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18.龍妃のお仕事




 自分の両腕を見下ろして、眉根を寄せた。

 ――やはり、このままでは。

 改めてそれを確認して、頭が痛くなった。

 まざまざと実感させられる。

 このままではまずいと。


 だが、それを一旦見ない振りをして、盤領袍に腕を通す。腰元を帯で締め、目立つ髪を巻いた布の中に隠して、はみ出してはいないかと確認した。

 この格好にも随分と慣れたものだと、宸柳はこっそりと笑う。

 丞相に無理を言って、数日おきごとに作ってもらっている自由な時間。そのたびに通っているシュカの畑。

 今日もこれから向かうつもりだ。


 桌子テーブルの上に置いてある、紙包を懐に入れて準備を整えた。きっと、今日も彼女は喜んでくれるだろう。

まるで幼子のように笑顔を見せてくれるシュカには、ついつい何でも上げてしまいたくなる。彼女はあまり素直に受け取ってはくれないのだが。

それでも、世話になっているからという理由をつけて、宸柳はシュカに贈り物を持って行く。ただ単に、喜ぶ顔が見たいからなのかもしれない。


ついつい、本来の目的を忘れてしまいそうなほどに、あの畑での時間に没入している。

 時間がないというのに。

 それでも、シュカとの時間を欠いてまでことを急ぎたくないと思う自分がいる。


「――そろそろヤバいことくらいてめぇでも分かってるンだろ? 宸柳」


 だが、それに苦言を呈す声が聞こえてきた。

 そちらの方に目をやると、また勝手に入ってきたのだろう、小さな虎の子のようななりの獣が、窓辺に寝そべっている。


 狴犴へいかんと名乗ったそれは、龍の子らしい。

 龍帝である宸柳を見守る役を担っているのだとか。


 たまにふらりとやってきては、ぶっきらぼうに口煩いことを言ってまた帰っていく。気まぐれが毛皮を着ているような奴だった。


「このままだと、おめぇは龍帝ではいられなくなるゾ。いいのか? あン?」

「いいわけあるか。だから今、どうにかしようとしている」


 どれほど周りが納得しなくとも、どうにかして瓊妃に会わなければ事態は解決には向かないということは分かっている。

 そのためにシュカに協力してもらっているのだ。


「面子だか体裁だが知らねえが、人間っつーのは変なものを気にしたがる。それよりも大事なモンがあンだろうに」

「……お前には分かるまいよ」


 人間、生きていくうえではしがらみだらけだ。それがない者など、この世にいるのだろうか。

 単純だと狴犴は言う。無理矢理にでも瓊妃に会いに行けと。

 龍帝ならば、その力があるだろうと。


 そうできたのであればよかった。

 だが、側室の子としてずっと璜呂宮を離れていた宸柳にとって、強行は悪手でしかない。闇雲に権力ばかりを振るえば、いずれしっぺ返しを食らうだろう。

 ただでさえ、丞相を決めるときに無理をして反発を食らっている。


 それに、宸柳には無茶ができない理由があった。


 帯につけている帝王緑の翡翠の玉を手に取る。

 赤い紐で結ばれているそれを見て、宸柳は眉根を寄せる。


 ――できるものなら、とうの昔にどうにかしている。


 いまだに見えてこない瓊妃という人間。

 シュカが言うには、それほど悪い人ではなさそうだが、そう簡単に人を信用できないのがこの宮廷という場所だ。

 慎重にいって損はない。


 そうとはいえ。

 

(最近、二の次になっている面はたしかにある)


