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12.それは完全なる濡れ衣です



 ――龍聆と瓊妃は実は恋仲である。瓊妃が彼に目をつけて、勉強のためと言いながら、秀英に頼み込んで銀鬣宮に招き入れた。

 宸柳に相手にされない当てつけのつもりだろうが、同時に鈺瑤への当てつけでもあるだろう。

 おぼこい顔をしながら、瓊妃はその実悪女で、龍聆に取り入って藩家に相対する勢力を作るつもりなのだろう。

 すでに、身体で彼を篭絡しているのかもしれない。


「……以上が、私が仕入れた噂話です。全くもって不愉快で憤慨ものではございましたが、瓊妃様を貶めるものばかりでした」


 シュカはムスッとした顔で宸柳に報告をする。

 その顔があまりにも酷かったのだろう。彼は目を丸くしていた。


「そ、そうか、それはご苦労だったな。しかし、何故お前がそんなに不快に思うのだ。瓊妃に同情したか?」

「まぁ……似たようなものです」


 これで怒るなという方が無理な話だ。

 璜呂宮に来てから一年、シュカは誠実に生きてきたつもりだ。

 侍女たちの言葉に従い、作法を学びいつか来るであろう宸柳のために己を磨いてきた。

 学びたいと、文字を覚えたいという希望を無下にされてもなお、それでも腐らずに活路を見出しやってきたというのに。


 勝手にあてがわれた龍聆と会うだけで、こんなにも根も葉もない噂が付いて回る。

 必ず何かしら言われているだろうと思っていたが、まさかここまで酷いものだとは。


 怒りが収まらず、宸柳に会う日まで腸が煮えくり返るような日々を過ごしてきていた。

 こうやって話しても気が収まらないのだが。


「とにかく、瓊妃様は噂で言われているような、ふしだら女ではありませんし、ましてや陛下がいる身で龍聆様を誘惑するなど絶対にありません。か、身体を使ってなどあるはずが……!」

「お、落ち着け。大丈夫だ。そこら辺の噂は、眉唾だと分かっている。龍聆も誘われたからといって、ホイホイと身体を許すような人間でもない」

「……陛下が分かってくださるならいいのですが」


 宥められて、シュカはようやく怒りを治めた。

 最初から眉唾だろうと言ってもらえるのはありがたかった。


(しかし、身体から篭絡とか)


 自分の起伏に乏しい身体を見下ろして、重い溜息を吐く。

 どうやってこの身体に自信を持てと? と首を傾げたくなる。


「だが、瓊妃は噂で言われているように性格が悪いのか?」

「いいえ、そんなことはないと思います」


 自分で言うのも何だが、こんなことを企むほど捻じれてはいない。そもそも、シュカ自身、権力などには興味がなかった。

 男性を篭絡するだなんて考えすらも出てこない。


「なら、シュカから見た瓊妃はどんな人間だ」

「それは……」


 自分で自分をどんな人間かと問われ、シュカは思わず視線を彷徨わせた。自分をどう説明していいか分からない。

 けれども、目の前の畑に目をやり、日の当たる畝を見つめる。

 その下には先日植えた芹菜の種があって、もうすぐにでも芽が出るだろう。日の光が良く当たり風通しのいいこの場所ならば、きっとすくすくと育つだろう。


 自分は、そればかりを願う人間だ。

 素朴で、ひたむきに己の夢を追いながら土を見つめる。


「ただ今いるところで必死に地に足をつけて、生きているだけですよ。何もできないという人生で終わりたくないと、必死になっているだけの……普通の人です」


 夢はあるが野望はない。

 その日の食事を心配し、懸命に畑を耕すシュカという人間は、後宮にいても本質は変わらないのだ。


「随分と瓊妃に詳しいのだな。親しいのか?」

「え? い、いえ、ただ、そうなのかなぁと思っただけです!」


 感情が篭ってついつい自分の言葉で話してしまった。

 不思議そうに見る宸柳に向かい、シュカは両手を横に振って否定する。危ない危ないと内心冷や汗を掻いた。


「とにかく! 瓊妃様は野心など抱く人ではなく、ただ朴訥とした人です。私には何を企んでいるとは到底思えません」


 実際に何も企んでいないのだから、ここは念入りに説明しておこうと力を入れた。

 宸柳も話を聞いていて納得できたのか、それ以上探るようなことは言ってはこない。


 一旦、情報を精査しようと仕切ってきた。


「全体的に見て、瓊妃を貶めるような噂しかないところを見るに、噂の出どころは鈺瑤側だろうな」

「珠玉龍妃様自らが流したと言うのですか?」

「いや、あいつは清廉潔白な人間だ。そういうことは好まないだろう。大方侍女たちが好き勝手に流しているに違いない。あそこは藩氏の分家からやってきたおなごばかりだ。藩氏の姫である鈺瑤の立場が有利になるようにと働きかける者ばかり。それに十人ほどいるからな。あっという間に広まってしまうだろうな」


