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自己肯定感ゼロの不遇聖女、冷徹皇太子に命を懸けて溺愛される

掲載日:2026/05/17

 ドンドンッ、ドンドンドンッ──


 軋みのひどいベッドで寝ていると、床から物騒な音がした。

 下の階から突かれているとわかって私はすぐに飛び起きる。

 うっ、体が重い……。

 昨日の疲れが全然抜けていない。

 でもいかなきゃ、怒鳴られる……!

 埃臭いうさぎ小屋のような部屋を出て、走るように階段を降りていく。

 窓から横目に覗いた外は空が白みがかっていて、そちら側に逃げたい気持ちになった。

 急いでリビングに入ると、両親と姉妹が朝食をとっていた。

 私と目があった瞬間、母が鬼のような剣幕で怒鳴り散らす。


「アリッサ、遅すぎるわよ! なにやっていたの!?」

「ご、ごめんなさい。昨日の浄化で疲れていて……」

「言い訳はおよし! エリシアとシーラだって、浄化を頑張ったのは同じよ。自分だけ疲れたなんてよく言えたものね。本当に卑しい子だこと!」

「まあまあ、今日は大事な日なんだ。落ち着きなさい。アリッサもさっさと朝食を食べろ」

「……はい」

 

 騒がしいのが嫌いな父親に睨まれ、私はテーブルの端っこに置かれたパンクズを掴む。

 家族の食べる卵料理や肉料理、それに形の整ったパンとは明らかに違う。

 いつもの日常だ。

 部屋に並んで経つメイドのように、私も立ったままパンクズを口の中に入れる。

 その姿を見て、姉のエリシアが笑う。


「朝から酷い顔ね。わたしと同じドューガ伯爵家の子だとは思えないわ」

 

 確かにエリシア姉様は金髪碧眼で容貌も良い。

 黒髪黒目である私がすごく醜く見えているのだろう。

 

「でもアリッサお姉様って、スタイルはわたくしたちに似て良いですわよね。髪と瞳が終わっていますけれど、クスッ」


 シーラはライトブラウンの髪にエメラルドグリーンのような瞳をしている。

 姉と同じく両親から愛された育った。

 ここウィーリア国では、女性の黒髪黒目は魔女の子だと言われて嫌われてしまう。

 三姉妹で私だけ扱いが酷いのも、それが大きな原因だ。

 物心ついたときにはそうだった。

 さすがにもう慣れたけれど……。

 母が言う。


「今日は二人にとって大切な日。皇太子殿下に選ばれるよう、できる限りのことをやるのよ」


 今日はゴルディア帝国の皇太子が、この王都までやってくる。

 いま花嫁を探しているらしく、あちこちの国を訪れているらしい。

 ウィーリアは弱小国家のため、帝国と友好関係を結びたい。

 そのため国をあげて皇太子のお眼鏡に叶う女性を探していた。

 そして選ばれたのは四人。

 第二王女と公爵家令嬢、そしてドューガ伯爵家のこの二人だ。


「アリッサ、今日の求婚式にはあなたもくるのよ」

「……私もですか?」

「二人の近くで荷物持ちをやるのよ。そうすることでエリシアとシーラがより輝くでしょう?」

「お母様ったら、策士ね」

「本当ですわ。でもアリッサ姉様と血が繋がっていることで減点になりませんこと?」

「そのときは、そのときよ……」


 ギラッとした鋭い目つきをする母の考えは簡単に読める。

 私のことは切り捨てるつもりなのだろう。

 そしてそれは父もまた同じだ。


「アリッサは本来ならば間引きされても仕方なかった。それを生かしてやったのだ。役に立ってもらわねば困る」

 

 黒髪黒目の女性が生まれたときは、間引きする家庭も多い。

 ウィーリアでは幸せになれないし、闇の子として世間の評判も悪いからだ。

 実際、私は幸せとは程遠い十八年だった。

 それでも生きているだけで、ありがたい。

 そう思い込むしかない。


「求婚式の正午までは、時間がある。アリッサは二人の支度を手伝ってから、浄化作業にいけ」

「お父様、昨日の浄化に力を使いすぎて、今日は難しいかもしれません」

「難しいだと? デューガ伯爵家の者が弱音を吐くのか?」

「……そうですよね。わかりました」

 

