副産物の器
扉を足で我ながら器用にこじ開け、重い足を引きずって家へ帰宅する。
そしてリビングに入るなり待ったをかけられる。
「おかえr、ちょちょちょちょっと待てよ!?その子どうした!?」
輝全がやや駆け足でこちらに向かってくる。
「あぁ、その、詳しい話は後にしよう。それよりこの子を。」
「おっ、おお、分かった。その子をこっちに。」
私から少女を取り上げ、傍のソファーへ寝かす。
何やら輝華の姿が見えない。
「あれ、輝華姉ぇは?」
少女に優しく毛布を掛けてあげながら淡々と輝全は答える。
「あいつ、さっきカレーに得体の知れない調味料をかけて腹壊したんだ。なんというか、あれはヤバいやつだ。どっから買ってきたのやら。」
と机の上に寂しく佇む得体の知れない調味料とやらを指差す。
外見はタバスコそのものだったが肝心の中身が問題だった。
「液体が虹色なんですけど、これ。・・・臭っ・・・」
もはや化学物質の領域に達している、そんな論文がどこからともなく聞こえてくるような悪臭だった。
そっと机の上に納め、軽くお祓いもしておく。
輝全が輝華に言っていた嫌味を思い出し、察する。
これ絶対拾ってきたやつだと。
「さてぇ、百鬼夜行の土産話を聞かせてもらおうか。」
そう座布団の上で胡座をかきながら私の分の座布団を差し出す。
私は正座し、上座と下座の位置関係を整える。
そんな時、輝華がひどく窶れた姿で舞い戻ってきた。
そして少女の存在に気づくなり声でない声で言う。
「あれ・・・、その子・・・、だれ・・・?」
私と輝姉ぇは揃って呆れ、渋々座布団を用意する。
そして告げる。百鬼夜行の一部始終を。
「ーーーとまぁ、こんな事があって、やむを得ず連れて帰ってきたんだよ。」
私は少女を見ながら話に終止符を打つ。
輝姉ぇは私に慈しみの眼を向けながら呟く。
「お前、なんだろ・・・、その、とことんついてないよな。それにしても驚いたな。殺人犯未遂か・・・。」
何やら心当たりがあるような反応をする輝姉ぇ。
「何か知ってるの?」
「いやね、実は5年くらい前にここらで殺人事件があったんだ。しかもその殺人犯の消息が未だに掴めていないという。もしかしたらそいつが・・・?」
聞けば5年くらい前、ここの地区で中学二年生の女子が殺人に逢うという事件があったらしい。今回私と少女が遭遇したあいつの特徴とかつての殺人犯の特徴が酷似していることから同一人物の可能性が高いそうな。
私は静かに固唾を飲む。
今まで私の隣で何やら深く悩んでいた輝華姉ぇがここぞとばかりに突如咆哮をあげる。
「ああ!!」
私と輝姉ぇはさりげなく吹っ飛ぶ。
「なっ、何!?」
「んだよ!?」
私達の驚きと怒号にも似た声を受け流し、スマホを取り出し、何かを検索をかけたかと思うと画面を押し付けてきた。その間、0.9秒。
神々しいブルーライトの放つその画面には
「英雄の幼子、IQ160の天才少女!」
とデカデカと掲げられているその文字の下にマスクをした少女の写真がデカデカと強調表示されていた。
「へぇ、IQ160てすごいな。」
「大人んなったらアイ○シュ○イ○のIQ、越えんじゃね?え、ヤバくね。」
「いやいや、鈍感が過ぎないかい?」
すっかり元の調子に戻った輝華姉ぇの冷ややかな一括が響く。
「真意はそこじゃなくて、この子の顔をよく見て。」
輝姉ぇと私はブルーライトを放つ少女の顔を凝視する。しばらくそんな調子が続き、ついに痺れを切らした輝華は深い眠りに就いている少女の口元を手で覆い、写真の少女と比較させた。私と輝姉ぇは初めて少女の正体を知る。
「この子・・・、え、そんなことあり得るの!?」
「いかれてる・・・、流石にこんな展開あって良いのかよ・・・。」
ひどく現実離れした現実に驚愕からの迫害を受けて思わず固まってしまう。
しかしいち早く微睡みから這い上がった私が皆に蜘蛛の糸を垂らす。
「とりあえずさ、この子を今後どうするかを考えようよ。」
「そ、そうだな。えー・・・」
「えー、この子が目覚めたらでイイジャン……。」
