ルイ12世のおはなし。
かつて戦争があった。
冬でも霜募らぬ温暖なイタリアの地、古代より続くローマの市街は数百年もの間、各国の王が渇望してきた欲望の世界であった。
同じカール大帝-シャルルマーニュを起源とする、いわば兄弟ともいえるふたつの国家……神聖ローマ帝国とフランス王国がこのイタリアに注ぐ目線は、ここ数世紀の間でかつてなく高まっていた。
果ての見えない百年戦争が終わり、英邁狡猾な蜘蛛王ルイ11世の元で国内の集権を達成したフランス王国は、その息子シャルル8世に受け継がれた。そしてシャルル8世は「時期は来たり!」と、当時の欧州では未曾有と言われた2万5千の兵数を揃えてイタリアに進出したのである。
この世の覇者のように行進した王はとうとうイタリアの南端まで達したが、その楽園を保持できなかった。
神聖同盟。イタリア諸侯と神聖ローマ帝国、スペインがよもや手を組むと誰が考えただろうか! この多国籍連合軍がフランス軍を逆にイタリア半島に閉じ込めてしまったのだ。これを突破しようとフランス軍は大損害を受けた。逃げ帰ったシャルル8世はその後にフランスで唐突な事故死を迎え、嫡男なくその王統は断絶する。
と思われた。だがシャルル8世の親族にあたるオルレアン公ルイが、新王に選ばれルイ12世として即位した! 前王より8歳年上、茶髪で長身のこの男は狡猾な瞳に野望を燃やしていた。かつては過ぎた欲を起こして王への反乱に加わり、投獄されたことすらあった。
しかし投獄者は今や玉座に座り、年長の王は《はて、そのようなこともあったかな?》というように家臣に言い放つ。
「私は前王シャルルの意志を継ぐ者である。継承者である。故に我が白百合の威光を世界に示す。もはや混乱の時代は遠くへ去り、我が秩序とならん」
ルイ12世は戴冠すると王妃と半ば無理矢理に離婚させ、新たに前王シャルル8世の未亡人ブルターニュ女公と結婚した。
これによりフランスの統合が維持され、ルイ12世こそシャルル8世の遺志を継ぐ者だということを内外に知らしめた。
そして。遺志を継ぐということはすなわち。
「前王シャルル8世はイタリアを目指し志半ばで没した。その無念を私が果たそう。私はイタリアへ進む。我こそシャルルマーニュの後継者なり! 南国に我らの、フランスの百合の花を植えようではないか!」
そう兵士を鼓舞したルイ12世は、自ら金色の甲冑に身を包んで王城を発った。兜の羽飾りが暖かくなってきた春の風に揺られ、その後に堂々と数万の兵が続く。彼らはそのまま南下して国境を越え、北イタリアはロンバルディアの平原を進んでついにミラノに到達した。戦闘するも敵の裏切りがあってそれほど手間取らず、王はミラノに入城する。ルイ12世、37歳の誕生日は盛大にミラノで祝われた。
そも、ミラノ公国の正統な後継者こそ、このルイ12世だったのである。ミラノ公国はヴィスコンティ家が治める地であったが、あろうことが部下の傭兵隊長スフォルツァに横取りされてしまったのだ。これに対して、ヴィスコンティ家の血を引くルイ12世が相続権を主張するのは白日のように正当であった。
ミラノ公爵となったルイ12世は、続けて前王シャルル8世が無念ながら支配を放棄した南イタリア・ナポリ王国を手にしようと画策した。スペイン王とナポリ分割の密約を、神聖ローマ皇帝とミラノの不介入を確約させた。今度は秋の風に揺られながら、橙色の斜陽に鎧を包みながらルイ12世はイタリア半島を下ってナポリに入った。冬でも快晴の続く温暖なこの地に、冬になる前に入れたことに歓喜したルイ12世が、ナポリ王冠を被ることを夢にまで見たのも無理はない。
しかし。