 目を伏せて私は頷く。

 私の要求が通らないことなんてわかっていたはずなのに。

 どうして口に出してしまったのだろう。 

 後悔を胸の中で渦巻かせながら、私はエリシア姉様の支度の準備を手伝う。

 着替えるものは、目が醒めるような真紅のドレスだ。

 今日のために新調したのだろう。

 私が昨日まで三日かけて繕った作業着とはまるで違う。

 

「ねえアリッサ、殿下は誰を選ぶと思う?」

「……お姉様かシーラを選ぶと思います」

「そうね。身分は一番低いけれど、美しさでは勝っているもの。あなたとは違うの。生まれてきたことが失敗のあなたとは」

 

 胸の奥がズキズキと痛む。

 もう言われ慣れた言葉だ。

 何度も聞いたはずなのに、毎回どうしてもこうなってしまう。

 いっそ心なんて壊れてしまったら良いのに、といつも感じる。

 

「唯一の取り柄である浄化だって、最近すぐに疲れてしまうし。わたしたちより能力が低いのに」

「……はい」

 

 否定すればいいだろうか。

 本当は私が二人の分もカバーしているのだと。

 毎晩地下にある浄化装置にいって、領地の澱みを浄化していると伝える?

 それになんの意味があるのだろう。

 嘘つき。

 そう鼻で笑われて終わりだ。

 それでも私がやめない理由。

 やめたら王都には魔物が入り込み、病が広がっていくから。


「今日はわたくしが殿下に選ばれますわね。お姉様方」


 お姉様とは対照的な蒼のドレスに着替えたシーラが、話に参加してくる。


「あら、十六歳の小娘には負けないわ。大人の魅力を殿下はわかってくださるはずよ」

「あら、二十歳でもう後がないって顔ですわよお姉様」

「生意気な妹……大嫌いよ」


 シーラが憎まれ口をきくのはいつものことだ。

 もう準備は大丈夫そうなので私は静かに家を出る。

 そして王都の入口にある浄化装置に急いだ。

 人の背丈をゆうに超える巨大なクリスタルが設置されており、それが淡い白光を放つ。

 私は門兵のおじさんに挨拶する。


「こんにちは」

「アリッサちゃん、今日も調整かい?」

「はい。すぐに終わらせますね」

 

 クリスタルに触れ、浄化の力を送り込む。

 すると輝きが強くなった。

 魔物や邪悪な者を寄せ付けないための浄化装置で、手入れが必要なのだ。


「ドューガ家の血はすごいよな。みんな浄化魔法を使えるんだから」

「代々そうみたいです」

「でも俺はアリッサちゃんがダントツな気がしてるけどな。世間の評価とは逆になるが」

 

 おじさんは優しくしてくれるので、ここの調整はとても好きだ。 

 話題も豊富でいつも楽しませてくれる。

 心ない言葉もかけてこないし、私の容姿を蔑んだりも絶対にしない。


「またよろしくな」

「はい!」

 

 私は元気よく返事をすると街中に戻る。

 少し歩いて、はたと足を止めた。

 ……なんだろう、この感覚……?

 すごく嫌な感じがする。

 穢れの反応に近い。

 私はそれを感じる方におそるおそる進む。

 裏通りの路地裏に入る。

 人がいなくて心細さはあるが、勇気を出して進む。

 すると建物の間の細道から、叫ぶような声がした。


「ぐぅ……うぁあああ…………!」

 

 なにが起きてるの……?

 足音を殺してそっと覗く。

 建物に背中をつけて座り込み、苦しんでいる人がいる。

 若い男性で、格好からするに平民の人だと思う。


「ううぅ…………くっ…………うぁぁあああっ……」


 鞘に納まった剣がそばに置かれてあるので、私は少し離れた位置から声をかける。


「あの、どうかされましたか!?」

「……大丈夫だ。なんでもない」

「え、でも……。お医者をお呼びしましょうか?」

「必要ない。難病のようなもので医者にもどうしようもないんだ。気遣いありがとう──ウッ!?」

 

 また痛み出したようで、彼は右手を抑えるようにして呻吟した。

 間違いなく、私が感じた穢れはここからだ。

 彼の右手に禍々しくて、黒い痣のようなものが見える。

 深く重い穢れ……たぶん、呪いだ。

 それも相当に強い。

 どうしよう……疲弊している今の私に祓えるだろうか?

