28.準備
翌日、王宮からの伝令が我が家にやって来た。
書状には、「ローラン王子殿下とリジー・ハリス子爵令嬢の婚約に対する異議申し立てを却下し、教会は改めて2人の婚約が成立していることを宣誓する」と書かれていた。
婚約公示期間がまだ5日残っているため、それが明けるまでは油断できないが、もしあと5日間、2人の婚約に異議申し立てが無ければ、同じ内容が国の掲示板等にも掲示されるということだ。
私は婚約公示期間が明けた日の翌日には王宮に引っ越すことになっているため、急いで引っ越しの準備を始める。とはいっても、それほど多くの荷物はない。
基本的に、衣装はすべて王宮で用意されるということだったし、化粧道具もそうだ。
お気に入りの本や裁縫セット、料理道具などを持っていこうとしている。
王宮内の私に用意された部屋は2間続きとなっていて、今の屋敷の自分の部屋よりも随分と広い。
そこに置く家具だが、婚約式の前に王宮の備品を確認させてもらったところ、倉庫の中に、自分好みのシンプルなベッド、ソファ、机、化粧台などを見つけたので、それを使わせていただきたいとお願いした。
また、私の希望を反映して、ミニキッチンと一人用の浴槽も設置してもらえることになった。
どんな風な部屋になっているのか、今から楽しみで仕方ない。
どうして、私がこんなに急いで引っ越しをするかというと、妃教育が始まるからだ。
高位貴族の令嬢であれば、幼い頃から妃教育をしっかりされていると思うが、私は貴族といえど子爵令嬢で、幼い頃は辺鄙な子爵領で過ごすことも多く、どちらかというと自然の中で伸び伸びと育ててもらった。
もちろん、貴族としての最低限のマナーや知識は叩き込まれたが、ローラン王子の妃になるには足りないことは明白だ。
つい先日も、ローランに妃教育を頑張ると宣言したばかりだ。
妃教育の内容は、マナーのほかに、ラテン語、政治、歴史、会計、詩や物語の作り方や歌い方、ダンス、刺繍、料理、作劇など幅広い。そういえば、戦闘訓練も含まれると言っていた。
私にできるだろうか。
宰相が作成した妃教育の時間割は、週に1度休みはあるものの、毎日朝から夕方までみっちり詰め込まれていて、女官見習いのときのスケジュールの比ではない。
それらが終わると、魔導士様のところへ魔法の勉強に行く。
前世でもこんなに勉強しなかったのに、まさか転生したらこんなに勉強することになるとは…。
でも、やると決めたらやろう。
記憶力は不安だが、やるしかない。
ふと、昨日のローランの言葉を思い出す。
ローランは18歳の誕生日に死ぬ呪いがかかっている…。
そう思っただけで、背筋がぞっとする。
ただ、手をこまねいているだけでは、本当に死んでしまうのだと思う。それは、エミリー王女殿下が黒猫に変わっていたことでも裏付けられる。
魔女は本当にこの世界のどこかにいる。
そして、その魔女を国王陛下が迫害しようとした。
だけど、国王陛下だって、やみくもにそんなことはしないはずだ。
きっと何かがある。
でも、その何かを知るには、私には圧倒的に情報が足りない。
知識も足りない。
技術も足りない。
だからやはり、まずは妃教育を頑張るしかない。
そして、妃教育を頑張りながら、王宮のことを少しずつ知っていこう。
自分で、そう今後の方針を決めた。
私には側にウンディーネ様が見守ってくれている。
だから、きっとできる!
◇◇◇
結局、それから他の異議申し立てはなく、無事に私たちの婚約が成立した。
「リジー、迎えにきたよ」
王宮への引っ越しの荷物を最終確認してほっと一息ついていると、ローランが護衛の騎士を一人引き連れて屋敷に迎えに来てくれた。
「ローラン?」
お迎えがあるとは聞いていなかったので私が驚いていると、ローランはにっこりと微笑んでいた。
「ローラン王子殿下自ら、お迎えにきてくださったのですか?」
父が恐縮してローランに話しかけた。
「少しでも早くリジーに会いたかったからね」
ローランは相変わらず、甘いセリフを吐いている。
それを聞いた母と妹は「まぁ素敵」と感激していた。
「お父様、お母様、今まで私を育ててくださって、ありがとうございました」
私は両親にお礼を言って、ローランが用意してくれた馬車に荷物と一緒に乗り込んだ。
「ローラン王子殿下、娘をどうぞよろしくお願いします」
父がローランに頭を下げると、ローランは強い言葉で言った。
「ハリス子爵、リジーをきっと幸せにします」
その言葉に両親はいたく感激していた。母の目には涙も浮かんでいる。
私の心にもグッときた。
二人で絶対幸せになろう!
改めて誓った。
王宮に向かう馬車の中で、ローランが私に言った。
「リジー、今日から改めてよろしく。僕は、今日が来るのを本当に楽しみにしていたんだ。リジーと会えない日々は寂しかった。もうリジーと離れたくないんだ…」
「ローラン…」
そこまで想ってくれてたなんて。
私は、領地でのほほんと過ごしていたのに。
ローランに対して、少し後ろめたい気持ちになっていた。
すると、ローランが言った。
「実は、リジーと一緒にいると呪いが弱まっている気がするんだ」
「まさか?」
それは気のせいじゃない?
「本当なんだよ。実は、魔女にかけられた呪いの刻印があるんだけど… 色が薄くなった気がするんだ」
そう言って、ローランは着ていた上着のボタンを外し、胸をはだけさせた。
初めて見たローランの上半身はとても鍛えられていたが、胸の真ん中に、青黒い色で見た事のない文字か記号のようなものが浮かんでいた。
パッと見た感じは刺青のようだ。
ローランは、その刺青のようなものを指差しながら言った。
「これはもっと黒かったんだけど、リジーと会ってから、ちょっと色が薄くなったんだよ。それって、リジーの水属性のおかげなんじゃないかと思って。ちょっとここに手を当ててくれない?」
そう言って、ローランは私の手をその魔女の呪いの刻印の上に当てた。
ありがとうございました。