塔に住む令嬢が愛と覚悟を知るまで
「リネット、また外を見てたのかい? 潮風に当たると体に障るよ?」
私のいる塔の部屋に今日もエルドレッド様が訪れる。忙しい公務の合間を縫って、毎日私の顔を見るためにこの高い塔を上ってやって来る。
「いつもありがとうございます。お忙しいのに申し訳ありません」
「君といる時だけが憩いの時間なんだ 僕がそうしたいだけだよ」
海を切り取ったようなエルドレッド様の紺碧の瞳が私を捉える。自分にそんな価値があるとは思えないのに。平凡が服を着たような容姿で、取り立てて目を引くところもない。おまけに――歩けないと来ている。
少女時代の事故で私の両足は麻痺し、車椅子の生活を強いられるようになった。順風満帆かと思われた人生は一変し、両親の愛情も、世間の目も、家で受ける待遇も何もかもが変貌した。変わらないことと言えば、エルドレッド様が目にかけて下さるくらいだ。
「人の目もございましょう。そろそろ婚約者を決めなくてはならないのに、周りからとやかく言われませんか?」
「他人が何と言おうが構うもんか。僕の伴侶は君しかいない」
またお戯れを……既に何度も議論したがいつも平行線に終わるのでここは苦笑してごまかす。
エルドレッド様の伴侶ということは未来の大公妃になるという意味だ。夫を支え盛り立てるのが妻の務め。大公妃ともなれば、見た目だけでなく中身も優れていなければいけない。国民の期待に応え、国外では外交官さながらの働きをして、国内では社交界の頂点に立ち人脈を広げる。だが、私はそういった素質を何一つ兼ね備えていない。
もちろんエルドレッド様には何度も説明した。その度に彼は弱々しく微笑みながらこう言うのだ。
「重圧の多い立場だからこそ、手元に一番安心できる人を置きたいんだ。僕には君しかいない。窮屈な思いをさせて申し訳ないがもう少しの辛抱だ。必ず迎えに来るから」
熱のこもった視線で甘く絡め取られる。非の打ち所がない麗しい王子様にこんな風に言い寄られたら、普通なら有頂天になるだろう。しかし、私の心はいつも重く沈んでいた。彼の愛情を受けるだけの器を持っていないからだ。
いつも通り小一時間滞在してから彼は帰った。この時間はいつも心にポッカリと穴があいた気分になる。いつまでこんな日常を続けられるだろう。海の方から聞こえる汽笛を聴きながらぼんやり考える。
エルドレッド様は大公家のご嫡男で、家を継ぐことが既に内定している。私は彼の許嫁になるはずだった、12歳の時に木から落ちて脊髄を損傷する大怪我を負うまでは。私が駄目でも婚約者の代わりなんていくらでもいるのに、恐れ多くもエルドレッド様のお気持ちは変わらなかった。
西に傾いた太陽がそろそろ隠れ始めたので窓を閉めなければ。妹のキャシーがやって来たのはそんな時だった。
「リネット姉様、お加減はどう?」
「いつも通りよ。そちらはどう? お母様のリウマチの具合は?」
足腰が弱くなった両親は、塔には滅多に来ない。大公妃候補だった自慢の娘が半身不随になった時、両親の嘆きようは計り知れなかった。だから目に入れるのも辛かったのだろう、長らく使ってなかった塔の一室に私を押し込めたのだ。
それでも元気な頃はたまに顔を見せていたが、最近はめっきり姿を表さない。だから家族の中でここを訪れるのは、3つ年下の妹キャシーだけだ。彼女は、私の境遇に大層同情していた。
「それも前から同じよ。そういや、さっきエルドレッド様が帰られるところを見たわ。毎日ありがたい限りね」
「こんな私のところに来る必要はないと何度も言ってるのに。本当に恐れ多いわ」
「それだけ本気なのよ。贈り物だってこんなに頂いているのに……少しは優しくしてあげれば?」
確かに塔の中にあるこの部屋は、エルドレッド様から頂いたプレゼントで一杯になっている。いつかこれを着けて一緒に外出しようねと渡された鞄やアクセサリーなどの小物類、退屈しないようにと送られた本、殺風景だったこの部屋はたちまち賑やかになり、私は独りぼっちでも寂しくなくなった。
「これが私の優しさの形なの。いつまでも私にこだわってないで他の人を見つけて欲しい。それが彼にとっても幸せな道だから」
キャシーが何か言いたげな顔をしているが、あえて無視して窓の外に目を向ける。夕焼けの赤が海に溶け込んで幻想的な風景を作り出していた。私はこの時間が特に好きだ。全てを諦めた者にとって日中の強い日差しはどこか後ろめたい。その点、地平の向こうに消える寸前に赤く燃えさかる夕日は、自分が生きた証を必死で刻みつけているように見える。その姿がまるで自分みたいだと思った。
