妃にだけ行われるものだ。
今から始まる水泳の授業は、戦闘教育のための基礎体力づくりの一環として実施される。
私が水着に着替え、先生と一緒に準備体操をしていると、前方から水着姿のローランがやってきた。
あれ?水泳に丸印が付いていたっけ? 自分に自信の無い教科を中心に丸印をチェックしたから、見落としていたのかも。
そんなことを思いながらローランを見て、ズキュンと胸が打たれた。心臓が2秒くらい止まった気がする。
何アレ!ヤバい!!
初めて見たローランの鍛えられた肉体は、私の理想の細マッチョだった!
細く引き締まった体に、腹筋がきれいに割れている。ローランの筋肉は、バランスも量も形も全てが理想どおりだ。
服装の下には、こんな素敵な身体が隠れていたなんて。
胸元の刻印は何度も直に触れたことがあるのに、全然知らなかった。
あぁ、なんて勿体ないことをしたんだろう。これからは毎回脱いでもらいたい。
「ローラン、素敵」
先生がいることも忘れ、体操の手を止め、うっとりとローランに見惚れてしまった。
先生は、ローランが来ることを知らされていなかったようで、大変驚いていた。
「ローラン王子殿下、どうされましたか?」
「うん、僕もリジーと一緒に水泳の授業を受けようと思ってね。いいかな?」
「もちろんです」
ローランが来たので、準備体操はやり直しだ。
でも、その間、素敵な裸体を間近で長く堪能できる。まったく問題ない。
私はさっきよりも気合を入れて、準備体操を頑張った。
その後は、肩慣らしとして自分のペースでクロールを泳ぐ。
ローランは、プールから水面に飛び込む姿も美しい。
私も慌てて飛び込み、ローランを追いかける。
ローランは私の少し先を泳いでいた。
さっき見た美しい肉体が頭を離れない。
水飛沫の向こうにちらりと見えるローランの影に、心臓の鼓動が高鳴って、息継ぎがうまくできない。
それで、先生から何度もフォームのチェックを受けることになってしまった。
ダメだ!こんなことではダメだ!!
プールの端まで泳ぎ切った後、プールサイドを歩きながら、私は自分の頬を両手でパンパンと叩いて、正気を呼び戻した。
次は背泳ぎで泳ぐ。
ローランが視線に入らないので、不埒な考えを止めることができ、ちょうどよかった。
先生に手の動きや足の運びを直してもらいながら、休むことなく何本も泳ぎを重ねた。
それで、ようやく自分の泳ぎに集中することができた。
水の中での全身運動は、午前中のストレスも吹き飛ばして、気持ちいい。
その後、またクロールをしばらく泳ぐ。
もうローランを気にすることはなかった。
授業の最後は、クロールでローランとタイムを競うことになった。
先生の合図で、同時に飛び込む。
私は勝つつもりで必死で泳いだが、ローランのほうが1秒速かった。
競泳を終えた後、ローランが先生に聞こえないよう、小声で私に声をかけた。
「リジーは、さすが水属性だね。負けるかと思ったよ」
え?!水属性、関係ある?
ありがとうございました。