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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アンゼリカは懺悔する

作者: Arisawa.I

 美しきシスター・アンゼリカに出会ったのは、まさに天啓と言っていい。


 僕はとても幸運だった。おお神よ、我らが神よ、あなたの巡り合わせに感謝します。僕は十字架にかける願い事なんて何一つ持ち合わせていないけれど、これが神の思し召しだっていうなら今この瞬間だけは教徒じみたことをしたっていい。床に這いつくばって靴底を舐めることすら喜んで行おう。僕はそれくらい幸せな出会いを果たしたのだ。


 十字架を掲げた教会。無宗教がデフォルトの日本において、そこはなかなか足が遠い場所ではなかろうか。僕はクリスチャンではないし、ついでに言うと実家は山奥の寺だ。精進料理と坊主に囲まれた生活が保証されている。

 家はしかし、僕には関係のないこと。寺は長男である兄貴が継ぐ。僕は家に縛られることを嫌って高校から一人暮らしを始めた。シスター・アンゼリカに出会えたのも、こうした小さな選択の積み重ねにあると思う。


 ガタゴトと眠気を誘う音に揺られて、僕は毎日通学をする。大学一年生となった僕は朝夕の通勤・帰宅ラッシュにもみくちゃにされながらも、電光掲示板の表示を無心で見つめながらやりすごす。

 「有名女優Kの禁断二股デート!」――吊り下げのゴシップ記事から目をそらす。「アメリカの株暴落を受けて国内株価急降下」「都内でまた惨殺 連続殺人事件」「イギリスの女スパイ 国内に潜伏の可能性」電光掲示板は十秒単位でトピックを切り替えていく。二駅越えるとまた株価のニュースに戻った。


 毎週月・木の二回、僕は教会に通うことにしている。回数や曜日は単純に僕の都合だ。大学の講義が早く終わる日を選んだだけ。本当ならシスターに毎日でも会いに行きたいが、下心丸出しなのもよくないだろう。

 自宅の最寄り駅ではない……二駅前で僕はホームに降り立つ。利用者はそこそこ、人波に逆らわずに階段を下っていく。定期券で行ける距離にあるのがありがたい。シスター・アンゼリカのいる教会は、駅から徒歩五分の好立地だ。

 僕も通うようになって気づいたのだが、教会というのは意外と寛容だ。敬虔なクリスチャンだけが通い詰めて、静謐な空間でひたすら祈りを捧げるものだとばかり思っていた。しかし僕のような一般人かつ無神論者でも(都合のいいときだけ神様を信じるのが僕の信条だ)、教会は黙して受け入れてくれる。そして何回か通うと、独特の空気に居心地のよささえ感じるのだ。


 白い両扉に手を当てぐっと力を込めて押せば、そこは聖なる空間だ。ざっと教会内を見回す。

 最前列で背中を丸めているのはいつもいる婆さんだ。あとは前から三列目に読書に耽る気難しそうな中年男性。読んでいるのは聖書だったりビジネス書だったりする。

 そして、懺悔室の隣で優美に佇んでいるのがシスター・アンゼリカだ。


「シスター」


 いつもいるメンツとはいえ、大声を出して迷惑をかけてはならない。彼らは彼らの時間を有意義に過ごしたいだけなのだから。小声でもしかし、沈黙のおりていた教会ではしっかり届く。入り口に立っていた僕に気づいたシスター・アンゼリカは、ふわりと微笑んだ。まるで彼女の周りにだけ花が咲いているかのように。


「レージさん」


 シスターの発音は美しい。英語圏の出身らしく、時折出てくる流暢すぎる発音混じりの日本語がまたいい。僕の名前も「レ」が巻き舌っぽくなっている。そんなもので異国情緒を感じられるわけではないけれど、独特の呼び方が僕は癖になっていた。


 シスター・アンゼリカは美しい女性だ。端的に言って。

 惚れた弱み、というのもあるかもしれない。しかし色眼鏡を抜きにしてもやっぱり美しい。外国人は目鼻立ちがスッキリしているからそう思えるだけだと言う人間もいるが、それはとんでもない。シスター・アンゼリカは天使のような神秘性と妖艶さが同居した女性なのだ。その翡翠の瞳に見つめられるだけで、天にも昇る思いになれる。