 そんな迷いは三秒と続かない。気づくと私は動き出していた。


「見せてください。祓えるかもしれません」

「無理に決まってる。それに危険だ、近寄らない方がいい!」

 

 彼は強く拒否したが、それでも私は引かない。

 半ば無理やり、彼の手に触れる。

 そしてできる限りの浄化の力を使った。

 邪悪で、強大な力……。

 下手したら私の命も食らい尽くすものだったが──なんとか浄化できた。

 

「ハァハァ…………。ど、どうでしょうか?」


 息も絶え絶えに尋ねると、彼はしばらく無言だった。

 確かめるように、右手を動かしている。

 すっかり痣が消え、本来の滑らかな肌を見て目を丸くする。


「嘘だ……本当に、祓ったのか? 魔女の呪いだぞ……?」

「いけたと思います。穢れも見えなくなりました」

「き、君は、何者なんだ? なぜこんなことができる?」

「聖女の仕事をしているんです。少しだけ浄化魔法が使えまして。あ、私なんか大したことはないのですが」

「私なんか……?」


 男性は口を半開きにする。

 そして私はやたら距離が近いことに恥ずかしさを覚える。

 彼の顔がすごく整っていることに気づいたからだ。

 お姉様より華やかな金糸を紡ぐような金髪で、少しウェーブがかっている。

 目も同じく金色で、見つめていると吸い込まれそうだ。

 輪郭も美しくてスタイルも優れ、非の打ち所がない。

 格好は平民だけれど、雰囲気的に貴族の方かもしれない。 

 私を眺めていた彼が、ハッとしたように突然姿勢を正した。


「貴方はこの国の大聖女ですね。気軽な口をきいて失礼しました」

「いえいえ! 私なんか本当に大したことない者ですので、畏まらないでください。敬語も使わないでください」

「……わかった。でも俺の右腕は凄腕の聖女でも治せなかった。それを君は祓ってみせた。まずは名前を聞かせてくれないか」


 彼が一歩前に出て、私の近くに寄る。

 熱を帯びた黄金の瞳は私には眩しすぎて、居た堪れなくなった。

 ……恥ずかしすぎる。

 髪も瞳も黒い上に、決して綺麗じゃない作業着を着ているからだ。


「な、名乗るほどの者ではごさいません! 急いでいるので失礼します」

「あっ……」


 私は踵を返すと全力で走り出す。

 これ以上一緒にいると不快にさせてしまうかもしれない。

 それに、急がないと家族に怒られてしまう。


 ⭐︎


 ずっと心拍数が高い。

 酸欠気味だし、足に力が入らなくてフラフラになる。

 少し休んでから家に帰ると、もう出発の直前だった。

 家の前に馬車がいて、家族が乗り込むところだ。


「アリッサ、どこで道草を食っていたの!?」

「ごめんなさい。少し時間がかかってしまって」

「本当出来の悪い子ね。ついてきなさい」

「……はい」


 御者が馬を出してしまったので、仕方なく私は早足でそれについていく。

 四人乗りで、私の席がないのはいつものことだ。

 せめて作業着以外に着替えたかったけれど、時間がなくてそれも難しい。

 会場に近づくにつれ、人が多くなっていく。

 

「あ!?」

 

 私は疲れから倒れて、膝を擦りむいてしまった。

 馬車が先にいってしまう。痛みに耐えながら息を長く吐き、立ち上がる。

 

「すみません、通してください……」

 

 人混みをかき分けてようやく舞台に到着する。

 大通りの真ん中に、高い舞台を作ってあり、その上に関係者たちが立つ。

 国王陛下までいる。

 国の未来がかかった一大イベントだからだ。

 また、舞台を囲む人々の数は多くて、まるでパレードのようでもある。


「なにやってるのアリッサ、早くきなさい! どこまで愚鈍なの!」

「もうアリッサお姉様ったら、恥ずかしいわ……」

 

