2.初日2
王宮に到着すると、「馬の目部屋」と呼ばれる部屋に案内された。
どうしてこの部屋が「馬の目部屋」と呼ばれるかというと馬の目のような窓があるからだそうで、ここが王女たちを世話する女官の控室となっていた。
現国王は正妃と3人の側妃がおり、その子供として8人の王子と7人の王女がいる。私はその7人の王女たちをお世話する女官となるということだろう。
部屋の中には私のほか誰もいないので、ちょうどいい機会だと思い、ぐるっと見回して部屋中を観察する。
白壁がまぶしく廻り縁に金の装飾が美しいが、女官の控室だけに全体的にシンプルな造りで、あとは暖炉の上に絵画が1枚飾られているだけだ。
でも、飽きのこない居心地のよい部屋で、女官たちがくつろげる椅子がたくさん置かれていた。
丸い窓が2つあるが、あれが馬の目のように見えるということなのだろう。誰が名付けたのかはわからないが、丸い窓をぼんやり見つめながら、馬かどうかはわからないけど確かに目には見える、とひとり納得した。
私がひととおり部屋を観察し終えた頃、3人の女性が相次いで部屋に入ってきた。ひとりは女官長、あとの2人は私と同じ新人女官のようだ。
「はじめまして。私は女官長のレア・バルドーです。今日から皆さんの女官教育を行います。でも、メモをすることは禁止です。すべてを頭に叩き込んでください。教えたことは覚えているか、何度でもテストします。いいですね」
バルドー女官長は、前世の私と同い年くらいだろうか。少し小太りだが、ハキハキと話す口調は自信に満ちていて、うらやましく感じる。
「あっ」
無意識に前世の自分と比べていたことに気づき、思わずそんな自分がおかしくて口角が上がった。
「リジー、何を笑っているの?ちゃんと話をきいていますか?」
バルドー女官長が語気を強めて、私をじろりと睨む。
「はい、申し訳ございません」
急いで頭を下げ、思わず小さく肩を竦めた。いきなり何をやっているんだ。
せっかくの人生やり直しの機会なのに、最初からつまづいてはいけない。
二度目の人生は言いたいことを言える人生にしたいし、できるだけ女官ライフもエンジョイしたい。自分に我慢を強いるなんて、もううんざりだ。
そのために、まずは女官教育をしっかり頑張って、目の前の女官長に自分を認めてもらわなければ。
そう固く誓い、改めて女官長の話に集中する。
女官教育は、女官としての心構え、服装、言葉遣い、立ち居振る舞いといったマナーから始まった。私たち貴族令嬢は幼い頃よりマナー教育を施され、ひととおり身につけているため、女官長の教えもすんなり頭に入る。
「順調、順調っと」
そう心の中で呟いて、女官長の顔を見つめ、気合を入れ直した。今の私は少しでも油断をすると、すぐに前世の記憶を思い出してしまう。先ほどのような失敗をしないためにも、今はしっかり集中しないといけない。集中力を継続させるのにも努力が必要なのだ。
ようやくマナー教育が終了し、少しの間の休憩を告げられた。バルドー女官長が部屋から出ていくとそれまで部屋を支配していた強烈な緊張感が霧散する。私は無意識に大げさなほどのため息を吐いた。
「あー、やっぱり疲れるよね?」
そんな私の様子を見て苦笑しながら、伯爵令嬢のイザベルが声をかけてきた。
「うん……無意識にため息が出ちゃったの。恥ずかしい」
初対面のイザベルに見られたことが恥ずかしくて、うつむきながら答える。
「私もすごく疲れたわ」
子爵令嬢のステイシーが、私を励ますように同意しながら、同じように大げさなため息を吐いた。
その様子がおかしくて、思わず声に出して笑ってしまう。つられて、イザベルとステイシーも笑い出す。3人でひとしきり笑うと、不安感や緊張感が吹き飛んだ。
女官教育は、この後もイザベルとステイシーと私の3人で、ずっと一緒に受けるようだ。私達はいわゆる同期になる。
ただし、3人とも今日が初対面だったので最初はお互いの様子を伺っていたが、マナー教育を受ける中で徐々に同志としての意識が芽生えていた。
3人で声に出して笑いあえたことをきっかけにして、お互い言いたいことを口にする。3人とも話し始めると止まらない。初めて会ったはずなのに、このままずっと話せそうだ。
「バルドー女官長って厳しそうだよね?」
「メモを取っちゃダメなんて、そんなに全部覚えられるのかしら」
「今日がくるのがずっと不安だったの。女官なんて私に務まるのかしら」
3人とも思っていたことが同じだった。みんな同じように不安なんだ。私だけじゃない、と思うと、少し気が楽になった。
それからしばらくして、バルドー女官長が戻ってきた。女官教育が再び始まる。
この国の歴史、王族のことや部屋数が40を超える王宮内部の造り、王宮で従事する人々のことなどを詰め込まれた。
歴史や王族のことはだいたい分かっているが、王宮内の部屋の名前も場所もまったく覚えられない。
40以上も部屋があって、それが迷路のように配置されていて、どうやって覚えたらいいのか。
それでなくても、今、私の脳は前世の記憶が半分以上占めているというのに、そこに新しい知識をこんなにたくさん一気に詰め込んでも入らないのは当たり前だ。
おかげで、王宮内部に関するテストは、新人3人の中で私が断トツ最下位だった。
バルドー女官長の冷たい目線が痛い。
「なんでこんなことも覚えられないのか」と心の声が聞こえてくる。
もちろん覚える気はあるのだが、どうしても覚えられなかった。
女官長は、あきれたような顔で私を見ながら言った。
「リジー、また明日テストしますので、家でしっかり復習してきなさい。もう、今日の座学はおしまいです。最後に、掃除について教えます。あなたたちは、まずは女官見習いとして、王妃の衛兵の間の掃除係を担ってもらいます。今から王妃の衛兵の間に行きますので、ついてきなさい」
王妃の衛兵の間は、その名のとおり、4人の王妃たちの護衛を担う衛兵たちの控室で、ここを王妃たちが訪問することはない。
直接王族と顔を合わせる心配がないので、私たちのような女官見習いでも掃除を担当することができるのだ。
王妃の衛兵の間に入室し、掃除の仕方をひととおりバルドー女官長から教わった後、早速3人で手分けして掃除をすることになった。私も雑巾を手にさっそく掃除を始める。
「まぁ、リジー。掃除は上手ね」
私の掃除ぶりを見て、バルドー女官長は目を瞠った。
普通の貴族令嬢は自分で掃除をしたことがないので、イザベルとステイシーは苦戦していたようだが、元主婦歴20年の私は昔取った杵柄で手際よく掃除する。
私はというと、先ほどの減点分をなんとか取り返さなくては、との思いでいっぱいで、とにかく必死だった。バルドー女官長の誉め言葉も耳に届かない。
その後、掃除はバルドー女官長がいいと言うまで続き、初日の女官教育はなんとか終了した。
バルドー女官長のオッケーが出たときは、思わず3人で喜び合ったほどだ。本当に心底疲れた。初日からこんな調子で先行きが思いやられるが、今日の私の評価はプラスマイナスゼロといったところだろうか。
女官というのは意外と主婦スキルが活かせそうだが、いかんせん私の記憶力が悪すぎる。
迷路のような王宮をどうやって覚えたらいいのか、明日のことを思うとすっかり気が重くなって初日を終えた。