「どういうことだ!!」
陣営に響く王の怒号に家臣は蒼白した。スペインはアラゴン王からの親書に走らせた王の目は、震えて赤く充血していた。
「ナポリ王冠を渡す気は無い? 約束が違う! アラゴン王フェルナンドは何を考えている。私はなんのためにここまで来たか」
怒りに燃える王は、スペイン軍への襲撃を命じる。だが結果は散々、フランス軍は4倍も兵力で勝っていたのに打ち破られ、1割以上が戦死した。続く追撃戦でさらに人命が喪われ、3万以上を擁した軍はその半数以下にまで消耗していた。南イタリアに文字通り、死臭の香る赤い百合の花が咲いたのだった。
ミラノまで退いたルイ12世は、まもなくこの地も手放さるを得ないことを知る。再びイタリア諸侯と神聖ローマ帝国、スペインが同盟してミラノに雪崩込もうとしていたのだ。結局は前王シャルル8世の二の舞、逃げ帰るようにミラノを棄ててルイ12世はフランスへ退散した。そして追い打ちをかけるように王妃が世を去る。
「神は私に何を与え給うか! 我が天命とは何ぞや!」
そう叫ぶルイ王も、もう52歳の老齢となっていた。ミラノを目指した壮年期の活気ある男の姿はそこになく、世の荒波に揉まれて消耗して老いた男の姿が、ただそこにあった。
三部会から奏上された「人民の父王」という異名は、今となってはもうどうでもよかった。それほど狼狽し、「父」を通り越してもはやひとりの老人がそこにいた。
その彼の側、妖しげに微笑む若い女がひとり。彼女はルイの新たな王妃マリーである。今だ世継ぎを得ていないルイ王は、結婚する必要があったのである。せめて、我が子に我が意志を。私が前王シャルルから継いだように、私を継ぐ者を遺さねば。その結論に至ったルイ12世は、イングランドの王妹マリーを娶ったのだった。妖しげに微笑む彼女は、老いた王の全てを文字通り受け止めた。王妃の希望で慰めに宴会が毎晩開かれ、王は美しい王妃と踊り続けた。豪華絢爛な夜の世界は本当に王の慰めになったのだろうか。それは誰にもわからない。わからないが、とにかく王は操られているかのように、喜劇の人形のように踊り続ける。季節は秋から冬へ。寒くなっても宴会の火は毎晩、王城を照らしめた。踊る姿が影となって伸びてゆく。そしてその火が消えるときは。
季節は移ろいても、王妃と熱く燃える王の炎は周囲には永遠に不変に思われたが、冬の霜募るある日に王は倒れた。聖誕祭を過ぎたばかりの時期である。寝台で横にされた王はひどく青ざめて、息も絶え絶えだった。王は臨終の儀式を受け入れると、近親者を傍に呼び寄せて最後の挨拶を交わす。最愛の妻には耳元で何かを囁いたが、それは聞き取れなかった。目の輝きも次第に色褪せ、終わりの時が近いことは明らかであった。しかし、最後に前妻との娘クロードを見据えると、案じて口を開き、残った気力を絞ってはっきりと声を出した。
「おお! 私の可愛いクロード! クロードよ!」
と言い残して、ルイ12世はこと切れたのだった。
ときに1515年1月1日であった。前王シャルル8世を追いかけイタリアに進んだが、結局は同じく何も手にできなかった。そしてこの日から、宴会の火が灯されることは無かった。
寝台のそばには、野心を目に轟々と燃やす偉丈夫がひとり。アングレーム伯フランソワ。王が最後まで案じていた娘クロードの夫、つまり婿にあたる男だった。ルイ12世は野心溢れるこの男に嫁いだ娘を最後まで心配していたのである。だが今や彼はルイ12世の死により、王位を継いでフランソワ1世を名乗る。そして彼のもとで、また再三とイタリアは争われるのだった。ルイ12世の意志はまだ、その亡骸を見る目の中に、確固として燃えていた。