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2.おまけの龍妃



 ――という会話をしたのが今から約一年前。


 辰耀に着いて、国中から集められた龍妃候補が璜呂宮に詰める中、龍による選定が行われた。

 

 選定といっても、ただ天にも届きそうな背の高い厳かな扉の向こうに行き、龍に会うだけで終わるものだった。


 シュカも選定が始まって三日ほど待ってようやく扉の向こうへと行くことができた。

 宮廷の中の一室であるはずのそこは、何故か蒼穹の広がる外へと続いており、シュカは崖の上のようなところに立っていた。

 建物も地平線も見えない明らかに異質なその空間に、浮かぶ大きな龍。


 瑠璃色の鱗に、乳白色の鬣、金色の瞳。

 口から覗く鋭い牙が、獰猛な獣を連想させるが、その大きな体躯をこちらに近づける様子は微塵もない。

 龍がどのような姿をしているかは、本や辰耀にあった像などで知ってはいたが、いざ実物を目の前にすると驚きしか生まれない。圧巻されるとでもいうのだろうか。


 まさに神と言わざるを得ない龍に、シュカは身体を強張らせた。


 今から何をどうされるのかと緊張して心臓が早鐘を打ったが、龍はただ静かに目を閉じただけだった。


 だが、その瞬間、シュカの身体がカッと熱くなって目の前が暗転する。

 そして次に目を覚ましたときには、後宮の一室にいたのだ。


「おめでとございます。龍妃様」


 後宮を取り仕切る宦官と侍女たちが恭しく頭を下げて、シュカに言祝ぎを贈っていた。

 状況が一切呑み込めなかったが、『龍妃様』と呼ばれるたびに徐々に理解ができたのだ。


 ――自分は龍妃に選ばれた。


 まさかの事態である。


 田舎の村娘が龍妃に選ばれるなど、きっと送り出したソウケイも思わなかっただろうし、シュカもまたあり得ないと思っていた。

 