◇
今日のリネットも素敵だった。今週末久しぶりに休みが取れたのでまた散歩に連れ出そう。塔の階段は危ないが、お姫様抱っこしながら上り下りするひと時はなかなか悪くない。何より彼女を間近に感じられるのが何よりのご褒美なのだ。
「こんにちは、今日も姉様のところに来てくれてありがとうございます」
ふと声をかけられ顔を向ける。リネットの妹のキャシーだ。家の中にいるのに何をそんなにおめかししているのだろう。一応無難に挨拶を返しておく。
「またお痩せになられました? 働きすぎですよ」
「そうかな? でも正式に跡を継いだらもっと大変になるから」
今日はまだ仕事が残っているから戻って続きをしなくてはならない。早く戻りたいのにキャシーはシナを作りながらこちらの手を掴んだり何やら話しかけて引き止めにかかる。
「ねえ、あたし18歳になったのよ。もう昔のお転婆キャシーじゃないのよ」
そう言ってくるりと回ってみせる。ん? だから何? とりあえず適当なことを言っておくか。
「ああそうなんだ。おめでとう。大きくなったね」
「そうじゃなくて! わざと知らんぷりしてない?」
「へ?」
「あたしじゃ駄目? 姉様の代わりにはならないの?」
やれやれそういうことか。そんなの分かりきってるじゃないか。大袈裟にため息をついて見せ、脈なしだとアピールしておく。
「壊れた部品を取り替えるように人間を扱うことはできないんだよ。私にはリネットしかいない。何度も言ってるだろう?」
「あたしと結婚すれば姉様を引き取ることもできますよ? 今の環境から救い出せるわ」
「それなら君の口からご両親に直接頼めばいいじゃないか、姉を塔から出してくれって……その方が手っ取り早い。私はそうしたよ? 無駄だったけどね」
だんだんイライラが募ってくる。何より彼女を取引材料に使うのが気に食わない。どうしてリネットの周りには碌な人間がいないんだ?
「あたしは十分姉様を尊重したわ。いじめたりあなたからのプレゼントをくすねたりしなかった。これでも罪悪感があるのよ? 子供の時、赤い実を取ってと私がお願いしなければ、怪我をすることもなかったから」
何だって? 私は全身の血の気が引いて愕然とした。聞いていた話と違う。嘘じゃないのか?
「は……? 今なんて言った?」
「何か変なこと言いました? もしかして知らなかったの……?」
「彼女は何も言わなかった……そうか、君がリネットの運命を狂わせた張本人だったのか……それれなのに結婚を迫っていたのか?」
目の前が真っ暗になる。こんなことがあっていいのか……一瞬の怪我でリネットは一生歩けなくなったと言うのに、この目の前の娘は青春をを謳歌している。こんなことが許されていいのか……?
「姉様だって、あなたの妻になる資格はないと言ってるわ。本当よ? 本人に聞いてみたら?」
「そんなの……諦めさせたんだろ? お前らが、家族たちが!」
かっとなりキャシーの両肩を持ってどんと突き飛ばす。元は彼女が必要以上に距離を詰めて来たので、咄嗟に嫌悪感が募って避けようとしただけだった。
いや違う。あの時の私は確かに殺意があった。何でリネットなんだ。お前じゃないんだ。そんなことを思いながら力の限り突き飛ばす。
何の因果か行幸か。そこは階段のすぐそばだった。面白いくらいにキャシーは階段から転げ落ちた。
◇
キャシーがエルドレッド様に襲われたと聞いた時は耳を疑った。どうして? 何があったの? 本人たちから話を聞きたくても蚊帳の外の私にできることは何もなく、始めのうちは途方に暮れるばかりだった。
キャシーは一命を取り留めたが大怪我を負っており両親は半狂乱になった。どういうわけか私は激しく責め立てられ、塔の部屋にもいることができなくなった。見かねた親戚が引き取ってくれて、今はそこに身を寄せている。エルドレッド様も身柄を拘束され貴人用の牢にいると言う。当然彼に会うこともかなわなかった。
数週間経ってからようやく事態が少し収まってきた。周りの人から概況を聞いた私は、キャシーに会って話を聞きに行くことにした。
「信じらんない! 私は何もしてないのに! いきなり襲いかかってきたのよ!」
キャシーは足を骨折しておりまだ起き上がれる状態ではないが元気はあるようだ。私のように一生歩けない訳ではなさそうなのでホッとする。
