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22.逃げよう




「あ! 玉麗様! こんなもの見つけましたよぉ! 下女のあわせズボン

「この銀色の帯は、ここの下女からもらったという動かぬ証拠です!」


 二人は、シュカの後ろに控えていた玉麗に向かって、口々に家探しの成果を報告し始めた。

 玉麗は「そう」とほくそ笑みながら、差し出された下女の服を手に取る。


「やっぱりありましたね、玉麗様」

「玉麗様のおっしゃる通りでした!」


 双子は玉麗に猫撫で声でおべっかを使っていた。

 

 その様子を見て、シュカは慄く。

 まさか、先日の仕返しにわざわざ双子に家探しを命じたというのか、玉麗は。

 シュカを責めるための理由を探すために、ここまでするとは。


 その執念深さに、心の臓が冷えるような心地がした。

 まず先に感じたのは、恐怖だった。


「最近、どうも口が過ぎると思ったら、まったく……私の目を盗んでコソコソと」

「……これはどういうこと、玉麗」


 震える唇でどうにか彼女を問いただす言葉を吐き出した。

 けれども、玉麗はその美しい顔を優越感に歪ませながら、醜く笑うのだ。


「二人に聞きました。どうやら、私がいない時間帯に一人になっているようですね。しかも、口止め料に茶点を二人に渡して。何て小賢しい」


 そう明かされて、サッと双子の方を見ると、彼女たちは悪びれた様子もなくそっぽを向いて笑っていた。

 あぁ、そうか。おそらくシュカの態度に業を煮やした玉麗が双子に問い詰めたのだ、何か攻撃できる材料はないかと。

 そして、双子は口を割ってしまった。自分たちも職務怠慢と怒られる恐れはあったものの、それ以上にシュカの秘密を差し出した方が遥かに玉麗の怒りを治められると考えたのだろう。


 そして、今は完全に玉麗の手下となってシュカを追い詰めようとしている。


 もともと、味方とは言い難かったが、逆を言えば敵にもなり得なかった。長い物には巻かれる主義であるのを利用したが、今回は玉麗の方についたようだ。


 焦燥感と不安で、鼓動が早鐘を打っている。

 今すぐにでも服を取り返したいが、焦るなと自分に言い聞かせた。


 下女の服だけならば、いくらでも用意できる。また物々交換すれば手に入るものなのだから、無理矢理取り返す必要はどこにもない。


 それに、畑さえ見つかっていなければ、どうとでもなる。

 シュカは状況を冷静に見極めようとしていた。


「そうそう。おかげで泥だらけになってしまったわぁ」

「早く着替えないと、瓊妃様のように土臭くなってしまいます」


 ところが、双子の言葉にひゅっと息が止まった。

 瞠目し、勝ち誇った顔の彼女らを見つめる。


 恐る恐る双子の足元に目を下ろした。

 すると、彼女たちのくつの土がついていることに気が付いた。裳の裾にもところどころ汚れている。

 シュカは青褪めて、腰から崩れ落ちそうになった。


「何度も言ったでしょう? ――土いじりなどおやめなさいと」


 紅を引いた玉麗の唇がにぃ……と吊り上がった。


「瓊妃様が一人になっている時間、何をしているかと春凛にあとをつけさせました。なんと、庭園に密かに畑を作っているというではないですか。そこで土いじりをしていたとか」


 いつの間につけられていたのだろう。

 十分気をつけていたというのに、どこかで気が緩んでいたのだろうか。

 宸柳に文字を教えてもらえるかもしれないと浮足立っていた?

 それとも、玉麗をやり込めたことで慢心していたのか。


「……何を、したの」


 あれが見つかったのであれば、彼女たちがどうするかなど容易に想像できる。

 双子の沓についた土。

 玉麗たちの意地の悪い笑み。

 

