殺戮人形姫と天を覆い尽くす天使の軍勢
戦うことしか知らなかった人形の昔話
大成功に終わったライブの後、数多くのスタッフと護衛達を労い、サーシャは宿舎に戻りシャワーを浴びていた。冷たい水が汗を流し、火照った肌と昂った気持ちを少しずつ冷ましてくれる。多少のハプニングはあったが、熱気溢れるライブにする事が出来た。
「姫さま、ジュリア様がいらしています。リビングでお茶を飲んでいただきましょうか?」
メイド長であるミリアの声にシャワーを止め、風魔法と火魔法を組み合わせ、一瞬で身体と髪の毛を乾かせる。
「ジュリア様には暖かいお茶をお出しして。わたくしもすぐに参ります」
異世界からやってきた宇部ジュリアは、表向きは5人の仲間と共に、サーシャの護衛任務についている事になっているが実情は異なる。ジュリアが所属する部隊には極めて稀少な特殊能力を発現させた者が複数いるが、実戦経験の乏しい者が多い為、前線に行かせないよう秘匿しているのだ。これは、異世界の軍隊である自衛軍と温泉郷の女王マリエールが協議した結果である。
浴室から出たサーシャは普段着のローブに伸びた手を止め、薄い絹のローブを羽織る。鏡を見ると大きく張り詰めた胸の谷間が覗いている。とても重いし普段は邪魔でしかない。どんなに体を絞り込んでも、胸だけは張り詰めるだけで小さくはなってくれない。数年前から突然に大きくなり出したこれはサーシャの悩みのひとつだ。既製品の可愛い服はサイズがないし、とにかく重くて戦闘時には邪魔でしかない。けれど、悪いことばかりではない。
「お待たせしましたジュリア様。もうおねむの時間ではありませんか?お小さいのですから無理をなさってはいけませんよ」
いつもより少しだけ胸を逸らしながら居間に入ると、ソファに少女が姿勢良く座ってお茶を飲んでいる。見た目は華奢で小柄で、長く豊かな髪を緩く太い三つ編みにした10台半ばの少女だ。だが人の魂を視る事が出来るエルフのサーシャの目には、その小さな体に恒星の如き巨大な力が内包されているとわかる。
「サーシャ、またそんなけしからんパジャマなの?自慢なの?ボクに対する当てつけなの?」
口をへの字にして半眼で胸を睨みつけてくるジュリアに、サーシャは何故か心が躍る。フッと鼻で笑い、髪をかきあげながら、さらに胸を張り見せつけると、ジュリアは己の胸に触れ、あまりの戦力差に絶望したのか悔しげな顔をする。
「ボクはまだ成長期だから!これからだよこれから!ご飯も沢山食べてるもん!」
宇部ジュリアは異世界の軍隊の下部組織に属している少女だが、母親はこちらの世界出身だ。伝説の4英傑のひとりである邪竜狩りの戦巫女ライラ。戦神の寵愛を受け、あらゆる戦場で先陣を駆け続けたダークエルフである。こちらの世界では深く崇拝されており、大規模な宗教の象徴にまでなっている。本来なら種族をあげて歓待をすべき身分であるが、過去にライラが温泉郷を来訪した際に、接待は必要ないと言い渡されている。
「あらあら、諦められた方がよろしいのでは?お小さいのもとても可愛らしいと思いますよ。わたくしは」
言外にあの人は大きいのが好きだけどと匂わせると、ジュリアは苦虫を噛み潰したような表情になる。
「ふぬぅ……サトシはどうしてけしからん駄肉の塊が好きなんだろ。ほんとに全くほんとに仕方ない弟子だよ」
大山サトシはジュリアと同じく異世界の民間志願警備員だ。遺伝性の有用な超級ギフテッドを発現させた為、世界中の種族から狙われている。この世界は人口が減りすぎた。広大で未開発の大陸はいくつもあるというのに、エネミー群の侵攻もあり人類種の支配圏はなかなか広がっていかない。強い子供を望める遺伝性ギフテッド持ちはどこの種族も喉から手が出るほど欲しい。多産が望めないエルフのサーシャとしては、人口の少ない温泉郷の為にも絶対に手に入れなければならない存在だ。その為に必要ならこの重く邪魔な贅肉を利用することも厭わない。なにせ大山サトシの体にに胸を押し付けると、それはもう幸せそうな顔をして可愛いし。
