夫の正体を今更知ってしまった、、、
「――ルベリア・グラディス・フローディア。
これが、貴方の名です。」
グラディス・フローディア……。
フローディア王国。
それは妾が住まうこの城がある、戦争で滅んだ亡国の名。
そして“グラディス”は――。
かつてこのフローディア国を治めていた王家の名のはずだ。
「……魔王が亡き王族の名をこの地で語るのは、さすがに人間どもが許さぬと思うぞ。」
半ば呆れたように言うと。
「あー、……。」
あやつは頬をかき、少しだけ困ったように笑った。
「ルベリアに、俺の名前まだ言ってなかったよね?」
言われて、妾は一瞬言葉に詰まる。
――確かに、聞いたことがない。
興味がなかったわけではない。
……ただ、必要がなかっただけだ。
だが今は違う。
「言っておらぬな。」
短く促すと、あやつは少しだけ視線を落とした。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
その仕草が……このやりとりが、ただの名乗りではないことを告げていた。
「俺の名前は、オルガ。」
静かに、だがはっきりと。
「オルガ・グラディス・フローディア。」
空気が、わずかに変わる。
その名は――。
この城に記されていた最後の王族の名と、確かに同じものだった。
「……いちおう。」
あやつは肩をすくめ、軽く笑う。
「王家の正統な後継者で、第一王子やってたんだよ。」
「……何だと?」
思わず、低く問う。
「ルベリアがここに来る直前に滅びた国。」
あやつは窓の外――廃墟と化した王都の方へと目を向けた。
「その王家の人間の生き残り。」
瓦礫の下で見つけた子供。
血と煙の匂いに塗れ、死にかけていた人間の子。
それが――。
この城の、正当なる主。
王子。
「……そうか。」
しばらくして、妾はそれだけを返した。
驚きはあった。
だが、動揺はない。
ただ――ひとつだけ。
「……妾が城を奪った形になるな。」
ぽつりと漏らしてしまった。
すると。
「別に。」
あやつは、あっさりと笑った。
「俺なんかより、ルベリアの方がよっぽど主っぽくて似合ってるよ。」
迷いもなく言い切る。
「この城も、王家と国の名を背負うことも。」
あまりにも軽く。
あまりにも、当然のように。
それは……。
王としての責を捨てた者の言葉ではない。
すべてを理解した上で、それでも手放した者の声音だった。
「……貴様。」
思わず、言葉が漏れる。
だが続かない。
何を言うべきなのか分からなかった。
「ルベリアはさ、俺の奥さんでしょ?」
あやつは、いつもの調子で笑う。
「名ばかりとはいえ、俺は正統な後継者。
その俺の奥さんがルベリアなんだから、ルベリアが王家の名を語っても、誰も文句は言わないよ。」
軽い。
あまりにも、軽すぎる。
だが。
その軽さの裏に、どれだけのものを置いてきたのかくらいは。
妾にも分かる。
「それに、言わせない。」
そう付け足して、あやつは少しだけ目を細めた。
その一瞬だけ、王の顔だった。
だが、すぐにいつもの顔に戻る。
「それよりさ。
ルベリアにお願いがあるんだけど……。」
「なんだ、オルガ?」
呼んだ瞬間、あやつの動きがぴたりと止まった。
「……え。」
少しだけ目を見開いて。
それから、ゆっくりと笑う。
「今、呼んだよね!?」
「……呼んだが?」
「名前。」
「だから、呼んだと言っているだろうが。」
なぜか、妙に気恥ずかしい。
視線を逸らす。
すると。
「ありがとう、ルベリア!」
やわらかく、そう言われた。
……胸の奥が、くすぐったくなる。
妙な感覚だ。
戦でも、支配でも、味わったことのないもの。
たったそれだけのことで、こんなにも――。
「ルベリアに、俺の名前を呼んでってお願いしようと思ったのに……!
お願いする前にルベリアが呼んでくれた!」
「……そう何度も妾の名を呼ぶな。」
思わず、ぶっきらぼうに言う。
「まだ……慣れておらぬ。」
短く言い捨てると。
「じゃあ、慣れるまで呼ぶね。」
「やめろ!」
即座に否定する。
だが。
……それでも。
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
こうして名を呼び合うことも。
こうして隣に誰かがいることも。
悪くないと……。
そう思ってしまっている自分がいるのは。
……きっと。
気のせいなどでは、ないのだろう。




