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15.不穏



「……そう言えば、瓊妃様の人となり、なのですが」

「あぁ。もしかして、調べてくれたのか?」

「まぁ、約束ですし」


 本当は適当に流そうと思ったのだが、今日話をしていて、それではダメだと思い直した。


 どうしても伝えたくなったのだ。

 瓊妃を信用してもいいのではないのかと。

 それはシュカ自身が、宸柳の力になりたいと思えたからだ。


 互いに宮廷で息が詰まるような生活を送っている。何をしようにも制限が入って、自由など一切ない。

 秀英の邪魔も、龍聆の思惑も、藩氏の横槍も。高い壁になってそびえ立っている。


 聞けば聞くほどに、立場は違えど置かれた境遇は同じような気がして絆されたのかもしれない。


「まぁ、大したことは調べられていないのですけど」

「それでもいい、聞かせてくれ」


 ズイ、とこちらに顔を寄せてきた宸柳は至極真面目な顔をしていた。

 本当、この人のこういうところは素直で好感が持てる。

 彼を甘い人と断ずるか、それともやはり実直で真面目な人だと判断するか。


 シュカは、できれば後者だと思いたい。


「でも、いいのですか? 私の主観が入りますよ? それを元に判断するなんて、それって陛下が私を信用するのと同じじゃないですか?」


 意地悪な気持ちでニヤリと彼を見ると、宸柳はキョトンと首を傾げた。


「信用しているから教えてほしいと言っているのだが?」


 何を今さら、と当たり前かのように言われて、シュカはカッと顔を赤らめた。逆にしてやられた気持ちになり、恥ずかしい。

 羞恥に染まった顔を見られたくなくて、密かに手で覆いながらそっぽを向いた。


「普通、数回しか会っていない、しかも下女をそう易々と信用しますか?」

「それはもちろん、初対面から信用していたわけではない。あのとき、瓊妃のことを調べてくれとお前に頼んで、秀英が余計なことをしてくれるなと即飛んできた日には、なるほどあ奴の権威、敷いては藩家の権力は俺をも凌ぐかと判断できた。正直、お前が信用できるかは半々といったところか」


 シュカは内心驚いていた。

 この人、ただ実直なだけではなく、しっかりと戦略的に動ける人なんだと。

 まさか試されていたとは露知らず、狐につままれたような気分になる。


「お前を信じようと思ったのは、俺におもねるでもなく、反発するでもなく、率直な意見をぶつけてくれるからだ。俺に、現実をぶつけてくれるから。正直、話したくもないこともあっただろうに、それでもしっかりと厳しいことも言ってくれる。だからだ」


 宸柳は、屈託もない笑顔を浮かべて、シュカにその言葉をくれた。


 その瞬間、胸がズキリと痛くなる。

 あぁ、自分はこんなことを言ってくれている人を騙しているのかと。


 あるがままの自分であることが信頼の証と、嬉しい言葉をもらったのに、シュカは正体を隠して宸柳を欺いている。

 

 けれども、今さら自分が瓊妃だと名乗り出てもいいのだろうか。

 嘘を吐いたな、欺いたなと、さすがの彼も怒るのではないか。

 せっかく得た信用を無くすようなことをしてもいいのだろうか。


 シュカは内心懊悩する。


「それで、お前から見た瓊妃はどんな人間だ?」


 先ほどまで用意していた言葉が、咽喉に貼り付いて出てこなかった。

 何と言えばいいのか、途端に分からなくなる。


 上辺だけの言葉などいくらでもあるのに、これ以上この人を騙すのかと思うと安易には口に出せなかった。


 困ったような顔をして視線を彷徨わせていると、宸柳がこちらの顔を窺ってくる。

 自分から言い出したくせに言葉を失っているシュカが心配しているのか、徐々に彼の眉尻が下がっていくのが分かった。


「……瓊妃様は……やはり噂のような方ではありません。……陛下の信頼に……お応えできる人だと、私も……思いたいです」


 どの口がこんなことを言うのか。

 自分で自分が恥ずかしくなる。


 けれども、この言葉は嘘ではなかった。

 信用してもらいたいと思い始めている。

 自分は宸柳の敵ではない。


 それだけは知っていてほしい。


「思いたい、か。お前がそう言うのであれば、俺もそう望もう」


 柔らかな顔でそう言う彼は、たしかにこの璜呂宮の中で誰よりもシュカの味方だった。


 ◇◇◇


(……結局私も甘ちゃんだったってことよね)


 宸柳を甘い人だと評価しておきながら、自分もまた彼がくれる言葉に浮かれて易々と信用してしまうのだから。

 宮廷でたくさん痛い目に遭ってきて、誰も信用できないと思っていたのに。

シュカの言葉に耳を傾けてくれることが嬉しくて、シュカを押さえ付けないことが、田舎者だと馬鹿にしないことが、利用しようとしないことが、自分という人間をまっとうに扱ってくれているような気持ちになって。


乾いた大地に水をとうとうと注がれているような心地が続いている。


 宸柳と話すのは楽しい。

 本来の自分を曝け出しても咎められないし、彼の話を聞くのも勉強になる。

 逆にシュカの話も聞いてくれて、互いに知らない部分を教え合っている感じだ。


 最初は後宮の様子を教えるだけだったのに、今ではそれ以外の話をしていることが多い。宸柳も農作業を手伝ってくれるし、昨日なんて初めて芹菜を手ずから収穫して、まるで少年のように目を輝かせていた。

