26.領地4
領地に来てから1ヶ月が経った。
あれから何度か湖に馬を走らせたが、あの日を最後にウンディーネ様と会うことはなかった。
ウンディーネ様に会いたい気持ちはもちろんあるが、「いつも側で見守ってくれている」と思えばそれほど寂しくはなかった。
静かな湖畔で、美しい湖を眺めるだけで心が洗われ、それだけで満足だった。
それからの私は一日の大半の時間を家族との思い出づくりに費やした。
王都に戻れば、家を出て王宮での生活が始まる。そうなれば、家に帰ることがなかなか難しくなるだろう。
父や兄は、毎日執務に追われて忙しそうだったが、それでも何度か一緒に狩猟に出かけた。狩猟は2人にとってもいいストレス解消になったらしく、父も兄も大はしゃぎだった。
母と妹とは、お茶をした後に散策するのが日課となった。毎日一緒にいるのに話題は尽きない。領地の美しい自然や出会った動物たちのこと、美味しい農産物のこと、領民たちの話、王都のこと、私の婚約相手のローランのこと、美しい王子王女たちのこと等を次から次へと話した。それだけではなく、時間のあるときには、歌やゲーム、料理をして楽しむ時もあった。
夜は時間があるので、自室で刺繍づくりにも励んだ。昨日ようやくそれが完成し、家族全員にお揃いの刺繍入りハンカチをプレゼントした時は、父も母もとても感激してくれた。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
私の引っ越しの準備があるので、王都に戻らなくてはならない。
楽しかった領地での生活に別れを告げ、また3日間馬車に揺られて王都へと向かった。
◇◇◇
「ああ、疲れた」
王都の屋敷へ戻って来た。
3日間も馬車に揺られて、すっかり疲労困憊だ。身体の節々が痛い。
荷物を整理し終えて自分の部屋でベッドに転がっていると、「ちょっとよろしいでしょうか」と執事のトーマスがやって来た。
「リジーお嬢様、お疲れのところ申し訳ございません。明日、登城するようにと書状が届いております」
トーマスの言葉に耳を疑う。
まだ引っ越しの準備をしていないのに、もう登城しろというのか。どうしよう。
「あれ?まだ1週間先じゃなかったっけ?」
「はい、お引越し自体はまだ先なのですが、その前にお嬢様に相談したいことがあるとのことでした」
「そうなんだ…」
よかった。まだ引っ越しではなかった。
でも、相談って何のことだろう?
私の部屋についての希望は伝え済みで、もう大丈夫だと思ったけど何か不備でもあったのだろうか。
気にはなったが、長旅の疲れがもう限界だったので、それ以上考えることはできず、そのまま眠りについた。
◇◇◇
翌日、指定された時間に王宮の「彫刻の間」で待っていると、宰相とローラン、そして司教が揃ってやって来た。
皆が部屋に入った途端、宰相が部屋の鍵を閉め、私とローランに向って重々しく口を開いた。
「2人の婚約に対して、異議申し立てが届いています。全部で30件。すべて無記名ですが、筆跡からほぼ同一人物によるものだと思われます」
異議申し立て?
そんなことがされるとは思ってなかった…。
実際に異議申し立てがあるケースは非常に少ないと聞いていたのに、まさか自分に起こるなんて…。
続いて、司教が話した。
「教会ではこれらの異議申し立てを審議するにあたり、お2人の意見を聞かせていただきたく、本日、お時間をいただきました」
ローランは、部屋に入ってから顔色ひとつ変えず黙ったままだ。
私が宰相と司教に尋ねた。
「あの、異議申し立ては、具体的にどんな内容が書かれていたのでしょうか」
宰相と司教が顔を見合わせ耳打ちをした後、司教が答えてくれた。
「それでは、いくつか読み上げます。
『ローラン王子殿下はリジー・ハリス子爵令嬢ではなく、もっと高位貴族の令嬢と婚約すべきだ。2人の婚約に異議を申し立てる。』
『ローラン王子殿下にはアレクシア・クライバー侯爵令嬢のほうがお似合いだ。ナディエディータ王国の繁栄のためにも、リジー・ハリス子爵令嬢との婚約に異議を申し立てる。』
『ローラン王子殿下の今回の御婚約は、ナディエディータ王国のためにならない。リジー・ハリス子爵令嬢との婚約に異議を申し立てる。』
だいたいこのような内容です」
ふうん。ローランが私と婚約するのが嫌な人がいるんだ。
そりゃそうか…。こんな素敵な王子様だから、皆狙っていて当然か。
でも、父の爵位が子爵だからという理由で婚約破棄が認められるのなら、もう私にはなす術がない。
いくら泣いてすがったとしても、無駄だろう。
私は、自分がローランを癒すとか自分を癒すとか、そんなことを呑気に領地で考えていたが、もはやそれどころではない。ローランとは婚約破棄になりそうだ。
ローランとの婚約式が幸せの絶頂だったな…。
私は断罪されるのを待つ罪人の気分だった。
何も悪いことはしていないけど、身分ばかりはどうしようもない。
あ、もしかしたら、ローランとの婚約が悪いことだったのか。
でも、国王陛下からはご褒美だと言われたんだけどな。
頭の中で、ぐるぐると同じような思考が巡っている。
すると、黙っていたローランが口を開いた。
「教会がどう判断しようとも、私はリジーと婚約を続ける」
「!!」
ローラン!!!!!
叫んでローランに抱き着きたい気持ちを必死で抑えて、目を見開いてローランを見る。
ローランの顔は、怒っているようだ。
私も何か言わなくては。
「わ、私も、自分勝手ではありますが、ローラン王子殿下と婚約を続けさせていただきたいです。確かに、私の父の爵位は子爵ですし、高位貴族の方からはご不満が出ることも承知しています。でも、これから私は妃教育を精一杯頑張り、ローラン王子殿下に相応しい相手となれるよう努力いたします。ですから、婚約破棄だけはしないでください。お願いします」
なんとか婚約を続けたい一心で、無我夢中でお願いし、司教と宰相に頭を下げた。
宰相が司教に言った。
「国王陛下も、2人の婚約が継続することを望んでおられます」
司教は、私たち3人の顔を順に見ながら、語りかけるように言った。
「お2人と国王陛下のお考えはよくわかりました。この後、教会に持ち帰らせていただき、異議申し立てについて審議いたします。審議の結果については、明日宰相にお伝えいたします」
「わかりました。ご連絡をお待ちしております」
宰相が司教にそう返事をしているとき、2人に聞こえないようにローランが私の耳元で囁いた。
「リジー、この後話をしたいから、僕の部屋にきてくれる?」
私はローランに向かって、小さく頷いた。
ありがとうございました。