表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/31

14.シュカのこと、知らない世界のこと



「へ、陛下、それはダメですよ! 引っこ抜かないでくださいね?」

「あぁ、シュカ、来ていたのか」


 ピタリと手を止めて彼は仰ぎ見て、少し驚いたように目を丸くした。

 立ち上がり、シュカを見ながら狼狽した顔で、先ほど自分が手を伸ばしたところに目を落とす。


「引っこ抜いてはダメなのか? 雑草だと思ったのだが」

「違います。あれは私が植えた芹菜です」

「そうなのか……見分けがつかないものだな」


 どれも同じように見えるのだろう。見慣れない人からすれば当然だ。素人からすれば、どれも同じ緑の草だ。


「すまないな。また余計なことをするところだった」


 宸柳は酷く暗い顔をして落ち込んでいた。そこまで気に病む必要はないのにと思ったのだが、「また」と言っていたことから、もしかすると前回の件が尾を引いているのかもしれない。


 どうやら、気にしていたのはシュカだけではないらしい。

 それが分かって、少し笑えてきた。

 龍帝ともあろう人が、下女ごときに心を痛めているなんて、普通ならありえない。

 けれども、宸柳ならありえそうだと思えるのだから不思議だ。


「いいえ、大丈夫ですよ。――それにしても、突然どうしたのです? 草取りでもしてくれるつもりでした?」

「あぁ。俺も何か手伝えることがあればと思ってな」


 またお礼の延長の話だろうか。

 金子を渡されるよりは嬉しいか、と、シュカは「分かりました」と頷く。


「なら、今日は一緒に草むしりでもしましょうか」


 こんな場面、玉麗が見たら卒倒しそうだ。

 シュカにでさえ土いじりなどとんでもないと言っているのに、宸柳にやらされたとなると、首切り殺されるのではないだろうか。


 だが、手伝いたいという心意気を無駄にせずに買ってやろうではないか。

 シュカはニヤニヤしながら小屋から茣蓙を持ってきて、宸柳に渡す。


「帰ったときお召し物が汚れていたら、怪しまれるでしょう? これに膝をついて作業をしてください」

「すまないな、ありがとう」


 心なしか宸柳は心が弾んでいるように見える。

 草むしりなど初めてするので、好奇心が止まらないのだろう。


「いいですか? 畝の真ん中に生えているのは基本的に作物です」

「畝?」

「……盛り土です」

「あぁ、そうか。なるほど」


 畑の前に茣蓙を敷いてそこに膝を突いた宸柳は、さっそく見渡して一本の草を指さした。


「なら、これは雑草だろうか」

「はい」

「じゃあ、これと同じものを引き抜いていこう」


 要領を得た宸柳は、嬉しそうに雑草を引き抜き始めた。まだ若い芽なのですぐにでも抜けてしまうそれは、あっという間に彼の手によって駆られていく。


 かといって無闇に抜いているのではなく、判断のつかないものはシュカに確認してくる。そして一度覚えたら、布に墨汁が滲み込むように吸収していく。


「何故茣蓙の上に雑草を置いているんだ? 何かに使うのか?」


 シュカは、もう一枚茣蓙を側に敷いて、そこに雑草を置いていた。

 それを見て、宸柳は不思議に思ったのだろう。雑草はこのまま土に還せばいいのでは? と。


「……いえ、ただの癖です。どうしても捨てられなくて」


 苦笑すると、宸柳は「癖……」と呟いて、茣蓙の上の雑草を見遣った。

 まだまだ答えを欲しがっている顔だ。


「陛下、知っていました? 雑草は食べられるんですよ」

「雑草を? 食べられるのか?」

「毒が入っていなければ、大抵の草は食べられます。あとは、味にこだわらなければですが。それに、意外と栄養があって、ときには薬にもなります」

「では、薬にするために?」

「ときには。ですが、ほとんどが単純に腹を満たすためです」


 ごくりと息を呑む音が隣から聞こえてきた。

 何かをシュカに言いかけて、また口を閉ざした彼は、気まずそうに地面に目を落とした。


「安定的に作物が取れれば、そんなことしなくてもちゃんとした食べ物を食べるのですがね。でも、そうでないときもある。旱魃で、もしくは冷夏で作物が上手く食べ物が育たずに、腹を満たすことができない」


