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20.文字を学ぼう



 「妃」ということは、いつの時代かのきさきだろうか。

 シュカはその人がどうしたのかと尋ねてみた。


「彼女は百年前、龍妃だった人だ。瓊妃と同じで地方のムラで生まれて、龍妃に選ばれるまでは漁村で働いていたらしい」

「それはまた、大変だったでしょうね。環境の違いに苦心されたのでは」


 シュカは同じような境遇に思わず同情してしまう。

 農村も漁村も田舎者と笑われることには変わりない。むしろ名家の生まれやその家に連なる者でなければ、下に見られるのが後宮での常だ。


「ところが、彼女はそうでもなかったようだ。今までとは違う環境の中で、自分にできることを見つけようと必死になった。意欲的に学び、本を読み、役人に教えを乞い、自らも学んだ」

「……そうなの、ですか」


 衝撃を受けた。

 同じ境遇でも、彼女はそんなに積極的に動くことを許されていたのだ。文字を学ぶことを咎められず、役人に会って教えを受けることも許された。

 今のシュカよりよほど自由だ。


 腹の中に澱が溜まっていくような感覚がする。


「知恵をつけた彼女は、ある日龍帝に陳情したそうだ。このまま、龍の力に頼りきりでいいのか。万が一龍の力がなくなるようなことがあればどうなるかと、懸念を告げた」

「え!」


 思わず声を上げて宸柳に食い付いた。

 まさか、自分以外にも同じような考えをしていた人がいたなんて。


 先ほどまで羨ましさが渦巻いていたというのに、今では歓喜に溢れていた。

 自分だけではなかったのだ、龍への依存に危機感を覚えていたのは。しかも慧寧妃は龍がいなくなる前にそのことを指摘していた。

 嬉しい。もう会えない人だけれども、ただただ嬉しかった。


「そ、それで、陛下に陳情してどうなったのですか? 慧寧妃の言葉に耳を傾けてくれたのです?」


 高揚感が止まらない。

 自分より先んじて改革を起こそうとした彼女はそれからどうしたのか。早く聞きたくて気持ちが逸った。

 目も輝いていたかもしれない。


 けれども、宸柳はシュカの顔を見て、気まずそうにそっと目を逸らした。


「……いや、逆に龍帝の怒りを買い、――殺された」

「……ころ、された……?」


 サァ……と顔色を失くして、呆然自失となる。

 何故、どうして。

 口を突いて問い詰める言葉が出てきそうになったが、宸柳を責め立てるようなものになりそうだったので必死に堪えた。


 けれども、それだけで殺されてしまうなんて。

 信じがたい話に、シュカは全身が震えて涙がこみ上げてきそうになった。


「龍の力がなくなるなどと、たとえ仮定の話であっても我慢ならなかったのだろう。それは龍帝としての資格を疑うことと同義だと捉えたのかもしれない。……慧寧妃はそのつもりがなかったのだろうが」

「……でも、それだけで殺してしまうだなんて」


 龍妃は何人も選ばれる。

 今代は二人しかいなかったが、他の時代はもっといたときがあったはずだ。それこそ替えが利くほどの数が。

 一人くらい殺してもいいだろうと思ったのか。煩わしい人間が一人いなくなってもさしたる問題はないと、傲慢にも考えたのだろう。


 たった一つの命を、身勝手に奪った。

 許しがたい所業だ。


「腹は立つ話だがな、だが、龍帝も無事では済まされなかった。龍妃を殺されたことに龍が激怒し、龍帝から神通力を奪い去った。龍帝にはその証がなくなり、ただの人に。そして、それから百年間、龍は姿を現さなかった」

「あぁ! そういうことだったんですね⁈ だから、百年間の空白があったのか!」


 急に龍が現れなくなったという話しかムラまでは回ってこない。龍の気まぐれか、もしくはこの国を見捨てたのかと人々は話をしていたが、真実は知る人ぞ知るものだったのだ。


「だから、皆その二の舞を恐れているのだ。瓊妃も慧寧妃と同じようなことをするのではないかと」

「陛下に殺されるかも、と? 陛下はそんなことを言ったら、瓊妃様を殺すのですか?」


 ジィっとねめつける。

 すると、宸柳は呆れたような目を向けてきた。


「殺すわけがないだろう。そもそも、俺は瓊妃が学ぶことには何ら反対する理由はないんだ。むしろ、そういう懸念があり、言いたいことがあるのであれば言ってもらいたいものだな。上から見ているだけでは分からないことが多い。龍が現れなくなって我々も苦労したが、一番大変だったのは民だ。シュカのように天候に左右される農作物を扱っている者たち。彼らの声を聞いてこその政治だろう」