 無宗教の僕がこの教会に通うのも、無論シスター・アンゼリカに会うためである。もっとも、シスターに直接的な言い方はできないので「大学でキリスト教の勉強をしている」と嘘を言っている。ちなみに僕は経済学部だ。


「こんにちは、シスター。今日お時間はありますか?」

「もちろん。教会は何者も拒みはしません」


 週二回教会に来て、シスターとなんてことない会話をすること。これが大学生となった僕の新しい習慣になっていた。

 僕がシスター・アンゼリカを知ったのは大学生になった春だ。高校では使わなかった路線を利用することで電車から流れる街の景色は変わり、聞く噂話もトピックが異なっていた。


 絶賛彼女募集中であった僕は、そういった方面へのアンテナをとにかく張っていた。文学部に才女がいるとか、ミス大学はモデル体型でなかなかの逸材だとか、コンビニに某人気アイドル似の美少女がいるとか。そういったものを風の便りで得てはアタックしに行く。「お前のその行動力だけは褒めてやりたい」と友人に言わしめたほどだ。僕はどうやらアクティブな人間に分類されるらしい、こと恋愛において。

 「沿線の教会に外国人美女のシスターがいる」というのも、情報網に引っ掛かったひとつだ。美女ならば、この目で確かめるほかあるまい。友人に称賛されたこの両足をフル稼働させ、僕はこの教会に来たわけだ。美しいと噂のシスターに会うために。


 会った瞬間、電流が迸った。そう思えた。運命にも天啓にも近い出会いだった。この世のものとは思えない完成度だった。

 外国人であるがゆえのはっきりした目鼻立ち、陶器のように白い肌、ゆったりとした衣服の上からも主張する抜群のプロポーション。文句なしの美人だ。


 欲しい、と思った。


 以来僕は、この獣のような本心をひた隠しにしながら、少しずつシスター・アンゼリカとお近づきになっている。シスターは僕の心など露知らず、一人の迷える子羊として接してくれる。それは嬉しくもあり悔しくもあるが、今はまだそれでいい。僕はシスターを物にするにあたり、ゆっくりと距離をつめていくと決めた。

 そんな下心を抜きにしても、シスターとの話は自分を見つめ直すかのようで、とても興味深い。


「シスターは恋をしていますか?」

「私は神に身を委ね、愛することを使命としています。故に、常に隣人たるあなたを愛していますよ」


 シスターは僕を愛していると言う。キリスト教の隣人愛であり、人類愛に近い部類だろう。だが僕は事情が違う。僕がシスターに抱くのは恋心だ。エロスもアガペーも無視したような、ただ彼女が欲しいという熱い情念とも言える。

 それを僕はおくびにも出さない。荒ぶるような、渦巻くような激しい衝動を必死で押さえつけて、僕は涼しい顔をしてシスターとの談笑を楽しむ。その真意が噛み合っていないとしても、僕にとっては至福のひとときだった。


 シスターが僕を誘ったのは、五月の終わりのことだった。電車の広告から大物女優Kの名前は消え失せ、電光掲示板は続く株価の低迷を報じている。電車内はむせかえる汗の臭いで吐きそうだった。


「レージさん、今度お時間があるときに、懺悔室に来てくれませんか」


 懺悔室。その言葉に僕は一瞬尻込みした。なんと言えばいいかわからず、僕は曖昧に言葉を濁す。


「懺悔室、っていうと……あれですか。あなたの罪を告白なさい、みたいな」

「ああ、言葉足らずでした。すみません」


 懺悔するのはレージさんではないのです、とシスター・アンゼリカは言った。


「私の罪を聞いて欲しいのです」

「……え」


 静寂、水を打ったような――確かそんな言葉があっただろう。僕とシスターしかいない木曜日。痛いほどの静けさに何故か耳鳴りを覚える。


「罪……ですか? シスターの?」

「はい。一ヶ月、私と話をしてくれたレージさんに頼みたいのです」


 躊躇う。確かにシスター・アンゼリカにあんなに話しかける人間は、教会に通う人間でもそう見かけない。会釈や挨拶こそすれど、雑談目当てに来るわけではないから。それこそお悩み相談や懺悔を聞くことはあるはず、だけれども。

 シスター・アンゼリカには「罪」がある?


