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16.犯人はお前だ




 侍女の言葉に龍聆は気色ばんだが、シュカはそれが何なのか分からずに二人を見比べた。

 『じゅごんがきざまれたふ』とは、そんなにも後宮を騒然とさせるものなのかと、他人ごとのように驚いていると、わらわらと侍女たちが集まってきた。


 鈺瑤に仕えている侍女に、秀英についている女官。そして遠巻きに、玉麗や春凛・華凛の姿が見える。


 驚いたことに、皆一様にシュカを見つめていた。

 いや、見つめていたというより、睨んでいると言った方が正しいだろう。


 蔑み、嫌悪、憤り。

 それらすべてがシュカに注がれている。


 何ごとだと、たらりと背中に嫌な汗を掻いた。


 侍女たちはこちらを睨みながら、ひそひそと話している。

 知っている、この感じ。

 おそらく、シュカの悪口を言っているのだ。


 龍聆と一緒にいるから?

 いや、それはもう慣れた風景のはず。

 それをわざわざ侍女たちが囲んで陰口を叩くような真似はしないはず。

 加えて、龍聆の前だ。滅多な態度をとるはずがない。


 けれども、それすらも凌駕することが起こっている。

 隣にいる龍聆の顔を見てもそれは明らかだった。


「龍聆様、『じゅごんがきざまれたふ』とは何ですか?」


 この場で、シュカだけが意味が分かっていない。

 場違いだと分かりつつも、いわれのないことで責められているような気がして聞かずにはいられなかった。


「……瓊妃様、それは」

「失礼いたします」


 二人の間を割って入ってきたのは、鈺瑤の侍女の一人である少女だった。年の頃はまだ十三、四歳だろう。

その歳で出仕している彼女は、たしか胡明明こめいめいと言ったか。

あどけなさが残る顔をキリリと勇ましくさせ、龍聆に一揖する。だが、こちらにしてこない。本来ならば無礼もいいところなのに、明明は悪びれた様子もない。

それどころか、シュカをねめつけてきた。


「瓊妃様、珠玉龍妃様がお呼びでございます」

「わ、私をですか?」


 こんなことは初めてだ。

 同じ龍妃、同じ後宮に住まえど、鈺瑤は自身の房間がある金鱗宮にシュカを招いたことはない。逆もしかりだ。


 それなのに今、騒然としている事件現場に来いと言う。

 嫌な予感しかしない。



 だが、ここで断れば今後どうなるかは何となく見えてくる。

 あの非難がましい視線が言葉に替わり、行動に替わる。そうなれば、シュカの力で抑えることはできない。


「分かりました。参りましょう」


 群集心理というものは厄介なもので、一度悪と公然で決められたものは皆が同じようにみなす。洗脳に近いそれは、なかなか解けることはない。


 だから、早めに誤解があるのであれば解いておかなければならない。

 大ごとになる前に。

 シュカは、経験上それを痛いほどに分かっていた。


「瓊妃・瑩婕えいしょう、参りましてございます」


 明明に連れられて金鱗宮の鈺瑤の房間につき拝すると、最初に部屋の奥に座る鈺瑤が目に入った。


 まさに、その姿は深窓の姫君。

 久しぶりに会ったが、相変わらずお美しい人だ。

 黒絹のような髪に、白磁の肌。長い睫毛に縁どられた目は大きく、その真ん中にある漆黒の瞳はシュカと同じで金色混じりだ。頬が桃色に染まり、唇も艶やか。シュカがどれほど色づこうとも、彼女には程遠い。

 生まれながらの姫君を体現したような人だ。

 額に龍華紋に似せたのだろうか、花鈿が描かれている。


 先ほどまで廊下に出ていたはずの侍女たちがいつの間にか房間に戻っており、鈺瑤を守るようにぐるりと囲んでいた。


 今からシュカをつるし上げようと手ぐすねを引いている状態だ。

 こちらの侍女といえば、かろうじて玉麗が側にいてくれるが、春凛・華凛の双子は随分と遠いところでこちらを窺っている。主人を守る気などさらさらないようだ。


「……っ! 龍聆様!」


 ところが、龍聆が興味本位なのか一緒についてきた。

 それに一番驚いていたのが、他でもない鈺瑤だった。


「久しいね、鈺瑤。……いや、もうそんな気安く呼べないね。珠玉龍妃様」


 龍聆は柔らかい声で、嬉しそうにする鈺瑤を突き放す。彼女はサッと顔を白くさせて、耐えられないとばかりに裳裾で顔を覆った。


 けれども、気持ちを切り替えたのかすぐに顔を露わにし、嫋やかな笑みを浮かべる。


「お久しゅうございます、龍聆様」


 先ほどの動揺などなかったかのように。


 元許嫁である二人のやり取りに、緊張を高まらせているのはシュカだけではないはずだ。侍女たちも見てはいけないものを見てしまったといったような顔をして、顔を逸らしている。