 悪い想像はいくらでもできた。


「それはもちろん……、えっ? け、瓊妃様!」


 玉麗の言葉も聞かずに房間を飛び出した。

 彼女の口から聞くより自分の目で見た方が早い。

 遠くで制止の声が聞こえるが、構わず廊下を走り抜けて庭園側の塀へと向かっていく。

 もう通り慣れた穴を這いずって抜けて、庭園の中を駆け抜けた。


 うすぎぬは破れ、絹の裳は汚れてしまったがどうでもいい。むしろ、今すぐに脱ぎたいくらいだ。足回りに幾重にも重なった裾が絡みついて、何度もこけそうになった。


 それでもシュカは一縷の希望に縋りついて走る。

 玉麗たちも、そこまで心がない人間ではないだろうと、きっとあるであろう善の心を信じていたかったのだ。


 あそこにあるのは、ただの作物ではない。

 シュカの希望と、そして宸柳との思い出を種子と一緒に植えた。

 今はもう芽が出て、これから葉が伸びて、土の栄養と水を吸収して根を深く深く生やして、そして実になって。

 春になれば大地から引き抜かれたそれは、何よりも美味しく、そして味わい深い。


 宸柳が「美味しい」と言ってくれるその日が再びやってくるのだと思って植えた。


 瓊妃では見ることも話すこともできない夫。

 けれども、下女のシュカであれば会うことも話すことも、一緒に野菜を食べて、文字を教えてもらって、昔話をして、国の未来を話して、――彼がシュカをシュカであると認めてくれて。

 鈺瑤にも秀英にも玉麗にも龍聆にも、誰にも邪魔されない唯一の場所だった。

 宸柳と会えるシュカだけの場所。


 そこを壊されたくない。

 シュカの希望を、未来を、生きる糧を、すべて種に込めて。


 ――いつか芽吹くようにと祈りとともに埋めたのに。


 それなのに。


「…………は……ははは……ははっ」


 現実はいつだってシュカを裏切るのだ。

 残酷なまでに希望を踏みにじる。


 青々としていた新芽はへしゃげ、潰されて、あのみずみずしさがなくなっていた。

 鍬を懸命に振り下ろして土を柔らかくして作った畝も、足跡だらけになって歪に凹んでいる。

 それだけでは足りなかったのか、蹴り上げて畝の土をそこら中に散らした跡も見受けられた。

 人参の芽はあちこちに無惨な姿で地面に落ち、または踏みつぶされ、ひとつとして無事なものはなかった。


 全滅だ。いや、全滅になるまで荒らしたのだろう、あの双子が。

 玉麗の命令を受けて、シュカが龍聆の講義を受けている間に。

 なるほど、これだけ暴れたのだから衣が汚れるわけだ。


 シュカは、悲惨な姿になってしまった畑を見て、笑うしかなかった。

 膝から地面に崩れ落ちて、ただひたすらに人の悪のおぞましさに笑う。

 人間はここまで好き勝手に他人のものを奪うことができる生き物なのだと、改めて思う。いくら大事なものなのだと血反吐を吐きながら叫んだとしても、それがどうしたと言って簡単に踏みにじってしまうのだ。