 姉様とシーラが憤っている。

 人前なので両親は我慢しているが、目つきが刃物のように鋭い。

 たぶん、後で厳しい罰があるわ……。

 憂鬱に襲われながら舞台への階段を登る。


「まあ、ドューガ家は忌み子を舞台にあげるの?」

「ふふ、今回の勝負。王女様とわたくしの一騎打ちになりそうですわね」

 

 四人の参加者のうちの二人、王女リース様と公爵令嬢のルイズ様が嫌味をわざと聞こえるように話す。

 二人の関係者もこちらを見て嘲笑している。

 これを受けてエリシア姉様とシーラの機嫌がさらに悪くなった。

 

「だから言ったのよ! アリッサを連れてくるのは反対だって」

「お母様、いっそ今からでもお姉様を舞台から下ろしては?」

「……そうね。アリッサ、いますぐ──」

「──グレイル・アスタイン・ロード様のご到着です!」

 

 進行の人の声がお母様の言葉を遮った。

 音楽隊が高揚する音楽を鳴らして、人の道が二つに割れていく。

 そこを皇太子殿下のご一行が通って壇上に登ってくる。

 殿下が通り過ぎて立ち止まってから、私はおもむろに顔を上げた。


「グレイルだ。堅苦しい挨拶は抜きにする。すぐに始めてくれ」


 うそ……あの人が皇太子殿下だったの?

 早鐘を打つように鼓動が激しくなる。

 路地で会った……あの呪われた人だ。

 服装こそ違うものの特徴ですぐにわかった。

 ただ、雰囲気がかなり違う。

 噂では冷酷で戦略家だと聞いたが、本当にそんな感じのオーラを纏っていて刺々しい。


「お目にかかれて光栄です。わたくしは──」

 

 王女のリース様が最大級の愛想と礼儀をもって自己紹介を始める。

 グレイル様は頷くこともなく、無言で空を眺めていた。

 表情はない。

 けれど、飽き飽きしている。

 そんな感じだ。

 でもそれが変わった瞬間がある。

 ふと目線を落としたとき、私と目が合ったのだ。

 

「えっと……」

 

 私は焦った頭を下げて目線を床に向ける。

 でも一瞬だけ見た殿下の顔は驚きに満ちていたのはわかった。

 そして殿下がこちらを見つめているのがわかったので、私はあまり顔を上げられなくなる。

 私はどうしたらいいんだろうっ……。

 公爵令嬢のルイズ様の挨拶が終わり、ついにエリシア姉様とシーラの番になる。

 

「ドューガ伯爵家のエリシアと申します。先のお二方に比べて身分は低いのですが、伯爵家は浄化の力で代々王都の平和を守ってきました」

「……ほう。浄化が使えるのか」

 

 初めてだ。

 殿下が反応したのは。

 リース様やルイズ様には一言も声をかけなかったのに。 

 お姉様はこれに興奮して、喜びの返事をする。


「は、はい! わたくしは浄化魔法を使えます」

「お待ちください。お姉様より、わたくしの方が力は上ですわ」

「いえ。単純な力ではそうですが、わたくしは単に魔物を追い払うだけではなく──」

「浄化といっても実際のところは時の修復で──」

 

 シーラも負けじと張り合い出す。

 少し失礼にも見えたが、殿下は興味深そうに耳を傾ける。

 二人も少し出過ぎたと感じたようで、ハッとしてから下がった。

 進行の貴族が恭しく、殿下に礼をする。


「ご清聴ありがとうございました。ウィーリア国を代表する四名でございます」

「……四名? 彼女は?」

 

 殿下が手を伸ばした先には、私がいる。

 もちろん私も驚いたけれど、他のみんなもそれ以上だった。


「彼女もドューガ家で、先の二人とは姉妹ですが……候補ではありません」

「婚約者がいるのか」

「それについては、当主の私から説明いたします」 

 

 父がここぞとばかりに前に出る。

 殿下と会話する機会をずっと窺っていたので、少し口端が上がっている。


「我がドューガ家の女は全員が聖女でございます。しかしアリッサは姉妹二人に比べると浄化の力が劣ります。なにより黒髪黒目であり、今回の候補にするにはあまりにも失礼に当たるかと思いまして」

