2.贖罪
「なんだ、今日はもう終わってしまったのか」
ようやく畝を作り終えて、形が整った小さな畑を達成感に満ちた気持ちで見ていると、生垣を掻き分けて宸柳がやってきた。
一仕事を終えたような顔をしていたシュカを見て、残念そうな声で言ってくる。
「今日は手伝いもいたので、随分とはかどりました」
「手伝い?」
宸柳は首を傾げながら辺りを見渡した。自分以外に誰が? と不思議だったのだろう。
すると、畑の端で身体を寄せ合いながら震える双子を認めて、あぁと合点がいったように頷いた。
「あの双子か? 畑を潰したっていうのは」
「えぇ、そうです」
宸柳がシュカにそう聞くと、双子から悲鳴が上がった。
自分たちの悪さが龍帝にまで知れ渡っていたことに驚き、さらにお咎めがあるのではと覚えているようだ。
「しかし、晧劾から聞いてはいたが、本当にあの双子を残したままでよかったのか? 俺は一掃した方がいいと言ったのだが……」
「えぇ。あの双子は小賢しいところがありますが、所詮はそれだけの人間です。根はいいとは言えませんが、日和見な性格なだけで上手く扱えば害はないかと」
「それで、上手く扱って農作業を手伝わせているのか」
「まぁ、罰の一環ですね」
玉麗は、本当に心からシュカを傷つけようとしていた。
自分の思い通りにならないから、自尊心を踏みつけて思い知らせればきっと従順になるだろうと考えたのだろう。
だから、彼女には目の前から消えてほしいとは思っていたが、双子に関してはそこまでの激しい感情はない。
彼女たちのおかげで内緒で畑に来られたし、餌さえ与えれば基本的に扱いは楽なのだ。
「彌月の方はどうだ?」
「よくしてもらっています」
シュカが嘘偽りなく言うと、宸柳はホッとしたような顔をした。
「そうか。それは何よりだ」
彌月を侍女として後宮に入れるとき、宸柳が相当尽力したのだと彼女は話してくれた。しかも、わざわざ頭を下げにも行ったらしい。
ずっと離宮で暮らしていたために晧劾以外には璜呂宮に味方がいない宸柳は、彼の姉に頼らざるを得なかった。
知らぬ仲ではないし、何より信用が置ける。
そして、気に入った人間にはとことん気がいいという彌月の性格を知ってのことだ。
『私、瓊妃様をもし気に入らなければ即刻侍女を辞めさせていただきますと陛下に申し上げたのですが……どうやら当分はこちらにお世話になることになりそうですね』
そして、彌月はシュカを気に入り、侍女としていてくれることとなった。
と、ここまではすべて彌月から聞いた話だ。
はじめ聞いたとき、宸柳がそこまで骨を折ってくれているとは思わずに随分と驚いたものだ。
できれば、後宮の中でシュカの味方をつくってやりたい。
権力云々は置いておいて、ただ彼女の味方になってくれる人が必要だ。
宸柳は彌月にそう言い募り、どうにかこうにか後宮に連れてきたそうだ。
ただ連れてきただけでは後宮には入れない。
秀英の許可がなければ無理だろうに、それでも彌月が側にいるということはそこも宸柳がどうにかしてくれたのだろう。
「他に困っていることはないか? 何かしてほしいことは?」
会うたびに真面目な顔をしてシュカが不便を強いられていないかを確認するのは、今まで放っておいた罪滅ぼしなのだろう。
ようやく自由に会えるようになった今、どうにかこうにか挽回しようとしてくれているのかもしれない。
たしかに、宸柳に会うまでの一年間は辛かった。
孤独と差別、そして次々と奪われていく尊厳。
利用されていると感じながらも何もできない日々。
このままただ生きるだけの屍になるのかという恐怖は常にあった。
でも、今は。
いろいろと衝撃的な事件はあったものの、以前よりは心穏やかな日を過ごせている。
宸柳を恨むつもりもないし、責めるつもりもない。
彼もまた苦しんでいたことが分かったし、それに今懸命に償おうとしてくれている。
過剰なほどに。
「何かあれば彌月に言え。晧劾を通じて俺に話が来るようにしてある」
「はい」
「まぁ、房間に行ったときに俺に直接言ってくれてもいいが」
「でも、陛下が私の房間にお渡りになっているおかげで、以前のように意地悪されたり、学ぶ機会を奪われたりなどはありませんよ?」