 シュカは、ただこの小さな畑で野菜を作って、たまに雑草を引っこ抜いて実家を思い出して、そして宸柳に会えればよかったのに。

 それだけでよかったはずなのに。

 この場所を守りたいというたったひとつの願いすら叶わない。

 叶えさせてもらえないのだ。


 ――龍妃というだけで。

 それだけの理由で、理不尽に奪われる。


 咽喉の奥から熱いものがこみ上げてきて、それが大きな雫となりシュカの頬を濡らす。

 自分の中から、涙とともにするすると抜け落ちていくような感覚がした。

 ずっとずっと、最後の一線だと保ち続けていたものが流れていく。


 倫理だとか、自分の立場とか、身の安全とか。

 そんな理性めいたものがぐらぐらと揺れ動く。


 夕陽が山の向こうに沈んでいくように、シュカが持ち続けていた逡巡も奥深くへ沈んでいく。

 幾重にも重なり不揃いながらも集まっていた線が、一気に集まって太く真っ直ぐな線になるかのような感覚。


 シュカは、すぅ……と顔を上げて、金色混じりの黒の瞳を後宮へと向けた。


 そして、再び走った。

 走れば走るたび、自分の心が無になっていくのが分かる。

 代わりに感覚が研ぎ澄まされて、ただ一つの目的しか見えない状態になっていく。


 塀をくぐり銀鬣宮に入ると、迷わず自分の房間に向かっていった。

 開かれたままの扉の前に立つと、中にはさらに家探しをしている双子と、手に宸柳からもらった書の見本を持っている玉麗がいた。


 その見本も見つからないようにと隠していたものだが、見つかってしまったのだろう。玉麗はそれを恐ろしい形相で睨み付けていた。


 シュカが帰ってきたことに気付いた彼女は、冷たい視線をこちらに寄越し、シュカの全身をてっぺんからつま先まで見つめる。

 塀の穴を這いずったり、畑に座り込んでしまったせいで泥だらけだったのだろう。おぞましいものでも見るかのような目をした。


「ようやく帰ってきましたか。いいからそこにお座りください。今日という今日は徹底的に貴女に龍妃とは何たるかを叩き込みます」


 そこ、と玉麗が指したのは床だった。正座して、彼女の説教を聞けと指図するのだ。


「……いつのまにこんなものまで! あぁ、何故貴女はそうなのですか! 私の言うことをまったく聞きやしない!」


 玉麗は書の見本を、忌々しそうに真っ二つに引き裂いた。

 ビリビリという乾いた音が聞こえてきた瞬間、シュカは動き出す。


 両手をぬっと前に差し出して、彼女の両手から見本をひったくるように奪い返した。視界に、玉麗の目を剥いた顔が見える。

 勢いでのけぞる彼女の足を右足で払って、そのまま床に落とした。


「ぎゃっ!」


 尻から落ちた彼女は、まるで蛙のような醜い声を上げながら床に転がる。

 奪い返した見本を大事に折って懐にしまったシュカは、無様に転がる彼女の服の袂を掴んだ。


「な、なにを……! ひ、ひぃ!」


 慈悲は敢えて持たなかった。

 必要とすら思わなかった。

 

 あったのは怒り。

 拳にそれだけを込めて強く握り締める。

 大きく後ろに振りかぶって狙いを定めると、玉麗の「やめて!」という声が聞こえてきた。


 シュカはその声に薄っすらと笑う。

 その懇願は愚かなものだと玉麗も知っていただろう。

 だって、彼女もシュカの懇願を何度も退けた。

 何度も何度も、何度も。

 

 希望を持って生きていこうと思う糧を潰してきたのだ。


 止められるはずがなかった。


 ――シュカの渾身の拳は、見事玉麗の頬に入った。


 ひぃ! と無様な悲鳴を上げて、頬を真っ赤にしながら床を這いずり逃げる玉麗を見下ろし、シュカはまた一歩彼女に近づく。


「……も、もう……やめっ」


 涙でぐちゃぐゃになって、鼻血が出て、唇に引かれた紅がよれてとても醜い。

 こちらに向かって弱々しく懇願する様は、いっそ爽快で、気持ちよかった。


 けれども、気持ちは凪いだまま。

 スッと次の標的に狙いを定める。


 逃げようとしていた春凛・華凛の二人の後ろ襟を引っ張り、こちらにもまた拳をお見舞いした。

 

 女三人がヒンヒン泣く声を聞きながら、シュカは虚しさを覚える。

 畑の仇は取ったが、もう元には戻れない。


 こんなことをしでかしたシュカを、秀英はただでは済まさないだろう。

 乱心したとどこかに閉じ込めるか、それとも折檻を受けるか。


 どちらにせよ、いいことは待っていないだろう。


 なら、どうせなら。


 シュカは頭に挿していた簪を取る。

 よろよろと足を踏み出し、房間を出た。


 ボロボロになったうすぎぬを剥ぎ取り、首につけられた飾りも取る。

 それらを歩きながら順に床に落としていき、シュカはまるで幽鬼のようにふらつきながら進む。


(逃げよう)


 どうせ罰を受けるのであれば、やりたいことをすべてやってから受けよう。もうどうなったっていいと破れかぶれになったシュカは、そう心に決めて後宮の外を目指す。


 殺すなら殺せ。

 嬲るなら嬲れ。


 このままここにいても、生きながら死んでいるようなものだ。

 畑をなくしたシュカに何が残る。

 もう二度とあそこに行けずに、ただ無為に生きる生活に戻るのであれば、最後まで足掻き続けたい。


 一度でいい、外へ。

 故郷のムラへ。

 

 最後の望みに賭けるように、シュカは塀の穴を抜けて庭園へと出た。


 いつの間にか日は沈み、代わりに青白い月が空に浮かんでいる。

 満月になり切らない歪なそれは、目に焼き付くほどに綺麗だった。




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