わたしの大好きなチョップくん
「……ッ!?」
「チョップくん!?」
銃声が鳴ると同時に、チョップの胸から花びらのような紅が飛沫いた。
「オーッホッホッ! 貴方には精神攻撃が効くとは思ったけど、テキメンねえ。それにしても、ちょっと油断し過ぎだわ」
「これは……、まさか……!?」
「そのまさかよ。貴方もご存じ、獣人化魔導薬『狂戦士』」
魔導海賊が放ったのは、人間を思考も無い獣へと変える悪魔の弾丸。
「ぐうぅ……っ!!」
「ひどい! チョップくんに、何て事するの!」
マルガリータはバルバドスに食ってかかるが、海賊は鼻にもかけずにただ笑う。
「どうせ、我の仲間にならないんでしょ? だったら、我の忠実な下僕にしてあげるわ」
胸を押さえて苦しむチョップ。湧き上がる破壊の衝動を押さえ込もうと必死に堪えていたが。
ドクン……、ドクン……、ドクン……、
ドグンッッ!!
「ぐううううう……、あああああ……っ!」
チョップの心臓が激しく脈動し、ついに肉体に変化が訪れる。
真っ赤な水兵服を引きちぎりながら上半身が膨れ上がる。
『キィアアアアアァァァァァーーーーーッ!!』
ビリビリと、大気を引き裂くような鳴き声。
全身が羽毛に包まれ、チョップの背中からメキメキメキと巨大な鳥の羽根が出現した。
その姿は。
「オーッホッホッ! 貴方の本性は『鷹』なのねえ。鳥人間? いや、グリフォンなのかしら?」
「チョップくん、しっかりして! チョップくんっ!!」
「おおっと、行かせないわよ!」
バルバドスに羽交い締めされながら、必死にチョップに呼び掛けるマルガリータだったが、もう少年がそれに応えることは無かった。
「チョップくん……」
「オーッホッホッホッホッホッ! 愉快だわ、実に愉快! どうせ貴方は『化物』なのだから、いっそのこと完全に化物になっておしまいなさい、楽になるわよお!」
僕は、ぼくは、ボクハ……、
化物、ばけもの、バケモノ……。
『アアアアアァァァァァーーーーーッ!!』
悲しげな咆哮をあげながら、ますます人間の形状と意識を失っていくチョップ。
マルガリータは涙を浮かべ、絶望の淵に立ちながら、黙って見ている事しかできなかった。
だが。
マルガリータの胸を見た化鳥は、なぜか動きをピタリと止める。
おっぱいを見たからではない。
薄暗く寒い海の底で、ピンク色の宝石がマルガリータの胸元で温かい輝きを放っている。
それは以前、チョップが落ち込む姫君になけなしの財布をはたいてプレゼントした、桜を象ったネックレス。
『マ……ルガ…………、リ……タ…………』
「チョップくん!?」
かすかに自分の名前を呼び、助けを求めるかのように苦悶に歪む鳥人の顔。
もしかしたら……。いえ、今ならきっと、まだ間に合う!
マルガリータは、わずかに見えた光明に自分を奮い立たせた。
「大好きだよ」
ありったけの優しさを込めて、マルガリータは魔獣に語りかける。
「子供の頃、わたしは言ったよね。『どんな事があっても、チョップくんを嫌いになんてならない』って、『ずっとずっと、大好きだから』って。その気持ちは今でも変わらないよ。たとえ姿形が変わっても、チョップくんは化け物なんかじゃないよ!」
背筋を吹き抜ける冷えた空気が、あの時の恐怖をまざまざと思い起こさせ、マルガリータはカタカタと震えながらも。
「もちろん……、どんな理由があるにせよ、人の命を奪う事は良くない事だよ。だけど、わたしはチョップくんが間違った事をしたとは思わない。そうじゃないと、わたしは……」
忌まわしい記憶を払うかのように首を振り、マルガリータは大いに叫ぶ。
「チョップくんは間違ってない! あなたは人一倍優しいから、罪の意識に押し潰されそうになってるけど、その重さはわたしも一緒に背負ってあげる! 酷だけど、今だけは耐えて! 立って、戦って!」
『アアアアアァァァァァ……!』
「ちぃっ! 余計な事をべらべらと!」
バルバドスは魔獣の動揺に気付き、マルガリータの口を後ろから塞ごうとするが、可憐な姫君はデンプシーロールで首を回してかわす!
「負けないで、わたしの大好きなチョップくん! 自分を見失わないでーっ!!」
『キィアアアアアアアアアアーーーーーッ!!』
チョップは不死鳥のように一咆哮あげると、左手を心臓近くに突き刺し、ブチッと自らの肉をむしりとる!