「……失礼? 黒髪黒目だとなにが失礼なのだ?」

「それは……ウィーリアでは、黒髪黒目は魔女の子と言われ、あまり縁起が良くないのです」

 

 クールだった殿下が、初めて虚をつかれたような顔をする。

 それは他の帝国の方々も同じだった。

 小さな困惑が起きている。

 殿下が顔を顰める。


「なんと愚かな……。髪や目の色で魔女かどうかを判別するなど。私に呪いをかけた魔女は金髪に緑眼だったぞ」

 

 殿下はお姉様の髪とシーラの瞳を見ながら、吐き捨てるように言った。 

 これには観衆を含めた誰もが驚嘆の声を漏らす。

 

「私がなぜ国々を巡り、妻を探しているかわかるか?」

「……ご自身を支えてくださる方を探しているのかと……」

「私にかけられた呪いは──私が誰かを心から愛したときに解かれるからだ」

 

 そうだったんだ……。

 確かに私が解いてきた呪いにも、解除方法が設定されているものはよくあった。

 大抵は呪いを強めるためだ。

 解除条件を出すことで、逆にそれ以外では解除しにくくする。


「だが、もう妻を探す必要はなくなった」

 

 その殿下の一言に強く反応したのは、背後にいた帝国の人たちだった。


「殿下、それはどういう意味でしょうか!?」

「こういう意味だ」


 殿下が右手の手袋を外す。

 なにもない綺麗な肌がのぞくと、配下たちは一斉に歓声にも似た声をあげる。

 逆にウィーリアの人たちは首を傾げていた。

 本来、あそこには黒い痣があったことを知らないから。


「解いてくれたのは、名前も知らない黒髪黒目の聖女だ」

 

 それまでキツかった殿下の眼差しが優しくなったような気がした。

 そしてそれは、私に向けられている。


「まさか、あの女性が……?」

「そ、そんなわけがありません。アリッサごときが、皇太子殿下の呪いを解けるはずがありませんもの!」

 

 強く否定したのはお母様だった。

 ピクッ、とグレイル様の瞼が動く。とても不快そうに。


「アリッサごとき……?」

「殿下はご存じないでしょうが、アリッサは大した聖女ではないのです。エリシアやシーラの方が格だって上なのです」

「……ほう。彼女以上となると歴史に名を残す大聖女を超えるな」

 

 お母様がぎょっとして固まる。

 さすがにその高みには到底届かないと内心では思っているからだ。

 グレイル様が四十代くらいの配下を呼ぶ。


「オーズ、呪いを浄化してもらうぞ」

「はっ。私は呪いはここにあります」

 

 彼は髪を長くして隠していた右耳を出して見せる。

 耳の半分以上が黒紫色になり、赤い斑点も確認できた。

 

「殿下の呪いよりは弱いですが、それでも強力な呪術によってやられました。この呪いが私の命を喰らいつくのに、半年もかからぬでしょう」


 ほらいけ、と。

 お父様がエリシア姉様の背中を押す。

 お姉様は不安そうな足取りで、彼の前に出る。

 それから耳の近くに手を添える。

 すると掌に淡い白光が生まれ、彼の耳を照らす。

 この場の何人が理解しているだろう?

 お姉様は、安全策を取っている。

 痣に直接触れた方が、浄化の力は増す。

 けれど逆に、力負けしたら自身が呪いの反撃を喰らう。

 死に至ることも珍しくはない。


「きゃあ!?」

 

 突然、お姉様が吹き飛ばされる。

 衝撃波でも発生したかのように。

 軽々と宙に浮き、観衆の中に落ちる。

 幸い、人々がクッションになったおかげで大事には至らなかった。


「うぅぅ……痛いわぁ……!」

「大聖女とは程遠いな」

 

 泣きそうになるお姉様を、グレイル様は冷めた様子で眺める。

 次はシーラの番だった。

 お母様に励まされながら前に出て、同じように浄化を試みる。

 だが同じように全身が弾かれ、お父様とお母様に衝突する形となった。 

 勢い余って三人とも舞台から転げ落ちてしまう。

 

