表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2011 デジャブ  作者: 森本 義久
5/17

フィリピン  ダバオ

4  フィリピン ダバオ ジャングル ロメオ・サントス


アポ山北側のジャングルに入って3日目  仕掛けたわなを見てまわると7つの罠のなかに3ひきの鳥がかかっていた。

教えられたとうり 罠から外して足を結んで腰にしばり 途中で見つけてきた木の実のエサを入れなおして元どおり罠をセットした。

そしておじいちゃんが指定した目印の木の下にたどり着くと そこはまるで家でも建てるかのような ジャングルの中に20m四方の広い平地が広がっている。


まだおじいちゃんが着いてない 広場を見回すと丁度いい感じのテーブルのようになった石があるので 腰から野鳥を外して石の上で器用に毛をむしっていると ゴソゴソっと羊歯を掻き分ける音がした  かと想うと「こら~~~~」

その声にビックリして 持っていた物を放り投げてダッシュで山の中に逃げ込んだ

すると  「わしじゃ、、」  「おじいちゃん~~びっくりさせないでよ~~」

「その慰霊碑は神聖なものじゃから そんなものを乗せてはだめじゃ」

よく見るとなるほどその石は 広場の隅と言うよりも 石の前に皆が集まれるような位置にあった。

と言っても テーブル状の平らな石以外何もなく 墓石のように文字を掘り込んだような痕もなく それはそのままただの石だった。。


「ほう こもんしゃことうずらか  今夜はご馳走だな」  というとおじいちゃんは 怒ったことなどもう忘れてしまったようにニコニコ笑っている。。




焚き火で焼いた鳥は美味しかった   おじいちゃんは僕の好きなマンゴとパパイヤ それに川海老を沢山取ってきてくれた。

木の上にハンモックを吊るして 寝る準備も整っている

焚き火の明かりの向こうは 完全な闇と野生の生物であふれているが おじいちゃんとこうして並んでいるとなつかしい安心感に包まれた感じがする。

すると突然  「ヨハン  何歳になった?」  「もうすぐ12歳」

「そうか もう十分男だな   どうだ?」   「うん」  

何度かのおじいちゃんとのキャンプで 銃で猪も捕った 罠も作れるようになった ジャングルでの水や食料確保も自信がある  喧嘩だってダバオで誰にも負けなくなって変な自信がある時だった。。


そして  「ヨハン・・・・これは絶対に忘れてはならない バゴボ族の長の孫として生まれたヨハンに この先守らなければならない掟と わしが死んだ後のことを お前に託したい   わかるか?ヨハン」   「はい」   「よし」


「この慰霊碑は 太平洋戦争の時にこの地で戦死した日本兵の骨を 終戦後 わしらが拾い集めてここに埋葬したんだよ」

    

アポ山 山麓のこの場所では 第2次世界対戦末期にアメリカ兵日本兵ともに200人以上が死亡している。  その内の19人の日本兵は わしらが殺したんだ。

その前に おじいちゃんのお父さんの話からはじめよう。。


1900年始め ミンダナオ島ダバオに自生するアカバが マニラ麻として世界に知られるようになると いち早くスペイン人入植者がダバオで本格的にアカバ栽培をはじめた。

アカバは植えつけてから1年半で出荷できるが 収穫のタイミングが難しく 耕作など何も知らない現地人バゴボ族を労働力としていたスペイン人も 栽培技術や農園経営で途方にくれていた。


