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5.シュカの日課




 庭園の奥、木と生垣の影になってすぐには見つからないような場所に案内された。


「ここならば、見つかることはないでしょう。なに、お綺麗で上等な服を着るような御仁は、庭園に降り立つことすらしません」


 そこは奥行き五歩ほど、横幅も五歩ほどの小さな場所だった。

 雑草が生えていて、人の手が加えられていない。


「あ、あの、実は私、土いじりなんてとんでもないと侍女に止められてまして」

「でしょうな」

「できれば内緒にしていただけると助かるのですが。……く、口止め料とか必要なら何か……」


 何か高価な物を持っていただろうかと懐を探るも、そういうものはすべて邪魔にならないように置いてきたのでなかった。

 どうしようかと焦る。


 だが、翁は首を静かに横に振る。


「何も見返りを求めてやっていることではありませぬ。貴女様は農民の出だとお聞きしました。ならば、このような場所は息が詰まりましょう。無聊の慰めになるのでしたら、と。もちろん、私も他言するつもりもありませぬ。私が知らぬ間に瓊妃様がここで畑を作っていた、ということにしておいていただけると助かります」

「はい! もちろん! 迷惑はかけません!」


 どうやら翁はシュカの境遇を思って親切にしてくれただけだった。

 すぐに金で黙らせようとしていた自分を恥じ、そして深々と頭を下げる。


 ここまですんなりと自分の畑が作れるなど思っていなかったので、シュカは舞い上がった。

 ようやくつまらない毎日から抜けだして、夢に向かって歩き始められると。


「道具はそこの小屋に入っておりますので、お好きに」


 それだけ告げてまたどこかへと去っていった翁に、シュカはもう一度お礼を大きな声で伝える。

 この璜呂宮の中でシュカの生き様を理解してくれる人に出会えるとは思ってもみなかった。

 貴重な出会いに深く感謝しながら、シュカは手に入れた自分の畑に目をやった。


 当然、この雑草からどうにかしなければならない。

 しゃがみ込んで、ひとつひとつ検分する。


 その中で繁縷はこべを見つけて、シュカは摘み取った。


 繁縷は皮膚の炎症や胃腸の薬として用いられるが、食べてもおいしい。

 生でも良し、湯がいてもよし。

 どこにでも生えるので、食料として重宝したものだ。


 久しぶりにこの手に取って口に含んだ。

 若い方が柔らかくて美味しいのだが、これは硬さがある。

 でも、その懐かしい味に、シュカはついつい顔が綻んだ。


 部屋には持って帰れないので、あらかた摘んだら天日干しにしておこう。

 生薬として使うのが、もったいないことをせずに済む一番の方法だ。

 いわゆる雑草と言われるこれを食べていたと玉麗に知れたら、どんな顔をされるか分かったものではない。


 シュカが自由でいられるのはあと四刻(一時間)ほどか。

 よし! と袖をまくったシュカは気合を入れる。

 草むしりは昔から得意だった。


 それに期待と共にやる気が満ち溢れて止まらない。

 こんな高揚感、璜呂宮に来てからはじめてだった。



 侍女たちに見つからずに無事に部屋に戻れたシュカは、急いで膝についた土を払い、あわせズボンを脱いで、また上等な絹の襦裙に着替える。

 内裳の上に裙を履き、胸の上で帯を締めるこの服は、さらに上からうすぬのでできた披帛ストールをかけるので何重にも着こむ必要があって面倒だ。

 加えて装飾品もつけて着飾る。


 髪の毛も綺麗に結わえなければならないのだが、シュカは一本に結わえることしかできないので、元に戻すことができなかった。

 何か言われたら、乱れたから解いたのだと言って誤魔化そう。


 戻ってきた春凛と華凛は、乱れたシュカの髪の毛を見て急いで結い直す。

 自分たちが仕事を怠り、シュカの側を離れたことを玉麗に知られてしまうことを恐れてだ。


 ゆえに、玉麗が戻ってくる頃にはすべてが元通り。

 恙なく、農民のシュカから瓊妃に戻れたのだ。


 こうやって、鬱屈とした毎日から脱したシュカは、小さな畑と共に生きがいを手に入れた。