「それは重畳」
だが、それでは足りないらしい。
ソワソワとまだ何かを言いたいような顔をしてこちらを見遣る。
心配で心配で仕方がないとでも言うように。
「大丈夫ですよ。そんな顔をしないでください」
「いや、その……すまない。過剰に反応しすぎているのかもしれないな」
シュカの指摘でようやく自分がどんな顔をしているのか自覚したのか、宸柳は口元を隠すように手を当ててそっぽを向いた。
「……そろそろ、中秋節だが」
「はい」
少し気まずく思ったのか、宸柳は話を変えてきた。
不意打ちに中秋節の話を出されて、シュカは戸惑いながら頷く。
「一緒に、月を見るのはどうだろう」
「私と、ですか?」
「あぁ。もちろん、鈺瑤も一緒になってしまうが、お前も一緒にと思って」
「以前、秀英様に遠慮するように言い渡されていますけれど……」
「それは問題ない。あ奴の言い訳は信用ならないと証明されているからな」
たしかに、秀英が宸柳に言っていたシュカは作法がなっていなくて御前に出せる状況ではないという戯言は嘘だと分かってしまっている。
だからそれに耳を傾ける理由はなく、宸柳も突っぱねられる理由を得たのだ。
シュカが、一緒に中秋節を祝っても秀英はもう文句は言わない。
だが、中秋節は家族で過ごす日だ。
ムラでも家族がいなかったシュカは、その日はいつも一人で過ごしていた。
だから、突然一緒に過ごすかと言われても、素直にそれに頷けなかった。
それに、以前、龍聆から「一緒に過ごさないか」と誘われていた。
彼の誘いに乗るつもりはないが、それでも答えを曖昧にしたまま逃げだしたのを思い出す。
「あの……実は、龍聆様に誘われておりまして」
「龍聆に?」
宸柳が眉を顰める。
気色ばんで顔を近づけてきた。
「それで、一緒に過ごすと返事をしたのか?」
声色が低くて硬い。
少し怒っているようにも見えた。
何故そんな顔をするのかと驚いたシュカは、一歩退いて首を横に振った。
「い、いいえ。月を眺めるのは好きではないと言って」
「言って?」
「……逃げました」
「逃げた?」
「はい」
今度は首を何度も立てに振ると、宸柳の眉間に刻まれた皺が薄くなった。
「ということは、お前は龍聆と過ごすつもりはないと?」
「はい」
宸柳の兄とはいえ、龍聆は苦手だ。できれば二人きりで会うのは避けたいし、勉強を習う以外には会いたいとは思えない人だ。
返事は曖昧にしてしまっていたが、行きたくないという気持ちは本物だとはっきり言える。
それがしっかりと伝わったのか、宸柳はようやく表情を和らげた。
「月を眺めるのは好きではないというのは本当か?」
「はい。私、家族がいないので、中秋節を一緒に過ごす人もいませんでしたし。特に月を眺める意味も見いだせないと言うか……」
本当は侘しさを感じて辛くなるからだと分かっている。
月を眺めるのを好きではないなんて、建前でしかない。
「一緒に見ることはできないだろうか。……いや、お前が嫌ならば無理強いはしないのだが」
だが、それでも宸柳はシュカと一緒にいたいと言ってくれているように聞こえる。
これもまた、贖罪のつもりだろうか。
鈺瑤ばかり優遇していた不公平を、どうにか解消しようとしてくれているのかもと、心当たりをつけた。
「嫌、ではないです……」
もう罪悪感を持たなくてもいいのに。
シュカは苦笑する。
「そうですね。それでは、ご一緒させていただこうと思います」
「よかった」
宸柳は嬉しそうに笑っていた。
「龍聆様にお断りを正式に申し入れておきます」
「いや、俺の方から伝える」
「でも、誘われたのは私ですから」
そんなことまでしてもらうのは申し訳ない。
シュカは自分で断りを入れると首を横に振ろうといたが、その前に目の前に巾着を差し出された。
条件反射でシュカも手を差し出す。
おそらく、いつもの茶点だ。
手の上に巾着がポンと置かれた。
「龍聆にお前のことは俺が伝える。いいな?」
凄みを持たせた顔で迫ってくる宸柳の勢いに、シュカは思わず頷いた。
有無を言わさぬ圧を感じる。
「……お、お任せします」
シュカがそう言うと、宸柳は満足そうに頷いた。