「最悪ですわぁ……。あんなの無理ですわ、もう嫌ですわッ、ううぁぁあ……!」


 シーラは若く感情に素直なのでその場で泣き出してしまう。

 グレイル様はもう何も言わない。

 呆れたように首を左右に振るだけだ。

 ……ど、どうしよう。

 みんなの視線が私に集まっている。

 私が一歩前に出ると、グレイル様が制止するように手を伸ばす。


「いや、君はやるべきじゃない。私の呪いのために力を使いすぎた」

「平気です。無理するのは慣れてますから」

「……君は」

 

 グレイル様はなにかを言いかけ、それを呑み込んだ。

 私はオーズさんの前に立って、呪いの状態を確かめる。

 本人が話していたように深刻だ。

 そこで直接、指先で彼の痣に触れる。

 強い呪いではあるけれど、対応は難しくなかった。

 

「なんと……!?」

「痣が本当に消えた!」

「あんな一瞬で、オーズ様の呪いを解いたのか!?」

「帝国の聖女ですら歯が立たなかったのに……」

 

 特に帝国の人々が驚嘆する。頭を抱える人までいたほどだ。

 オーズさんが片膝をついて頭を低くして、さらに胸に手を当てる。


「感謝いたします。アリッサ様のおかげで、このオーズは救われました」

 

 ババッと、一斉に帝国の人たちが同じようにした。

 もう、私には困惑しかない。

 

「や、やめてください……。みなさん頭をあげてくださいっ」

「彼らは君に、敬意を表しているんだ」

 

 グレイル様は私の前に立つと、静かに続ける。


「君こそ、ウィーリア国の宝だ。……私が疑問なのは、そんなアリッサを君の家族は、この国はあまりにも雑に扱いすぎる」


 舞台にようやく這い上がってきたお父様たちをグレイル様は睨みつける。

 ヒィッという悲鳴をあげ、お父様たちはすぐに目を逸らす。

 

「でも私は忌み子ですし……」

「そう思い込まされただけだ。その罪はあまりにも重い」

 

 グレイル様は、お姉様たちの前に移動して無言の圧力をかける。

 でも遅れて這い上がってきたエリシア姉様だけは、感情を抑えられずに叫ぶ。


「──おかしいですわ! どこぞの馬の骨かわからない男を、まぐれで治しただけです!」

「我が帝国の英雄だぞ。それを馬の骨だと?」

 

 明らかに怒りの質が変わった。

 空気を読んだお父様たちが無理やり、興奮したお姉様の頭を下げさせる。

 何度も何度も。

 それでもグレイル様の怒りは、到底おさまらない。


「ウィーリア国王よ。このような者たちに高い身分を与えるべきではない」

「それは……」

「我が国の支援が欲しいのならば、腐った制度や利権は是正すべきだ」

「……その者の爵位は剥奪いたします」

「そんな!? 私たちは」

「黙れ」

 

 弁明しようとするお父様を、グレイル様は一言で完全に黙らせた。

 そして私のもとに戻ってきたかと思うと、オーズ様たちと同じようなポーズを取る。

 それだけじゃなく、思いがけない言葉まで発する。


「私は君のおかげで、もう結婚する必要はなくなった。……それでも、君のことをもっと知りたい。私の婚約者になってはくれないか」

「こ、こ、婚約者……!? 私が殿下の……ですか……!」

「そうだ。まだ出会って間もないが、もし他に相手がいないのなら……ぜひ」

  

 もちろん、私に相手となる人なんていない。

 こんな容姿と付き合ったりするだけでも、ばかにされるからだ。そんな私に婚約者なんてあり得なかった。

 頭が真っ白になりつつ、それでも本能に任せて返事をする。


「私なんかでよければ……ぜひ、お願いいたします」


 そう答えると帝国の人たちが一斉に立ち上がって歓喜し、力強い拍手をする。

 その場の雰囲気に呑まれたように観衆たちも右に倣えをしたので、万雷の拍手となった。

 オーズさんが殿下のそばにきて、スッと小箱を渡す。


「念の為、作っておいて正解でしたね」

「永遠に使うことはないと思ったが……わからないものだ」


 オーズさんが下がり、グレイル様が立ち上がる。

 小箱を開けると、そこには指輪が収まっていた。

 彼はそれを私の薬指に静かに嵌めてくれる。


「指のサイズはなんでもいいと作らせたんだ。それなのに……見てくれ」

 

