33.新生活3
「リジー、着替えないといけないから、そろそろ戻らないと間に合わない」
冷静なシモーヌの言葉で、私は我に返った。
かなり長い時間、農園にいたようだ。
私は、1種類ずつハーブを見ながら前世の記憶を思い出していた。
「このハーブはなんだっけ……。効能は……」
分からないことや忘れていることは、ミック爺さんに質問をすることで記憶を補強させた。
私があまりにも夢中になっているので、イザベルたちは少し呆れていたようだが、それでも私の思うようにさせてくれた。
ありがとう!
ミック爺さんやイザベルたちと話して分かったことは、この国では、ハーブをハーブティとして飲む習慣や薬用として使う習慣は無いということだった。
使い道は、精油にするか、乾燥させて芳香剤にするか、料理に使うかのいずれかのようだ。
そんなのもったいない。
せっかくなので、個人的にハーブティにして楽しもうと思い、いくつかのハーブをミック爺さんに分けてもらった。
「ミック爺さん、今日はありがとうございました。もし、またハーブを分けてほしくなったら、ここに来てもいいですか?」
「ああ、いいよ。いつでもおいで。リジーなら歓迎する!」
熱心にハーブについて質問し続けた私は、ミック爺さんに気に入ってもらえたようだ。
ここにない種類でも、栽培したいものがあれば、言ってくれればなんとか探して取り寄せる、とまで言ってもらえた。
◇◇◇
部屋に戻ると泥だらけのお仕着せを脱ぎ、入浴してドレスに着替えた。
まだ婚約者とはいえ、王族の端くれとして扱われる私は、ちょっと着替えるだけでも大変だ。
泥をきれいに落としてさっぱりしたところに、3人がかりでドレスを着せてもらう。
そして、髪を整え化粧をしてもらうのだが、髪の毛に土がついていたので、先ほどうっかり頭から入浴してしまった。
こちらの世界では、髪を洗うという習慣が全くなく、頭からお湯に浸かった私は、いま3人にとても驚かれている。というか、完全に引かれている。
「リジー、髪の毛をこんなびちょびちょにして、いったいどうするの?」
ステイシーが呆れている。
「ごめん。つい、土が付いてたから、お湯をかぶりたくなったの。でも考えなしだったわ。ごめん」
素直に謝った。本当にドライヤーも無い世界でどうしよう。
髪の毛から雫がポタポタ落ちている。
大きめの布を持ってきてもらって、それで丁寧に髪を拭いてもらい、櫛でとかしつつ、できるだけ水分をとってもらう。
扇子でパタパタ仰いでもらうが、ドライヤーのようにはいかない。
それでも、イザベルたちが女官根性を発揮して、髪の毛から水分を限界まで搾り出し、ローズマリーやセージなどのハーブの精油を髪に塗り、編み込みしながら、うまく髪を一纏めにしてくれた。
これで、頭皮近くの髪はまだ濡れているが、パッと見た感じは髪が濡れているなんて分からない仕上がりだ。
「本当に迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。シモーヌ、イザベル、ステイシー。本当にありがとう。おかげで、髪の毛が濡れていたなんて全然分からない。完璧だわ」
私は、3人の素晴らしい女官たちに頭を下げた。
「もう、頭からお湯に浸からないでね」
イザベルに窘められて、項垂れる。
「はい、もうしません」
たまに前世の記憶が邪魔をするが、今生きているのはこの世界だ。この世界のルールに従わないと……。
頭では理解していたつもりだが、皆の手を煩わせてしまった。
郷に入っては郷に従え。
改めて誓った。
◇◇◇
私のせいで余計な時間をとらせてしまったが、それでも何とか夕食の時間には間に合った。
食堂には先にローランがいて、私を見つけると立ち上がり、こちらに来てくれる。
そして、いつものようにハグをする。
ああ、この人前でのハグが慣れないわ……。
いつもながらに恥ずかしい。
「リジー、今日もかわいいね。髪形も似合っている。その髪形は初めて見たけど、僕は好きだな」
ローランはいつも真剣な顔をして、私のことを褒めてくれる。
冗談っぽく言われれば、「またまた~」とか言いながら笑って返せると思うのだけど、真剣に目を見てこんな甘い言葉を言われると、いつもどうしていいか分からない。
「ありがとう。あの、この髪はイザベルたちが結ってくれたの。ローランが気に入ってくれたなら、またやってもらうように言ってみようかな」
なんとか立て直してローランに言葉を返す。これが私の精一杯の返答だ。
それなのに、ローランは涼しい顔をして、さらに追い打ちをかけてきた。
ローランは自然に私の肩を抱き、息がかかりそうなほどの距離で目を見つめながら言ってくる。
「うん、ぜひ頼んでみて。本当に似合ってるよ。リジー、可愛い」
ローランは私の状況を分かっているのだろうか。
必死で立て直したところなのに、追い打ちをかけて、こんな近距離で甘い言葉を言われた私はもう瀕死状態だ。
一切返す言葉が出ない。
ただ顔を真っ赤に染めて俯くしかできなかった。
ローランはそんな私の様子を見て、「さぁ、ごはん食べようね」と椅子に座らせてくれた。
ああ、もう心臓がバクバクして、うるさい。
ローランの顔がまともに見られない。
こんなことを続けていると、そのうち心臓発作で倒れてしまう。
ローランはこの甘い言葉と行動が、標準装備なのだ。
それはこの2週間で十分理解した。だから、いい加減早く慣れないと……。
水を飲んで気分を落ち着かせる。
食事が始まってからは、しばらく黙って食事を楽しんだ。
それで、ようやく普段の自分を取り戻すことができた。
ローランが口を開く。
「リジーは今日は何をしてたの?」
私は、チキンのパイ包みをナイフで切りながら、話す。
「ああ、今日は、もともと国王陛下とお約束があったので、妃教育は無かったの。……それが、急に国王陛下のご都合が悪くなられて、お会いすることができなかったわ。何のお話があるのか気になっていたから、少し残念」
すると、ローランの顔が明らかに曇った。
え?何かまずいこと言ったかな……。私……。
私はナイフの手を止めて、ローランに訊く。
「……どうかした?」
ありがとうございました。