「ソレモs……dn……」
「z……k………n………。」
何処からともなく聞こえて来るボヤ騒ぎを尻目に私は夢を観ていた。
夢・・・、言葉足らずか。言わゆる明晰夢の記憶夢というやつを観ていた。
第三者から観た私の姿はきっと窓越しの闇に目が釘付けになってる独りの少女、という絵面だろう。事実無根、私には闇しか眼中にない。しかし私は今までの実に卦体の悪い軌跡が眼中にあった。
そして夢物語であってほしかった夢物語を垣間見るのだった。
西暦2008年6月2日午後22時30分、器こと据永定は転生し、新鮮な世界に身体を見せた。
「定」という名の由来を両親に聞いたことがあったがどうにも頑なに口を割らない。聞く度に毎度毎度同じ答えが返ってきてそれがどうにも理解し難い内容なのだ。
「畢生の末に全てを悟ると思う。その時まで待て。」
これが私の今後を左右する伏線なのかはたまた都合の良い言い逃れなのか未だ定かではない。予想、恐らく今はまだ知る由はない。少なくとも子供の内は。
松果体が石灰化しきった後に見える未亡の世界か、異端児の観る異端の世界か。
はたまたーー
幼き私はどうやらよく夜泣きをして両親の疲労を募らせていたらしい。
自分では疎覚えのもののあれから千里先に来た今でも鮮明に覚えている。
「死が怖い。」
美術展示会に出展するなら迷いなくこの題名を付けるであろう夢。
あの時私は広い一人用の病室に横たわるほぼ骸の肉体となったお婆さんが白銀の髪の毛を揺らしている青年と親しげにお話をしている。やがてお婆さんはこちらを向き直り、どこか懐かしさにしたる顔をしていて私はそれをじっと虚無の心情で見つめている。そんな夢を私は見ていた。そんな最中朧気の私は悟った。
「お婆さん、もう、永くないんだ・・・」
死とは何か。その後に待つものとは。その瞬間に私のなかにそんな終わりなき思想が目覚め、その吸い寄せられるような妙な感覚にしだいに恐怖が立ち込めていき刺激となって襲い、覚醒し、そして泣く。この正夢とも呪いとも欺瞞できようモノは高い頻度で且つ絶対的に断絶することなく、まるで毎週のアニメのように
霏霏と私に見せつけてきた。
しかし、そんな時雨もいつの日か最終話を迎えた。
少なくとも、彼の少年に手を差し伸べられるまでの近い間に。
私は基本的に自画自賛を嫌うが比喩表現を範疇に言うならば
「私が日本列島を越えるに至るまでの過程」とは正しくシャーデンフロイデの実験記録そのものだった。私はその被験体。虫籠の中の玩具に過ぎない浅はかな存在だった。
弁護士の父と銀行員の母との間に生まれた天才さん。そんな天才さんの皆から未来の分岐点の役割を担う存在として慕われ、祭り上げられる寸前の今に至るまでの素質を見抜いたのは誰でもない彼女の両親だ。
彼らの確信を煽るきっかけとなったのは私の幼さ故の行動だった。
私は毎日のように人間として欠落部分と一切の妥協を許してはならない言語の習得のために日夜勉強を幼稚園へ入園するまでの間休暇少なく勤しんでいた。
親の強制などなく自主的に。
この時点で私の行動は常人とはかけ離れたものだったが第一子、つまり初の子育てということもあり当時は極自然なことと両親は過信していたのだそう。
そんな子供としての邪道の一途をたどって行っていた私だったがついに白羽の矢が立ち一気に曇天に阻まれる。
あの「ノスタルジア」にさへ誘導されなければこんな闇に蝕まれずに済んだし、虐げられることなんてなかったんだ。
私は体感的に物心ついてから5分後に幼稚園に入園した。
幼き私は当時ながら自己主張というのを極端に嫌い、教室の片隅で一人静かに学級文庫を漁る変わった幼児だった。
人を忌避し、人からも概念ごと忘れ去れた、そんな幼児だった。
怖かったのだ。人間が、他人が、巨人が、そして行く行くは人間である私すらも怖くなって、面倒臭い自暴自棄に陥っていたのだ。
しかし、同時にそれが幸福でもあった。
学舎は実に素晴らしい所、まぁ合ってる。半ば間違いはない。
しかしそれも表裏が無ければの話。夢のまた夢の話だ。
