物理現象としての意識は説明できるか?
以前、意識を論理的に説明する理論として統合情報理論を紹介したが、これは実験で証明されたわけではなく仮定の域を超えてはいない。
そもそも客観性・実験再現性を重視する現在の科学では意識の問題を証明することはできないように感じる。逆に言えば仮定し放題であって、妄想好きな私には格好の素材であるのだ。
というわけで物理現象として意識を考えるとすればどうなるのか?をいろいろ書いてみる。
(あくまで妄想なので、真に受けないようにしてください。)
時間は存在すると考えられている。そしてそれは絶え間なく一定方向へと流れていて、二度と戻ることはない。これはエントロピー増大の法則と関係している。
時間が量子的なものかはまだわかっていないが、(連続してるならアキレスと亀の問題が再発するかも?)物理現象はパラメータに時間を持つことが多い。有名なニュートンの運動方程式マクスウェル方程式、シュレディンガー方程式などがそうだ。
意識は物理現象とリンクしている。それは脳という、ニューロンの集積回路がないと意識が生じないことからも明らかだ。そしてニューロンはイオンの移動で発火するものであり、それはもちろんパラメータとしてtを持つ。
よってもし意識が方程式として表されるのなら、それはtを含むものであるだろう。時間停止したときに意識を持つとは考えにくい。
この「時間と意識」についてもう少し説明したい。
朝起きたときの自分の意識が、昨日寝るときの意識と同じだと証明することはできない。もっといえば、今この瞬間の意識とちょっと前の意識は違うものかもしれない。
しかし私は明確に、連続した私を感じている。
これはそれまでの記憶があるからだ。体験したこと、思ったことが克明に記憶されているからこそ、同一の意識が生じる。
なぜ自分の意識は自分にしか宿らず、ほかの人・ものには宿らないのだろう?と思ったことが多々あるが、考えてみれば自分の体に自分の記憶があるからこそ、そこに自分の意識が宿るのだ。コウモリであるとはどのようなことか?と同じことだ。
冒頭にも書いたように、時間とは不可逆的なものである。よって以前起きたことがもう一度起こることはない。
しかし脳はある意味で可逆である。正確に言うと、以前起きたことをニューロンの発火パターンとして保存し、再びそのパターンを想起することができる。
物質は時間がたつにつれて形を変える。これは見方を変えれば与えられたエネルギーや力を記憶していると言える。(雨水に打たれた岩は長い年月をかけて削られるが、それは雨水に打たれたことを記憶している)
しかしその記憶が記憶として想起されることはない。脳だけがそれを可能にしているのだ。
これはすごいことである。元来不可逆的な時間の流れを記憶し、エントロピー増大の法則に抗うことなく過去を思い出せる、まさにタイムマシンとも呼べる代物だと思う。
意識に現れる世界(世界モデル)とは、現実世界を乏しい感覚器官で取得した情報を元に再現したものであり、抽象的であり、それ自体が完全なものではない。想起した記憶と本質的に違いはないのだ。
つまり意識主体で言えば、今感じている現実と思い出した過去の思い出はそこまで違いはない。(もちろん記憶の方が鮮明さは薄れるのだが)
もし物事を完全に記憶できる人がいたとしたら、その人は今と過去を区別することはできないだろう。そういう意味では「今」というものは相対的なものだと感じる。
シュレディンガーは生物を負エントロピーを得て秩序を維持するものであると論じたが、意識とは不可逆な時間の流れに反して擬似的に過去を行き来できる、タイムトラベラーのようなものだと論ずることもできるのかもしれない。
ではその「タイムトラベラー」は一体どこにいるのか?
記憶があってそれを想起できるような、情報処理ができる器官が意識を持つ、そう考えることができるかもしれない。ならばその情報とは一体どのようなものだろうか?脳はイオンや神経伝達物質が情報を伝える役目を果たしているが、水時計や光コンピュータのような媒質が異なるものでは意識は宿るのだろうか?
現在のコンピュータはすでに記憶ができるが、それは逐一読み書き込みが行われるものであって情報の流れは離散的であるが、それにも意識は宿るのだろうか?
そもそも「意識が宿る」と二元論的に述べてきたが、仮に意識がより高次元なものであったとした場合、それを理解することはできるのだろうか?
謎は尽きない。しかし考えずにはいられない。プログラミングでいう再帰処理のように、自分自身の意識について考えだすとそこから抜け出せなくなってしまう。(まぁ進化で生き残ってきたわけだから途中でbreakしてしまうわけだけど)