「どうして、僕なんですか」


 僕はシスター・アンゼリカに問いかける。それを聞いたらもうイエスと言うようなものだ。シスター・アンゼリカは天使のような笑みを浮かべたまま、教会には似つかわしくない言葉を口にした。


「駅前のコンビニで働いていた、アイドルみたいに可愛い女の子」

「!」


 僕が狙っていた女の子だ。茶髪でツインテールの女子高生。今年受験生だからコンビニバイトは近々辞めるかもしれないと見込んでいた。そして、今年の四月に姿を見なくなった。

 それをどうして、シスター・アンゼリカが知っている?

 息がうまくできない。呼吸がもつれてしまいそうだ。肺に空気を送るのはこんなに難しいことだっけ?


「私の話を聞いてくださいますか、神の仔よ」


 シスター・アンゼリカに導かれた懺悔室。そうして僕とシスターの、長い夜が始まった。


 シスター・アンゼリカは「今度」と言っていたけれど、僕はそのまま話を聞くことにした。抱えて帰るには気になるものを聞きすぎた。踏み込みすぎてしまったかもしれないと思いつつ、僕はシスターに導かれるように懺悔室の中へと入る。

 懺悔室で向かい合う僕とシスター・アンゼリカ。二人が向かい合っただけで手狭さを感じる辺り、懺悔室は本当に狭くて息苦しい。ロッカーに年頃の男女が閉じ込められて……などというラブコメを思い出したけど、僕は今、シスターに欲情できるほどのゆとりがない。空気がそれを許さないというか、冗談や下卑た思考は部屋の外に追い出されていた。

 シスターは許しを乞うように、床に膝をついて両手をきつく結ぶ。祈りにも懺悔にも捉えられる姿。瞑目し、静かに吐き出されるシスターの呼吸ひとつでさえ、僕は聞き逃すまいと耳をそばだてる。


「神の仔よ、告白します」


 僕を「神の仔」と呼んだシスター・アンゼリカは、その罪を告解する。


 ***


 私の罪を一言で言うのなら……罪を見逃し続けていること、なのでしょう。私はシスターとして、神に身を委ねた者として、すべての人を隣人のように愛さねばならないのに、それができずにいるのです。


 世界は天秤で成り立っています。右と左に、不安定な皿があって、そこにみんなが大切な何かを載せている。片方ばかりに傾かないようにバランスをとるのが世界の秩序であると、昨今の経済学者は説いていたでしょうか。

 私は生産的な社会には適応しきれなかった、罪深い女です。その天秤を歪めている、片方の天秤から取り除くべき重石を握りしめている。それが社会に許されないことだとしても、私は守りたいと願ってしまったのです。


 私には親友がいます。幼い頃から家族のように育った、とても大切な娘です。彼女は――レベッカは鼻の上のそばかすが印象的な、快活な少女でした。敬虔なキリスト教の家に生まれた私とは家庭環境が異なり、彼女の両親は彼女に「自由たれ」と育てていました。施しも、祈りも、何を選びとるかはレベッカ自身が決めればよいと。だからレベッカは私ほどキリスト教徒として……言い方は悪いですが敬虔ではなかったし、恋多き少女でもありました。

 レベッカは特段華やかな顔立ちをしているわけではありませんでしたが、持ち前の明るさと社交的な性分が奏功し、多くの人間関係を咲かせていました。女の子からは話していて楽しい少女に見えたでしょうし、ボーイフレンドもたくさんいました。レベッカは奔放な人間関係を築き上げ、花を咲かせては派手に散らしていく。それを私は少し離れたところで眺めていました。キリスト教のシスターになる未来が約束されていた私にとって、レベッカという少女は憧れでもあり、不確かという意味においては恐ろしい存在でもありました。


 レベッカが私の家である教会に飛び込んできたのは、寒い春の未明のことでした。十五年前の三月七日――まだ朝晩の冷え込みが厳しい時期だったのを、はっきりと覚えています。

