第35話 緑の代償
緑に彩られた大地に甘き罠が潜む。
喉を潤す果実を齧れば地獄が始まり。
かつてない激痛が男の意識を焼き尽くし、
命の灯火は砂塵の中へ消え入りゆく。
あれから三日が経った。
バックパックには干し肉がたっぷり詰まっている。
体は十分に休まっているが、出発を急ぐ必要はない。
タクミは今日も見張台に立ち、この先に続く地平線を静かに見つめていた。
何かが潜んでいないか、ただそれだけを確認するために。
「……ヤバい奴はいなそうだな」
不意に、あの黒いワイバーンの影が脳裏をよぎる。
理不尽なまでの圧倒的強者。
もしあの時、隠れる場所がなかったら、と考えるだけで背筋が凍る。
この広大な砂漠で、移動中にあのような災厄と遭遇すれば、それはすなわち死を意味する。
それに、これまでは運良く一対一の死闘を切り抜けてきたが、もし一対多数の包囲戦に持ち込まれたら。
(……分からない)
全身硬化の能力も、切り札ではあるが有限だ。力押しだけでこの砂漠を渡り切れるとは到底思えない。
「よし、見える範囲には何もない。……サボテンを採りに行くか」
拠点から三十分ほど歩いた先に、緑の群生がある。一メートルほどの棒状の個体に手を伸ばした。
「硬化」
拳を硬質な岩へと変え、鋭い棘をなぎ払う。根元を掴み、力を込めて捩る。
――バキッ!
心地よい折音とともに、獲物を手にした。
◇
半日ほど繰り返し、拠点には棒状、扇状、玉状のサボテンが積み上がった。小さなスイカのような実も幾つか。
「これ生で食えるのか?」
(……サラディン……)
意識を潜らせるが、相変わらずあの偏った知識は有益な答えを返さない。
とりあえず棒状のものを割る。溢れる水気。シャクッ、という軽快な音。
「……少し苦いが、悪くない。アロエに近いか。これは当たりだな」
喉が潤う。
気を良くしたタクミは、次に丸い実を割った。シャクッ。ほろ苦く、微かな甘みが広がる。
――その瞬間、舌にピリッとした痺れが走った。
「……?」
一瞬の違和感。だが、空腹がそれを無視させた。もう一口。飲み込む。
その瞬間だった。キーン、と鼓膜を突き刺す耳鳴り。
視界が急速に歪み、腹の底が内側から千切れるような激痛が奔る。
「オェェェ……!!」
止まらない嘔吐と、制御不能な下部からの排泄。上下同時。
身体から急速に水分が奪われていく。
命そのものが砂に染み出していくような感覚。視界の隅に、いないはずの影が踊る。
「……幻覚、か……」
意識が暗転する。
――目を覚ます。痺れで手足が動かない。
(……水……)
遠い。腰の水筒が、天国のように遠い。
震える腕を伸ばすが届かない。
力なく落とし、拾い上げ、口に含ませる。わずかに意識が灯るが、またすぐに奈落へ落ちる。
喉が焼け、吐き、また落ちる。
その地獄のような反復の果てに、少しずつ世界が戻ってきた。
壁にもたれ、荒い息を吐く。
「……ヤバ……かった……」
あの小さな実。確信がある。
水筒がなければ、今頃は白骨となっていただろう。
干し肉を噛もうとしたが、力が入らない。そのまま壁に寄りかかり、毒が抜けるのを待つしか術はなかった。
何日経ったのか。目を覚ますと、確かに回復していた。
「助かった……」
息を吐き、足元に視線を落とす。
「……ズボン。終わってるな」
惨状を直視し、乾いた笑いが漏れた。
生と死の境界線は、あまりにも脆く、そして無惨だった。
(経過日数:三百二十四日)
生死の境界で足掻き抜いた数日間よ。
過酷な荒野が教えたる無情なる現実。
三百二十四日目の朝に灰を払い除けて。
彼は新たな戒めを胸に再び顔を上げる。