 指輪は、私の指にピッタリだった。

 

 ☆


 三日後には、私は王都から旅立った。

 門兵のおじさんに挨拶すると、本当に良かったなと急に泣き出す。

 私の幸せのために涙を流してくれたのだ。

 そう思ったら、私も目頭が熱くなった。

 いまさら気づく。

 おじさんはいつも、さりげない会話の中で、私を励ましてくれていたことを。

 また会いにきます。

 そう告げてから、グレイル様と馬車の中に乗り込んだ。


 そこまではよかったのだけど……なんだか居心地が悪い。

 高そうな絨毯に、ビロードの座席。

 そんな高級な物に対して、私はいつもの作業着だ。


「あの、殿下。やっぱり私、床に座ります。こんな服では座席に失礼な気がして」


 そう話したところ、グレイル様は口をあんぐりと開けた。

 こんな顔するんだ……。

 あの冷静だった求婚式のときからは想像できない。

 

「座席に失礼なんて……初めて聞いたよ。君のためにこれは存在する。座ってくれ」

「いえ、やっぱり床に……」


 床にしゃがみ込もうとした私を、グレイル様は強い腕で引き上げた。


「殿下なんて堅苦しい呼び方はしなくていい。俺のことはグレイルと呼んでくれ」

「ですが……っ」


 引き寄せられた先は、なんとグレイル様の膝の上だった。

 至近距離にあの美しい顔があって、心臓が口から飛び出そうになる。


「それに、君が床に座るなんてとんでもない。君は私の大切な婚約者であり、帝国の至宝なのだから」


 そう言って、グレイル様は私を抱きしめるようにして自分の隣の座席に下ろす。

 背中には心地よいクッションが当てられる。


「落ち着いて、温かいお茶でも一緒に飲もうか」


 馬車の中だというのに、テーブルには湯気を立てる紅茶と、宝石のように美しい焼き菓子が並べられていた。


「あの、私、パンの端っこで十分ですから……。こんな豪華なもの、食べたことがなくて……」

「これからは、君が望むものはなんだって用意する。……ほら、口を開けて」

「えっ!?」


 グレイル様がフォークでお菓子を刺し、私の口元まで運んでくる。

 羞恥心と恐縮でパニックになるも、逆らうわけにもいかず、恐る恐る口を開ける。

 サクッとした食感のあと、口の中に濃厚な甘さが広がっていく。

 お、美味しい……!

 こんなに優しい味、初めてかもしれない。


「……すごく、美味しいです」

「そうか、よかった。君が美味しそうに食べてくれるだけで、私まで満たされる気分だよ」


 グレイル様は本当に嬉しそうに目を細めて、私の黒髪を少しだけ撫でた。

 周りにはいつも嫌そうな目で見られていた。

 汚い色。

 そう言われたことも一度や二度じゃない。

 お母様たちには『気味が悪い』と引っ張られてばかりだった髪……それをこんなに愛おしそうに撫でられるなんて。

 ふいに、視界が滲んだ。


「……あれ? 変だな……」


 悲しくないのに、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「泣かせてしまったか? すまない。旅立ちといい、急に無理をさせたね」


 グレイル様は慌てたように絹のハンカチを取り出し、私の頬を伝う涙をそっと拭ってくれた。

 ハンカチ越しなのに温もりが伝わってくる気がして、私の心の中にどこまでも広がる闇に一条の光が差し込む。


「君はもう、誰にも虐げられないし、無理をする必要もない。これからは、君が思うように生きるんだ」

「……でも私なんかが……いいんですか」

「ああ。まずは君の自己評価が正当なものになるまで、毎日君に感謝を囁き続けるとしよう。覚悟しておいてくれ」


 そんなことを言われて、また顔が熱くなる。

 でも、グレイル様の温かい胸に寄り添うと、とても安心する。

 人前で見せる威厳ある顔と違って、素の彼がそこにある気もした。

 それだけで──

 これから始まる帝国での生活が少し……いや、とても楽しみだと思えた。


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