7話 奴隷商人
食堂の入り口に、再び新しい人影が。
白髪の初老の男だ。
歳はそれなりに重ねていそうだけど、でも、背はまっすぐに伸びていて、足取りもしっかりとしている。
若々しいだけではなくて、体を鍛えているのかもしれない。
初老の男は、へたり込んでいる大男を冷たい目で見る。
「やれやれ……落とし物を拾う。そんな簡単なおつかいもできないなんて、キミは、私が思っていたよりも無能だったようですねえ」
「ぼ、ボス!? これは、その理由があって……」
「黙りなさい」
「……」
たったの一言で、大男は顔を青くして押し黙る。
あの初老の男には、それだけの力がある、ということだろうか?
「失礼、見苦しいところをお見せました」
初老の男は、ぱっと笑顔に切り替えると、俺の方に歩いてきた。
そして、手を差し出してくる。
「私、奴隷商人を務めております、アクロア・アグロスと申します。以後、お見知りおきを」
「……鉱夫のクロードだ」
奴隷商人だとしても、今は、まだなにもしていない。
ここで握手を拒むのは失礼と思い、素直に応じた。
「ほう……てっきり拒まれると思っていましたが。いやはや。あなたはとても強い力を持っているだけではなくて、きちんとした礼儀と常識を持ち合わせているのですな」
「なにが言いたい?」
「あなたのような人なら理解していただけると思うのですが……私達は、そこにいる彼女を連れ戻しに来ました。彼女は私のものなのですが、不幸な事故で離れ離れになってしまいましてね。こうして、探していたというわけなのですよ」
「シオンは渡さない」
「法律上では、私のものだというのに?」
「それは……」
痛いところを突かれてしまい、返す言葉を失ってしまう。
そう……シオンは奴隷だ。
そして、所有権は奴隷商人のアクロアにある。
確かな契約が成立している以上、そこに口を挟むことはできない。
俺がシオンの保護を訴えたとしても、正当性はない。
むしろ、不当に彼女を拘束している、と判断されてしまうわけで……
……シオンが奴隷である以上、俺には、これ以上どうすることもできない。
正当な所有者であるアクロアに対して、なにもすることができない。
「……」
「理解していただけたようですね。あなたのような話が通じる賢い方は大好きですよ」
「……くっ……」
「本来ならば、ゴッズ兄弟に乱暴を働いた謝罪をしてもらいたいところですが……まあ、いいでしょう。彼らはきちんと話をせず、いきなり暴力に訴えようとしましたからね。こちらにも落ち度はあります。なかったことにしましょう」
「ただ」と間を挟んで、アクロアはさらに続ける。
「そちらのダークエルフの彼女は、こちらに引き渡してもらいましょうか? ソレの正当な持ち主は、私なのですから」
「……」
なにも言い返すことができない。
全て正しい主張だ。
ここでアクロアの要求を拒み、徹底抗戦をすることもできる。
ただ、その場合は、まず間違いなく鉱山を巻き込んでしまう。
親方やみんなを巻き込んでしまう。
それは……
「……クロード様」
シオンが優しい……とても優しい声で言う。
「ありがとうございます。私なんかのために、ここまで心を砕いていただいて」
「シオン、俺は……」
「ですが、気になさらないでください。私が戻るのは、『正しい』ことなのですから」
「……っ……」
「短い間でしたが、クロード様やみなさまと一緒に過ごすことができて、とても幸せでした。楽しく、嬉しく……久しぶりに笑うということを思い出すことができました。ありがとうございました」
シオンは笑い、
「……さようなら」
とても寂しい笑顔を見せて、アクロアのところに向かって歩いていく。
俺は……
俺は、なにをしている?
さっき、彼女になんて約束をした?
必ず故郷に連れて行くと、そう約束したはずじゃないか。
そして、男が一度口にしたことは絶対に守らないといけないって、そう言ったじゃないか。
なら、俺は……!!!
「え?」
シオンの手を掴んで、引き止めた。
「クロード様……?」
「おや、おやおやおや。その手は、どういうつもりなのですかな? 私のものである彼女が、私の元に戻るのを邪魔する……それがどういう行為になるのか。どういう結果を招くのか、きちんと考えているのでしょうか? やれやれ……あなたは話の通じる賢い方と思っていましたが、私の見込み違いだったようですね。そのような態度に出るならば、私も徹底的に……」
「俺が彼女を買う」
アクロアの話を遮り、俺は、そう言った。
「……今、なんと?」
「俺が彼女を買う」
もう一度言うと、アクロアはキョトンと目を丸くして。
次いで、大きな声で笑う。
「ははははは! いやはや、これはなんとも……まさか、そのような選択を取りますか。なるほど、なるほど。確かに、それが成立するならば、全て問題は解決だ。なにも問題はありませんね。失礼、さきほどの話は撤回しましょう。やはり、あなたは話が通じる賢い方だ」
「それで、俺にシオンを売ってくれるのか?」
「ええ、ええ。いいでしょう。私は奴隷商人……求める方がいるのならば、それに応えるのが義務ですからね。しかし……」
アクロアの顔から笑みが消えた。
嵐のような圧を感じる。
「彼女はキミが買えるほど安くはありませんよ? 希少なダークエルフで、見目麗しく、他の能力も高い。大人になったばかりの子供が買えるような値段ではありません。彼女を手にすることができるのは、それこそ、都会に暮らす貴族だけでしょうな。そうですねぇ……値段をつけるとしたら、金貨八千万枚でしょうか? ふふふ、無理でしょう? これだけの大金を用意することなんて、あなたには……」
「よし、買った!」
「……は?」
ゴッズ兄弟の真似をするかのように、今度は、アクロアがキョトンとした表情に。
「ちょっと待っててくれ」
俺は、急いで自分の部屋に戻る。
そして、金庫から全財産を取り出して……
食堂に戻り、テーブルの上に金貨の山を広げてみせた。
「これでどうだ!?」
「……」
「たぶん、金貨八千万枚はあると思う。数えるのが大変だけど、そこは俺も手伝うから勘弁してほしい」
「……」
アクロアは唖然としたまま、金貨を一つ、つまみ上げた。
そして、まじまじと見る。
「……本物、ですね」
「もちろんだ」
「……あなた、これほどの大金を、どうやって……?」
「さっきも言ったが」
親方が口を開く。
「クロードは、十二年、鉱山で働いてきた。鉱夫はとても危険な仕事だから、その分、給料も高いんだよ。で、クロードは働いて働いて働いてばかりで、まったく散在していない。生活費も寮があるから、かなり安く抑えられている」
「なるほど……その十二年で、金貨八千万枚を貯めることができた……と」
アクロアは、呆然とした様子で金貨を見つめて。
ややあって、肩を震わせて笑い声を響かせた。
「はっ、ははははは……あはははははっ!!! まさか、まさかまさかまさか、本当に金貨八千万枚を用意してしまうとは! 私は奴隷商人を長くしていますが、これほどまでの珍事、初めてですよ! 初めてだ! ダメだ、なんて面白い、なんて楽しいのでしょう! あはははははっ、笑いが止まりませんよ」
一人で勝手に納得されて、爆笑されても困る。
というか、俺は至って真面目なのだが。
「それで、シオンは売ってくれるのか?」
「ええ、ええ。もちろんですとも。私は、奴隷という商品を扱う『商人』です。あなたがお客様となりえる存在ならば、しっかりと、誠意を持って応えましょう。今日から、あなたが彼女の主です」
……こうして、俺はシオンの主になった。
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