「まあ!ジュリア様こそ『房中』を旦那様になさっているではないですか。あんなだらしないお顔をされて」
サーシャはにっこり笑いながらそう詰めると、ジュリアは耳の先まで真っ赤になってしまう。
「あ、アレは仕方ないもん!サトシはすごく弱いから仕方なくだもん!師匠として……そう!師匠として仕方なくしてあげているだけだもん!」
『房中』は極めて高い戦闘能力を持つ女性が稀に発現させるギフテッドのひとつだ。パートナーに闘気や魔力を分け与える能力だが、体を密着させる必要がある。サーシャの母であるマリエールも発現させており、心と体が溶け合うような幸せな気持ちになるらしい。ジュリアは毎晩、ベッドの上で座禅を組み瞑想をしているサトシに抱きつき、恐ろしく練り込まれた闘気を送り込んでいる。しかし、サトシから還ってくる闘気は不安定なようで、莫大な量を一気に還される事から、ジュリアにはかなりの負担があるようだ。全身から汗が吹き出し、両手両足で必死にしがみつき、首元に顔を埋めて声を我慢している。
サーシャからは、どう見ても致しているようにしか見えない。終わったあと、ジュリアはベッドの上で荒い息を吐き、蕩けそうな表情になっている。正直、ちょっとだけ羨ましいと思っている。
「そ、そんな事よりあの牛人族の親子だよ!どうしてサトシのメイドとして雇ったの!?また女の人増やして!メイドはミリアがいればいいでしょ!」
やはりその事かと、サーシャは少し息を吐く。サトシ達が深淵大陸に飛ばされたのは、牛人族のバランが深淵域種に寄生され、思考誘導された事が原因だ。
さらに、バランの家に代々仕えてきた親子が陽動の為か別方向から攻めてきた。しかし、ジュリアが倒して捕獲。本来なら、牛人族の族長に引き渡すのだが、種族の名誉を傷つけたと処分されてしまう可能性が高い。エルフ氏族と牛人族は友好的な関係を築いているとはいえ、小さな争いはある。サーシャのメイドとして雇うのも少し差し障りがある。
「母親の名前はメアリー。牛人族で代々、要人を守護してきた家系に伝わる名前です。亡くすには惜しすぎる人材です。ミリアはわたくしの身の安全を最優先に行動しますし、ジュリア様も警護の経験はそれほどないでしょう?これから、旦那様の身の回りのお世話をする者は、必ず必要になってきます」
サーシャの言葉にむすっと黙り込むジュリア。警護は戦闘能力だけでは成り立たない、経験を必要とする技能職である。その希少な能力故、狙われる可能性が高いサトシに警護は必要と理解しているが、感情がついていかないようだ。なにせ、メアリーは美しい。牛人族には珍しく背が高い。鍛えられたしなやかな体ながら、胸と腰は牛人族特有の豊満さがある。しかも、艶やかなまっすぐな黒髪と優しげな雰囲気のある母性を感じさせる美女だ。つまり、大山サトシの好みにどストライクなのが気に入らないのだろう。なにせサーシャもそこは気に入らないのだから、その気持ちはよく分かる。
「むぅ……娘は?キサラって子の方は?」
メアリーの娘のキサラは母親そっくりの気の強そうな顔を歪め、不服そうな態度をしていたが、母親が異世界人のメイドになると聞いて、自分も一緒に雇ってほしいとサーシャに懇願してきた。戦力としては未熟だが、メアリーに対する人質として機能すると考えサーシャは了承した。
「旦那様の肉壁くらいにはなるでしょう。闘気の質はかなり良さそうでしたしね。それに、バラン様の最後の頼みでしたので」
サーシャが幼い頃、お見合いをしたこともあるバランは牛人族の武闘派の一族の長男だった。常に無表情で莫大な魔力を保有していたサーシャは、30人以上のお見合い相手から断られていたがバランだけは違った。快活な笑みを浮かべた少年は、サーシャの強さを称え、月の光のように美しいと誉めてくれた唯一の存在だ。バランの父親が治めていた街がデーモンの軍団に襲われ、壊滅的な被害が出てその話は無くなったけれど、幼いサーシャの心によく分からない暖かなものが宿った事は覚えている。
