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21.玉麗との確執





「今年の中秋節も、陛下とのお目見えは遠慮されるようにと秀英様からの言伝です。いまだ瓊妃様の所作振る舞いには不安が残るとのこと。御前を許されるように、ますます精進なさいませとのことです」


 玉麗が恭しく一揖しながらシュカに言ってきた。

 昨年も同じようなことを言って、一切節句の行事に参加させなかった。これからもそうだろう。おそらく、いつまでも秀英の及第点などもらえないのだ。


 今まではそれに落胆していた。

 シュカなりに頑張っているのに何故それが報われないのか、と。


 だが、今は素直に「分かりました」と返事をすることができる。


 宸柳が決して、シュカの無作法を理由に御前を許さないということはないと知っているからだ。この人たちが勝手に理由をつくって彼に会わせないようにしているだけ。


 おそらく、宸柳と鈺瑤だけで過ごさせたいのだろう。

 中秋節は、家族団らんで過ごす日。

 シュカは家族がいなかったのでムラでも一人だったが、ムラ中の人間が家族で月を愛でていた。


 ここでも、シュカは爪弾き者になっただけのこと。輪の中に入れないと言われた、それだけのことだ。

 まぁ、シュカの正体が宸柳にバレる日が延びたことはありがたいが。


 あの二人は丸い月を見上げながらどんな話をするのだろうか。

 想像したら、何故か胸がキュッと締め付けられた。


 考えるのは馬鹿らしくなって、シュカはお茶を口に運ぶ。今日のお茶は橘皮の香りがして、スゥっと鼻腔が爽やかになって、胸のつっかえも和らいだような気がした。


「……いつまでこんなことをしなければならないのかしらね」


 ぼやくように零す。

 正直、後宮の権力を鈺瑤が握るなり藩氏が独占するなり、シュカにとってはどうでもいい。勝手にしてくれと思うし、何なら追い出してくれてもいいのだ。


 だが、一方で宸柳も藩氏に阻まれて思うように動けないでいる。そんな彼を見ていると、一方的に勝手にしてくれと放り出すのも申し訳ないような気がして、そう投げやりにもなれなかった。


 そうはいっても、シュカには何の力もない。

 龍妃としての聖力があったとしても、それは宸柳がいて初めて発揮される。そうでなければただの何の力も権力も持たない女でしかないのだ。


 宸柳にどうにかして、と期待するだけなら簡単だ。

 ところが、シュカは自分も何かできることはないかと日々模索していた。

 微力ながら、針で突くようなものでも力になれることがあるはずだと。


「それはもちろん瓊妃様次第でございます。まだまだ研鑽を積む余地がございますもの。先日もあのような嫌疑をかけられるのも、瓊妃様がこの後宮に馴染まないから……」

「勝手に罪を擦り付けられた私が悪いとでも言うの?」


 とっさに玉麗を睨み付けた。あまりの言い草に腹が立ってしまったのだ。

 彼女も、まさかシュカが怒りを剥き出しにして言い返してくるとは思わず、たじろいでいた。それもそうだろう、今までのシュカであれば聞き流していた。


 だが、あれまでシュカのせいにされては堪らない。完全なとばっちりだというのに、シュカが不出来である理由に使われるなど業腹でしかなかった。


「……いえ、そういうことではなく、ただ疑われる方にも往々にして原因があるものですから」

「私が農村の出であることが原因だとしたら、とんだ理由ね。藩家に連なる者ではないから。だから、私は何かあれば疑われるのかしら。どうしたらいいのかしら? 今から藩家のどこかの家に養子になればいいの?」


