ごぉ
よし、書き終えた、と一旦筆を置く。
うむ、中々書けたのではなかろうか。これなら望夏先生に泥を塗ることも無いやもしれぬな、と安堵して、どれだけ書いたのか、原稿用紙の数を数えてみた。
所々に行間をあけ、それらしく作ってみたのでやはり十枚程度は書けたのだろう、と思ってみてみれば、まだたったの二枚だった。
この時の絶望と言えば、これまたひどいもので、うまく表現できるか分からぬが、これはぷりとして旨そうなあさりではないか、と期待して口に含み、歯を入れた時にガキリと砂にぶち当たったような絶望感である。
しかしまぁ、物書きを趣味として掲げているというのに、なんという体たらくだろうか。最早、序章にすらなりそうにない。
自叙伝というのは、何とも不可解で、狭き門の番人のようだ。
通してくれ、と懇願しても、要求するものが多くて通るのに一苦労する。
やれ、文才を出せ、無駄を出せだの、やれ、半生を思い返せ、恥ずかしいことも思い出せの、そうやって頑張って、やっと通してくれるかと思えば一歩進ませてくれて、もう一度始めからやり直し。
もう堪らん。自叙伝の方は何も苦労してないというのに、こちらばかり大変な思いというのはまっぴらごめんだ。
よし、もうやめてやろう。
自叙伝なんて、そもそも望夏先生に言われなければ書こうと思うことなど無かった。元より、縁のないものだったのだ。
よし、望夏先生に諦めの一報でも入れに行こう。平謝りにてやめさせてもらうのだ。
そして決心を胸に立ち上がり、玄関へと歩いて。ふと、足を止めて。くるりと、向きを変えて。
〝
止めたい辞めたいなら辞めさせぬ
――望夏日向
〟
玄関に、なんてものを飾ってしまったんだ過去の私よ。
望夏大先生の書かれた直筆の標語。こりゃ家宝なりと気張って玄関においたのが失策だった。
やはり、望夏先生のお言葉。言われていなくても見るだけで体が動いて、また机の前に腰掛け、筆を握ってしまっていた。
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