19.マルゴット王女殿下2
「リジーは今、アリスに付いて女官見習いをしているの。さっきは、私の髪の毛を梳かしてくれたわ」
マルゴット王女殿下が、ローランに説明した。
「それで、リジーが今後のことを全然知らないみたいだったから、ローランを呼んだの。妃教育のことも知らなくて、不安そうにしてたのよ。ね。リジー」
マルゴット王女殿下が、私のほうを見る。
「はい」
私は小さく頷いた。
妃教育のことを聞かされていなかったのは本当だ。
でも、こんな風にローランを責めるのは、違う気がする。
まだ顔合わせをしたばかりで、婚約式だってこれからだ。
マルゴット王女殿下が私のことを気にしてくれているのは分かるんだけど…。
ローランがソファを立って、私の前にやって来た。
「リジー、ごめんね。今後の予定について、リジーには何も説明してなかったね。今、まだ少し時間はある?」
「うん、大丈夫」
ローランにだけ聞こえるよう、ほとんど声を出さず、唇の動きで答える。私が了承したのを見て、ローランはマルゴット王女殿下のほうに向き直った。
「姉上、今から少しリジーをお借りします」
そして、私の手を取り、
「ちょっと来て、リジー」
と言って、マルゴット王女殿下の部屋を出た。
ローランに手を引っ張られるが、私は訳が分からない。
「ちょっと…ローラン、どこ行くの?」
女官が王子殿下を敬称も付けずに呼んだことが、万が一誰かに聞かれでもしたら大変なので、細心の注意を払いながらローランに小声で尋ねた。
「いいから、来て」
ローランは、そんな私の様子を意に介さず、早足でぐいぐいと私を引っ張って行く。
そして、ローランの部屋まで来ると、無言で扉を開け、部屋の中に私を入れた。
扉の前で警備をしていた騎士様が、ひどく驚いた顔をしてその様子を見ている。
それはそうか。
ローランが女官を部屋に引き入れるなんて、何があったのだろうと思うはずだ。
でも、誰もローランを咎めたりはしない。いや、できない。黙って見守るだけだ。
ローランは部屋に入ると、私をソファに座らせた。
「リジー、無理矢理連れてきてごめんね。2人きりで話したかったから」
「いいよ、全然」
あれ以上、マルゴット王女殿下に何か言われるのは嫌だろうと思うので、私は首を横に振った。
それを見て、ローランは笑顔を見せた。
「それにしても、ビックリしたよ。リジーが女官の格好をしてるんだもん。気づかなかったー」
私も笑いながら言う。
「だって、女官見習いなんだもん。女官の格好をするよ。でも、昨日の格好とは大違いだから、気づかなくて当然だわ。普段の私はこんな感じ。昨日の私が特別仕様だから」
「そうなんだ」
そう言って、再びローランが私の姿をまじまじと見る。
「ちょっと、ローラン、あまり見ないでよ。恥ずかしいから」
私がぷいと横を向く。
ローランは乙女心を分かっていない。
昨日のように美しく化粧した姿だったら、今みたいにまじまじと見てもらえるとうれしいが、今日のナチュラルメイクは、そんなにじっくりと見られたくない。
ローランが真顔で言った。
「そう?女官姿のリジーも可愛いよ」
ローラン、突然何を言い出すのだ。
「へ?」
思わず変な声が出てしまった。
ローランって、時々こういう、すごいことを真顔で言ってくるから困る。
自分が何を言っているか分かっているのだろうか?
前世でも今世でも、こんなイケメンに真顔で甘い言葉を言われたことがないので、どう対応したらいいか分からない。
それなのに、ローランがまだじっと私を見ている。
恥ずかしいので、慌てて話題を変えた。
「ね、ローラン。それより、女官の格好の私を部屋に入れてもよかったの?扉の前の騎士様が変な目で見てたよ。変な噂とか立たない?」
「ああ、後でちゃんと言っとくよ。僕の婚約者だ、って」
「うん。お願いね」
「そうだね。ケヴィン兄さんみたいに誤解されたら困るから、そこはちゃんと言うことにする」
「ぷっ」
ローランの言葉に思わず吹き出して、慌てて口を押えた。
ローランはしてやったり、みたいな顔をしてニヤニヤ笑っている。
そして、二人で顔を見合わせて、クスクス笑った。
ローランのおかげで、すっかり「ケヴィン王子殿下=女たらし」のイメージが定着してしまった。
でも、女たらしのことを「ケヴィン兄さん」と言うのは止めてほしい。
「ケヴィン兄さん」という言葉だけで笑ってしまうようになったから、実際に会ったとき困るじゃないか。
ひとしきり笑った後、仕切り直してローランが言った。
「リジー、さっきマルゴット姉さんが言っていたことだけど、来月僕たちの婚約式が行われることは聞いているよね?その前に、婚約式の打合せや衣装合わせが行われる。その日程は、伝令を通じて連絡が行くよ。
婚約式が終われば、リジーは正式な僕の婚約者となる。それからは、さっき話した通り、妃教育が始まるんだ。妃教育の内容は宰相が調整しているけど、マルゴット姉さんの言う通り、女官との掛け持ちは時間的に難しいと思う。
結婚まで3年あるけど、妃教育は3年だと足りないくらい、やることがいっぱいあるみたいなんだ」
「そっか。分かった。私、ローランのためにも、妃教育、頑張るね」
先ほどまでは女官を頑張りたい気持ちのほうが強かったが、ローランの優しさに触れて、ローランのためにも妃教育を頑張ろう、という気持ちになっていた。
「ありがとう、リジー」
そう言ったローランの顔は、光輝いて見える。
話がひと段落したので、私はソファから立ち上がった。
「そろそろ私は女官見習いに戻らないと…。ローラン、話してくれてありがとう。今後の予定が分かって、やる気になったから」
ローランにお礼を言って、部屋を出る。
部屋を出たら、扉の前に立つ騎士様と目が合った。
私は騎士様に向かってお辞儀をし、そのままその場を立ち去った。背中に突き刺さる騎士様の視線が痛い…。
ローラン、絶対に後でちゃんと説明しておいてよ。
ありがとうございました。