表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

プロローグ 見えない棘

夕陽はゆっくりと沈み始めていた。


教室にはオレンジ色の光が差し込み、窓際に立つ二人の影を長く伸ばしている。


陽人は机に腰を預け、小さく息を吐いた。


「やっぱ無理かな……」


その声には諦めと迷いが滲んでいた。


蒼は何も言わず、陽人の横顔を見つめる。


校庭では部活帰りの生徒たちが小さな影になって歩いていた。


「何が。」


「美咲。」


陽人は苦笑する。


「最近、話しかけようとしてもタイミング逃すし。」


蒼は返事をしなかった。


陽人が続ける。



「やっぱ俺じゃ釣り合わないのかもな。」



その言葉を聞いた瞬間、蒼の胸の奥で何かが揺れた。


今なら。


今ならまだ間に合う。


陽人はまだ美咲のところへ行っていない。



まだ僕の隣にいる。


蒼は横顔を見つめた。


好きだった。


ずっと。


息が詰まるほどに。


美咲なんかよりずっと前から。



誰よりも近くで陽人を見てきた。


誰よりも陽人の笑顔を知っている。


それなのに。


陽人の視線の先には、いつだって僕はいない。


胸の奥で渦巻く感情を押し込める。


飲み込む。


見せない。いつも通りに。


蒼は胸の痛みを押し隠しながら笑った。


親友らしく。


「そんなことないだろ。」


蒼は肩をすくめた。


「…まあ、これから先、美咲よりもっといい女が絶対現れるとは思うけど。」


陽人が顔を上げる。


蒼は続けた。


「……お前は美咲には勿体ねーって。」


少しだけ冗談めかして。


少しだけ本気で。


「むしろ、お前には美咲じゃ勿体ない。」


「なんだそれ。」


陽人が笑う。


その笑顔を見た瞬間、蒼の胸に安堵が広がった。


同時に、自分自身への嫌悪も。


その言葉には本心が混じっていた。


陽人にはもっと相応しい相手がいる。


本当は。


その相手が自分だったらいいのに。


そんな願いは口にできない。


だからまた飲み込む。


何度でも


何度でも



「それにさ。」


蒼は陽人の肩に手を置いた。


軽く触れるだけのつもりだった。


けれど指先に力が入る。


離したくなかった。


行かないでほしかった。


誰かのところへ行かないでほしかった。


そんな醜い願いが、指先から滲み出るようだった。


「お前は僕とこうやってる時の方が楽しそうに見えるぜ?」


陽人は驚いたように目を瞬く。


それから少しだけ寂しそうに笑った。


「そうかな。」


「ああ。」


蒼は手を離した。


離れた指先が妙に冷たい。


陽人は少し考えるように視線を落とした。


そして小さく頷く。


「……そっか。」


表情から力が抜けていく。


「うん。そうだな。」


蒼の心臓が強く脈打った。



「もう少し様子見るよ。」


陽人は笑う。


いつもの笑顔だった。


その笑顔が痛かった。


「いつもありがとな。」


何気ない一言。


けれど蒼の胸を深く抉った。


陽人は信じている。


疑ってもいない。


蒼も笑い返した。


そうするしかなかった。


喉の奥がひどく苦い。


……ごめん。


言葉にはしない。


言えるはずもない。


本当は応援なんかしていない。


本当は美咲のところへ行ってほしくない。


陽人を失いたくない。


ただ、それだけなんだ。


僕は大嘘つきだ。


陽人が前へ進もうとするたび。


少しだけ足を止めてしまう。


陽人が別の誰かへ向かおうとするたび。


その背中を引き留めたくなる。


美咲の想いも。


自分の想いも。


全部胸の奥へ押し込める。


何も知らない顔で。


何もなかったふりをして。



そして何も知らない顔で、別の方向を指し示す。


陽人が決して幸せになれないかもしれない道を。


ほんの少しだけ遠回りさせる。


ほんの少しだけ。


今はまだ。


その時間を、自分のために奪う。


好きだから。


どうしようもなく好きだから。


こんな醜い心を知ったら。


きっと陽人は軽蔑するだろう。


親友だと思っていた相手が、自分を引き留めるために嘘をついていたと知ったら。


きっと陽人は軽蔑するだろう。


親友だと思っていた相手が、自分を引き留めるために嘘をついていたと知ったら。


いつか見限られ、捨てられるかもしれない。


それでも。


それでも今だけは。




教室の影がゆっくりと濃くなる。


蒼は陽人を見た。


笑っている横顔。


何も知らない顔。


その横顔を見ているだけで胸が満たされる。


そして同じくらい苦しくなる。


君を感じていたいんだ。


言えない。


絶対に言えない。


この想いだけは、ずっと隠しておく。


例え僕の心が壊れてしまっても。


それが君を愛した代償なら。


僕は受け入れる。


喜んで受け入れてみせる。


蒼は胸の奥の痛みを押し込めるように笑った。



そして、いつもの調子で言う。


「まあ、もしどうしてもって言うなら。」


陽人が顔を上げる。


「僕が美咲に言ってやるよ。お前が本気だってことを。」


陽人は苦笑して首を振った。


「やめろって。」


「なんで?」


「恥ずかしいだろ。」


二人は笑った。





いつも通りの放課後。


いつも通りの親友同士。


夕陽が沈み、二人の影が長く重なる。


夕暮れの教室で、蒼は静かに目を伏せた。


重なった影だけが寄り添っている。


現実の二人は、どこまでも遠いままなのに。


陽人は窓の外を見ながら笑った




蒼はその横顔を見つめる。


痛いほど愛おしかった。


抱きしめたいほど。


独り占めしたいほど。



蒼はそう願いながら、沈みゆく夕陽の向こうを静かに見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