雨に唄えば
「傘、入りませんか?」
「いえ、自分のありますんで」
「傘、入って行きませんか?」
「いや、ですから自分のあるんで、じゃあ」
関わり合いになりたくないタイプの女の子だった。僕はその場を離れたい一心で、大粒の雨の中に飛び込んだ。傘をさすことも忘れて。それがマズかった。
「傘、入りませんか?」
彼女は傘をこれ見よがしに突き出しながら、僕に並走してきたのだ。
「いや、自分のありますんで」
「でもさされてないですよね?」
「今からさすんですよ」
そうはいったものの、雨に打たれているせいで視界が悪く、走っているせいで手元も狂う。僕は上手く傘をさせないでいた。
「やっぱり傘、入ります?」
「入りません!」
かれこれ500メートルは二人並んで走っている。僕は800メートルで県大会ベスト4だぞ!? このペースについて来れるなんて、この子一体―
彼女の足下に目を遣って僕は愕然とした。彼女が履いていたのは、『瞬足』だったのだ。初めからこの状況を想定していたか、もしくは相当おしゃれに疎い子かのどちらかだ。
「傘、入りません?」
「い、や、だ!」
走りながら、もたつきながら、彼女の相手をしながら、雨の中、僕は一体どこまで彼女と追い駆けっこするハメになるのか、恐ろしくなってきていた。気づけば陸上部の顧問もストップウォッチ片手に並走していた。
「いいぞ河村! 自己ベスト更新だ!」
「傘、入りません?」
「うわあああああ!」
「ラスト100! 飛ばせ河村!」
「傘、そろそろ入ったほうがいいですって!」
「うわああああ! どうなってんだ一体!?」
視界の先で、山頂にかかった雲が割れて、そこから陽の光が射し込んできた。もうすぐ雨が上がるのだ。ざまあみろ。僕は彼女の方を見た。
彼女はどこから取り出したのか、藤かごを腕にぶらさげ、これ見よがしに中身のラッピングされたおにぎりと魔法瓶(おそらく味噌汁が入っている)の存在を押し付けてきた。
「おにぎりは一つだけタバスコ入りなんですよ?」
「ははは。先生もご相伴にあずかっちゃったりして?」
「うわあああああ!」
降っても晴れても最低の一日だった。