39.薔薇園
「ローランとの婚約を破棄してくれないか?」
2人でしばらく薔薇園を散策していると、突然エリック王子殿下が言った。
思わず、エリック王子殿下の顔を見る。
「エリック王子殿下……?」
私は何を言われたのか理解できず、足が進まなくなった。
「ああ、僕のことはエリックと呼んでよ。リジー。王子殿下なんて付けなくていいから」
エリック王子殿下、もとい エリック様は私の顔を覗き込みながら、また訳が分からないことを言った。
もう、さっきからエリック様の発言が全く理解不能だ。
エリック様は何が言いたいの?
私の戸惑いを余所に、エリック様は急に饒舌に喋り始めた。
「リジー、昨日は本当に僕のことを助けてくれてありがとう。ローランが君を婚約者に選んだ理由がよく分かったよ。……僕は、ローランが君のことを水属性だ、って騒いでいたのが理解できなかった。でも、僕には分からなかったけど、ローランには分かっていたみたいなんだ」
確かに、ローランは私の魔力が見えていると言っていた。水属性なのは一目瞭然だとも。
さっきも私に魔力を見せようとしてくれたし。
ローランに私の魔力が見えていることは疑いない。
でも、エリック様は見えないのかな?
「昨日、君が胸に手をあててくれたとき、病気の辛さなのか呪いの辛さなのか分からないけど、僕を押し潰そうとしていた痛みや苦しみから解放されたんだ。嘘みたいに、辛かったのが消えたんだよ。本当にびっくりした。気づけば熱も下がっていたし、胸の痛みも消えていた……」
エリック様は、私の手を取った。
「リジーはローランの婚約者だけど、それは国王からの褒美だと聞いている。どうせ褒美なら、ローランではなく、僕でもよくない? 僕はローランの兄弟で、どちらも国王の息子だから、何も違わないと思うんだけど……」
私は何と言ったらいいか分からなかった。
黙ったままの私に、エリック様はどんどん畳み掛ける。
エリック様の圧がすごい。
「昨日見たから知っていると思う。ローランからも聞いているだろう? 僕とローランの胸には、魔女の呪いの刻印がある。これのせいで、僕たちは18歳になると死んでしまうんだ。……もう、僕にはあと1年しかない。僕は17歳になったから。……リジー! 僕を助けられるのはリジーだと、今ならはっきり分かる。僕には1年しかないんだ。ローランにはまだ3年ある。だから、ローランとの婚約を破棄して、僕と婚約してくれないか。僕と一緒にいてほしい……」
そう言って、エリック様は私を抱き締めた。
「エリック様……」
エリック様は、体を震わせながら嗚咽を漏らしていた。
私は、エリック様の気分を落ち着けようと背中に手を回す。
できれば、エリック様もローランもどちらも助けたいけど……。
それは、ローランと婚約破棄しないといけないことなんだろうか。
エリック様もローランも、というのは、二股をかける悪女みたいになるのかな。
もしそうだとしたら、国のイケメン王子2人を手玉に、なんて歴史に残る悪女になってしまう……。
だけど、婚約者でないと助けられない、なんてことはないと思う。
何か他にいい手があるはずだ。
私が沈思黙考していると、いつの間にかエリック様の体の震えは収まっていた。
「エリック様、どこかに座って話しませんか? まだ病気も完治していないかもしれないですし」
薔薇園に着いてからはずっと立ちっぱなしだったので、そう声をかけた。
エリック様は私から離れ、涙を拭いた。
「そうだね、心配してくれてありがとう。風も出てきて寒くなってきたし、日が暮れそうだ。あそこに小屋があるから、あそこへ行こう」
エリック様の話す勢いに圧倒されて周りを見る余裕がなかったが、もう日は没んでいた。
今は、日没直後の黄昏で地平線に夕焼けの名残が赤く残っているものの、空の大半は夜の黒が広がっている。
おそらくもうすぐ夕食の時間だけど、薔薇園にエリック様といることはイザベルたちにも伝えているので、ローランにも連絡がいくはずだ。
少しくらい遅れても問題ないだろう。
それよりも、今エリック様ときちんと向き合うことが大事だ。
この状態のエリック様をそのまま放っておくわけにはいかない。
何より、まだ私の意思を伝えることができていないのだから。
そう結論づけた私は、エリック様に付いて小屋に入った。
小屋と呼ぶので、小さく簡素な建物をイメージしていたが、ここは王族のための薔薇園だ。
二階建ての立派な建物だった。白い壁が薔薇園に映える。
「さぁ、どうぞ」
エリック様が照明をつけると、暗かった室内が明るく輝いた。
「わぁ、素敵な部屋!」
目についた調度品は、すべて薔薇の模様が描かれていて、とても豪華だ。
薔薇の装飾が散りばめられたシャンデリアに、薔薇の彫刻が施されたお揃いのテーブルと椅子。
部屋の真ん中には薔薇の模様が刻まれた暖炉もある。
この部屋には乙女の夢が詰まっている。
部屋の中をきょろきょろ見回して私がうっとりしていると、エリック様は微笑んで私を見ていた。
その笑顔がどことなくローランに似ている。
「気に入ってくれた? ここには時々気分転換に来るんだよ。僕たちよりも姉さんたちのほうがよく来ているみたいだけど。 奥にはベッドルームもあるし、キッチンだってある。ここで、しばらく生活することだって出来るんだ」
「へぇ。とても素敵ですね! この薔薇園は一度ローランに連れてきてもらったことがあるのですが、こんな建物があるなんて知りませんでした」
私がまだきょろきょろしていると、エリック様がソファに座るように促した。
ソファももちろん豪華な薔薇柄だ。
「せっかくだからお茶を飲みながら話そうか。そういえば、昨日リジーが淹れてくれたお薬は、美味しい味がしたな。お茶として飲んでもいいくらいだよ」
そう言いながら、エリック様が私を置いてキッチンのほうに移動する。
ここには、女官も侍従も連れてきていない。
いるのはおそらく騎士2人だが、この建物のほうにはいないようだ。
建物の中には、私とエリック様の2人だけ。
ということは、お茶をエリック様が淹れることになる。
それは、さすがにまずい。
私は慌ててソファから立ち上がり、エリック様のところに向かった。
「エリック様、私がお茶を淹れますね」
ありがとうございました。