剣士の矜持
「ぐうっ……!」
ドサッと大の字に倒れ込む暗黒剣士。
床板に流れ出る血が、闘いの終焉を描いていた。
だが、気を抜かず、右手を構えたまま近づいてくるチョップの姿を見とがめたナヴァザは。
「……右腕は痛めたんじゃなかったのか?」
「あ、すいません。僕はウソつきなんです」
チョップは事も無げに、右手をぶぶぶんと動かしながら答えた。
「ははっ、策士だな……。してやられたぜ。それにしても、まさか渦村正が折られるとは。それも狙ってやったのか?」
「はい。同じ一点だけを撃ち続ければ、どんな名刀でも必ず砕けると思ってました」
「だからって、なかなか実践できるもんではないんだが……。本当に凄い使い手だな、君は。俺の完敗だ……」
ナヴァザはチョップの腕を認めて、笑顔を見せる。
「いえ、紙一重の勝負でした。さすが世界最強を自称するだけあって、本当に強かったです」
「世界最強の剣士か……。やっぱ、そう甘くはないよなあ……」
天の高みを仰いで、ふうーっとナヴァザは大きく息をつく。
そして、少しだけ身を起こしながら。
「だが、あれだけ無防備な俺に致命傷を与えないなんて、やはり君は甘すぎるな」
「……」
悪い人とは思えなかったから殺せなかった。
と答えるのは、甘え以外の何物でもないと思い、チョップは言葉を返す事が出来ない。
すると、黒い剣士はニヤッと男らしく笑い。
「俺の命を取らないというなら、また次も闘ってくれるという事だよな? 刀を新調したら今度は負けないぜ?」
初めての敗北を喫し、気落ちをするどころかむしろ闘志を駆り立てられた様子のナヴァザは、リターンマッチの約束を取り付けようとする。
「え……、ええっ? それはもう勘弁です。次にやったら勝てないと思いますし、そもそも僕は剣士じゃないので。最強剣士の座はそのままお返しします」
わたわたと慌てて再戦の申し出を断るチョップの姿を見て、ナヴァザは大いに笑った。
「はははっ、謙遜なんてするなよ。俺にも意地があるんでな。また近いうちに必ず闘ろ」
パッとナヴァザの胸から、紅の飛沫がほとばしる。
ドゥンッ!!
「がはっ!?」
『!?』
響いた銃声に、チョップは音の出所に顔を向ける。
そこには、白煙をくゆらせる火打銃を構えた、海賊提督の姿があった。
「仲間を、撃った……?」
「まったく。次は、今度は、近いうち? 負けたくせに呑気な男ねえ。世界最強が聞いてあきれるわ」
ナヴァザの身体が痙攣をはじめると、ドクンッ、ドクンッと心臓が大きく脈打つ音が船内に鳴り響く。
みるみる内に彼の身体が大きく膨れ上がり、黒装束を破き飛ばして現れた褐色の肉体は、黒い毛皮に覆われた獣の様相へと変貌していった。
「これは、さっきの海賊兵たちと同じ……?」
先程のザコ海賊たちと同様に、魔獣と化していく暗黒剣士。
ただ違う点を上げるとすれば、ハイエナではなく黒い豹の姿であるという事。
「オーッホッホッ、獣人化魔導薬『狂戦士』。これが本来の使い方、伊達に弾丸の形をしている訳じゃないわ。どこかのおバカさんたちは、座薬と思ってお尻に突っ込んでいたけどねえ?」
愉しげに高笑いをしたバルバドスは、獣人と化したナヴァザに命ずる。
「さあ、今すぐあなたに復讐の機会をあげるわ。意地があるのなら、最期まで徹底的におやりなさい!」
『グオアオオオオオーーーーーンッ!!』
雄叫びを上げ、飛び跳ねるように起き上がる黒豹。
その刹那。
キュン、ドガッ!
「がっ!?」
突如、背後からの衝撃をまともに受けたチョップは前方に吹き飛ぶ。
甲板を転がりながら後方を見ると、そこには先程まで眼前にいたはずの黒豹の獣人の姿。と思いきや。
キュドッ!
「ぐうっ!?」
側面から、サッカーボールのように蹴り飛ばされたチョップは艦の手すりに強かに叩きつけられる。
移動の風切り音と打撃音が同時に鳴るような、視認できない速度で襲いかかる黒豹にまったく反応できないチョップ。
ゾワッと危険な気配を感じ、転げるようにその場から身体を動かすと。
ドバキャーッ!
上空から降ってきた膝蹴りが、チョップが元いた場所に大穴を穿ち、獣人は船内に落下した。だが。
ドキャッ!
ジャンプアッパーで床板を突き破り、船上に飛び戻りながら着弾点にいたチョップを跳ね飛ばす。
そして、上空でチョップの身体を掴むと、パワーボムのような格好で、のしかかるように地面に叩きつけた。
「ぐわあああーーーっ!」
「チョップくんっ!」
『チョップーっ!』
チョップの両腕を膝で押さえ込み、マウントポジションを奪った黒豹は勝利を確信する雄叫びを上げた。
「オーッホッホッ! 『南海の黒豹』が本物の黒豹になるなんて、シャレが利いてるわねえ。さあ、そのまま咬み殺してしまいなさい!」
野獣の眼をギラつかせて涎をたらしながら、チョップの頸動脈を食いちぎらんと迫る黒豹の牙。
しかし。
ポタッ、ポタッ。
チョップの顔にかかる雫。
見るとそれはよだれではなく、黒豹の双眸からこぼれ落ちる涙。
獣人は、剣士の意地で人だった頃の記憶を取り戻し、チョップに向かって哀願する。
「頼ム……俺ヲ……、殺してくれ……!」
「!?」
「こうなってしまったら、もう俺が望むような生き方は出来ない……。剣士の情けだ、介錯してくれ……」
「えっ……?」
心優しき少年水兵には残酷過ぎる願いに、当然ながら戸惑う。
「後生だ! 俺が正気を保っている内に……、早ク……」
黒豹はチョップから飛び退くと、頭を抱えて苦しみの声を上げる。
「ウオオオオオォォォォォ……」
「何をモタモタと……。貴方は獣よ、血に飢えた野蛮な獣なのよ! さっさとあの少年を食い殺してしまいなさい!」
バルバドスの命を受け、前を向いた黒豹の眼にはすでに人格を感じさせるような光は無くなっていた。
「グオオオオオォォォォォーーーーーンッ!!」
キュンッ!