 反省だ。


「いいノか? 先日、瓊妃は珠玉龍妃の呪殺未遂で糾弾されていたゾ」

「なに?」

「あれはあわよくば瓊妃を後宮から追い出す算段だったのだロウ。饕餮が言っていた」


 まさか、と信じられない気持ちになる。

 知らないうちにそんなことになっていたとは。

 驚愕のあまり、言葉を失ってその場に立ち尽くした。


「……もう一度聞くゾ、宸柳。本当にいいのカよ?」



 ◇◇◇



「瓊妃よ、最近はずっと龍帝と会っているようだが。ようやく蜜月を迎えたのか?」

「み⁈ 蜜月⁈」


 シュカは鍬を思い切り地面に突き立てて、とんでもないことを言いだした饕餮に振り返った。


 蜜月とはつまり、夫婦として仲睦まじくなったということ。

 ただここで会っていただけなのに、そんな勘違いをされるだなんてとんでもないと、ブンブンと首を横に大きく振った。


「そ、そんな関係じゃないから! ただここで話しているだけだし、それに、あっちは私が瓊妃だっていうことにも気付いていないわよ……」


 あくまで下女のシュカとして接しているのであって、そんなつもりは毛頭ない。今さら夫婦として振る舞うなど、できるはずがなかった。


 ましてや今さら名乗れない。

 自分が瓊妃であるなどと。


「だが、いつかは話すつもりなのだろう? 龍妃としての役目をまっとうするつもりはないのか」

「役目って……つまり、その……夫婦の営み、とか?」

「違う、龍妃の役目と言っているだろう」


 恥じらいながらも勇気を出して聞いたのに、饕餮に一蹴されてしまった。


 だが、龍妃の役目とはいったい何だろう。

 龍から神通力を発現する玉のようなものを宸柳に授けるために、龍妃が必要であることは婚礼の儀を見て何となく察した。

 あとは、夫婦として子作りすること。それ以外に、何か役目があるのか。


 シュカは首を傾げた。

 すると、饕餮は酷く呆れた様子で天を仰ぐ。


「……まさか、知らされていないのか。龍妃の本来の役目を。今の宦官は何をやっているのだ」

「私が聞いたのは、ただ後宮で陛下のお渡りを待ち、伴侶としての役目を果たすことだってことだけよ。他にもあるの?」

「ある。夫婦の契りなど二の次だ」


 饕餮はフンっと鼻息を荒くしてこちらに歩み寄り、足元にちょこんと座った。

 シュカもそれに合わせて、腰を屈めて饕餮に顔を近づける。


「どういうこと?」


 シュカはずっと騙されていたのだろうか。

 秀英や玉麗たちに十分な情報を与えられず。ただ待つことだけが仕事だと教えられてきた。何も知らないシュカを欺くように。


 どうあっても鈺瑤のみを龍妃とし、シュカをあえて予備として後宮に留めておきたいという思惑が滲み出ている。


「教えて、饕餮。きっと私が宦官に聞いても、教えてくれないと思うの。一年以上も教えてこなかったんだもの、期待できないわ」

「……うむ」


 饕餮は神妙に頷く。


「龍帝の神通力は、龍妃の聖力を注がれることで初めて発現する。力を使えば使うほどにその力は弱まり、また龍妃が聖力を注ぐことで復活する。つまりは、龍妃がいなければ龍帝は龍から与えられた力を使うことができない。供給が絶たれ、身体に宿る聖力が尽きれば龍帝は永遠に龍から授かった力を失うことになる」

「……ということは、龍帝は龍妃がいなければ、龍帝ではいられない?」

「そういうことだ」


 龍帝の出現と同時に龍妃を選定する理由はそこにあったのだ。

てっきり龍が龍帝を選ぶのだから、その伴侶である龍妃も龍が選ぶという、便宜上のそういうことになっているのかと思ったが、なるほどそういうことだったのかと一年以上越しに真実を知る。


たしかに、宸柳が毎日鈺瑤のもとを訪れるのも頷けた。

彼に聖力を注いでいるのだ。

もしかすると夫婦として過ごしているのかもしれないけれど。

あのときの鈺瑤の言葉を思い出す。宸柳と仲睦まじいと自慢するかのような口ぶり。

胸がジリジリと焦げ付くような感じがする。


「……そっかぁ……龍妃って結構重要な役割を果たしていたのね」

「そうだ。だから、瓊妃が龍帝と懇ろになるのであれば、私としても嬉しい」

「うう~ん……そうはならないんじゃないかなぁ」


 期待に応えられればいいのだけれど、なかなか難しいだろう。

 おそらく、シュカは瓊妃として宸柳に会うことはない。藩氏、ひいてはその手先である秀英が許すことはない。


 それに、今の話で龍聆の問いの答えが見えたような気がする。

 

(私は本当におまけで、そして予備だったのね)


 本命である鈺瑤に何かあった場合、宸柳が力を失わないようにするために後宮に留められているだけの存在。龍妃を複数人選ぶのもそこからきているのだろう。


 ということは、シュカが龍妃として求められるのは、鈺瑤が聖力を受け渡すことができなくなったときだ。それまではシュカを飼い殺しにする腹づもりに違いない。


 故郷に帰らせてもらえないのも当然だ。

 予備がいなくなれば、有事のときに困ってしまう。

 龍帝を龍帝足らしめるために龍妃がいる。たとえ今は役目を負うことはできなくとも、いつか役立つときがくると見込まれてシュカはここにいるのだ。


「ありがとう、教えてくれて」

「いいや、むしろ教える機会を得られてよかった。このまま龍妃の役目について知らないままいたのなら大ごとだ。まったく、許しがたい」


 秀英たちがシュカにしっかりと説明していなかったことに、饕餮はよほど腹を立てているらしく、厳しい口調で言っていた。見た目は可愛らしい小動物なのでまったく怖くないのだが。


「だが、早く自分が瓊妃であることを話すのだな。秘密というのは総じて関係を拗らせるものだ。機を逃せば逃すほどに」

「……随分と人の機微に詳しいのね」

「伊達に毎日見守っているわけではないからな」


 獣の姿をしているが、龍の子だ。龍の代わりに龍妃を見守り、そして人間たちを観察している。そこから何かと学ぶことがあるのだろう。


「だが、私が思うに、龍帝はそう心の狭い男ではない。しっかりと瓊妃の心の内を話せば、分かってくれるのではないか」

「それも観察した結果?」

「観察しなくとも分かる。彼は分かりやすい」


 スッと四つ足で立ち上がりまたぴょいと塀の向こうに消えていく。相変わらず神出鬼没な獣だ。

 その姿を見送りながら、シュカはふぅ……と悩ましい溜息を吐いた。


 宸柳は話せば分かってくれる。それはシュカも分かっている。一方的に騙したと詰ってきたりはしないだろう。


 けれども、どこか踏み切れない自分がいる。

 煮え切らない自分が嫌で、それを振り払うようにシュカは鍬を振り上げた。




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