 その場で食べたときも同様に、大袈裟なくらいに感嘆の声を上げていた。


 あのときの顔といったら。

 思い出しただけで顔がにやけてしまいそうだ。


 自分のためだけに作ってきた作物が、誰かに食べられて、そして喜ばれる。

 また違った喜びを見つけたような気がして嬉しいのだ。


 次は人参、そして胡麻。

 宸柳はまた喜んでくれるだろうか。

 今から楽しみで仕方がなかった。


「何か楽しいことでもあったのかな? どうやら私の話が耳に入っていないようだ」

「……え?」


 突然飛んできた声に、ハッと我に返り顔を上げる。

 目の前に苦笑する龍聆がいて、自分の後ろからは玉麗の冷たい空気が流れてきた。


 しまった。

 どうやら畑での出来ごとを思い返して、龍聆の講義を疎かにしてしまっていたようだ。

 まったく耳に入って来ず、それどころか思い出し笑いもしていたらしい。


 失礼な態度を取ってしまい、シュカは慌てて頭を下げる。

 真面目に話をしてくれているのにどこかに気をやるだなんて、これはあとから玉麗にお説教を貰うに違いない。


「少し飽きてしまったかな?」

「いえ、そんなことは! ……すみません、集中します」


 龍聆にこんなことを言わせてしまって申し訳ない。

 背筋を伸ばして、今度こそしっかりと聞く姿勢を持った。


「いや、人間、そういうときもあるものだよ。少し休憩しようか。――玉麗、少し早いけれど、お茶の用意をしてくれるかい?」

「かしこまりました」


 いつもならば、玉麗がお目付け役で講義中は側にいて、お茶は時間を見て春凛か華凛が持ってきてくれることになっている。だが、今日は早めに休憩に入ったので、玉麗自らがお茶の準備をしにその場を離れた。


 二人きりの気まずい時間が始まる。

 こんなことならちゃんと話を聞いていればよかったと、今さらながらに後悔した。



「ところで、先日出した課題の答えは導き出せたかな?」


 妙な静寂を打ち破ったのは、龍聆の方だった。

 課題と言われ、そう言えばと思い出す。


 ――何故、龍は龍妃を複数人選ぶのか。


 彼はそう問うてきたのだ。

 もちろん、シュカも考えた。

 考えたが、結局ありきたりな答えしか出せず、しかもそれでは理由としては弱いと思わせるものだった。


「……やはり、龍帝の血を引いた子を確実に残すためではないでしょうか」


 わざと分からないふりをした。


 子孫を確実に残すためというのは、おそらく違うだろう。

 龍聆が満足そうに目を細めたのを見て、それを確信する。


 そこに何か重大な秘密があると示唆しているような気がして、無闇に触れるのを恐れた。そうでなければわざわざシュカにこの質問をする意味がない。


「あの、どうしてこれをわざわざ課題に? 何か私の知らないことがあるのですか?」


 多分ではなく、おそらく絶対。

 そもそも、シュカを龍妃に選んでおきながら、結局龍妃が何をすればいいのか具体的な説明はされていない。

 暗に、シュカに与えられているのは龍妃という称号だけで、資格ではないと言わんばかりだ。


 だから、龍聆の質問に怯える。

 知らない何かが今後シュカや、そして宸柳ですらも苦しめるのではないかと。

 往々にして、秘密というのは悪いものだ。


 そして、龍聆に有利なものなのでとしたら。

 シュカは、不安に胸を掻きむしられるような思いをしながら、彼の言葉を待った。


「いや……ただ、随分と龍というのは意地の悪いものだな、と思って」


 龍聆はその美しい顔で妖艶に微笑む。


「天候すらも操る神通力を与えるのに、種の保存は生来の生存率に任せるなんて。皇帝の跡取り問題など、腐るほど起こっているのにそこには関知しない。もしも、龍帝という脈々と受け継がれる、まさに龍の体躯のような太くて強靭な血筋が一本あれば済むはずなのに」


 そうすれば、龍聆は皇帝の座を引きずり降ろされることもなかっただろう。

 龍帝と龍妃から生まれた、生まれながらの龍帝がいればこんな悲劇はなかった。そう言いたいのだろうか。


 シュカは龍聆に戸惑いの視線を送った。

 今さら、もう構築された定めに文句を言ったところでどうなるのだろう。


 龍の恩恵に与ってきたのは人間だ。

 これ以上望んでも、結局堕落させるだけだというのに。


「そこまで龍も面倒を見切れないということでしょう。百年前に一度、龍がこの国を見放したように、そうそう甘くはないということでは?」

「なるほどね。でも、こうは考えられないかい? ――別に目的があるのではないか」


 無意識に息を呑んでいた。


 龍妃を複数人選定する理由。

 それは――。


「きゃあぁぁぁっ!」


 その瞬間、後宮内に絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。

 シュカも、そして龍聆も構えるように腰を浮かせる。


「何ごとか!」


 外廊下を慌ただしく走る侍女に、龍聆が鋭い声で聞く。

 すると、その侍女はその場で一揖して、「恐れながら!」と震えた声で話し始めた。


「しゅ、珠玉龍妃様の房間(部屋)から、呪言が刻まれた符が見つかりました!」





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