男の娘と時間潰し
暇じゃー。暇過ぎるぅー。
夏休みも末になり、こう見えてマメな俺は宿題を休み前に半分は終わらせていたりする。残るものも三日とかからず景気づけに終わらせた。
本当なら今日はいつも俺の前の席に居る奴に宿題を写させる予定だったんだが、待ち合わせの古本屋さんで待っていたところ、あの野郎、アイドルが商店街に来たとかで約束を反故しやがった。
夕方には単身赴任中の父ちゃんも久々に帰って来るということで、待つついでに意地になって古本屋さんにそのまま居ついているのだ。
もうこの店の古本なんて全部読んだぐらいの勢いだ。新刊入れる予定ないのかね、古屋のおっちゃん。
「おみゃあは古本屋の意味、知ってんのかぁ?」
馬鹿にしとんのかおっちゃん。嫌味返しってのは分かるけどよ。
最近はガキどもも宿題に追われ始めたのかこっちに来ないし、カードゲームでも筐体でも暇を潰せるものがない。おっちゃんの方は花札とか得意って話だったけど……あの女装野郎なら喜びそうだな。
まあ俺の聖域はあいつにゃ跨がせねえぜ!
などとやっている内に夕方だ、そろそろ父ちゃんも着く頃だろうし、迎えに行くか。
「おぉい、ヒロ坊よー。おみゃあ銭落とさんかい、銭ぃ」
学生にたかってんじゃねえぞこの野郎! 店先のガチャガチャでガム落としてやっからありがたく思え!
母ちゃんといいおっちゃんといい、なんで小さい頃を知ってる奴らは名前の二文字を取って子供扱いしてくるのか。ちなみにヒロ坊ことこの俺は柾谷博一、立派な高校生である!
「みみっちぃこと言ってにゃあでよぅ、どーんと百万ぐれえ落としてくれぇよう」
てめえは学生に何を期待しとんのだコアラ野郎。ツートンカラーの服着やがってダセーんだよ。
などと憎まれ口を叩きながらもコンコンと咳込むおっちゃんの背中を擦ってやると、えらく感動したおっちゃんは半額の五十万で勘弁してくれると言ってくれた。
そのままくたばれ。
店先で中指まで立てつつガチャガチャを回していると、不意に後ろから声をかけられる。
「あれ、まさやん先輩?」
こ、この声は……安藤昌也!
「ここ駄菓子屋か? 先輩もこんな所に寄るんだな」
ソーソー、ダガシヤ、ココハダガシヤデスヨー。
振り返った先にはセーラー服姿にいつもお馴染みツインテール、その顔はニマニマと獲物を見つけた猫みたいに笑っている、はずだったが。
非常に疲れた表情である。こいつに元気が無いのは良いことだ。
……つか私服も女物なのにセーラー服って……ああ、補修か。この時間まで学校に缶詰されていたんならそんな顔になるのもわかるなぁ。
同じ補修仲間として同情するが、お前、夏休みの今日この日この時間まで補修やらなきゃならんてどんな学校生活してんの?
「んん? なんか隠してない?」
ナンノコトデシテ?
怪しがる安藤の背を押しつつ迅速な移動を開始。こいつに俺の憩いの場を奪われるワケにはいかんのだっ。
しかしあっさりとその背を押されてくれる安藤君。やっぱ君、疲れてんのね。いつもは周囲に自分のことをマァサなんて呼ばせてウブな俺をからかったりするクソ生意気な後輩だが、それができない程度には疲れているようだ。
「センパ~イ、押すんじゃなくてオンブかダッコしてくれよー」
うっせえぞ後輩。
店から離れたのでそいつを押し返すと、安藤は不満そうな目をこちらに向けた。可愛いと思ってしまう自分にムカボディ。
しかしもカカシ、こんな状況でも崩れないようメイクしているのかし直したのか、こいつの女装魂には感心するやら呆れるやら。
「おお、まさか博一か? 隣の娘は誰だ?」
よう、父ちゃん。こいつ娘じゃなくてだ――。
「初めまして~、博一の父親の憲明です。息子のこと、よろしくね!」
「ええ、そんな……私たちまだ学生ですから……」
「おっほ、愛い奴を見つけたのーっ、博一! お前もやっぱり父ちゃんの子だなぁ、隅に置けん奴め!」
いや、だからこいつおと、おい、肘で突くな鬱陶しいぞ父ちゃん。安藤も悪ノリしてないで何か言ってやれ!