 やはり、政略結婚だけれども、互いに想い合っていたのだろうか。

 そうだったら、切なくも遣る瀬無い話だと、シュカはこの空気に遠慮して一歩退こうとした。


 ところが、この空気をサッと変えたのは龍聆だった。

 感慨も何もないような顔をして、「それで」と鈺瑤に話を促した。


「君の部屋に呪言が刻まれた符を見つけたと聞いたけれど、本当かい?」


 本題に入ろうか。そう暗に言ってくる龍聆の態度にハッとした鈺瑤は、神妙に頷いた。


「その通りでございます。こちらの明明が私の臥榻ベッドの下から、符を見つけたのです」


 明明は、厳重に布に包まれたそれを桌子テーブルの上に置いて見せてくれた。


 木簡に、墨で何やら文字が書かれているようなのだが、いかんせん文字が読めないシュカにはチンプンカンプンだ。何がどう大変なのかも分からない。


 けれども、侍女たちはこれが現れた瞬間、忌避するように顔を歪めた。

 視界に入れないように逸らす者もいれば、裳裾で顔を覆う者もいる。


 好奇心だろうか。

 ますますこれが何なのか興味を持ったシュカは、どうにか知っている文字がないかと探す。


 そうしているうちに、龍聆が符を手に取った。


「龍聆様! 触られては!」

「問題ないよ。ここに鈺瑤の名前が刻まれているところを見ると、君にしか作用しないようだ」


 青褪める鈺瑤の言葉もお構いなしに、彼は符をくまなく見た。


「これは厭魅の呪詛だね」

「えんみのじゅそ?」


 また知らない言葉が出てきた。

 シュカは頭を悩ませた。


 だが、シュカが何も分かっていないと察した龍聆が説明してくれたのだ。


「これは、呪符と言って、書かれている文字によって効力が違う。災いから守ってくれたり、逆に呪いにも使われる。そして、これに刻まれているのは、珠玉龍妃様を呪う言葉。誰かが、呪いで珠玉龍妃様を弑そうとしているということだね」

「呪いで……殺す?」


 怖気が走った。

 指先から体温がサッと失われて、足元まで潮が下がっていく。


 つまり、誰かが鈺瑤を殺そうと呪いの符を仕掛けたのだ。

 究極の悪意を持って。


「誰がそんなことを……」


 シュカは信じられない面持ちで符を見つめる。


 本当のところ、呪いが本当に人を殺すかは分からない。

 呪う呪われるというのは、昔語りに聞いたことはあるものの、実際にこの目で見たわけではない。

 けれども、殺意を持った誰かが後宮内にいる。

 しかも、実行に移して鈺瑤を呪おうと符を置いたのだ。

 