「あのバランって人はどうなるの?」
興味なさげを装いジュリアが聞いてくる。バランを尋問する時、ジュリアにも同席してもらった。ダークエルフの戦巫女の血を引いており、直感力に秀でているからだ。深淵域種の寄生から解放されたバランは、深く後悔しながらも素直に聴取に応じた。自分の命に未練はないようで命乞いすらなく、己に付き従ったメアリーとキサラの事だけをサーシャに託した。
「バラン様の家は大戦士を数多く輩出した名家です。処分は外聞が良くないので、名誉回復の機会を与えるとし、エネミーとの最前線の激戦地へ派遣されるでしょう」
エネミーとの支配域緩衝地帯にある最前線送りになった場合、要塞ですら配属されてから1年間の生存率は92%となっている。激戦地では生存率が80%を切っている。すでにコネもなく、実力もないバランにとって、あの親子の未来を託した事が最後の願いになる可能性が高い。それくらいは叶えても良いとサーシャは思えた。人形だった頃の自分なら、そんな事すら思えなかっただろうけれど。
「そっか。なんだかあの人、サトシに似ていたね」
少しだけ寂しそうにジュリアが呟いた。
バランと大山サトシ。種族も容姿も性格も、生まれた世界すら異なるが、己の命を寸分も惜しまず、親しい人を守ろうとする、儚く透き通った魂の美しさは瓜二つであった。力を貸したいとは思うが、サーシャに出来ることはもうない。バランにとって納得出来る時を過ごせることを願うだけだ。
「皆、多忙な中、よく集まってくれました。感謝いたします。これより、最後のエンジェル種対策会議を始めます」
何の感情もこもっていないように聞こえるサーシャの言葉に、王宮の小さな会議室に集まった4人の元老院議員たちは気遣わしげな視線を送る。
「姫様、民間議員たちがおりませぬ。我らだけでこのような重要な会議を行う事は許されません」
温泉郷設立当初からの貴族であり、宰相を任命されているペンウッドが、たしなめるように声を上げた。
「ペンウッド卿、民間議員たちには暇を出しました。今頃は護衛を伴い温泉郷から離れた場所にいるでしょう」
サーシャの言葉に、怒りを押し殺したように唸り声を上げたのは魔道師団を統括するアーサーだ。
「義務を果たさず逃げ出すとは。エルフとは思えぬ惰弱な方たちだ」
「アーサー卿、民間議員はここ200年ほどの間に移住してきた者たちばかりでした。己の全てを賭ける覚悟を強いる事はできません」
達観した表情で頷きつつも、疑問の声を上げたの行政を統括するパーシヴァルである。
「ミリア殿に下卑た目を向けていたあの者どもの事はよろしいでしょう。足手纏いが消えただけの事。しかし、この場にアルス卿がいないのはどういう事でしょうか?」
サーシャの側仕えであり警護役でもある、温泉郷設立当初からの筆頭貴族家の長女ミリアは、己と妹のアイシャを身売りし傭兵を雇う事を提案していた。エルフの中でも飛び抜けた美貌を誇る姉妹に、下卑た目を向けた議員たちがいたのは事実だ。
そのミリアの弟であり、最も若い元老院議員であり、温泉郷随一の近接戦闘能力を持つアルスがこの場にいない。
「パーシヴァル卿、アルス卿には反抗作戦の前に残る住民を避難させると伝えてあります。彼には住民を率いていただき、温泉郷を離れてもらいます。アルス卿は、あの方の両親がそうであったように、命を失うまで戦い続けるでしょう。世界でも有数の治癒魔術師を失う事は出来ません」
サーシャの言葉に4人は黙り込む。アルスの超絶的な近接戦闘力と指揮能力と治癒魔術が無ければ、大規模襲撃には耐えきれない。しかし、エルフの歴史上でも有数の治癒魔術師であるアルスを失うなどあってはならないの事も理解しているからだ。
「姫さま、温泉郷を捨てるおつもりですな?」
腕を組み瞑目していた老人が、目を開きサーシャに語りかける。戦士団を統括するトリスタンの言葉にサーシャは頷く。