皆は知ってるだろうか。広大な社会を垣間見ていないが故に自分より有能、格上の双眸を持っている子供を髪の毛を根刮ぎひっ掴んで引き摺り舞わす救い用の無い教師が存在することを。某都市伝説上の化け物に酷似した化け物が現実の、しかも、時間軸の最前線を生ける未来の人を養育する公共の場に虫の知らせもなく突然出没することがあるのだ。
私はそんな化け物に、そんな弱みにつけ込まれ、眼を付けられたのだ。
私は唯一の幸せを堪能し、本を優しく閉じる。
目覚めのため息を吐く。どうやら、寝てしまっていたらしい。
そして思い立つ。
「そろそろ限界が近いかも・・・」
今まで遮断していた外の世界に出る。誰もない。当然だ。
現在の時刻、午後5時。園児たちは皆帰りきった頃合いだ。
この前図書館から借りてきたお気に入りの本、「輪廻転生」を制定鞄に押し込む。
窓から神々(こうごう)しい夕刻の日が照り付ける小さな幼稚園の中を私は鼠のように徘徊し、キョウシを探す。
「で、どうしたの?定ちゃん。」
何とか相談に漕ぎつけた。
「あの折り入って、相談が・・・」
私は嗚咽混じりの声で言葉を紡ぎ出す。人という存在が怖いこと、同級生との馬が合わないこと、言葉では言い表せない苦しみの存在のこと、生きることへの困窮、けど死にたくもないこと、全てを手持ち無沙汰にされど精一杯の祈りも捧げて、当時はまだ自覚が曖昧な「天才であるかもしれないこと」は伏せつつ話した。キョウシは相槌を打ちながら聞いていた。それだけで嬉しかった。私は嬉しさに慕って出るがままに心の病を吐き出した。
しかしーー
「・・・つまり憂鬱ってことだね。そう・・・言わせてもらうとさ、そう言うの甘えだと思う。サボりと一緒。」
「・・・え・・・」
キョウシは笑止とも嘲笑いとも見て取れる感情を露悪的に隠した酷く冷徹な表情をしながらそう物申してきた。刹那に受け止めてくれた土砂物を無理矢理押し戻され、さらに希望から絶望へと蹴落とされたことによって生じた闇にさらに密度を侵され厨子に亀裂がはしる。
さらにキョウシは追槌をかけてくる。
「そんな感じだからいつも独りぼっちなんだよ。そしてこれから先も独りぼっち。生きることが苦しいのも、全部自分が未熟なのが原因なの。全部自分が悪いの。個人事情を楯に過度な被害妄想してるだけ。」
子供にサボテンで直接躾をしていると言いたそうな声色には何故か怒りがあった。
まだ止まらない。
「そんな心構えで社会では生きてけないよ?会社で「鬱病なんでしばらく休みます。」なんて利かないから。そもそも、そんな一人の相談のために時間裂いてくれる人間なんて存在しないから。あなたが将来どんな子になっているかなんて知らないけどさ、事あるごとにいちいち落ち込んでたらキリがないよ。そもそもそれできなきゃ話にならないから。後さ、」
もうやめて。
「生きる勇気の無い奴に死ぬ勇気なんて無いから。どの道、意味ないから。諦めて。」
「はい論破。」と化け物は言った。思考が追い付かなくてしばらく放心状態に陥った。そんな私を見た化け物は時計を一見、無慈悲にも沈黙を貫いて立ち去って行った。脳細胞の大半を破壊されたかのような感覚のなか全力で思考を巡らせる。しかし、いくら考えようとも導き出される答えはたった一つだった。
私の「助けて下さい」は全否定されたこと、ただそれでけだった。
こんなことがあったのだから化け物からも嫌われてもおかしくもない。
案の定、私は化け物、元言い、担当のキョウシからも完全に放置、放棄されていて完全に周りからの、周りへの遮断を余儀なくした。しかし不幸ではなくむしろ幸せと言っても過言ではなかった。
変に周りへの配慮がないだけでこの上なく孤独を充実できた。本や整った家庭、自分だけの閉鎖空間があるだけであの日見た醜い病葉を忘れることができたのだ。
しかし、一年くらいはこんな幼稚園生活が続き、まるで家庭内学習範囲が小4を突破した頃合いを見計らったかのようにドンピシャで転機が訪れた。