 理不尽というのはまさにこのことだ。

 勝手な理由で迫害したくせに、原因はシュカにあるなど筋が通らない。


 一年以上この理不尽はシュカが田舎者だからだと耐えてきたが、宸柳から話を聞いているうちにそうではないと気付いた。

 彼らはシュカをいいように操っていたいだけなのだ、と。

 すべてのものから隔絶し、思考を奪って何も考えない人形にするだけだ。


 それが分かった今は、大人しくなどしていられなかった。

 言い返すべきところは返すべきなのだ。


 いつまでも騙されると思うなよ? と暗に示すために。


「まぁ! 何て言い草でしょう! 私の話を曲解して悋気を起こすだなんて。およそ龍妃とは思えない醜さです」

「よく言うわ。私が危機に陥っても助けもせずに傍観者を決め込んでいただけの人が、心の醜さを解くと言うの?」


 冗談でしょう? と鼻で笑うと、玉麗の顔がカッと真っ赤に染まった。

 屈辱に唇を震わせて、それを隠すように裾を口元に持ってくる。


「……あ、あれは、わたくしが口を出すような状況ではなかったかと」

「まぁ、とんでもなく苦しい言い訳。およそ龍妃に仕える侍女とは思えない醜さね」


 皮肉を交えてさらに追い打ちをかけると、玉麗は黙り込む。

 歪んだ彼女の顔を見て、胸がすく思いがした。


「重陽節には房間中に菊を飾った方がいいかもしれないわね。どうやら、醜さを引き寄せる邪気が篭っているようだから」


 できることなら藩家という呪いにも似た力を払ってくれたらいいのに。

 シュカは心の中でそう毒づきながら、その場を去っていく玉麗の背中を見送る。


 ようやく一人になって、肩の力を抜いては天を仰いだ。


(……あ~畑に行きたい)


 一日中、そればかり考えている。

 早くこの絹の襦裙を脱いで、あわせズボンを着て飛び出したい。

 先日、ようやく土壌ができ上がったので人参の種を植えた。あと、四、五日もすれば発芽するだろうが、それまで水を絶やせない。

 翁に、午前中の水やりをお願いしているが、午後からシュカ自身が水をやってどんな具合か確認したいところだ。


 今日、宸柳は来るだろうか。

 それもよく思うことだった。


 ただ、新たな文字を習いたいからそう思うのだ。そう自分で確認しながらも、ストンと自分に落としきれない感情が日に日に大きくなっていくのを感じていた。


「あ~ららぁ、玉麗様にあんなこと言って大丈夫かしらねぇ?」

「さすがに言い過ぎたのではないです?」

「玉麗様って、ああ見えて陰湿なのよねぇ」

「やられたらやり返す人ですよね」


 玉麗が去ったあとに房間に入ってきた双子は、二人でクスクスとシュカを嘲笑っていた。


「瓊妃様、今すぐに謝った方がいいですよぉ?」

「そうそう。あの方、怒ると大変だって、瓊妃様も知っているでしょう?」


 双子がこちらの罪悪感を燻って、シュカの気持ちを揺れ動かそうとしている。けれども、もう怒られようが何だろうがどうでもよかった。

 状況が見えてくれば怖いものはない。


(……あ、そっか)