「トリスタン爺、我らは母と武神様に頼りすぎました。個々の鍛錬は欠かしませんでしたが、大規模な襲撃に対してあまりにも無防備すぎました。この郷は持ちません。おふたりが戻れば、また復興は可能でしょう。すでに、わたくしの私財を処分して避難に必要な資金は用意してあります」
サーシャの言葉に4人は立ち上がり深々と頭を下げる。4人とも最期まで戦い抜くつもりであったが、配下を無駄死にさせたくはなかった。少し前に非戦闘民の避難はほぼ終わった。この場所に固執する意味はあまりない。
「ペンウッド卿とアーサー郷は、王宮師団と魔道師団を率いて港町に行ってください。盟約による町への追加移住が認可されたと報告が来ました。パーシヴァル卿とトリスタン爺はアルス卿と共に、行政職員と戦士団を率いて都に向かってください。都の族長から問題なく受け入れられると連絡がきました。アルス卿には負傷者や孤児の護衛任務と伝えてあります。ミリアとアイシャもそちらに同行させます」
4人の表情が強張る。港町は温泉郷の友好都市である。非戦闘民も事前に避難している為、そこに合流するのは事前に決まっていた事だ。しかし、エルフ氏族最大の都市である『都』とはあまり交流がない。さらに、避難計画にサーシャの名前がない。この後の言葉を想像出来たのだろう。
「姫さま、なりません。陛下の唯一の血筋にして、いずれは大魔道に至る姫様を失う事など出来ませぬ」
「トリスタン爺、幼き頃より世話になりました。わたくしがエネミーどもと戦えるのは、トリスタン爺やここにいる皆が鍛えてくれたからです。エンジェルどもは、何故かわたくしに執着しています。わたくしが逃げれば被害が拡大します」
サーシャの返答に無念そうに目を閉じるトリスタン。幼い頃よりこの王女の戦闘指南として接してきた為、意思を曲げる事はないと知っているからだ。
「姫様、エンジェルどもとの戦闘データに加え、アルス卿の治癒魔術の指導を条件に『都』と交渉をなさいましたな?」
サーシャは返答しなかったが、宰相であるペンウッドは確信しているように天を仰いだ。港町にはこの近辺では最大の防衛機能と食料や物資の備蓄があり、あらゆる種族からなる大規模な軍隊が駐留している。しかし、そこだけに温泉郷の住民と戦力全てを移住させるのはリスクが高い。有史以来、唯の一度も陥落した事のない『都』に貴重な戦力を匿ってもらう提案は何度も出た。しかし、過去の因縁と民間議員達の反対で立ち消えになっていた。
サーシャは『都』の族長に、自分がエンジェル種と最後の最期まで戦い、戦闘記録の転送をすると伝えた。全世界に甚大な被害をもたらすエンジェル種との戦闘記録は、2000人もの他の都市の戦闘集団を受け入れる価値がある。つまり、取引が成立した時点でサーシャが生き残る道はすでにない。
「皆、大義でした。願わくば母が帰還した後、再び温泉郷を支えてくださるよう願います」
命を賭して民を守ってくれた4人の忠臣に感謝を込めて頭を下げる。そして、それ以上は何も語らずサーシャは部屋から出ていこうとする。
「姫さま、ではまた」
ベンウッドの言葉に他の3人が唱和するのを背中越しに聞いた。生まれた時から魔力を注ぎ続けた世界樹の枝を使い、上位雷竜の魔石を触媒として暴走させ、出来るだけ多くのエンジェル種とともに消し飛ぶ覚悟を決めたサーシャは世界樹に還ることすら出来ない。
サーシャは転生する事も出来ず、彼らと2度と会うことはないだろう。けれど、またと、彼らがそう言ってくれた事に、柔らかな何かを感じたような気がした。
人の気配のない王宮をサーシャは歩む。何故か笑いかけてくれた今はもういない人たちの笑顔が見え、柔らかな笑い声と優しい言葉が聞こえたような気がした。自室に入りベッドに横になり短い睡眠を取る。目覚めた後、最期の戦支度を始めた。
浴室に入り水を浴びようとして、側仕えのミリアが湯を使うようにと怖い顔していたのを思い出し、湯を出して身を清めた。風魔法で髪と体を乾かし、魔術紋様がびっしりと刺繍された上下の肌着を身につける。