あ、母ちゃんも来た。夕方は雨の予報だったから心配してくれたのかな? 見上げてもこの空だと、降りそうにねえな。
「そうか、博一もとうとう……いや、俺の息子なのにそういう話はさっぱりだから心配してたんだよ。父ちゃんぐらいになると出張先でもあちこち引っ張りだこでさぁ」
お、ちょっ、父ちゃん後ろだ後ろ、後ろ見ろ!
「なに言ってんだ、ここは歩道だぞ。今の父ちゃんは無敵モードだ! 自転車だろうが歩行者だろうが勝手に避ける!
そんなことより聞いてくれよ博一。出先の宿舎の娘がまた色っぽくてさぁ、思わず猛アタック――」
「――あら、バレーの話でもしてるのかしら、パぁ~パ?」
凍る空気。静まる場。
晴天の霹靂か、今確かに晴れにも関わらず雷が落ちたような衝撃を受けながら、俺は硬直していた。
女子と思ってる人が居る前でこんな話する父ちゃんも父ちゃんだが、なんで母ちゃんは大体父ちゃんが自白している場に居合わせるんだろうね。これじゃお夕飯どうなるかわからんわ。
「ヒロ君、ママはパパとお話があるから。ヒロ君もマサ君といっぱい遊びたいわよね?」
う、ううう、うっす。
「そういうわけだから、マサ君、ごめんだけどヒロ君と遊んであげてね? あ、ヒロ君、お小遣い渡しておくから。補導には気をつけてね」
つまり補導される時間まで外で遊んどけやコラってことですねお母ちゃん様。
「俺先輩大好きだから大丈夫ですよ!」
この空気で何ほざいてんのお前。
完全に硬直して弁解すらできない父ちゃんの襟首を捕まえて引きずる母ちゃんを見送る二人。
母ちゃんはぽやっとしてるのは雰囲気だけで、天然なせいか手も早いんだよなー。割とバイオレンスだから父ちゃんも単身赴任ばっかしてんじゃねえの?
くそう、なんてこった。腹も空いたのにこれじゃ帰れねーじゃねえか。
「…………、まさやん先輩よぉー、ウチ、来る?」
え? 安藤のおウチ? なんか食いモンあんの?
俺の問いに、今はオヤジだけだから食べ物も余っているはずだと安藤。なんかお前はお前で私生活辛そうね。そんな話、聞きはしたけどさ。
ショーガナイ、後輩のお誘いならば受けて立つのが先輩の務め。ぶっちゃけその父ちゃんと一緒にメシとか気不味いんだけど、まあやってやるって感じだぜ!
「なんで駄目なんだよっ!」
「やかましい! 女の子ならともかく野郎と飯が食えるか!」
「俺がオンナのカッコしてんだからいーじゃねえか」
「オヤジに向かって何をほざいとんだタワケ!」
息子に女の子連れて来いとか言うのも中々タワケだと思うぞ、安藤父ちゃん。
安藤の家だが、俺の家とも割りと近場でラッキーなどと考えていたが、この剣幕だ。
いやあ、なんかすんごい親近感沸く人だなー。安藤の頭越しに俺を見る目がチビりそうなほど怖いけど。
……こ、この男を安藤は拳がぐしゃぐしゃになるまで殴り倒したのか……。
以前、女装を止めさせようとした安藤父ちゃんを安藤が暴力で黙らせると言うおっそろしー事案が発生したが、俺、お前の父ちゃんもっとマジメそうな人だと思ってたよ。
坊主頭が少し伸びたような髪にもみあげから顎までワイルドに仕上がった髭、やたらと深い眉間のシワ、悪人役しかもらえなさそうな三白眼とおまけにゴツい体。
こりゃチンピラだわ、怖いもん。
「んじゃ頼まねえよ糞オヤジ!」
「ドやかましいわオカマ野郎が!」
「玉ひとつしかねーのに粋がってんじゃねえ!」
ちょちょちょ、怖い怖い怖い!
頼まないんならそれでいいだろ安藤! これ以上のケンカは止めてくれよう!
過熱する安藤を引き下がらせ、安藤父ちゃんには声でなく痰をかけられるという事態に陥りながらもなんとか脱出、その場を後にする。
こえーよお前の父ちゃん!
「ああ? クソオヤジだろ。あいつ浮気相手に刺されて玉ひとつ潰してんだ、笑えるだろ?」
わ・ら・え・ね・え・よ。
お前もうあの人の昔話ふんなよ。絶対だかんな、フリじゃねえぞ!
