2019 恋心
最初にゴリアテを見かけたのは、高校に入学してすぐのことだった。これから共に一年を過ごすことになるクラスメートたちの印象がパァになるほど、入学式会場の体育館で見かけたゴリアテの姿は、わたしの心に酷く濃い印象を残した。
やたらにデカい頭身に、人食い花みたいな顔面。世を呪っている人間特有の暗澹たる陰りの立ち込めた眼。わたしはただ横目で見やっただけの大男を傲慢にも憐れんだ。
『人生における持ち札が悪いのだ。きっと人より何倍も惨い目に遭ってきたのだろう。おまけにこんな中途半端な偏差値の高校に進学してきて、これからは毒にも薬にもならないような学習の日々を送るときた。もしも運さえも悪ければ、努力の手抜きをして可もなく不可もない結果を得ることだけに秀でた性の悪い猿たちにいびられる日々を送ることにもなるだろう。彼の青春は誰かの青春から零れ落ちたストレスのはけ口になる。ああ、かわいそう。かわいそう。』
当時、わたしはこんな有害な思考を頭の中で巡らせていたくせに、周囲の人間からしたら人畜無害なお利口さんで通っていた。誰かにとって始末の悪い主張は上げなかった。だから絶望はいつも一人でするものだった。
本当はもっと優秀な高校へ通えるはずだった。だけど、家庭の事情は十人十色。子に色は変えられない。なぜなら、色の決定権は親にある。わたしの母親は仮に露呈すれば世間に非難されるような学歴コンプレックスの持ち主で、家族に一切のそういう話を禁止させていた。たとえば、インテリだとか東大だとかMENSAだとか、とにかく人間の脳機能を示唆するワードを嫌っていた。
そんな、言わば学力アンチ一色に染まった家庭で育ってきたわたしは、しかしながら不思議と独立された自意識によって「ああはならないようにしよう」と、母を反面教師にした。結果、小学校から中学校まで成績良好、高校は引く手あまた、とまではいかないけれど、同級生には手の届かないようなレベルの高校を選り好みできるまでに賢くなった。
それなのに、いざ入学したのはこんな普通よりもちょっといいくらいの偏差値で、必死に勉強してこのレベルの人間か、そつなくこなして丁度いい妥協点をここに据えた人間か……骨のない同い年、仮にあったとしても出汁の出ない骨しかない同い年……わたしは新入生代表の挨拶を述べるために壇上へ上がる間中『切磋琢磨してお互いを高め合いましょう』などという台本上の台詞を踏みにじるような感覚で歩を進めた。
家から近い。そんな理由でここに進学したのだと思うと、我ながら信じられない気持ちがした。母は母の姉、わたしからすると叔母さんに散々学力の差をつけられて、実の母親に「おまえもあの子も同じ腹を痛めて産んだはずなのにどうしてこうも違うのか」などと貶されて、実の父親にはいまわたしが置かれている境遇と同じように一度として庇われることもなく、とうとう絶縁という形式でくくれる程の喧嘩別れをしたのだという。
確かに、当時十代もそこそこな少女にとっては酷な話だ。大人になっても学歴に対する怨嗟を募らせたままというのも頷ける。ただ……それでも、娘の門出は純粋に祝ってほしかったと、それがわたしの、口を噤んだ正直な気持ちだった。
わたしはこそこそと賢くなった。家庭の色を乱さぬように、子という立場を弁えながら賢くなった。いざわたしの高校進学についての家族会議に居合わせた時、わたしは強張った母の顔を上目遣いに見ながらなんと言ったか。「まあ、そんないいところへ行かなくても……」ても、なんだ。馬鹿馬鹿しい。嫌になる。
こうして、わたしは頭だけ賢くなったまま、ちっとも心が鍛えられていないまま、新一年生としてどこまでも地続きに人畜無害なお利口さんを演じる羽目になった。こんな当てつけのような黒縁眼鏡をかけて、まるで阿保みたいじゃないか。ここの高校の校風はなんだったろうかとマイクの位置を確かめながら記憶を探っている途中で『文武両道』という言葉に行き当たり、生徒会長にでもなって生徒全体の大学進学率に遮二無二貢献するためだけの校風に塗り変えてやろうかと苛立つ。
わたしは〝当人の痛みは当人にしか分からない〟という言葉を本当に擁護している。だって、わたしのこの痛みを吐露したところで「自分のしたいようにすればよかった」とか「自業自得だ」とかいう、不理解の化身みたいな一辺倒の返答ばかりを投げつけられるに決まっている。
わたしは賢治を敬愛している。〝人のためになるならば自分の身などどうでもよい〟そういう滅私奉公の姿勢が美徳なのだと、本当に擁護できるからだ。
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
それが清く正しい人間の生き方ならば、わたしは既に清く正しい人間だ。褒められるような生き方も、苦にされるような生き方も、どちらも選ばず、ただぐずぐずとこんな怠惰の吹き溜まりみたいな環境で燻ぶることを選んだのだから。そうだろう!
そんな気持ちでコピペと主観を織り交ぜたあくまで優等な新入生代表の挨拶を述べ終わり、せっかくの浮足立った心持ちに野暮な横槍を入れられたと不機嫌そうな眼、教師たちの見え透いた謀略にまんまと焚きつけられてたまるかと伏されがちな眼……大方好意的ではない眼の数々を見下ろしている中で、わたしは懸命に、保護者席にある母の眼を探さないようにと苦心していた。
なるべく晴れ晴れとした印象にならないよう、謙虚に、こんな大役がわたしなんかにと戸惑った風を装ったけれど、どうだろうか。あんなに惨めな感情を押し殺そうとしたことは、それまでの人生を振り返ってみても、あれっきりだ。
わたしはわたしの心の弱さそのものに壇上で頽れそうになりながら、したくもないのに礼をした。そして、顔を上げた。
あれは、灯台のようなものだったと思う。
ゴリアテはまだ十五歳か十六歳か、それほど背丈のいかない新入生たちの黒い頭が夜の海のように揺れる中、やたらにデカい頭身を突き出して、人知れず自失しかけているわたしのほうを真っ直ぐに見ていた。
デカすぎる──わたしは思いがけず破顔しかけた。それでも口元には柔らかくふやけた笑みが浮かんでいたかもしれない。
ゴリアテと、恐らく目が合った。やはり世を呪うような眼を、途方もない対象にいじける殺意を閉じ込めた、暗く光る眼をしていた。わたしはさっさと壇上から下りたけれど、先程上がっていった時とは明らかに心持ちが違っていた。
うれしいような、誰かの頭を後ろからひっぱたいてカラッと笑いたくなるような、投げやりとも言っていいし、足りているとも言っていいし、わくわくして、少しばかりツンとする、とにかく奇妙な、わたしがまだ少ない人生の中で初めて体験する心持ちだった。
いま思えばあれこそが、恋心の萌芽する、そのあまりに刹那的な疼きと呼べるものだったのかもしれない。