27.龍帝のお仕事
「藩家の狙いは、鈺瑤が唯一の龍妃になることだ。独占化して、藩家の権力をより盤石なものにすることを目指して、お前を無力化しようとしていた。だから、必要以上に抑圧し、俺とも会わせないようにしていた。そこまでは分かるな?」
今まで聞いていた話を統合して、ある程度は察していたのでそこまでは分かっていたのでシュカは頷く。
だが、さらにもっと深い理由があるのだと宸柳は言う。
「龍妃は龍帝に聖力を注ぐことが役目だ。それは安定的に、そして永続的にでなければならない。どちらかが死ぬまでその関係は続く。もちろん、俺も鈺瑤に毎日のように聖力を貰っていた。――だが、ひとつだけ問題があった」
ふぅ……と悩ましい吐息を吐いた宸柳は、眉根を寄せて腕を組んだ。
「鈺瑤では聖力が十分に注げないんだ」
「どういうことですか?」
十分に、ということは、ある程度量が必要なのだろうか。
シュカは首を傾げる。
すると、宸柳はおもむろに掛衣を脱ぎ、中に着ていた汗衫(肌着)の袂を大きく割り開く。
何を! とシュカは自分の目を手で覆うが、彼は見てくれと言ってきた。
はしたないと思いつつも、言われるがままにそろりと目を開けると、あるものが目に入った。
それに目を奪われるように瞬いたシュカは、いつの間にか手を下ろす。
「……それは」
「龍玉だ。これが神通力の源になっている」
鎖骨の下、心の臓の上の辺りに瑠璃色に輝く玉。李大のそれは、宸柳の肉体に埋め込まれていた。
婚礼の儀で龍が彼に与えたものだと覚えている
そして、それだけではない。
龍玉を中心に、両肩にむけて銀色の鱗の模様が刻まれていた。それが肩口にまで広がっている。
入れ墨かと思ったが、それにしては煌いている。人の手によってつくられたものとはおよそ思えないそれに、シュカは魅入られた。
「綺麗……」
「これは龍麟という。龍妃の聖力で満たされると龍玉から紋様が広がり、指先までに達する。つまりは、今俺の中にどれほど聖力が残っているのかを示してくれるものだ」
「それは何とも便利な」
いつの間にか空っぽになっていたということがないので、親切なものだ。なるほど、これを見て、龍帝は龍妃から聖力を補充するということか。
シュカはじっくりと宸柳の身体を見て、ようやく分かり始めた龍帝と龍妃の関係について頭の中を整理する。
饕餮が以前ざっくりと話をしてくれたが、実物を見てさらに実感できた。本当に龍妃は龍帝に力を与える存在なのだと。
「でも、毎日珠玉龍妃様のもとに通っていると聞きました。聖力というものは、一日持たないのでしょうか」
「いいや、そんなことはない。一度、龍麟が指先まで埋まれば、十日は持つと言われている」
けれども、宸柳の身体を見るに龍麟は肩口のところまでしかない。こうやっている今も、端の方の色が徐々に薄くなって、鱗が一つなくなってしまった。
これはどういうことかと戸惑うように彼を見ると、宸柳ははだけた衣を直すながら教えてくれた。
「これが、藩家側が懸念していることだ。鈺瑤の聖力は弱く、聖綬を行っても龍麟を両腕いっぱいまで満たすことができない。いつ、聖力切れを起こしてもおかしくない状況だ」
「龍妃によって、力の差があるのですか?」
「通説では、龍華紋が首に近ければ近いほど、聖力が強いと言われている」
首、と言われて、シュカは思わず自分のうなじに手を伸ばした。
近いというか、首そのものに紋様が刻まれている。
もしかして、自分は鈺瑤よりも聖力が強い?
シュカは無意識に息を呑んでいた。
「お前の龍華紋はどこにある?」
「……う、うなじです」
「そんなところにあったのか。何故俺は今までそれに気付けなかったのか……」
「布で隠していましたから……」
翁に指摘されてから、毎度見えないようにしっかりと布を巻いて隠していた。特に宸柳の前ではバレないようにと念を入れていたので、気付かないのも当然だろう。
けれども、彼は気付けなかったことを情けないと思っているようだ。
少し申し訳ないと思いながら、龍華紋を所作なさげに擦った。
「だが、それで合点がいった。何故秀英が頑なにお前に会わせようとしなかったか。うなじにあるということは、相当な聖力の持ち主だ。おそらく、指先まで満たすことができるだろう」
「そうなれば、珠玉龍妃様の存在意義が薄れてしまう?」
「あぁ、そうだ。それをずっと恐れてお前を隠していたのだ。俺がお前を重宝すれば、後宮内の覇権の均衡が崩れてしまう。一気にお前に傾くだろう」
後宮とはそういうところなのだと、宸柳は言う。
盤石に見えるものも、ちょっとしたことで脆く崩れる。特に龍帝の寵を得ることが大事で、子ができようものなら――それが男児であれば決定的になるのだ。
つまり、いかに宸柳の寵を独り占めできるかが鍵だ。
そして、龍妃には聖力を受け渡す聖綬が重要になってくる。
おそらく、藩家側は相当焦ったのだろう。
鈺瑤の聖力は弱く、シュカの龍華紋はうなじにある。どう考えても、シュカの方が聖力が強いということが分かる。
だから、何かと理由をつけて宸柳とシュカを引き合わせず、その間に鈺瑤が彼の寵を得る腹づもりだったのだろう。だが、宸柳は龍聆と鈺瑤との関係の手前それを遠慮して、さらにシュカに会おうとしている。
秀英は何としてでもそれを阻止したかったに違いない。
だが、昨夜、二人は会ってしまった。