「とりあえず命に別条なくてよかったわ」
「ちっともよくないわよ! あんな人だとは思わなかった! これじゃ次期大公なんて無理ね!」
「そのことなんだけど、あなたにお願いしたいことがあって来たの」
私はそう言うと、鞄から一枚の書類を出して彼女に見えるようにした。
「あなたからも減刑嘆願書に署名して欲しいの。このままだと大公になれないばかりかどこかの島に流刑されるかもしれない。エルドレッド様は、大公になるために子供の頃からあらゆるものを犠牲にしてきたのは知ってるでしょう? 彼の本当の望みがどこにあるのかは知らないけど、こんな形で今までの努力が無駄になるのは避けたいのよ。あなたも協力して」
「はあ!? 何言ってるのよ! 頭がおかしいんじゃないの? どうしてあたしが署名をしなきゃいけないわけ? 被害者なのよ?」
「だからあなたの署名に価値があるのよ。判事の心象も大分変わるわ」
キャシーは、狂人を見るような目つきでこちらを睨んだ。そりゃそうだろう。突拍子もない提案なのは百も承知だ。だがそんなことはどうでもいい。私の頭にあるのは、目的を達成することのみだ。
「お願い……言うことを聞いてくれないと……私も手荒な真似をしたくないのよ」
私は申し訳なさそうに言いながら、鞄からナイフを取り出した。それを見たキャシーはさっと顔色を変える。
「どういう意味よ……大声を出すわよ? あなたなんてひとたまりも……」
「誰か駆けつけるよりナイフで一突きする方が早いわね。今度は命まで失うかもよ? さあどうする?」
「は……何言ってんの? そんなことしたらあなたも……」
「私はどうなってもいい、彼だけが大事なの」
私は無表情のままナイフを振り上げた。脅しではない。本当に刺すつもりだった。普段なら負けてしまうが、今は彼女もベッドから出られない。車椅子の私と対等の立場だ。
「分かった! 分かったわよ! サインすればいいんでしょう? するから許して!」
刃が皮膚を掠めそうになったところで私は手を止めた。そのまま紙とペンをキャシーの前に差し出す。キャシーは震える手で減刑嘆願書に署名した、もちろんその間、ナイフをちらつかせることも忘れなかった。
「こんな形で署名しても効果あると思ってるの? あなたに脅されたと訴えれば無効になるわ」
「その時は私もあなたのせいで大怪我をしたことを世間に公表するわ。世間の同情はどちらに集まるかしらね? 国民の信頼厚いエルドレッド様と、彼が愛する女性を傷つけたあなたじゃ結果は分かりきったものね。おまけに嫁の貰い手がなくなるかも?」
キャシーはわなわなと震え、歯軋りしながらありったけの憎悪をこめて私を睨みつけた。これが彼女の本性なのだろう。
ずっと私に同情的だったのは、優越感から来る憐れみにに過ぎなかったと知るのは寂しかったが、今は感傷にふける暇はない。エルドレッド様を救わなければ。
「姉様はこれこれからどうするつもり?」
「エルドレッド様は私を求めてる。だからそれに応えようかと」
「やっぱり大公妃になりたかったんじゃない! ずっとカマトトぶってたのね。嫌な女! それともおめでとうと言うべきかしら?」
「さっきも言ったでしょう、自分はどうなってもいいと。彼の求めに応じるだけ。この事件が起きなければ、本当にあの塔で一生過ごすつもりだった。でも、今すごくいい環境で暮らしているの。隙間風に震えることもなければ、湯浴みのお湯が冷めることもない。家族より親戚の方が親切なことってある? でもこの境遇は彼によって与えられたもの。こんな近くに幸せがあったなら自分で掴み取るべきだった。私に勇気がないばかりに、親戚に事情を説明して助けを求めることもしなかった。だから私は変わる。これからは私が彼を助ける。たとえ罪を犯しても欲しいものは手に入れるって決めたの。ありがとう、あなたは私に勇気をくれたわ。これで心置きなく修羅の道を歩ける」
「だから脅したの? これからもそうやって生きていくつもり? 狂ってるよ……。いつかボロが出るに決まってる」
「狂ってる……確かにその通りね。最高の褒め言葉だわ」
私は心の底から誇らしい気分になって笑みを浮かべた。そして、その言葉を最後に部屋を出たのだった。
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