獣の本分を全うしようと、影すら残さない速度で再び襲い来る黒豹。
だが。
「御免!」
ズゾンッ!!
その動きを見極めたチョップ。
剣と化した右腕を肩までめり込ませて、獣人の心臓を深々と貫く。
さらに手刀を斜めに抉り上げると、袈裟懸けに斬り裂いた傷口から、噴火する火山のように血が吹き出した。
「アアアアアァァァァァ……」
黒豹はドサリと仰向けに倒れると、暗黒剣士の姿に戻っていった。
その凄惨な有り様にマルガリータは顔を覆い、水兵団員たちは目を背ける。
ナヴァザは苦しい息の中、最期の力を振り絞って口を開く。
「殺してくれて、ありがとう」
「……」
命を奪う事を忌み嫌っていたチョップが、手にかけた相手に礼を言われるという皮肉。
「すまない、君の手を汚させてしまったな……」
チョップは肩口まで血に塗れた自身の右腕を見るが。
「いいですよ、今さらですから。別に構いません」
「そうか、君は強いな……。俺に勝ったんだ、他の奴なんかに負けんなよ」
「はい」
「あの、おっぱいの大きなお姫様と仲良くな」
「最期まで良くしゃべりますね」
薄れて行く意識の中で、ナヴァザは満足そうに微笑むと。
「あー、本当に楽しい闘いだった……」
そう言い残して、最強剣士『南海の黒豹』は真っ裸のままで、その瞳と生涯を閉じた。
*
空を流れ来る積雲が太陽の姿を隠し、静まりかえる船上に陰をさす。
夢を果たす事なく斃れた剣士を、チョップは虚な表情で見下ろし、船内に重苦しい空気が漂う。
だが、海賊提督バルバドスはナヴァザの亡骸に向かって、つまらなそうに鼻を鳴らしながら。
「あらあら、ずいぶんあっさりと死んじゃったわあ。案外使えない男だったわねえ」
「……この人は、あなたが殺したようなものじゃないですか?」
第二部隊の副隊長の仇ではあったものの、誇り高く戦った黒い剣士を嘲り笑う、バルバドスをチョップは視線で射ぬく。
「何を言ってるの。殺したのは紛れもなくあなたでしょう? 我を恨むのは、お門違いも甚だしいわあ」
「……」
「それはそうと……、貴方のその『聖なる力』はどこで手に入れたモノなのかしら?」
魔導海賊バルバドスは、少年水兵に艶めいた視線と意味深な言葉を送る。
「……それを、あなたに話す必要がありますか?」
「聖なる力?」
バルバドスの質問を突き返すチョップだったが、船尾で聞いていたマルガリータは思わず問い返してしまう。
「あら、お姫様はご存知ない? 人を超越し神にも迫る、伝説、奇譚、神話に語り継がれる奇跡の力の事よ」
『奇跡……』
徒手で銃剣と渡り合い、百人を超える海賊すら敵せず、風を切り裂く真空の刃を放ち、さらには一撃で戦艦をも断ち斬る雷の手刀。
まさに奇跡のようなチョップの戦いぶりを思い起こし、サン・カリブ王国の者たちは納得したように呟く。
「何を隠そう、我が使う魔法も貴方と同じ『聖なる力』の一つよ。つくづく貴方と我は良く似てるわあ」
オッホッホッと口に手を添え、嫌らしく笑うバルバドスに、チョップは苦々しい表情を見せる。
「改めて聞くけど貴方、我の部下にならない? ナヴァザさんよりもよっぽど素敵な働きをしてくれそうですけどねえ」
「バカにしないで下さい。僕は、あなたと一緒なんかじゃない」
「いいえ、同じよ。せっかく持ち得た『聖なる力』を、我は海賊、貴方は人殺しの道具にしちゃってるもんねえ!」
「僕はお前とは違うっ!」
チョップは紅に染まった右腕に、蒼白い輝きを点しながら、傲岸な海賊に天誅を下すべくダッシュをかける。
すると。
ドラッゴォーン!
『うわあっ!?』
突如大きな揺れが襲い、チョップを始めとしてサン・カリブ王国勢も帝国の残兵たちもバランスを崩した。
「オーッホッホッ、出てらっしゃい!」
バルバドスの呼ぶ声に応えるかのように、海底から赤い眼光が浮かび上がる。
船尾後方の海面を突き破り、瀑布のような海水を迸らせながら、現れし巨影は翼を持つ竜の姿。
今まで頭部だけしか見せていなかったバルバドスの愛竜『シュガール』が、徐々に海上に姿を現す。
巨樹のような首、赤茶けてゴツゴツした岩山のような体躯。
そして。
ついに、その全容を顕にした。