この刺繍はミリアの妹であるアイシャの手によるものだ。物理、魔法のどちらに対しても、極めて高い防御性能と結界魔法が付与されている。さらに、毒や麻痺、石化等をほぼ無効化し、永続的な体力と魔力の回復効果まである。この肌着を見たエルフ氏族随一であり、世界でも5本の指に入る魔道具職人でもあるアーサーが、家族や親しい者以外に見せぬようにと警告してきた程の魔道具である。
その上にミスリルで編んだ鎖帷子を被る。軽く体の動きを阻害せず、エンジェル種がよく使う中級程度の魔法攻撃なら完全に防ぎ切る。さらに、糸を縒りあわせる段階から魔力を込めて作られた絹を使い、表面と裏地に空間魔法を付与した30もの隠しポケットがある足首までのローブを身につけた。全てのポケットに入るだけの様々な魔法を付与した、高純度の魔石と宝玉と護符を詰め込む。軽く頑丈なブーツを履き、籠手と脚半を装備しマントを羽織る。どれもアーサーの手による最高品質の魔道具だ。
母から託された魔力回復の効果があるサークレットをつけ、戦闘用の杖を持ち、腰に付けたポーチには水と食料と薬を入れた。魔力暴走による自爆用の世界樹の枝と上位雷竜の魔石は首から下げた小さな護符型の収納魔道具に納める。
最後にポットからカップにお茶を注ぐ。大好きな茶葉を使い適切な手順で淹れたはずなのに、香りも良くないしそっけない味がした。ミリアの淹れてくれる香り高く地味溢れるお茶を思い出すが、別れを告げるようにひと息に飲み干した。
サーシャは自室から出て階段をいくつか登り、街を俯瞰出来るバルコニーに出てゆっくりと見渡す。勇敢で健気な兵たちも脱出したようで人の気配がなく、どこかもの悲しい温泉郷を目に焼き付けて、温泉郷の至る場所に設置した観測装置と12体の戦闘用ゴーレムを起動させた。大半のゴーレムは民に同行させた為、残っているのは母が護衛にと残してくれたここにある12体だけしかない。
全ての個体に戦闘データを記録し送信する宝珠を埋め込んである。『都』には若くして大魔道を超えたとされる大賢人エレクトラがいる。戦闘データを解析し、力無き人々の為に役立ててくれるよう祈った。
しばらくすると、森の奥から空を埋め尽くす程のエンジェル種の大群がやってくるのが見えた。防衛隊が居なくなった温泉郷を蹂躙する為に来たのだろう。何故かエンジェル種は、建築物を破壊したがる傾向が強い。探知魔法を使い精査してみると、その数は300万を超えている。どれだけ削れるかという思考をサーシャは捨てた。戦えなくなるまで戦い、出来るだけ多くを道連れにする事以外、何にもないのだと全身に魔力をたぎらせる。
都市防壁近くにエンジェルの大群が止まり、勝利の歌を奏で始めた。相変わらず気味の悪い音だとサーシャは眉を顰める。大群の中から、通常個体より大きく羽の数が多い1匹の上位種が近づいてきた。
「耳長猿の首魁の雌よ!我は神よりこの荘厳なる御使いたちを託されし者である!我らに手向かう愚かさを知り、己の分際を弁え逃げ出した事は褒めてやる!」
人型を模してはいるが、造形に奇妙な歪さがあり、つくづく不気味なエネミーだとサーシャは思う。エンジェル種は倒すと魔石を残し消える事から、魔石を媒介としてこちらの次元に精神のみを侵入させてくる生命体ではないかという説が有力だ。喜悦に歪んだ表情で、サーシャの体を舐め回すよう見る。
「卑小なる下等生物にしては希少な魔力持ち故、我らが王はキサマを愛玩動物として飼育してやると仰せだ。様々な種族と交配実験にも使う故、生命だけは保障してやる。感謝し衣服を全て脱ぎ地に頭を垂れよ!キサマの態度次第で、偉大なる我が胤をつけてやってもピギャ!????」
土魔法で作り上げた硬く小さな矢の先端に爆裂魔法を仕込み、隠蔽魔法で覆いながら風魔法による回転と加速を加えて、エンジェル種の弱点であるコアに高速で叩き込んだ。極小の魔力で大量に放つ事ができる、4属性を複合させたサーシャの固有魔法だ。