たくもう。ただでさえややこしそうな家庭の事情とかには立ち入りたくないってのに。
まだぶちぶち言ってる安藤に溜め息しつつ、空いた腹に活を入れた。
安藤、この先に空き地あるから先に行ってろ。
「なんで。なんかすんの?」
なんかするよ。とりあえず先に行っとけって。
訝しむ安藤の背中を押して、俺は例の聖域へ向かった。
まさやん先輩に言われたこの空き地。かなり懐かしい場所だなぁ。
家と家の間に板で区切られたスペース、石が引かれてるけども草がまばらに生えてるこの場所は、俺が小さい頃に住んでいた貸家が建っていたんだ。
今は見る影もねーけど。
中に入って三歩。このへんが玄関だったかなぁ。すぐ左に庭があるけど、玄関が前に出すぎてて狭いから、よけられなくてぶつかってたな~。
なんて昔のことを思い出しながら待つこと三十分。大して悪びれなくまさやん先輩はやってきた。
……待たせ過ぎだろ……。
「ふっふっふ、この俺にそんな目をしていいのかな? こいつを見ろ!」
じゃーん! と先輩が取り出したのは花火セットだった。
だから何だよ。こんなもんで機嫌とれるほど子供じゃないって。
「見ろよ安藤、ネズミ花火って知ってるか? このハリネズミ花火ってのはネズミ花火の強化版でさー」
お、おうっ。
ずずいと体を寄せてきたまさやん先輩に思わず仰け反る。お構いなしで目をきらきらさせながら喋るのはガキっぽかった。
俺の機嫌なんて見向きもせずに楽しそうにしてる先輩に、なんとなく怒る気力もなくなって俺も一緒に笑ってしまった。
それに気づいたまさやん先輩がにやりとする。……別に花火を喜んでるワケじゃねーよ、ムカつく。
「さてさて、何から始めるかなー」
そのハリネズミ花火とか爆竹でいいんじゃない。もう暗くなるし、ちっちゃいのやって時間潰そうぜ。
しかしまさやん先輩、やれやれこいつ分かってねーぜって顔して鼻で笑う。この、なんだこの、まさやん先輩のクセに!
「空き地つっても隣家がある場所だ。そんなところで手早く音がなるものやったら通報されるだろ。だからここは線香花火一択だ!
これなら暗くなり始めた今でも十分映える!」
し、しょっぱな線香花火っ。
「ほれ安藤、ライター」
ぽい、と投げられたライターをキャッチして火を点ける。安物の新品ライターってことは、先輩は煙草吸ってるわけじゃなさそうだ。
……でもちょっと見て見たいかも、まさやん先輩の吸ってるとこ。すげーむせてて笑えそう。
「おー、火が点いた。……よう安藤、どっちが最後まで線香花火をもたせられるか、勝負してみるか?」
勝負? 俺の方が先に点けたんだけど。
まあいいや、普段の先輩を見る限りこういうのはてんでダメな人だと見た。線香花火はしょせん動かなければ問題ない。
その勝負、受けたぜまさやん先輩!
「あ、安藤父ちゃんだ」
――んだこらあああああっ…………、いねえじゃん。
まさやん先輩を見るとすごいニヤニヤした顔で俺の足元を指差している。拳に力入ったけど我慢してやる。
足元には落ちた火種、手には火種のない線香花火。
よし、我慢はした。
「うおおおおい! ちょっと待てちょっと待てって!」
ちょっと待ったから今殴るんだよ。顔はマスミちゃんに申し訳ねえから腹で勘弁してやる。
「どこで待ったんだよ! あれか、俺が笑った時か! 申し訳ないなら殴ることを勘弁してもらえませんかね!?」
まさやん先輩を殴ることに関しては申し訳ないという思いはねーよ。
「マジかよ後輩。そこは嘘でも申し訳ないと言っておくれよ」
そんじゃ一発……うっ?
遠くから聞こえるキコキコ音、そして塀の外に見えるライトの光!
ポリ公だ!
慌ててまさやん先輩を近くの茂みに引きずり込んだ。
……いてててて……膝すっちまった。急に安藤に茂みに引っ張られてこの様だ。
え、こいつわざわざ隠れるぐらいボコボコにする気か? 俺そこまでのことしたのか!
「おい、まさやん先輩暴れんなよ」
耳元で息が吹き込まれてどきりとする。つーか今気づいたけど……俺、安藤に馬乗りになってんじゃねえか!
慌てて離れようとすると思いっきり抱きついて阻止する安藤。あ、足を絡めんなこの野郎!
「静かにしてろって、ポリ公が来てんだよ」
ちょ、やめっ……口が耳に当たってんだろうが! え、ポリ公?
安藤の言葉にそーっと茂みをかきわけると、自転車から降りたお巡りさんがライトを照らしている所だった。こりゃ危ねえ。
補導される時間じゃないが、もう辺りは暗い。おまけに花火なんぞバレようもんなら大目玉だ。……でも隠れるほどじゃなくね?