 それは、心の支えと言ってもいい。


 土を耕し柔らかくし、小さな種を植えて水を与え。

 翁に分けてもらった肥料を与えて、そして毎日水を恵む。

 目が出て茎が伸び、葉が生えて。


 日々の育みは、シュカの喜びも育む。

 広い宮廷の中にできた、シュカだけの小さな国はひと冬を越えて、実を成した。


 秘密の畑を手に入れて二年目の春。


 暇を見ては畑に行き、少ない時間の中ででき得る限り手を尽くす。

 そして後ろ髪を引かれる思いをしながら部屋に帰り、侍女たちに土いじりをしていることがバレないようにと取り繕う日々を送っていた。


 見つかってしまうかもという恐れはあったものの、それ以上の興奮がシュカを虜にしていた。

 きっと、取り上げられてしまったら、絶望して舌を噛み切って死んでしまうかもしれないと思えるほどに、秘密の畑づくりに没頭している。


 だが、シュカも一応龍妃の端くれだ。

 龍帝のお渡りがなくとも、その地位に見合った予定が組まれていることもあった。



 行儀作法や、言葉遣い、それにお茶や刺繍を嗜まれるとよろしいでしょうという玉麗の提案によってそれらも教えられることになった。

 主に玉麗が先生となってシュカに教えるのだが、覚えが悪いためか彼女はよく目を吊り上げて苛立っていた。

 興味がないものを学べと言われてもなかなか難しいのだと言っても、龍妃としての務めですと撥ねつけられる。


 文字の手習いならばやる気はあると話したが、それは必要ないのだと言う。

 読める必要もないし、書ける必要もないのだと。


 何故かと問うても、玉麗は教えてくれない。


「今の瓊妃様に必要なのは学ではなく、作法です。そしてそれを身につけることにより生ずる嫋やかさであります」


 ごもっともな話だが、そこまではっきりいわなくてもとシュカは不貞腐れた。

 学も必要だと思うのだけれど、と学のないシュカが問い質しても説得力に欠けるのかもしれない。


(文字を書けたら、陛下に陳情書を書けるかもしれないのに)


 もしくは、実家に帰りたいと言う嘆願書だ。


 陳情の内容は、龍の神通力に頼らずとも旱魃に喘ぐことのないように、何かしらの打開策を打つべきではないかというものだ。

 その打開策とは何だと問われれば思い浮かばないので、宮廷にあるであろうたくさんの書物の中から見つけ出してみたかったが、いかんせん文字も読めない。

 そして書けないとくれば、シュカにはどうしようもなかった。

 口で伝えるには肝心の宸柳に会えなければ意味がないのだが。


 それでも、実家に帰りたいという旨の手紙を書けるようになったのは、玉麗に内緒で双子に教えてもらったからだ。

 シュカに出された茶点おやつで買収して、シュカが伝えたい言葉を手本として紙に書いてくれた。

 双子は玉麗ほど真面目ではない。

 彼女に怒られずに楽して仕事ができれば何でもいいようだった。


 最初、玉麗に宸柳に手紙を書いたので渡してくれと差し出したときは、それはそれは大層怒られた。宸柳に対して実家に帰りたいと願い出るなど不敬であると。

 そして、自分に隠れて文字を書くなんてとんでもないと。

 もちろん、手本を作った双子も同じように怒られていた。


 だが、これしか書けないと分かると、仕方ないと言って怒りを治めた。

 もうこれ以上、文字を教えないように双子に念を押し、見本も取り上げられた。


 玉麗に渡すまで相当練習をしたので、見本がなくとも自分で書いたものがあったのでそれを見て今はひたすらに「実家に帰りたい」という文字を書いている。


 あまりにもしつこく手紙を渡すので、とうとう玉麗は怒るのを止めて、受け取っては没収して「渡せない」と突っぱねるだけにしたようだ。


 それでも諦めないシュカとの、根競べのようになっていた。


 その他に、行儀作法や言葉遣いの練習、お茶や刺繍、そして宸柳への手紙と、内緒の畑づくりと。

 その繰り返しの毎日ではあるが、ときおり日常を打ち破る人が訪れてくる。




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