 こちらは侍女三人だというのに、名家は十人という大所帯。さぞかし、大事に扱われているのだろう。その差に、シュカは何だか虚しくなる。


「そもそも、陛下が瓊妃様の元に通わないからこんなことになるのでは?」

「だから、通えない事情があると言っているだろう」

「珠玉龍妃様を寵愛しているから?」


 積極的に通って来いとは言わないが、多少は顔を見せるくらいのことをしておけばここまでシュカも言われなかっただろう。宸柳にも責任の一端はあるのでは? と、ここぞとばかりに責める。


 たとえ、鈺瑤を愛しているからだとしても、シュカも龍妃に選ばれた以上、それ相応の扱いがあってもいいはずだ。

 夫婦としての契りを交わすつもりも、話すらするつもりがないのであれば、それこそ故郷に帰してもらいたい。


 ところが、宸柳は神妙な顔をして首を大きく横に振る。

 とんでもないとばかりに、大きな溜息まで吐く。


「俺は鈺瑤を愛してなどいない。――愛してなどいけないだろう」


 まるで、己を戒めるように言う。

 何故そんなことを言うのか。

 シュカは、身を乗り出して皿に問い詰めた。


「どういうことです?」

「……だから、龍聆の許嫁であった彼女を愛せるわけがないだろうということだ」

「えぇ⁈」


 シュカは思わず出てしまった悲鳴を抑え込むように両手を口に当てる。


 あの二人が許嫁同士?

 そんなこと初耳だ。


「なんだ、知らなかったのか? もともと、龍聆が皇帝だったときに、丞相だった藩の娘である鈺瑤が後宮入りすることが決定していたのだ。ところが、俺が龍帝になった途端にとりやめ、彼女は龍妃選抜に挑み選ばれた」

「えぇ? 許嫁の弟の嫁になると分かりながらも、龍妃選抜を受けたのですか?」

「貴族の年頃の娘は全員受けるしきたりだったし、藩も娘が龍妃になれる機会があれば見逃す手はないだろう。たとえ、それが龍聆への不義理だったとしても、龍聆はそれを甘んじて受けるしかない立場だった」


 思っていた以上にドロドロした関係で、シュカは気分が下がっていく。

 それならば、なおさら龍聆に関してあちら側が敏感になるのは当然のことだ。


 シュカが龍聆と仲良くするのは鈺瑤への当てつけだと言う噂が、いまいち腑に落ちなかったのだが、なるほど、こういう事情があるからこその噂だったのだ。


「つまりは、龍聆様は、陛下に皇帝の地位を奪われたどころか、許嫁まで奪われた……?」

「そういうことだ」


(……何て不憫なお人)


 今まで苦手意識を持っていたが、龍聆に同情してしまう。

 彼は宸柳の前に龍が降り立ったことで、本当にすべてを失ってしまったのだ。


「……陛下……不可抗力とはいえ、相当恨まれているのでは?」

「……お前もそう思うだろう? だが、龍聆は俺を責めることなく、言祝ぎを贈ってきた。鈺瑤とのことも祝福し、あっけなくすべてを明け渡した。彼らしいとは思うが、だがその静けさが不気味だとも思う。何かしらの憤りがあってもいいほどの理不尽さが突如として襲い掛かってきたのだから」