 そうだと思った。

 宸柳は理不尽に命を奪ったりしないし、下女に扮しているシュカの言葉にも耳を傾けてくれている。決して身分が低いからといって蔑ろにしないのが宸柳だ。


 皆、分かっていないのだ。

 もしもシュカが学を身に着けて宸柳に陳情しても、慧寧妃のようにはならないということを。杞憂でしかないのだと。


 もしかすると、秀英はそれを口実に瓊妃の力を削ごうとしているのかもしれないが。


「なら、もしも、瓊妃様が龍に依存しないでもしっかりと生活できるように、今から対策を取りましょうと言っても、取り合ってくださいね。私も、そうしてくれたら嬉しいと思っていますから」

「やはり、シュカの目から見てもそう思うのか?」

「ええ。やはり私たちは、龍がいなくなって長年旱魃や大雨とままならない天候に振り回されてきましたから。また同じようなことが起こることを恐れています。けれども、逆に備えていれば、そんな恐れはなくなるのだと。……具体策はと聞かれると困ってしまうのですけれど」


 だから、学びたいと望むのだ。

 文字を知り、書を読めるようになって、知識を得たい。

 慧寧妃のように自分の意見を出せるように、そして説得できるように武器を身につけたかった。


「そうか、やはり、また何かの拍子に龍の力を失うことを想定して動いていくことも必要になってくるか。……反発は必至だろうがな」

「けれども、それをできるのもまた、陛下だけです。私は何もできないから、できる人に託すだけです」


 もどかしさはいつでもこの胸に残る。

 けれども、自分で何もできなくとも、託せる人がいるということだけでも幸せなことだと思えるのだ。

 あの日、宸柳を知ることができてよかったと。


「――もしよかったら、お前も学んでみるか? 文字を?」

「え⁈」


 驚きのあまりにシュカは飛び上がった。

 座っている丸太からずり落ちて、地面に尻もちをつく。

 宸柳も目を丸くして、「大丈夫か?」とこちらを覗き込んできた。


 尻は痛いが、今はそんな痛みはどうでもよかった。


「も、文字を、文字を、学ぶ機会をくださるのですか? 私に?」

「あぁ。俺でよければここで教える。……それでよければだが」


 言葉が出なかった。

 驚きと感激と、そして言い知れない大きな感情。

 

 欲しい欲しいと渇望し続けていたものを与えられた喜びは、安易に言葉に出せなかった。その代わりに、涙として零れ落ちる。


「……ありがとう……ございます……っ」


 懸命に感謝の気持ちを言葉にしようとしているのに、涙がそれを邪魔する。手拭いでみっともない顔を隠して、懸命に涙を拭いた。


 宸柳にとっては何気ない提案だったに違いない。泣かれるとも思っていなかったのだろう。

 彼は心配そうにこちらを見て、言葉を探すようにオロオロとしていた。


「大丈夫か?」

「……はい。ただ、嬉しくて。……自分が文字を学べるときがくるなんて、思ってもいなかったので……本当にありがたいことだと」


 話をしていたらまた涙が溢れてきた。

 嗚咽まで漏れてきそうで、懸命に止めようとするもなかなかままならない。


「驚いたな、泣くほど喜ばれるとは……」

「……すみません……こんなみっともない姿を……」


 地面にへたり込んで涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら泣き崩れる姿は、さぞかし奇妙だろう。

 だが、宸柳はそんなシュカに手を伸ばして地面から引き上げてくれた。

 丸太に再び腰を下ろし、宸柳の隣に納まる。


「みっともなくない。俺もそれだけ喜んでもらえて気合が入る。……それに、やはりお前を見ていると、瓊妃にもそういう機会を与えたいと思うしな」


 頭をポンポンと優しく撫でられて、シュカの涙が一気に引っ込んだ。

 子どもをあやすようなことをされたことにも驚くし、触れられたことにも吃驚したし、シュカの様子を見て瓊妃もなんとかしないとと思ってくれたことにも驚いた。


 やはり宸柳は違う。

 慧寧妃を殺した龍帝とはまったく違う、優しい人だ。

 頭を撫でる大きな手もまた、温かくて胸がじんわりと熱くなり優しい気持ちになった。


「そうだな、学びたい者が身分も関係なく学べる機会があればいいのだろうな。そうしたら、人は豊かになる。そして国も豊かになる。万が一龍がいなくなったとしても、我々だけで生きていく道を模索するのもまた必要になっていくだろう。――ありがとう、シュカ、この国の未来を憂いてくれて」