 皆がシュカに情報を与えず、十分な学も知識も与えないのはこうやって反論できなくするためもあるのかと気付いた。

 ただ慧寧妃の二の舞を回避するのではなく、シュカを無知なままにしておけば御しやすいからだ。反論材料を持たないシュカが易々と負けるのは当然だったのだ。


「怒りたければ怒ればいいわ。私だって、もう黙ってなどいられないもの」


 おまけの龍妃にも人としての矜持がある。

 シュカはもう、言われるがまま頷くだけの都合のいい人形ではなくなったのだ。


 それから数日は玉麗がやり返してくることを警戒していたのだが、特にそんな素振りも見せずに普段通りの態度で彼女は接してきた。

 玉麗が憤慨して何かしらの動きを期待していた双子も、それにはがっかりしたようでつまらなそうな顔をしている。


 だが、逆にその静けさが不気味だった。

 玉麗に似て気位が高く高慢な人間をシュカは知っているが、大人しいときほど虎視眈々と企み機を窺っていることが多いものだ。ムラにいたミンメイもそうだった。

 こちらが油断したときに一気に畳みかけてくる。


 当分は動向に十分注意しなければ。

 シュカは、胸の中の予感のようなものに不安を感じていた。


「ところで、あれからは何か悪いことは起きてはいないかい? 鈺瑤の侍女たちが意地悪とかは?」

「いいえ。あれからはまったく。大人しいほどです」


 その日は、いつも通り院子(中庭)で、龍聆から歴史の講義を受けていた。

 各地の残る龍の伝説は一通り聞き終えて、今度は璜呂宮に伝わる龍帝と龍妃の逸話についての話が主となっている。


 龍帝のはじまりは今から千二百年以上前のことだとか。

 龍が現れる前に、皇帝を誑かす悪女がいて、それを追い出し成敗した勇猛さを龍が気に入って力を授けてくださったのだとか。

 またまた興味深い話だった。


 玉麗が淹れてくれたお茶をすすりながら、雑談に興じる時間がやってくると、龍聆はシュカを心配そうに見て、もう大丈夫かと聞いてきた。

 あのときは、龍聆にも世話になったので、何かと気にかけてくれるのだろう。

 だが、言葉通り何も動きはなくて大人しいほどだ。


 明明が姿を消したことで、また変な疑いをかけられるのではと思ったがそんなこともない。

 あれからひと月。

 シュカの周りは驚くほどに落ち着いていた。


「それならよかった。実はずっと心配していたんだ。こうやって講義していても、君は特に変わった素振りを見せないし、聞いていいものかと迷って遠慮していたんだけどね。でも、やっぱり気になってしまって。私も経験あるが、後宮は何かと小競り合いが絶えないだろう?」

「申し訳ございません。そんなに心配していただいていたとは露知らず……ですが、あれからは至って平和です」

「そう」


 龍聆は伏し目がちに微笑む。そこからは、安堵の表情が見て取れた。

 

「今度の中秋節には参加しないと聞いたけれど」

「参加しないというよりは、参加できないと言った方が正しいです」

「秀英か……」


 彼は苦笑いを零した。

 シュカが詳しく言わなくても察してくれるのは大変ありがたい。こちらから説明をすると、後ろに控えている玉麗の怒りをまた買う可能性もある。


「大丈夫、焦らなくても陛下に会えるようになるよ。今はそのときではないだけだ」

「えぇ。分かっております」


 そのときがいつかなど分からない。

 明日か明後日か、もしかすると十年後かもしれない。

 鈺瑤が身籠り、皇位継承をする男児を産み、藩家の権力が盤石になって。

 そのころには、シュカは女として薹が立ってしまっているだろう。


 宸柳は、鈺瑤と幸せに暮らす。

 それが一番波乱がなく安泰な方法だ。


 今度の中秋節だって、二人で満月を見上げて仲睦まじく微笑んで。

 そんな後姿すら見ることができない立場のシュカは、もう……。


「もしよかったら、私と一緒に過ごすかい?」

「……え?」

「中秋節、余り者同士で過ごすというのも……ありじゃないかな?」


 余り者と言われて、たしかにそうだと心の中で頷いた。

 けれども、だからといって龍聆と過ごすのはまた違う話だ。


 そう思うのだけれど、それもいいかもと片隅で思う自分もいる。理性と感情が溶け合って曖昧になっていくような気がして、よく分からない感情に囚われ始めた。


「で、でも、それはさすがに……」

「ここで見るだけなら問題ないさ。秀英の許可も取ろうか」

「いえ! わ、私は月とか興味ないので!」


 誘惑を振り払うように手を振る。

 本当に興味はない。家族団らんのための行事など行わなくてもよかった。今まで通り一人で過ごすだけだ。


 けれども、一緒に過ごそうと言われたのは初めてのことで、心がこそばゆい。

 揺れ動く自分が気持ち悪くて、どうにかしたくて慌てて立ち上がった。


「し、失礼いたします! また後日!」


 足早にその場を立ち去る。ちらりと振り返ってみた龍聆は、面白そうな顔でこちらを見つめていた。


 首の後ろがゾワゾワする。

 早く房間に帰って、心を落ち着かせたかった。


 ――ところが。


「……なに、しているの?」


 シュカは房間の扉を開いた瞬間に呆然とした。

 中が荒らされていたのだ。

 何かを探すかのように荷物という荷物をすべてひっくり返されて、床に散乱していた。

 それどころか、臥榻ベッドすらも裏返されて、すべてがぐちゃぐちゃになっていたのだ。



 ――春凛・華凛の手によって。





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