「だから、昨日秀英様にあんなことを言ったのですね。聖綬の儀は済ませたと。本当はそんなことしていないのに」
「そう言っておけば、あやつももう俺とシュカを会わせないということができなくなるだろう? 今まで、『瓊妃は教養もなく、龍妃としての素質も乏しい』という建前を使って阻止していたのだから。だが、俺自身が十分にシュカに素質がある、さらに鈺瑤よりもあると確かめたとあれば、もう拒む理由はなくなる」
だから、秀英はいかにも不本意という顔をしながらも、宸柳が会いに来ることを許したのだ。もっともらしい理由が見つからなかったのだろう。
そうだ、秀英と言えば。
シュカは以前宸柳と交わした会話を思い出す。
「ついでにお聞きしても」
「ああ」
「以前、私に後宮を好き勝手にされているのは秀英様のせいだとおっしゃっていましたよね?」
「……あぁ、そうだ」
「その理由は、今の私になら言えますか? 瓊妃である私になら」
下女であるシュカには話せないと言っていた。
ならば、瓊妃には話せるはずだ。
後宮のことは他人事ではない。
関係ないとは今度こそ言えないだろう。
そう睨んで聞くと、宸柳は大きく縦に頷いた。
「――実は、俺の母が藩家にいる。お世話をするという名目で、俺が留守の間に連れていかれていかれたようだ。いわば、人質のようなものだな」
「……人質」
シュカは物騒な言葉に呆然として呟いた。
「監禁されているわけではない。健康に被害を及ぼすような扱いを受けているわけでもないし、ひと月に一度は顔を見せてもらっている。だが、藩家の中にいて連れ出せない状況だ」
つまりそれは、宸柳が藩家の意向に従っている間は、母を丁寧に扱うということなのだと暗に示しているのだという。
逆に背けば、どうなるか分からない。
そして、その監視役として秀英が後宮に置かれ、鈺瑤の権威が損なわれないように見張られているのだという。
鈺瑤のみを寵愛し、子を成し、藩家の力を絶対的なものにするために。
だから、シュカにも会いに行けなかった。
もしも無理矢理宸柳の希望を押し通したら、母の身は間違いなく危うくなる。
「それは軍隊とか出してどうにかできないのですか? 龍帝でしょう?」
話を聞いているだけでもどかしさが募る。
何故、そこまで藩家に怯えなければならないのか。
シュカには理解できなかった。
「軍政を担うのは枢密院だ。そこの長官が藩家の者で、たとえ俺が命令を出したとしても彼が頷かなければ軍を動かすことができない」
「軍を藩家が握っていると?」
「軍だけではない。財政を担う三司も詔勅の立案を担う中書省も皆、藩家の息がかかっている。それだけ、藩家は政治の中枢に棲み付いている」
それは、龍が現れなくなった百年の間に着々と藩家が侵略していった結果らしい。
龍聆が皇帝で鈺瑤が正妃。
二人の間に子どもが生まれれば。鈺瑤は国母となり、藩家当主は外戚となる。
今代も盤石な権力となるはずだった。
だが、龍が突如として現れて、龍帝に宸柳を選んだ。
庶民出の側妃の子どもで、早々に後宮を出た、龍の字を貰えなかった皇子。
歯牙にもかけていなかった人間が皇位に就くことになり、藩家はさぞかし焦ったことだろう。
だから、手っ取り早く母を人質にして宸柳の操縦を図ったのだ。
加えてもうひとつ、致命的な理由があった。
「龍から神通力を奪われてから、龍帝の信用は落ちた。いつ龍の怒りを買い、神通力を奪われるか分からない不確定要素の多い龍帝。しかもようやく現れた龍帝は、政治を何ひとつ知らない若造だ。龍帝など、肩書だけに過ぎない」
それよりも目に見えて権力の地盤がある藩家が幅を利かせるのは、当然のことだった。
実績も信頼も篤い。
「では、陛下が自分の思うような国をつくるためには、お母様を取り戻して、藩家のしがらみを取り払わなければならない?」
「そうだ」
「それは大変ですね……」
後宮ひとつ見ても藩家に盾突くことがどれほど大変か分かる。
それを、彼はたった一人で成そうとしているのだ。
「では、今日こそ、その聖綬の儀とやらを済ませないといけませんね」
秀英に言ったことを本当にして、藩家への牽制の材料を作らなければならない。
「あぁ、協力してくれるか?」
シュカもこの一年そうだったが、宸柳もまた自分の居場所を作ろうと必死にもがいていたのだろう。
藩家の専横に苦しめられていた者同士、協力しない手はない。
もしも、本当にシュカの聖力で宸柳の龍麟を満たすことができたら、シュカの付加価値は今より段違いに上る。侍女よりも下に見られていた田舎者が、重宝される存在となれるのだ。
そうしたら、今よりも自由になれるかもしれない。
畑だった潰されないし、好き勝手に文字を学ぶことだってできるようになるかも。
龍妃としての存在意義を示せたら。
期待は俄然高まった。
「それで、聖綬の儀とは具体的にどのようにするんですか?」
「俺が龍華紋に触れるだけでいい」
シュカは身体を回転させて、宸柳に背中を向ける。
身体を包んでいたかけ布団を肩から擦り落として、髪の毛を身体の前の方に除けるとうなじを露わにした。
異性に首筋を見せることに抵抗感はあるものの、恥ずかしさをギュッと我慢する。
宸柳が近づく気配がして、背中いっぱいに彼を感じた。
ドキドキと胸が高まり、緊張で身体が固まる。
「触るぞ」
そう前置きをした宸柳は、そっと指先をうなじに触れてきた。