 教会の奥にある自宅で眠っていた私は、何やらドタドタと騒がしいフローリングの音で目を覚ましました。「温かいシャワーがあるわ」「バスタオルもすぐに用意する」「そうしたらスープでも飲みなさい。心配しないで、ここに君の敵はいないよ」会話しているのは私の両親です。シャワー室の扉が開かれ、水流がタイルに跳ね返る情景が想像できます。

 どうやら両親は誰かの世話をしているようです。人目を憚る時間に教会を訪ねるものは少なくありません。抱えきれない罪の懺悔や身寄りのない子供が置き去りにされていたりと、そのたびに両親は慌ただしく動き回るのです。隣人愛を実践するのもありましょうが、それを抜きにしても両親は甲斐甲斐しい人間でした。


 返ってきた、か細い声に私は息を呑みました。泣きじゃくって上擦っていても私にはわかりました、確信を持っていました……それがレベッカのものであると。

 私は寒さも忘れてパジャマのまま、部屋から飛び出しました。


 突然現れた私にレベッカも両親も困惑していましたが、すぐに両親は気を取り直して私にも手伝うよう命じました。私がテコでも引かないことを知っていたからでしょう。私は言われたとおりにレベッカの着替えを用意して、スープを火にかけました。シャワー室に消える彼女の首筋には、赤黒い痕が刻まれていました。

 私たちは、当時十三歳でした。初潮を迎え女性の身体に変質していく過渡期に、レベッカは女としての暴力を受けたのです。


 シャワーを浴び、まだ濡れた毛先を覆い隠すようにバスタオルを被ったレベッカは、顔こそ大きな怪我はありませんでしたが衣服に隠された部分の被害が深刻でした。少女の私に見せないように、という配慮でしょう。私が部屋から持ってきた私服の中から、首まで隠せるニットをレベッカに与えたのも今なら理解できます。シャワー室であのときのことを思い出してすすり泣いてしまったと、レベッカは語っていました。

 レベッカの身に何が起こったのか? 少女だった私にもなんとなく察しがつきました。それをなんという罪と呼ぶのかはわかりませんでしたが、レベッカがとても傷ついていることはきちんと理解できました。

 温かいスープをすすりながら、レベッカは掠れた声で話してくれました。両親は私に席をはずすよう促しましたが、レベッカ自身がここにいてほしいと言ってくれました。


 レベッカがレイプされたと聞いたとき、私は目からはらはらと涙が止まりませんでした。レイプというものに対する知識は、不十分とも言えました。男の人が女の人にする暴力だと聞いてはいましたが、具体的な被害を知らなかったのです。でも、あんなにニコニコしていたレベッカが泣き濡らしてしまうほどの罪なのです。それは罰せられるべき、神への冒涜なのでしょう。

 レベッカにはたくさんのボーイフレンドがいました。そのうちの一人が暴走してしまったようです。独占欲の強い男の子に見初められたレベッカは、自らの身体を食い物にされてしまったのです。


「アンゼリカのパパ、ママ、教えて下さい。どうすればあいつを地獄に落とせるの?」


 レベッカの掠れた怨嗟の声が、十五年前からずっと耳にこびりついて離れません。目を赤く腫らし、見えない部分に二度と癒えない傷を負ってしまったレベッカ。涙ながらに復讐を訴える彼女が駆け込んだ場所はしかし、皮肉にも隣人愛を説く教会だったのです。両親はもちろん、ボーイフレンドを地獄に落とす方法を教えることはありませんでした。


 「祈りなさい、レベッカ。そうすれば神様が君に微笑んでくれる」――そう両親が答えたときの、レベッカの絶望に染まった顔。私には忘れられません。

 そしてこのとき、私は神への愛を一度捨てました。


 私がやるしかない。私にはそう思えてなりませんでした。レベッカのご両親にはこのことは話すつもりはない、と彼女は言いました。両親を悲しませたくないとのことでした。だからこそ、家族ぐるみの付き合いをしていた私たちを頼ってくれたのに、教会の神父として人徳もある父に頼ってくれたのに。神に身を捧げた私の両親は、残酷なほどに模範的でした。