 それが自然の摂理だ。

 人間も作物も、十分な養分を得ることができなければ枯れて萎れてしまう。


「生きるために、ムラの皆何でも口にしました。雑草は、私たちにとって命綱でした。木の皮を食べたり、土を口に入れる者もいた」


 宸柳の顔が徐々に顔色を失くし、気分が悪くなってしまったのか口元を手で覆っていた。

 高貴な身分の人たちは知らない。下々の人たちの悲惨な暮らしを。


 飢饉が起きても、宮廷の食事は品数こそ少なくなっても問題なく用意されていただろう。

 けれども、一方で飢えに苦しみ、死にゆく者もいた。

 

 それを知ってほしい。

 彼が龍帝ならばなおさらのこと。


「……だが、もうそんなことは起きないだろう。俺が神通力で天候を安定させている。旱魃も冷夏も豪雨すらもなく、穏やかな気候が続く」

「ええ。龍帝がいる間はそうなのでしょう。ですが、またふとしたときに龍の怒りを買って、それを取り上げられたら? また、飢えに苦しむのでしょうか」


 この国は、龍に依存している。

 神通力は便利で、龍華葵国を豊かにしているのはその力だと言っても過言ではない。


 だが、逆に失ったときの反動が凄い。

 百年間、その反動に苦しめられてきたのだ、シュカたちは。


「そう思ったら、もったいなくて雑草ひとつ捨てられないのですよ、私は。だから、癖なのです」


 畑から少し離れた生垣の側にちょうどいい雑草が生えているのが見えて、シュカは腰を上げてそこに行き、プツリと音を立ててそれを取る。


「これはスベリヒユといいます。暑さに強くて、比較的どこにでも生えているのでよく採れます。それに味もいいのですよ。生薬にもなりますし」


 これがそうだと宸柳の目の前に差し出すと、黄色の大きな目でスベリヒユをまじまじと見つめていた。

 光沢のある肉厚な葉に、赤い茎。これを乾燥させると馬歯莧ばしけんという漢方薬になり、解熱剤や解毒剤にも使えるのだと教えたら、彼は感心したような声を出していた。


「たしかにお金があれば何でも買えるのでしょうけれど、でも買えるものがないというときも、地方では往々にしてあるのです。腹も満たせない銅銭よりも食べ物を寄越せと、皆が思う」


 このスベリヒユの方が価値がある。そんな時代を生きてきたからこそ思うのだ。

 だから、今でもなおお金に価値を見出せない。


「すみません。陛下のお気持ちは嬉しかったのですが、いろいろな想いがこみ上げてきて、意固地になってしまいました」

「いや、悪いのはこちらだろう。俺は農村のそんな状況を何も知らずにいたのだから。知らなくてはいけなかったことを知らなかった。これは……罪だ」


 シュカの手からスベリヒユをとった宸柳は、それを見つめながら目を細める。そして、大事そうに茣蓙の上に置いた。


 彼の様子を見ていたシュカは、胸がウズウズとしてきた。

 

