第33話 岩壁のオアシス
第33話です。
砂漠において、水は奇跡だ。
だが、その奇跡は長くは続かない。
立ち止まれば、奪われる。
フォレストダイヤウルフの肉を担ぎ、タクミは洞窟へ向かう。
入口手前で足を止めた。
どさりと肉を降ろす。
(……仲間がいるかもしれない)
犬科は群れる。
そんな記憶が頭の奥に引っかかる。
タクミは目を細め、洞窟の中を睨んだ。
風は弱い。
影は深い。
奥行きは、せいぜい十メートルほど。
動くものはない。
気配もない。
さらに視線を奥へ滑らせる。
――水。
浅い水溜まりが、洞窟の奥に広がっていた。
五メートル四方ほどの広さ。
それだけだ。
それしかない。
その水面に、かすかな波紋が広がる。
ぽた……。
ぽた……。
天井の割れ目から、水滴が落ちていた。
暗い岩肌を伝い、静かに滴る。
「……は?」
「……水?」
一歩、近づく。
「……いや、待て」
この砂漠で水場。
それはつまり――
(……水場は魔獣の溜まり場……)
もう一度、目を凝らす。
影。
岩。
天井。
何もいない。
動くものは、ひとつもない。
タクミは肉を担ぎ直した。
ゆっくりと洞窟へ足を踏み入れる。
砂を踏む音が、やけに大きく響いた。
奥まで進む。
やはり何もいない。
水は浅い。
底まで見える。
隠れる場所もない。
「……マジかよ」
かすれた声が漏れる。
だが、すぐに顔を引き締める。
「……こいつがいたってことは」
肩の肉をちらりと見る。
「……他も来るよな」
外へ出る。
正面は岩壁。
左右は視界いっぱいに砂と岩。
動く影はない。
空も、静かだ。
「……時間勝負だな」
タクミは再び洞窟へ入る。
一直線に水場へ向かった。
ブーツを脱ぎ捨てる。
外套を外す。
法衣も放る。
スーツのまま、水へ足を入れた。
冷たい。
澄んでいる。
膝まで沈む。
「……うっは」
思わず声が漏れる。
そのまま水を蹴る。
ばしゃり、と音が跳ねる。
「……きもちいい……」
力が抜ける。
だが。
水面が、じわりと濁った。
スーツの汚れが溶け出していく。
「……あー、これダメだな」
タクミは舌打ちした。
スーツを脱ぐ。
濡れて、重い。
布が肌に張り付く。
無理やり引き剥がす。
全裸になる。
一度、水から上がる。
砂を掴む。
体に擦りつける。
ざりざりと音がする。
「……天然のサンドペーパーだな」
もう一度、水へ。
砂が流れる。
黒い濁りが広がる。
顔を洗う。
頭を掻く。
首。
腕。
胸。
腹。
脚。
何度も、何度も。
汚れが落ちていく。
水は黒く染まっていく。
「……はぁ……」
息が漏れる。
久しぶりの感覚だった。
だが。
(……長居はできない)
顔を上げる。
耳を澄ます。
外は静かだ。
気配がなさすぎる。
(……来るかもしれない)
タクミは急いで水から上がった。
スーツを拾う。
軽く水を絞る。
そのまま着込む。
べたりと張り付く。
外套を羽織る。
じわりと温もりが広がる。
乾かそうとしているのか、空気がわずかに温い。
法衣は畳み、バックパックへ押し込んだ。
「街で洗ってやるからな……」
短く息を吐く。
肉を担ぐ。
重さが戻る。
現実が戻る。
「……ここは危険だな」
水はある。
だが安全じゃない。
「……拠点にはできない」
外へ出る。
風が頬を撫でる。
タクミは振り返らなかった。
そのまま歩き出す。
岩壁の影を抜けて。
次の場所へ。
半刻も経っていない。
だが、確かに生き返った感覚があった。
(経過日数:304日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第33話「岩壁のオアシス」でした。
砂漠での水浴びという小さな救い。
しかし安全は保証されない場所。
次回、「王国の関所」