 なればこそ、レベッカを救えるのは私だけなのだ。私が彼女を泣かせた男を地獄に落とすのだ――寒い三月七日、私は神の教えよりも唯一無二の親友を選んだのです。


 私はレベッカから、彼女に無体を働いた男の名前を聞いていました。ジョン・L・ウォーカー……口が悪いけど男友達には好かれる、よくいる乱暴者の少年です。わがままで、欲張りで、でも羽振りがいいときはご機嫌で。気分屋の王様みたいな彼は、女子からの評価は最低でも男子には受けがいい性格をしていたのでした。

 ジョンを呼び出すのは簡単でした。少し女を見下す癖があった彼は、私の誘いに二つ返事で乗ってきたのです。まるで告白でもするかのような誘いは、本当は反吐が出るほど嫌だったけど、レベッカのためよと私は己にきつく言い聞かせました。


 レベッカのためなら、私は一人の男を地獄に落としても構わない。家族同然の存在であるレベッカを傷つけた、その罪を私は決して許さない。たとえあまねく愛を説く神のしもべであったとしても、私は今この瞬間だけは従うことができません。

 神よ、ああ神よ、私欲のために手を汚す私を、どうか許さないでください。


 ***


「……突き落としました。まだ少年だった彼を、私は階段から背中を押したのです。ジョンは呆気にとられたように一瞬だけこちらを見て、けれど踊り場に落ちてからはぴくりとも動かなくなりました」


 シスター・アンゼリカは努めて淡々と語る。きっと胸の奥には激しい憎悪の炎を燃やしていたのだろう。彼女の大切な親友を傷つけた果ての、俗世にまみれた美しい友情物語だ。僕はシスターに同情することはしない。ただ、シスターの話を静かに聞いていた。


「私の罪は、誰も知りません。ジョンは下半身不随となって植物状態……私の罪を証明する唯一の男は、口を開けないのですから。ゆえに私は彼を殺そうとしたにも関わらず、一切咎められることなく今日まで生きている」


 これが、シスターが最初に言った「見逃し続けている」罪、なのだろうか。今の話を聞いたところで、僕に彼女を裁くことはできない。するつもりもないけれど。シスター・アンゼリカの自白ひとつでは今の話が真実か、それとも誰かを守るための偽証か、判断などできないのだから。


「……どうして、僕なんですか」


 そして、またこの問いを繰り返す。シスター・アンゼリカの話を聞けば納得する答えが得られるかと思ったけれど、やっぱり僕に話した理由がわからない。


「最初に言いましたよ、レージさん。コンビニで働いていた女の子、です」

「それは聞きました。だから尚更わからない」


 僕とシスター・アンゼリカは出会って一ヶ月ほどの関係だ。確かに他の教会の人間よりは話すし、距離は近づいていると思う。僕も少しずつシスターと距離を詰めていつかは……と思ってはいたけれど、一ヶ月でガードが崩せるほどの女性だとは思っていない。ましてや、自己の罪の告白だなんて。

 その答えがコンビニバイトの彼女だと、シスター・アンゼリカは繰り返す。


「はっきりと、言うべきですか? レージさん」


 念押しするようにシスター・アンゼリカが問う。答えはわかりきっているだろうに。


「私はあなたが彼女を殺害する現場を見たと、そう言っているんです」


 ――ああ、こんなとき、どんな顔をするんだったっけ。悪事がばれてしまったときの表情は、久々すぎてもう思い出せない。口角があがる。イタズラが明るみに出たとき、誤魔化すように舌を出したような。でももうそんな歳でもない。

 僕は笑うことしかできない。だって溢れてくるから止められないのだ。


「最初はね、こんなマニアックな性癖になるなんて思わなかったんですよ」


 女の子が好きだ。二重瞼で目がくりくりした女の子。胸が大きな女の子。綺麗な化粧のお姉さん。テレビの向こうのアイドル。巷で話題の女スパイ。

 誰でも、僕のストライクゾーンに入る女性なら、誰もが欲しくなった。


「そうしたら、いつからか……女性を手にかけるのが愉しくなりまして」


 押し倒したときだろうか。無理矢理事に及ぼうとしたときだろうか。もう最初なんて覚えていないけど、力ずくで押さえ込んだときの苦悶の顔。きっとそれに、強く惹かれたんだと思う。

 シスター・アンゼリカの回顧に出てきたジョン・L・ウォーカーと、きっと近い部分を僕はもっている。組み敷いて嫌がる姿にそそられたのだ。もっと眉根を寄せて欲しい。もっと嫌がってほしい。僕よりも弱い力で、貧弱な反抗で、無駄な足掻きを死に物狂いで繰り返してほしい!