「ばきゃなあああああああああああああ耳長猿ごときがああああ」
耳障りな金切り声を上げ、吹き飛んだ胴から巨体が崩れ去り魔石だけが落ちていく。エンジェル種の大群からは凄まじい怒りの咆哮が上がり、サーシャに向かって雲霞の如く押し寄せてきた。ゴーレムと共に迷彩魔法を使い姿を隠し、準備していた使い捨ての魔石に込められた転移魔法により森の中に飛ぶ。その際、王宮や都市防壁に配備した800門の自動制御された魔道機関砲を、無制限に撃ち続けるように起動させた。温泉郷から離れた深い森の地中に作られたシェルターに現出すると、サーシャは探知魔法により戦果を確認する。機関砲の射程に入ったエンジェルの集団は凄まじい勢いで消し飛んでいるが、数があまりにも多い為か2パーセント以下しか削れていない。しかし、この瞬間にもどのような魔法が効果的かは、魔道具やゴーレムたちを通じて、逐一『都』の解析班により観測されているはずだ。
森の至る所に仕掛けた、5000を超える待機状態の罠も無作為に作動させていく。エンジェル種が罠の上を通過しようとすると、種族特有の魔力を感知し炸裂魔法を組み込んだ球が空中の広範囲にばら撒かれるものが多い。異世界の兵器を参考にし、魔道師団の手を借りて作成して、サーシャ自らも参加して設置したものだ。エルフ氏族の怒りを込めたこの罠には、再生阻害の強力な毒や小さな金属の破片も大量に仕込まれており、エンジェル種の大群に絶大な効果を及ぼした。
全体から見れば軽微な被害しか受けていないエンジェル種の動きにも変化が出て来た。温泉郷に押し寄せ続けていたが、サーシャがいない事に気がついたようで、複数に分かれて森の広範囲に散っていく。
本来、この後に決死隊がゲリラ戦を展開しながらひきつけ、少数精鋭部隊でエンジェル種の中枢を襲撃する予定だった。しかし、敵兵力の数が多すぎて中枢まで辿り着けないとサーシャは判断した。勝てぬなら犠牲は少ない方がいい。そして、犠牲になるのは王女である自分だけでいいとサーシャは思う。罠を使い魔力を温存出来るのは2日が限界だろう。その後は、ゲリラ戦を展開しながらゴーレムたちと共に魔力が尽きるまで戦う。おそらく、5日は持つだろう。出来るだけ多くの戦闘データを取らなけばならない。エルフ氏族の次の世代の命を守る為、1秒でも多くデータを取る。それが、温泉郷の王女として生まれた自らの使命だとサーシャは考え、自爆用の魔力を少しでも蓄える為に瞑想に入った。命を惜しむ事など考えてはいないが、ミリアやアイシャが怒っていないか、そんな事が気になったがすぐに忘れた。人形にそんな感情は必要ないのだから。
「うむ、引き継ぎはこれでよかろう。臣下と民と家族の事は任せたぞ息子よ」
「は!お任せください父上!ご武運を!何卒、我らが姫様を生かしてくださいませ!」
「うむ、宰相を任された我が、主たる姫様より長生きなど許されぬ。微力ながら、姫様をお守りするために使わせていただく」
「おう!ペンウッド!別れは済ませたようだな!おめえは立派な後継に恵まれたなあ!戦争屋にはもったいねえぐらいだ!」
「ぬかせ!トリスタン!地を割り天を衝き神を堕とし、ついには武神様に挑んだ無謀な喧嘩屋のお前に、あんな立派な娘が出来た事を嫁に感謝せよ!」
「御二方とも、血が沸るのは分かりますが落ち着いてください。装備を持って参りましたので、おつけください」
「アーサー!おめえまでくる事はねえだろ!技術屋は民と共にいろ!」
「何を仰っているのですトリスタン様。我らが姫様を付け狙うあの虫ケラどもは、1匹残らず消さねば気が済みません」
「随分と物騒なものを持ってきましたねアーサー。技術屋を怒らせると恐ろしいものだ」
「おいおい!いちばん物騒なヤロウが抜かしやがる!陛下に一目惚れして、魔王に挑んだ壊し屋がよ!」
「うむ、では行くか。我らが優しき姫様を護りに」