『!!?』
そこは、魔導薬の弾丸が突き刺さった場所。
驚愕するバルバドスに構わず、チョップは掴んだ塊を地面に叩きつける。
「まさか……、自力で弾丸を摘出したとでもいうの?」
「アアアアアあああああぁぁぁぁぁ……」
痛みに悶えながらも、みるみるうちに人間の姿を取り戻し、チョップは再び人として、マルガリータとバルバドスの前に立った。
「はあっ、はあっ、はあっ……。ありがとう、マルガリータ……。君のおかげで戻って来れた……」
「バ、バケモノめ……」
苦々しく口走るバルバドスに、だくだくと血が流れる傷口を左手で押さえながら、チョップは堂々と宣言する。
「僕は……、『ポンコツ』水兵チョップだ。『化物』なんかじゃない。僕はあなたの思うとおりにはならない……!」
「チョップくん!」
「ズボンが破れる前で良かったよ。もうちょっと遅かったら下半身までモロ出しになるところだった」
嬉しさと安堵で半泣きのマルガリータを心配させないよう、ニコッと冗談まじりに笑いかけるチョップ。
マルガリータの愛が、二人の絆が、魔導海賊の奸計を見事に打ち破った。
その瞬間、チョップの右腕が千切れ飛ぶ。
ザシュンッ!!
音より早く、閃光が貫き、宙を舞ったチョップの片翼が砂浜に突き立つ。
一瞬反応が遅れたチョップの視線の先に、魔法を放ったバルバドスの姿があった。
「そう、残念だわ」
*
「う……、うあああああああああああああっ!?」
突如、チョップを襲った惨劇。
切断された右腕から噴水のように、明るい色の血液が噴き出す。
「チョップくんっ!?」
「あらあら、心臓をブチ抜くつもりだったのにねえ。さすがに良い反射神経してるわあ」
しかし、むしろ苦しませて殺すには好都合とばかりに、悪魔のような哄笑を上げるバルバドス。チョップは白砂を朱く染め、地面をのたうちまわりながら、獣じみた悲鳴を上げた。
「うがあああっ! があああああッ!!」
「チョップくんっ! チョップくんっ!! 離して! もういい加減、離してよーっ!!」
バルバドスは腕の中で暴れるマルガリータを押さえ込みながら、少年と少女が奏でる合唱の甘美さに、ぞくぞくっと背筋を震わせる。
「オーッホッホッ、実に良い声で啼くわねえ! 我が西海洋に来た理由が二つあると言ったでしょう? 一つは貴方を仲間にする事。もう一つは、貴方を始末するためよ」
「何ですって……、どういうこと!?」
「もし、海を割るような力を持つ者が、我の仲間にならず楯突くようであれば、世界を滅ぼすための最大の障害となりますからねえ。まあ、実際そのとおりになってますし」
マルガリータの問いに、バルバドスは自らの慧眼を誇りつつ嗤い、そういえばと思い出したように笑う。
「その点、あのバミューダ皇帝は、彼と違って大変聞き分けが良いですよ。金払いの良さもさることながら、なにより戦争で西海洋や周辺諸国を大量虐殺にしてくれるそうですから、我の手を煩わせずに済みそうです」
「そうは……、させません……!」
激しい痛みと出血のため、気を失いそうになりながらも、チョップはユラリと立ち上がる。
「チョップくんっ! 大丈夫、なの……?」
「大丈夫だよ、マルガリータ……。この程度で僕は、負けやしない……」
左手で右腕の傷口を握りつぶして無理やり止血をし、油汗を流して顔は蒼白になりながら、それでも眼だけはギラギラと、手負いの鷹は海賊提督を睨み付ける。
「へえ……。腕を失っておいて、それでよく立っていられるものねえ」
「確かに尋常じゃ無いほど辛いです……。死んだ方がマシだってくらい。だけど……」
今まで耐えてきた心の痛みに比べれば……。
マルガリータが僕のそばからいなくなった、あの日の痛みに比べれば……。
「腕一本くらいじゃ、僕は止まらないっ!!」
本当に神経が通ってるのかしら? と、チョップのタフネスに呆れながら、バルバドスは再び光線を放つべく掌をかざす。
「ああそう。じゃあ、次はどこを消し飛ばしてあげようかしら。左手? 足? それとも……」
鼻歌まじりに照準をずらしながら、狙いを絞るバルバドス。
次はかわせるのか? チョップは傷を負った身体を抱えて、発射の瞬間を測る。
早撃ち勝負のような緊張感が漂う。
「あー、もうまどろっこしいわ。いっそのこと、その引き締まったお腹を貫いてあげようかしらねえ!」
「ダメーっ!」
ガブーッ!!
「ぎょあああああーーーーーッ!?」
バルバドスの腕に噛みつき、羽交い締めを振りほどいたマルガリータは、チョップの元へ駆け出して行く!
「チョップくんっ!!」
「マルガリータっ!!」
「こ、この……、クソ餓鬼がァーッ!!」
怒りで我を忘れたバルバドスは、マルガリータに向けて閃光を放つ。
射出された殺人光線が、マルガリータの背中を容赦なく貫く……。
かと思われた瞬間。
光を超える速さでおどり出たチョップは、左手の手刀を閃かせ、光の剣をぶった斬った!