「もっとその顔が見たいと思ったら、いつの間にか死んでたんですよ」


 僕が女の子をリサーチする理由が恋愛から殺害にシフトしたのは、初めて女の子を手にかけた日からだ。ある意味において、僕は今も恋をしているのだけれど、きっとそれは誰にも理解されない。僕は僕好みの女性を探し苦しんでもらうために、アンテナを張り、全力でアプローチする。そのプロセスで死体になってしまうのは不本意なのだと言っても、理解はされない。しかし理解されるとかされないとか、最早僕には関心のないことだ。

 僕好みの女性を片っ端から探し、事に及び、壊してしまう。繰り返していたら世間は連続惨殺事件などと仰々しい文句を垂れるようになった。電光掲示板を流れる僕の失敗を、僕は誇るでもなく、むしろ恥じる思いで見つめている。失敗したから、シスター・アンゼリカにも見られてしまったのだ。


「壊れてしまうのは大体二人っきりのときだったから。僕だって屋外でやるほど盛ってはいない」


 でもコンビニバイトの彼女は、本当にイレギュラーだった。いつものように接近して、連絡先を交換して次のステップに進もうと思っていた。ところがアイドル似の彼女は意外とガードが固い純情少女で、僕の誘いを頑なに拒んでみせたのだ。別に珍しいことではない。まだ弄くるレベルではない。

 壊してしまったのは、壊そうと決めたのは、彼女が僕の逆鱗に触れたからだ。僕の美学を侵したからだ。


「『性欲の対象としてしか私を見ていないんでしょ』って言われちゃって……とんでもない。それはとんでもないことですよ、シスター。わかります? あの女は僕を、それこそレイプ魔と同じように僕を括ったんだ」


 許されることではない。僕が女性を求めるのは、最早性愛のためではない。そういったステップは超越している。苦悶苦痛悲嘆絶望……ありとあらゆるマイナスの感情を僕に見せるための興味深い鏡。それが女性が美しき女性たる存在証明である。僕はその最も輝く瞬間を、ただじっと間近で見たいだけ。

 だというのに、こともあろうに性欲と結びつけたんだ、彼女は。


「僕はアーティストだ! なんて言うつもりはないけれど、獣みたいな男と一緒にされたくはない。彼女は僕を怒らせた。だから早く壊したくなった。でもやっぱり、突発的な行為というのは失敗してしまいますよね」


 シスター・アンゼリカが見たのは、コンビニから裏へ入った路地だろう。深夜もメインストリートは若者が騒がしいから多少の目眩ましになると当時は考えていたけど、隙間からシスター・アンゼリカは僕の罪を覗いていたらしい。


「なんとなくではありますけど、シスターが僕を懺悔相手に選んだ理由はわかりました」


 僕はシスター・アンゼリカの罪を世間に公表するつもりはない。シスターが僕を指名したのは正解だろう。彼女がどこまで意図しているかはわからないが、僕は彼女に弱みを握られている。すなわち、殺人現場の目撃という、社会的に抹殺しうる強力なカードを。シスター・アンゼリカの懺悔を盾にしたところで、彼女の少女時代の罪を立証することはほぼ不可能に近い。

 僕を懺悔相手にしたのは、ある意味で賢明であり、安全策とも言える。教会に僕がやって来たとき、シスターは運命を感じてくれただろうか。


「でもシスター。僕がこの教会にやって来た理由がわからないわけではないでしょう?」

「……私を殺すのですか」

「いいえ、今はまだ」


 僕がこの教会に来たのは目撃者の抹殺ではない。僕はそもそもシスターに現場を見られたと知らなかったし、教会で出会ったのは別の意図があってのこと。僕の行動原理は至極単純だ。