 だが、皆がシュカを前に傅く。

 膝をつき、頭を垂れ、シュカを『龍妃様』と呼ぶのだ。


 あれよあれよとシュカの身ぐるみを剥ぎ、沐浴をさせられ、華美で見るからに高価な服に召しかえられた。

 爪の間に入っていた泥ですらもすべて取られ、隅から隅まで綺麗になり、まるで自分ではないような姿になった。頭に飾りをつけたことなど初めてだ。


「龍帝陛下がお待ちです」


 別人のようになったシュカを迎えに来た宦官がそうにこやかに言う。

 さっそく陛下と謁見? と不安を抱きながらシュカは後に続いていった。


 いろいろ聞きたいことがあったが、皆が忙しなく動いている上に、どこかしら顔が怖いのだ。

 慇懃ではあるのだが、硬いと言うか口調が冷たい。

 その理由を知るのはのちのちのことだが、シュカの立場を苦しくしていったのもまたそこに理由があった。


 謁見の間に連れていかれると、璜呂宮に勤める家臣たちがずらりと並ぶ真ん中にもう一人美しい女性が立っていた。

 もしかしてこの人も龍妃に選ばれたのだろうかと、シュカは親近感を持ちながら隣に並ぶ。


 嫋やかに微笑む彼女は、藩鈺瑤はんぎょくようと名乗った。

 国随一の大貴族である藩氏の娘なのだという。


 藩氏の名前はシュカでも知っていた。

 龍華葵国建国期からの歴史ある名家で、私財はさることながら分家も多く、そのいずれもが地方の政治の中枢で重役を担っている。

 名君と呼ばれる皇帝の側には、いつも藩氏の存在がと言われるほどだ。


 そんな家の娘がシュカと同じ龍妃だなんて。

 なんだが、上等な絹を纏っていても、鈺瑤の前では襤褸を纏っているような気分になる。

 白磁のように透き通り、荒れることなど知らないような綺麗な肌。

 きっと毎日食べられているのだろう。肉付きも良く、艶やかさが醸し出ている。


 それに比べて自分は、肌が日焼けで浅黒くなり、農作業で荒れてしまっている。

 見るからに栄養が足りずに骨ばって、まるで木の棒のような腕や指。


 恥ずかしくなって、袖の中に手を隠した。


 気品というものは纏うものではなく、内から出るものだと初めて知った。


 そんな戸惑いを持ったまま、御簾の向こうに龍帝・宸柳が現れる。

 小難しい言葉で挨拶をしていたが、シュカには何を話しているかまったく分からなかった。


 それよりも、御簾の向こうにいる宸柳がどのような顔をしているか知りたくて、懸命に目を凝らしていた。

 高座にふんぞり返って国を見下ろす人がどんな顔をしているか、一度拝んでみたかったのだ。


 だが、結局宸柳の顔を見ることができたのは、婚儀の最中だけだった。

 シュカと鈺瑤と宸柳、その三人であの龍に会った部屋に再び入り、婚儀を執り行ったのだ。


 部屋には三人しか入れず、何とも寂しい婚儀ではあったが、心細さを感じていたのはどうやらシュカだけだった。

 宸柳と鈺瑤は既知の仲のようで、二人で並んで話をしている。


 シュカはそんな二人の間に割って入ることもできず、かと言ってあちらも遠慮しているのか話しかけてくる素振りも見せない。

 加えて、部屋の入る間に宦官に耳打ちされたのだ。


『端にいて、お二人の邪魔にならぬよう』


 そう言われてしまえば、シュカも積極的に二人に近づくことはできなかった。


 龍が現れて宸柳が何かを言い、そして鈺瑤と二人で龍に祈りを捧げる。

 後ろから見ているだけだったが、二人で並ぶとまるで本の中の一幕を見ているようだった。

 龍が二人の婚姻を認め、シュカはその見届け人。

 何とも叙事詩的だ。


 呆けて見ていたシュカに、宸柳が振り返り声をかける。

 そのとき、ようやく彼の顔を認めたのだ。


 シュカも宸柳の隣に並び、同じような儀式をする。

 すると、宸柳に銀色の光が集まり、彼の胸に吸い込まれていく。

 鎖骨の下、胸の中央辺りに瑠璃色の玉が埋め込まれており、そこから神通力が出てくるようになっているようだ。


 こうして、宸柳は今初めて龍帝となった。


 なるほど、国中から人を集めて、龍妃選定が終わるや否や急いで婚儀を執り行ったのは、龍帝と龍妃がそろって初めて神通力を授かれるようになるからかと、シュカは一人合点がいったように頷いた。


 龍妃がいて初めて神通力を使えるようになるという噂の意味が分かったような気がした。


 その後、シュカは『瓊妃けいひ』という位号を与えられて、名前も瑩婕えいしょうと改められた。

 名前に文字を持たない平民の『シュカ』では龍妃としては相応しくないからだそうだ。


 侍女たちは『瓊妃様』と呼ぶ。

 ただのシュカだったはずなのに、呼び名が二つも増えて混乱して最初は大変だった。

 今では慣れたものだが。


 ちなみに、鈺瑤の位号は『珠玉龍妃』。

 龍帝の寵愛を受けている龍妃に与えられるのだと聞いた。

 最初からその位を与えられるのは大変珍しいことなのだそうが、それほどまでにあの二人が仲睦まじいということなのだろう。

 もしかすると、元々相思相愛だったのかも? と、侍女たちの話を聞きながら考えた。


 同じく龍に選ばれた妃とはいえ、あの二人にとってシュカは邪魔者でしかないだろう。

 結婚したからには、宸柳はシュカのもとにも通わなければならない。

 たとえ義務だと割り切っていても、心の内は穏やかではない。

 それはシュカとて同じだ。

 邪魔になるくらいならば、いっそのこと村に帰してくれと願う。


 だが、それはシュカの杞憂に終わる。

 邪魔者どころか、宸柳はこの一年間、シュカの住まう銀鬣宮ぎんりょうきゅうに足を向けなかったのだ。

 初夜もなく、一度たりとも足を踏み入れない。


 鈺瑤のもとへは足繁く通っているのだという話を聞くと、多忙だからとかという理由ではなく、単にシュカに興味がないからだろう。

 田舎娘はお好みではないらしい。

 シュカも通われてもどうしていいか分からないので助かったが。


 だが、それを面白く思わないのが、シュカの侍女たちだ。


 自分が仕えている主が、まったく役目を果たせず、必要とされていないのは見ていて面白くないのだろう。

 加えて、鈺瑤の侍女たちにも馬鹿にされているようだ。


 瓊妃は田舎の卑しい娘だから、陛下が興味を示されないのだ。

 鈺瑤様だけが陛下の寵愛を一身に受けている。

 さすがは藩家のご令嬢。

 

 嘲りながらそう言われた侍女たちは、悔しさを隠すことなく歯噛みしていた。


「私だって、仕えるなら鈺瑤様がよかったわぁ。何が悲しくてこんなおまけみたいに選ばれた龍妃に侍らなきゃいけないのよぉ」


 そう声を潜めて言ったのは、春凛だったかそれとも華凛だったか。


 耳のいいシュカはその言葉を聞きながら、自分の立ち位置を理解した。


 自分は陛下が足を向けようとすら思わないほどのおまけの姫であり、不測の事態に備えての予備の龍妃であるのだと。

 だから、その不測の事態が起こらない限り、自分の出番はない。

 後宮で飼い殺しにされる運命だ。


 それに気付いて最初に感じたのは絶望だった。

 だが、すぐに怒りに取って代わる。




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