私は書かせられる文、書く文に平仮名片仮名は勿論のこと、小学校高学年の扱う漢字、自然数までをも取り入れていたことにより園長先生を始めとする数々の教師たちから声をかけてもらえるようになった。あの一件で更に悪化した人間不信を抱えていた私だったが、アルバム作りや不足していた絵本の執筆、卒園証書制作の手伝いっと経験を重ねていくにつれ蛞蝓程度の速度ではあるものの徐々に克服を重ねてゆき、その都度拍手喝采と自信をもらっていた。行く行くは私に興味を抱いた子達の注目の的となり、最終的に小学校を丸々跳び級し中学からの推薦をもらえるにまでに至った。
これを期に私は人から必要とされることの歓喜、友達に囲まれることの心地良さを知りるこができ、今まで経験したことのないこの新たな心情に戸惑いや困惑を覚えつつ巨なる感銘を受けることもできた。
そして、何事もなく私は皆に見送られながら早々に幼稚園を卒園した。
彼は言った。
「人生比率的に観て、良いことより嫌なことの方が少なからず多い。そればかりは覆しようがない。」
全くもってその通りだろう。
「もしお前がーー」
好転期が訪れれば次いて訪れるのは悪転期。信じたくはない。しかし抗えない。
本来ならば後一年、幼稚園生をしている年の子が小学生分の、言わば六年分の過程を丸々飛び級し中学校へ入学してきたのだから目立たないばずがなく、しばらくの間は色々な意味で大変だった。
私は毎日のように読書に勤しんでいた。周りに心を開きつつあるとは言え未だ怖いものは怖い。故にまだ、一時的にでも心を閉ざし、暗黒の中一人静かな安らぎが必要だった。今はその「隔離施設」での遊里の真っ只中。
「なぁ」
「?」
扉を無理に抉じ開け、強引に入ってくる男が三人。
「ど、どうしました?」
驚いたことに彼らは小学高学年くらいの人たちだった。
どうやって中学校舎内に入ってきた?と考えるより先に背丈の高さに一瞬怖じ気付く。程なくして、この三銃士の長であろう真ん中の背の高い男が人差し指と中指で私に起立を促す。
「ちょっと話あんだけど。」
そう、真摯とも先輩面とも言いがたい表情でそう言われ更に恐怖が上乗せされる。
従ったら生きては帰れない。そうとまで感じる。かと言って、従わないと殺されるかもしれない。しかも生徒たちの集うこの場で男三人が私目当てに暴れまわるというそんな運命にもしたくもない。運動することが快楽な男ほど凄まじい猛りはない。
「・・・、わかった。」
最悪の事態を想定して先を見据えればこうするしかなかった。
そうしてまるで囚人の様に私は三銃士に連行されるのだった。
そこは人気一人もない、正午なのに深夜のよう場所、そんな地獄門に連れてこられた。
「さぁて。」
そして、後は皆の想像通りにして確かな体験談。もしくは何処かで観たことあるようなあの不知火。
地獄を観た皆なら安易に想像のつく表舞台では明かされることのなかった不確かな明瞭。まさしくそれ。それが謎に鬼の形相で待っていた。
私はこと時に暗殺され、腐敗の一途を辿るのだった。
長かった。いや、一瞬か。感覚の誤作動まで発症する程に身も精神も貪られ、見るも無惨なハイエナの残飯と化した私は無様に地べたに這いつくばる。
なんの理由もなくただただ存在事態を恨まれ、罵倒、怨念、愛憎、撲殺、絞殺、願望、冒涜、快晴、野次の罵声は全てこれだった。
彼らにとって私はPTSDの特効薬か大麻でしかない存在だった。
一定の大人たちは嘲笑うでしょう。
たかが一回の、しかもたった一瞬のできことだけで凹んでるとかwっと。人間が見た人間とはそんな一言で失笑できる存在なのか。
未熟な年下を誘導するために年上がいるのではないのか。
優しさも、躾の怒りもなくただただ野蛮な本性を剥き出しにして人を
なぶり・・・
私はそんな灰被りのスラム街の現状に絶句し、同時に自分の存在を否定されたことによる底無しの絶望に呑まれ、その日は一晩中頬を濡らした。
そして考えなくとも見えてくる今後に恐怖し、恐縮した。
勿論いじめはこれだけは終わらなかった。
ある日には悪の三銃士に作った作品を目の前で破壊されたり、