 シュカが大事にしているものを理解し、尊重すらしてくれたのだ、宸柳は。さらに、自分も同じように大事にしてくれる。


 龍妃になってから、ずっとシュカの価値観が否定されてきた。田舎臭いと鼻で笑われ、今すぐにでも捨てなさいと言う。

 農作業も土臭いと嫌悪し、相応しくないと切り捨てた。

 どうして大事にしているのかと話そうとしても、耳すらも貸してくれずに頭ごなしにいらないと吐き捨てられて終わっていたのだ。


 でも、宸柳は違った。

 彼だけは、話を最後まで聞いてくれて理解を示してくれて、否定をしない。

 シュカのこれまでの生き様を、なかったことにしようしない。


 本当は瓊妃だということを知らないから当然の反応なのかもしれない。そうだ、今のシュカは宸柳にとってみればただの下女だ。わざわざ否定するほどでもないのかもしれない。


 でも、嫌な顔ひとつされない。話に相槌を打ってくれる。些細なことにこんなにも幸せを感じてしまうなんて。


「もしお前が良かったら、もっと話を聞かせてくれ。俺は足元を見下ろすだけではなく、広い視野を持った龍帝になりたい」

「銀鬣宮の密偵行為以外にですか?」

「そうだな。世間話程度でいいから、俺の知らない民の暮らしを教えてくれ」


 これで、と宸柳は赤子のこぶし大の巾着を二つ、シュカの手に乗せた。

 軽くて音もしない。お金ではないそれを見つめてひとつ瞬き、シュカは窺うように宸柳に目をやった。


「言っただろう? 礼を他のもので考えると」

「……本当に考えてきたのですか?」

「当然だ。やはり、礼はしておきたいからな。それで、シュカが喜ぶものを考えた。開けてみろ」


 いったい何だろう。

 ドキドキしながら、巾着のひとつの紐を解いて開けると、シュカは中に入っていたものに歓喜の声を上げる。


「種、ですか? なんの?」

「人参と、胡麻だ」

「え? えぇ? ほ、本当ですか? 人参と、胡麻! いいのですか? いただいても」

「あぁ、もちろんだ。しかし、喜んでもらえてよかったよ」

「喜びます! 本当に嬉しいです! ありがとうございます!」


 飛び上がって、種を持ったまま両手を天に掲げて感謝を表す。

 種を貰えるなんて、滅多にないことだ。

ムラでもソウケイにも何度か交渉してみたが、やはり自分の家の食料を他人にあげるほどの余裕はないと断られてしまった。シュカだって、大切に育ててきた種を誰かにあげることはしないだろう。


今の畑は小さいので、もっと耕地を広げたい。

けれども、限られた土地での農作なので贅沢なことは言えない。


残念ながらこれは芹菜が収穫終えたら蒔くことになる。

けれども、またここにいる楽しみが一つ増えた。


「やはりお前はそういうものの方が喜ぶのだな」

「そうですね。私の一番のご褒美です。あぁ、これから植えるのが楽しみだなぁ」


 うふふ、と夢見心地で種を見つめる。


「だが、どこに植える? もう畑はいっぱいだろう」

「芹菜を収穫したあとにですね。もう一回耕して、土に栄養を与えてから畝を整えてそこからなので、秋の初めにはもう少し早くできるかもしれません」

「栄養? 土にも必要なのか?」

「それはもう。作物は土の栄養を吸って育っていますから。去年作った堆肥が残っているのでそれを使って、土にもう一度栄養を与えます」


 ムラでは家畜の糞などを使っていたが、ここでそれは望めないので、代わりに落ち葉を使った堆肥を秋の終わりに作り始めている。少し手間と時間がかかるので、コソコソと作るのには大変なのだが、それでも作物づくりには欠かせないものだった。


「農作業も大変なのだな」

「簡単だと思っていました?」

「……笑うなよ? 種を植えて、水を与えれば勝手に生えてくるものだと思っていた」

「ふふっ」


 思わず噴き出してしまい、宸柳は恥ずかしそうにこちらを睨みつけてきた。

 だが、自分に関わりのない仕事の認知などそんなものだ。


「私も皇帝は、玉座の上でふんぞり返って命令しているだけだと思っておりました。まさか、一緒に雑草取りをすることになるなんて」

「俺も正直、龍帝になるまでもっと楽な仕事だと思っていたよ。こうやってここに来る時間が、息抜きになるくらいに忙しくて狭苦しい」


 宸柳もくすりと微笑む。

 そうか、息抜きになっているんだ、とシュカは少し嬉しくなった。


 実はシュカも、今日ここでいろいろ話している時間が楽しい。

 久しぶりに爽快な気分だし、胸が躍った。


 身分の違い、価値観の違いでシュカが一方的にモヤモヤしてしまったが、今ではそんなことが申し訳なくなるほどに、宸柳の誠実さ、正直さに心を打たれている。


 そして感謝もしていた。

 自分が、本来どんな人間かを思い出させてくれたような気がする。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