「何かしら表には出さない闘志が龍聆様の中にあってもおかしくないですよね。勝手に瓊妃様の老師(先生)を買って出るくらいですし」

「そこに何かしらの意図があると思うのは、俺だけではないはずだ。普段は優しく人格者ではあるのだが、ふとした瞬間にこう……言葉には言い難い怖さがあると言うか」


 分かる、と思わず頷きたくなった。


 何故、彼は鈺瑤ではなく、おまけの姫と言われるシュカに近づいてくるのか。

 ただ秀英に言われてやっていることなのだろうか。そこまで主体性がない人には思えない。


 それこそ、裏切った鈺瑤への当てつけなのか。それとも、宸柳の妻の一人を寝取ったと悦に入るためなのか。


 いやいや、もっと単純に考えてみよう。


「もしかして、瓊妃様をだしにして、珠玉龍妃様に会おうとしている……とか?」

「龍聆に未練があると?」

「愛ゆえの行動とか」


 これならばどうだとしたり顔で言うと、枯葉難しい顔をした。


「……やはりそうなのか?」


 ぼそりと呟かれた言葉は、どことなく心当たりがあっていっているような気がした。


「そもそも、秀英様が積極的に龍聆様を後宮に入れているのも不可解です。陛下、少しは注意してみては?」

「簡単に言うがな、自分の身の回りの人員を揃えるのにも苦労したのだ。それもわけあって古参の秀英を据え置くしかなかった。藩を丞相から外したことで相当反発を食らったからな。いまだに、俺の言葉に耳を傾けない者もいる」

「やはり、陛下のお力が及ばない場所があるのですか?」

「突然の即位だったからな。仕方がないこととはいえ、側室の子どもで、しかも母親の身分は卑しいときている。反発は必至だ。だから……まぁ、いろいろとあった」


 彼は歯切れ悪く言葉を締めくくり、押し黙ってしまった。

 とにかく、シュカには言えない何かがまだあるらしい。それも秀英に関することで。


 姜宸柳という男は、龍帝に選ばれるその日まで、辰耀の外れにある離宮で暮らしていた。

 皇帝であった父の子ではあったが、母は平民の出だ。

 母の父がいち兵士から成り上がり、武勲を上げて将軍になった男で、畏れ多くも褒美に自分の娘を皇帝の側室に召し上げていただきたいと言ったのだ。

 父は、その豪気を酷く気に入り、周囲の反対を押し退けて娘を後宮に迎え入れた。


 そして生まれたのが宸柳。

 だが、やはり生みの母の身分が卑しければ、その子どもも同じ皇帝の子どもと言えども、正室の子である龍聆とはまったく扱いが違った。


 名前に『龍』の文字を貰えなかったことで、それは顕著になった。

 皇帝の子は皆、いずれ龍帝になることを願い名に『龍』の文字を入れるしきたりなのだ。


 半ば、血は受け継いでいるが、皇帝に後継者には選ばれなかった者と烙印を押されたようなものだ。


「情けないことに、今の俺には藩家の勢力を少しずつ削ぐくらいのことしかできない。秀英も董と名乗ってはいるが、元は藩家の分家の出。なかなかに手ごわい」


 実際、シュカに会いに来ないのも、秀英が邪魔をしているからなのだと言う。


「瓊妃は御前に出せるほどの作法を身につけていない。それが整わないうちは無理だとずっと言われていてな」

「あぁ……秀英様って、どこか人に有無を言わせない圧力を持っていますよね。そして絶対に折れない」


 龍聆に関してもそうだったと、シュカは遠い気持ちになった。


「だが、まぁそうも言っていられない事態が起きているからな。何としてでも瓊妃には会わなくてはならない。その前に、一年間放置している間に彼女を取り巻く環境がどうなっているか知りたかった」


 シュカに改めて間諜を頼んだのにも、そこに理由があるのだそうだ。


「け、瓊妃様に会わなくてはいけない理由とは?」


 だが、シュカはそれでは困ると、声を上ずらせながら理由を聞いた。

 もしも彼が会いに来たら、シュカの正体がバレてしまうのではないか。


「それは瓊妃に直接話す」

「……そうですよね」


 下女に話すことではない。

 たしかにその通りだとシュカはしょぼくれた。


「まぁ、今いまの話ではない。その前に、秀英をどうにかしなくていけないし、もう少し瓊妃の人となりを知りたい。……俺の味方になってくれるか否か。そこを見極めてから動いてもいいだろうしな」

「人となりですか。ということは、まだ私はお役御免には……」

「ならないな」


 明朗にきっぱりと断る宸柳を見て、シュカはげんなりとした。

 さすがに自分のことを調べるのには限界があるものだ。春凛たちに瓊妃のことを教えてほしいと言ったら変な顔をされるだろうし、人脈がないシュカには限界がある。




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