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エピローグ、、、少年の記憶


 ――冷たい。


 それが、少年が最初に感じたことだった。


 石の床。

 それでも、いつもより硬く、いつもより冷たい。

 鼻を刺す匂いは、血と煙と、壊れた何かの匂い。


 目を開けようとして、うまくいかなかった。


「……生きているか、人の子。」


 低く落ち着いた、澄んだ声がした。


 叱るようで、けれど怒ってはいない声。

 少年は、必死に重いまぶたを持ち上げた。


 最初に見えたのは、長い漆黒の髪だった。


 夜そのものを束ねたような黒が、視界いっぱいに揺れている。

 煤に汚れた城の中で、その髪だけが、ありえないほど美しかった。


 次に、真っ赤な深紅の瞳。


 炎の色なのに、熱くない。

 血の色なのに、怖くないし嫌じゃない。

 ただ、ずっと見ていたくなるような綺麗な赤だった。


 その美しさは、世界から距離を取るために完成されたような人外の美だった。


「……だ、れ……?」


 自分でも驚くほど、掠れた小さな声だった。


 女は答えない。

 赤い瞳で少年を見下ろし、しばらく黙っていた。


 少年は、少しだけ周りを見た。


 天井は高く、柱は白く、まだ美しい。

 壊れてはいるが、つい昨日まで人が歩いていた城だと分かる。

 ――自分が、よく知っている城。


 その事実を、少年は考えないようにした。


「……なるほど。まだ息があるな。」


 女はそう言って、指先で少年の額に触れた。

 ひやりとする感触。

 だが、不思議と痛みは引いていく。


 助けられているのだと、少年は理解した。


 女は立ち上がる。

 長い黒髪が背に流れ、その動きに合わせて、赤い瞳が揺れる。


「ここは、今から妾の住処とする城だ。」


 それは、当たり前のことを告げるような口調だった。


「……人の国というものは脆い。

 この国は滅びた。

 生き延びた者達も、いずれ消えていくだろうな。」

 

 数日前までここには王がいて、民がいて、未来があった。

 それらはすべて、戦争という名の理不尽に呑み込まれてしまったのだ。


 少年は、胸が少しだけ苦しくなった。


「……死にかけていた傷だ。

 ただでさえ人間は脆い。

 その傷で外に出れば、魔物の餌になるのは目に見えている。」


 女は、わずかに息を吐いた。


「治るまで、この城で大人しくしていろ。

 それくらいの猶予はくれてやる。」


 赤い瞳と、少年の視線が重なる。

 その瞬間、少年の胸がきゅっと締めつけられた。


 苦しいわけでも、嫌なわけでもない。


 視線を外したくなかった。

 ただ……この人の瞳に、他の誰も映したくないと思った。


 理由は分からない。

 考えるよりも先に、そう思ってしまった。


 もっと、見ていたい。

 もっと、近くにいたい。


 その気持ちに名前があることを、少年はまだ知らない。



 だが、魔王もまだ知らなかった。

 この時に助けた少年が、世界の理を踏み越える存在になることを。


 そして何より――。

 永劫の孤独を当然としていた自分の未来を、たった一度の子供の一目惚れが変えてしまうことを。


 その日から、少年の世界は彼女を中心に回り始めた。


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