こいつ元ヤンだからかお巡りさん来るとすぐ隠れるんだよなー。
「んん? なんだこれは……花火……? ようし、帰ったら派出所の裏でキタさんと盛り上がるか!」
あのド腐れ警官がぁぁぁ! 俺がメシ所かオヤツを我慢して買い漁った俺の為の花火セットをおぉお!
「こらこらこら! 暴れんなっつったろ!」
もががっ!?
思いっきり締め付けられる。鼻と口がセーラー服に埋まって息できねっす!
そんな俺達に気づくことなく上機嫌で帰って行くお巡りさん。てめえ絶対に許さねえぞこの野郎。
てかそろそろ離して下さい苦しいです!
タップをしまくってようやく解放された俺は、体を起こして息を吹く。鼻の奥に甘い香りが残っていて思わず赤面した。
落ち着け、これは野郎の香水だ。
と、とりあえず花火もねーし、もう帰ろうぜ。
「あっ」
へ?
そのまま立ち上がろうとした袖を引かれて崩れ落ちる。危ないでしょーが。
そんな不満すら飲み込んで、俺は目の前の安藤の顔に釘付けになった。
倒れたまま、俺の袖を引いて上目遣いのそいつは、いつも見るような男の顔ではなかった。
えっと、えっと、えっと。なにこの状況……おいおいおいおい引っ張んなっ!
少し睨み付けるような目をしながら胸ぐら捻り掴んで引っ張る安藤。ちゅーかヤバいわこれ色々とヤバいだろ安藤!
内心の焦りのせいで、言葉にならない呻き声しか出せない俺を、鼻と鼻が触れるんじゃないかって所で、じっと見つめている。
だからなんでちょっと睨んでるんだよ!
「…………」
…………。
や、やべえ、なんかなんにも考えられなくなってきた。
「……まさやん先輩さ、今、タってるか?」
は? た、なに?
えわひゃあんっ!
「半ダちじゃねえかまさやん先輩!」
が、ぬぐっ、この……このやろおおおおおっ!
股間チェックしてんじゃねえ! 慌てて立ち上がる俺を指差してげらげら笑ってる。
ああ憎たらしいっ。憎たらしいですわ!
「俺がいくら可愛いからって、男相手にタつなよなー」
ニマニマニマニマしくさってこの野郎!
もう知らん! 俺は帰るぞ!
「なにヘソ曲げてんだよヒロ君さ~」
ヒロ君呼びすんな! あばよマサ君!
……むー、仕返しにマサ君呼びしても堪えてやがらねー。
まあ、いっか。こいつも元気出たみたいだし。空き地から出て、まーだ笑ってる安藤に思わず苦笑いして片手を上げた。
向こうも笑って手を振ってくれるのが、なんとも可愛く見えたのだった。
まさやん先輩を見送って、盛大に息を吐く。
地面にへたりこんで顔を覆うと、手が熱くて、どれだけ自分が赤くなってるのか嫌でも分かってしまった。
すんでの所で止まった、止まれたけど、気持ちだけなら先まで行けてしまった。まさやん先輩を抱き締めて、その、なんだろう、触った感じとか、色々、感じてしまってなにも考えれてなかった。
ただまさやん先輩の困った顔を見て、止まってしまった。いつもならそんな顔が見たくてイタズラすんのに、今回だけは違うんだ。
俺は先輩と、〝この先〟どうなりたいんだろうって考えたことはある。
男同士で恋人になるとか、え、エッチするとか。そういう道を知ってもやっぱり友達になりたいんだって思ってた。だけど、違うみたいだ。
……やろうと思えば、出来たもんな……ち、ちゅーすんの。
…………、よし!
思いっきり両頬を叩いて気合を入れる。女々しくうだうだ考えんのは止めだ、みっともない。
俺はまさやん先輩が好きだ! ならアタックするしかねーな!
先輩は押しに弱い。もっと俺が女のカッコすんの上手くなれば簡単に落とせるはずだ。
待ってろよ、必ず後悔したって言わせねえぐらい好きにさせてやるからな!
「うるせーぞこの野郎! 何時だと思ってんだ!」
人の恋路に水を差すんじゃねえ!
「あいて~っ。こ、このや、この女! どこのガキだ、警察呼ぶぞ!」
怒鳴り付けたおっさんに石を投げるとそんな台詞を吐かれた。
ポ、ポリ公はマズい。とりあえずおっさんに唾を吐いて俺は一目散に逃げ出した。
まさやん先輩、待ってろよ。ぐうの音がでねえほどに惚れさせてやる!
男らしい安藤の決意ですが、やることは女っぽくなることです。