 ――ありがとう。

 それはこちらの言葉だった。


 いつでも宸柳には感謝している。

なかなか口に出せないけれど、璜呂宮にきてよかったと思えたのは、畑を提供してくれた翁のおかげだし、シュカとこうやって対等に話をしてくれる宸柳のおかげだ。


ここでやっていけるのでは? と小さな希望を持つことができた。


そういえば、最近実家に帰りたいという手紙を書いていない。

以前ほど強く帰りたいと思わなくなっている。

ここで生きる活路を見出せたからだろうか。


それでも一度は実家に帰って、あれやこれやと整理したいのだが。

でも、そんなに急がなくてもいいのかなと思い始めている。


この畑も、宸柳との関係も。

シュカにとっては大切なものになっている。

何ひとつ失くせない。

壊したくはないと願う。

いっそこのまま、シュカの正体がバレずに、宸柳の気が向いたときにだけここで会って話す。そんな日々が続けばいいのにと、欲深い願いだと知りながらも龍に祈る。


「近々、瓊妃に会いに行こうと思う。秀英の妨害があるが、いつか必ず」


 けれども、そうは言っていられなくなっていると知り、シュカは寂しく笑う。

 正体が知られてしまう日は近いだろう。

 そんな予感がした。





宸柳は約束通りに文字を教えてくれた。

彼が地面に木の枝で文字を書き、シュカも見よう見まねで同じ文字を書く。意味と発音を教えてくれて、シュカも頭に擦り込むように復唱する。

たったそれだけのことだが、とても面白かった。

今まで自分が言っていた言葉は文字にするとこんな形になるのだという感動、そして意味もなく文字がつくられたわけではなく、何故この文字がこういう形になっているのかという成り立ちを覚えることで、ますます興味が湧いてきた。


宸柳は教えるのが上手い。

龍聆も上手だったが、彼がシュカを飽きさせないようにと一方的に話すのに反して、宸柳はこちらに質問しながら進めてくれるのだ。


初見の文字を読めるか? と意地の悪いことを言いながらも、しっかりと手掛かりがつかめるように誘導してくれて、シュカ自らが答えを出せるようにしてくれる。

 自分で気付いた文字は不思議なことに簡単には忘れない。

 シュカは、毎回のように感動していた。


「これをやる」


 そう言って差し出されたのは、紙に書かれた文字列だった。今まで習って文字たちがそこには丁寧な書で書かれていて、宸柳がわざわざ用意してくれたものだと分かる。


「俺が来られないときでも、これを見て練習すればいい。こういうものは日々の練習が大切だからな」

「ありがとうございます……!」


 大切にしなくては。これは、シュカにとっての初めての教本となる。

 目を輝かせながらそれを眺めていると、宸柳はフッと笑った。


「お前を見ていると、昔の自分を思い出すことがある」

「昔の陛下、ですか?」

「あぁ、ここは俺の隠れ場所だと言っただろう? 覚えているか?」


 たしかに最初に出会ったときそんなことを言っていたような気がする。

 ここは自分の場所だから勝手に畑を作るなと。


「俺は六歳までここに住んでいたのだが、その間に軽い意地悪のようなことをされていてな。まぁ、母が平民の生まれだからと母子ともども、何かとつらく当たられることがあったんだ。そんなとき、ここが俺の逃げ場だった」


 その頃より様変わりしたであろう秘密の場所を、宸柳は目を細めながら見つめる。彼の瞳には懐古の念が灯っていた。


「ここだけが俺の安らぎの場だった。よく本を持ってきて読み耽っていたが、当時の俺もシュカのような顔をしていたのだなと思うと、懐かしくなる」


 それから、宸柳の母が嫌がらせに耐えかねて、離宮へと移り住んだ。二度とここには戻らないだろうと思っていたのに、まさか龍帝になって足を踏み入れるとは思ってもみなかったと彼は笑う。


 一年間、がむしゃらに龍帝としての学ぶべきことを学び、同時に政務もこなし、そしてようやく落ち着いたころ、ふとこの隠れ場所を思い出して足を運んだ。

 そして目にしたのは、シュカの畑だったわけだ。


「安らぎの場所というのは今も変わらないな。お前がいて、さらに楽しさが増えた」

「……それは……どうも……」


 この人、自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。そんな歯の浮くような言葉を言われたこちらは、恥ずかしくて仕方がないというのに。

 一本に結んだ髪の毛の先を指で弄り、どうにか照れ隠しをする。


 シュカもまた、同じ気持ちなのだと伝えるかどうか迷ってしまう。

 けれども、それもおこがましいような気がして、気が引けて。


 後宮の方向にちらりと目をやって、やはり言わない方がいいと思い直した。


 でも、何か伝えたい。

 ただ、この瞬間にシュカの気持ちを刻み込みたかった。


「……春になったら、人参が生ると思いますので、そのときはまた一緒に食べてくれますか?」


 宸柳に美味しいと言ってほしい。

 また、身体の底から打ち震えるような喜びを、シュカに与えてほしい。


「あぁ、もちろん。楽しみだな」


 先のことを約束するなんて、馬鹿みたいだ。

 実家に帰りたいと思っているのに。帰ったら、その約束は果たせなくなるというのに。


 それなのに、宸柳と一緒にやりたいことが溢れてくる。

 シュカの制御など聞こうともせずに勝手に心が暴走しようとしている。抑え込むので精一杯だ。


 蒔いた種が水を得て新芽を出すように、シュカの中でも新たな何かが芽生えようとしていた。




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