 その事実が恐ろしかった。

 人の生死にかかわるようなことが起きると思ってもいなかった。


「――白々しいこと」


 ところが、不意に耳に入ってきた言葉に、シュカは息を呑む。


 もしかして、この符を仕込んだのはシュカだと思われているのだろうか。

 だから皆、敵愾心剥き出して睨み付けてくるのか。


 冗談じゃないと、シュカは首を横に振った。


「もしかして、これを仕掛けた犯人を私だと思っているのであれば、とんだ勘違いです。私はこんなことしません。ましてや、珠玉龍妃様のお命を狙うなんて」


 絶対にしない。

 命の尊さは、何よりも知っている。

 生きることがそれほど大変か。

 死が、何を意味するのか。


 シュカは、たとえそれが憎い人間でも、命の尊さは平等だと思っている。


「まぁ、見え透いた嘘ですこと」

「この後宮に、珠玉龍妃様を亡き者にしようと企む人など、瓊妃様以外にいらっしゃるはずないのに」


 鈺瑤の侍女たちは、侮蔑の笑みを浮かべながら口々にシュカの言葉を一蹴する。

 お前以外にいるはずがないと、最初から決めてかかっていて、こちらが何を言っても言い訳としか取らない雰囲気だ。


「私を犯人だと思う根拠は何です?」


 けれどもこのままみすみす犯人に仕立て上げられるわけにはいかない。多勢に無勢だからと諦めるわけにはいかなかった。


「珠玉龍妃様は藩家の姫ですよ? そして、ここにいる侍女たち、瓊妃様にお仕えする者も含めて皆が藩家に連なる者たち。危害を加えようなどと誰が思いましょうか」


 対峙するようにずいと一歩前に出てきた明明が、厳しい口調で追及してきた。


 知らなかったが、玉麗も春凛・華凛も皆、藩家の関係者ということなのか。

 もともと、姓を持たない農民のシュカには、その辺の繋がりは分からない。姓が違うので、まったく関係のない家なのかと思っていた。

 

 つまり、この場でシュカの味方になってくれる人はいないということだ。

 藩家に逆らってまで異議を唱えてくれる人はいないのだろう。


 実際、玉麗に視線を向けたらそっと逸らされた。このまま主人を庇うことすらせずに、傍観者を決め込むつもりなのは明らかだった。


 なるほど、これはシュカを弾劾するために用意された場なのだ。

 罪をでっち上げて、この後宮を追い出すための。

 このまま十分な証拠もなく、疑わしいというだけでシュカに罪を擦り付ける算段か。


 そうはさせまいと、シュカも応戦する。


「それだけであれば根拠としては弱いのではないですか? そもそも、これだけ侍女がいるこの房間に私がそっと忍び込めないでしょう。どうやって臥榻ベッドの下に置いたというのですか?」

「そ、それは、掃除の下女か誰かを買収したのでは? もともと、瓊妃様も田舎の農村育ち。気が合うでしょうしね」

「それは憶測で言っているのよね?」


 侮蔑を含めた言葉を投げつける明明をジトリとねめつけ、シュカは返す。

 結局証拠がないまま憶測で話しているだけに過ぎない。それを元に糾弾するのは些か乱暴ではないかと、負けじと応じる。

 

「推理と言っていただきたいものです、瓊妃様。珠玉龍妃様のお命を狙うなど、この国の礎を崩そうとするものと同義。このまま犯人が分からないまま放っておくなどできるわけがないでしょう?」

「だから、一番怪しい私を犯人に仕立て上げて、邪魔者を追い出そうという算段かしら? それはさすがに虫が良すぎない?」

「まぁ! そんな追い出そうだなんて言っておりません! 私はただ、罪をつまびらかにするべきだと言っているのです!」


 周りの侍女たちも明明の言葉に同調し、シュカに非難を浴びせかける。針の筵とはこのことで、こちらが正論にも関わらず数で押し負けそうだ。

 

 この場にいる誰しもがシュカを責め立てる。

 周りを見渡しても、悪意のある者か、もしくは関心のない者しかいない。


 けれども、シュカには決定的な証拠があった。


「申し訳ございませんが、私には無理な話です、珠玉龍妃様」

「まだ言い訳を!」

「お黙りなさい、明明。私は珠玉龍妃様に話をしているのです。一介の侍女である貴女が、龍妃同士の会話を遮る権利はないのではなくて?」


 これ以上は好き勝手に言われて堪るかと、わざときつい言葉を選んで明明を跳ねのけた。

 実際、シュカも頭にきている。邪魔だから消そうとしているのはそちらだろうと。

 皆で結託してシュカを大罪人に仕立て上げて、藩家の天下無双の状態に後宮を持って行きたのだろうけれど、簡単にはさせない。


 シュカは、鈺瑤の方へと一歩前に進み出た。


「私の弁明を聞いていただけますか? 珠玉龍妃様。まさか、貴女様まで勝手に私を罪人だと決めつけるわけではないでしょう?」

「それはもちろんですわ、瓊妃様。どうぞ、お話しくださいませ」


 侍女たちの白熱ぶりとは真逆で、鈺瑤は冷静だった。

 決して自分の命が狙われたからといって感情的にならず、状況を見極めようとしてくれている。それが今はありがたかった。


「ありがとうございます」


 もし、鈺瑤までもがシュカを犯人と決めつけてかかっていたら、勝ち目はなかっただろう。深々と頭を下げ、そしてスッと背を伸ばす。


 何も疚しいことなどないのだと示すように。




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