その頃 ルソン島のベンケット街道の道路工事に従事していた2000人あまりの日本人が 工事終了と同時に職にあぶれた。

その日本人達はいずれも貧農の次男三男で 子供の頃から農業の手伝いをして育ったのが 

食い扶持減らしのために故郷を後にして 帰る場所のない人々だった。

その中に 高知出身の坂本菊間が居た   坂本はいちはやくダバオの現状を知り ダバオにかけてみようと仲間を募った。。

するとあっと言う間に65人の屈強な男達が参加を申し込んできたので さっそく日本領事館にダバオ移住の申し込み手続きをし マニラからダバオに向かって出発した。


ダバオでは 働き者で勤勉な日本人労働者のことはすぐに知れ渡った。

そして共に汗して働く日本人とバゴボ族の男達は すぐに打ち解けて兄弟や家族のように付き合うようになった。

農業技術や知識経験も豊富な日本人から見れば 故郷の痩せた段々畑からすると ダバオの肥沃な土地はまさに南国の楽園のようだった。


日の出から日没までひたすら働き 5年も経つとほとんどの日本人は自前の土地を持ち地元の娘を嫁にし ダバオからミンタル カリナンあたりまで開墾し ミンタルには日本人街まで出来た。 



そして坂本菊間は バゴボ族の長の娘と結婚した。

そして生まれたのが坂本有馬 フィリピン名 ロメオ、サントス  このわしじゃよ。。


日本人移民のリーダー 坂本菊間の長男として またバゴボ族の長として生まれたわしは

 勉強も喧嘩も誰にも負けてはいけなかった


親父 菊間は頭が良かった そしてわしには 日本人としての躾や教育に特に厳しく このダバオに 近代農園のやりかたや経営の仕方を根付かせようと バゴ族の教育にも力を入れた。


そしてわしは バゴ族の長である祖父に バゴボ族戦士としてのジャングルでのサバイバル術や戦い方 そして狩りの仕方や銃の扱い方などをアポ山で学び 10代の終り頃には バゴ族の若者を引き連れて ミンダナオ島の他部族間同士の戦いを左右するほどの力と組織を率いていた。


そしてその頃のミンダナオ島では スペイン領のセブ島や 南バラワン島 スールー諸島のスールー王国などのイスラム勢力との微妙なバランスの中で 南国のパラダイスを謳歌していた。


そんな中 1942年 スペイン領セブ島を占領した勢いをかって 日本軍が大挙ミンダナオ島に乗り込んできた。そして太平洋戦争が この平穏なダバオを飲み込んでいった


父達の時代と同様に ダバオの人々はすんなりと日本兵達を受け入れ 一時はお祭り騒ぎで賑やかに数ヶ月が過ぎていった。


しかし父菊間の顔色はさえなかった・・・地元と軍の間にたって 毎日忙しく動き回っていた。

その内 ダバオ移民の日本人の中で圧倒的に人数の多い沖縄出身者のリーダー達は、まるで自分達がフィリピンを占領したかのような態度で 地元の人々に接するようになっていった。

ある夜 酒に酔った父が  「違うんだ・・・日本軍はフィリピン人をスペインから解放したと思い込んでいるが フィリピン人の誰もそんな事を想っちゃいない・・・1000の言語を持つ と言われるここでは 日本が支配することなど無理なんだ・・・フィリピンのことはフィリピン人に任せるしかないんだ。。」  と泣いているのを見た


そして2年後の1944年 怒涛のような 米軍のフィリピン奪還作戦が始まった。


レイテ島を制した米軍は 圧倒的な物量を持ってダバオに上陸した。

日本軍はダバオ市内を放棄し アポ山やタモガンの山中に立てこもって応戦したが 

豪雨のように降り注ぐ米軍の砲撃は ジャングルの地形さえも変えてしまうほどの破壊力で 食料も砲弾もつきかけた日本兵は もはや集団としての組織も失い ただ生き延びるためだけにアポ山のジャングルで生存していた。


しかし 掃討作戦に出た米兵がアポ山山ろくのジャングルに進軍すると 足もとや後ろから突然に発砲する銃弾にバタバタ倒れていき パニックを起こして引き返す事が何度も繰り替えされた。。

これは日本兵が編み出した戦法で 蛸壺と呼ばれる 人一人がやっと入れる竪穴を掘って 草や木でカモフラージュした中に潜み 米兵たちが通り過ぎたのを見計らって 敵軍の真っ只中での 至近距離からいきなり銃撃をすると言う戦い方だか 当然のように撃った日本兵の逃げ道はない。  