 僕は美しきシスター・アンゼリカの苦悶の表情を見たくて来たのだから。


「僕の趣味を知ったのはシスターが初めてなんです。それはとても貴重なことだ。他の女性と同じように壊してしまうのは惜しい」


 どうせなら焦らして焦らして焦らしきった果てに、繊細にド派手に壊してしまいたい。


「それで、シスター。僕はこの話を後生大事に抱えて生きていけばいいんですか?」

「……いえ。あなたには、私が再び罪を重ねる愚行をどうか許してほしいのです」


 再び罪を重ねる愚行。再びの意味を理解できないほど、僕は察しの悪い人間ではない。

 彼女の懺悔を聞けばわかる。シスター・アンゼリカは唯一の親友レベッカのためならばすべてをなげうつ覚悟と行動力を備えた女性だ。そんな彼女が罪を重ねるというのなら、それはレベッカ絡みでしかあり得ない。


「レベッカさんに何か?」

「厄介な男に関わってしまったと」


 また男絡みらしい。そこまで男運が悪いと逆に興味がわいてくる。一体レベッカという女のどこに男は魅力を感じるのか。シスター・アンゼリカを上回る美女なのか。回顧を聞く限りではそばかすがあったり、垢抜けない印象を受けるが、果たして。


「レベッカを守るためなら、何度だって私は神を冒涜します。それがシスターとして、人間として許されない罪だとしても。たとえ檻に放られることになっても……私は、愛するレベッカを救ってみせる」


 ああ、嫉妬だ。こんなもの妬いてしまう。シスター・アンゼリカが見せる憎悪や復讐心、美しい彼女を歪めるレベッカが心底羨ましい。僕がナイフで肌を切らなくても、シスターを魅力的な顔にしてしまう。

 レベッカという女が、僕は本当に羨ましい。


「嫉妬してしまいます」

「はい?」


 シスターは意味がわからないと言ったように小首を傾げる。僕は閃いた、閃いてしまったんだ……彼女を繊細に壊す、そのプロセスを堪能する素晴らしいアイデアを。


「シスター。その話、僕にも噛ませてもらえませんか」

「……それはできません。私は私の罪を、他の誰にも被らせることはしない。それは私が背徳を犯す、罰のようなものです」


 それは違う。シスター、あなたは確かに聡明で慈愛のある女性なのだろう。だからこそ気付くべきだ。あなたが話をしているこの僕が、一体どんな性癖を持った男なのかということを。その深淵をあなたは覗くべきである。


「シスター、あなたは何か勘違いをしているようだ。僕はあなたと盟友になりたいと、そう提案しているんです」

「ですからそれは」

「レベッカの話をしたのは良くないと思いますよ」


 シスター・アンゼリカの顔色が一変する。悲愴な表情に青白さが増す。生命の危機を感じて絶望に秤を傾けていく美しきシスター・アンゼリカ。ああ、その顔を僕はずっと見ていたい。


「僕、絶賛彼女募集中なんです。美しいあなたの大切な親友……きっと、魅力的な女性なのでしょう」

「――ッ!」

「ねえ、シスター」


 焦らして焦らして、焦らしきった果てに壊すと決めた。今までのようにはしないと決めた。大切に近くに置いて、力加減を間違えないように、じっくりとそのガラス細工を堪能したい。

 懺悔室に逃げ場はない。狭い空間に膝をついていたシスターが後退りしたところで、無慈悲な壁に阻まれるだけなのだ。僕はゆっくりと壁際に追い詰められたシスターに迫る。愉しくて、愉しくて堪らない。


 果たして蛇はどちらだったのか。罪深いと懺悔すべきは誰だったのか。罪を告白したのはどちらなのか。きっと神はすべてを許すだろう。だって僕の神は、僕に都合のいいことしか言わない。


「僕の伴侶(パートナー)になってくれますよね、シスター?」


 月光は懺悔室まで届かない。美しきシスター・アンゼリカが苦悩する姿を、僕は特等席で楽しんでいた。

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