銃を撃てばその隠れている場所は簡単に見つかって 必ず死ぬと言うジャングルの中の特攻隊なのである。。



しかし これには米軍も困った。。

圧倒的な兵力があるにもかかわらず、兵士が怖がって銃声がすると 誰先に逃げ帰ってしまうのだ。。


そこで考えられたのが 地元の人間に先に攻撃させて 後から米兵が付いて行くと言う方法だ。。

さっそくダバオの部族長達を集めて 兵士を差し出すよう人数を割り当てて強要した

そこにバゴボ族では わしと部下30人が招集される事になったのだ。。


他の部族と違って 銃器にも慣れているわしらバゴボ族は 子供の頃から猪や鹿を追い回したアポ山は 草木の一つまで慣れ親しんだ場所だった。

ジャングルに入ったわしらは 当然の事だが一目で日本兵が隠れている場所がわかった。

そして初日で3人  次の日5人と  鹿を狩るよりたやすく日本兵を殺していった。。

1週間ほどでアポ山山麓には日本兵はいなくなり 新しい支配者米軍から多額の賞金を貰ったわしらは上機嫌でダバオ市内にくりだした。。


しかし、ダバオでわしらに酒を飲ましてくれる店は1軒もなかった

わしらが日本人を殺してまわった事は ダバオではすでに知らない者がないくらいだった。

そしてみんなが わしらを憎んでいた。

そして気が付いた   わしは若かった  若くて強すぎた  そして人間としての正義

ダバオ族としての正義に欠けていた事に。。


後から考えても アポ山でのわしらの戦いは戦争ではなかった 

 

それに引き換え日本兵は勇敢だった 仲間を逃がす為 祖国の家族や子供達の為に 自分の命を捨てて穴に潜んで戦った日本兵 病気や怪我で動けない身体で アメリカ兵を引き寄せて自爆する日本兵 


わしらはただの人殺しでしかなかった事に気が付いて愕然とした。。

憔悴しきって帰った家で それまで何も言わなかった父が 「気が済んだかロメオ? これからはバゴボの長として フィリピン人として この大地に生きろ  そして出来れば 死んだ日本兵の為に 祈ってくれ」  と言い残して死んだ。


わしは銃を捨て鍬を取った   そう 何もかも忘れようとひたすらに農園経営に没頭した。。 ミンタルに父が30年かけ骨を削って開墾した広大な土地で わしは嫁をもらい子供が出来 父に負けないようにひたすらに働いた。

そしてマニラ麻が下火になる前に いち早くバナナ パパイヤ マンゴーと栽培し 日本に向けて輸出するまでになっていた。。


しかし・・・ 雨季の大雨の夜に 泥だらけになってバナナの苗木に添え木をしてまわる時  ゴーゴーと唸るジャングルのこほうに 死んだ日本兵達の怨念の声が  ウオオオオオオオ  ウオオオオオオオオオオオオオと 雷雨に力を与えるように わしの農園をたたきつぶそうとする

そんな夜 父の言葉が蘇る・・・・「祈ってれ・・・」   と


わしは農繁期の合間に時間があれば 唯一の趣味である狩りにここアポ山に入る

そして狩り以上に重要な事に 日本兵の遺骨や打ち棄てられた遺品を集めてきた。

7年前にこの辺一帯の土地を買い そしてここにこの慰霊碑を建てて遺骨を埋葬し この時期にはこうして狩りと称して 日本兵の供養と掃除に来ているのだ。

そうこの辺一帯が 日本兵が蛸壺と称した穴に立てこもって 最後の戦いを終えた場所だよ。


ヨハン わしが死んだら 悪いがわしの代わりに お前がここを守ってほしい   バゴボ族の次の長としてヨハン   それがわしの最後の願いじゃ。。

そう言うとおじいちゃんは スウスウと赤子のように眠ってしまった。。


僕はおじいちゃんの話を何度も何度も想い返しながら この丘の周りを囲む 日本兵の亡霊達に 負けない男にならなければと その夜は一睡も出来なかった。。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