ある日には勉強中、家から引き釣り出され汚泥水をかけられたり、
ある日には口の中いっぱいに雪の塊を入れられたり、
ある日には跳び蹴りで階段から突き落とされ、おまけにボディーブローの良い的にされ、
ある日には・・・
負の記憶を掘り起こせば決して逆らえぬよう虐げられる毎日の数々。
数え出せばキリがない。
それと比例し、心の闇もまたキリなく増幅し続け、とうとう私は私であることも忘れ、遂には生の実感すら得られなくなった。
死にたい。本気でそう思った。
「何故、誰にも言わない?助けを乞わない?」
彼の者はそういう。
「怖いから。」
言葉で全て解決するなら、こんな気持ちで、こんなにも涙は出ない。
もし、私が一言余計なことを発っせば私の全てを奪取されると思うからだ。
こんな状況下で希望を持つことが無理なのだ。環境がそうさせてはくれない。
「浅はかな答えだな。」
他人を知らない他人には知る由もないこと。深く考えようとしないからそんな冷たい言葉が出るんだよ。
「その通りだ。」
「・・・?」
隙間風が唸る。
「人間は、大人になるにつれ自分の事情のことしか考えられなくなる。
考えることが多くなりすぎれば身がもたないからね。」
人影が指差す。
「でも君はこれを期に人として良いことを学んだでしょ?」
私は後ろを振り向く。
あぁ、こんなこともあった。
私はボロボロの身となった身体で一人になれる場所を求め、足を引き摺る。
両親は度々出張が多く、いじめが始まってから今日という日まで帰っては来ていない。
荒野とも呼べよう広大な麦畑を掻い潜りながら歩を進める。
「ん?」
突然道が広ける。今までここを誰かが通っていたかのように麦が道を開けてくれていた。私は手繰りよれられるがままに謎めいた既視感のある幻の道を突き進んだ。
歩いて、歩いて、歩いて、息が切れるまで、血流が暴れ馬に乗りだすまで、歩いた。
やがて、辿り着く。
「はぁ、・・・すごい・・・」
強く生い茂った木々を檻に、山の側面から飛び出す隔離地帯。その聖地には大いなる存在がいた。
桜だった。増大で雑多な花弁を覇気に一人佇む大きな桜の木だった。
季節にそぐわない景気だった。何がおかしいかなんて、だって・・・
「夏に咲く桜なんて・・・」
「不思議だよな・・・」
大人びた低い且つ無邪気な少年だった面影を残した声音が10時の方向から囁くように聞こえてくる。
「・・・っ!?」
さっきまで叩き込まれていた恐れ慄きと全感情に全神経を委ねていたため反射的に身構える。
そこにもまた季節にそぐわない「景気」がいた。袖、裾共々に黒く長く、悪しき偏見を擦り付けつつ見方を変えて見れば「漆黒のお菊人形」そのものだった。彼は依然全身がまるで暗黒世界そのものになる程の長いフードを深く被りつつ私を軽く宥める。
「あぁ、案ずるな。こんな格好だが、別に怪しいもんじゃねぇよ。」
そう両手を広げて無防備を証明する。
「危害とか・・・加えたりしないですよね・・・?」
「あ?あぁ、そうだ。少なくとも今は・・・な。」
彼はどこか遠くを寂しげな眼で見据えながらそう言った。
「「少なくとも今は・・・」・・・、と言うと?」
彼の表情が一瞬、硬直したような気がしたが即答に記憶ごと掻き消された。
「知る必要はない。」
彼は再び桜を見た。それにつられ私も再び桜を見る。
水平線に引っ張り戻される夕日の光を帯びた桜。
綺麗だ、見とれてしまう。
脳裏に今まで、恐らく今後も受けさせられるであろう仕打ちの数々の記憶が眼中に投影される。
悲しい。辛い。
この二言葉が永遠と木霊する。それを茫然と見聞き入る。頭には残らない。
深く、深く、確実に少しずつ微睡みへと落ちていく。何かに洗脳でもされたのだろうか。
晴れることのない疑惑。誰も彼も、何もかも、皆。
暖かさや、優しさすらも疑ってしまう。そうさせた世界になんの意味があって私は生きているのだろう?
そんな瞑想を大脳に、あの夕刻の桜を見ているとなんだかこう、全てを捧げたくなる。ここで全てを捧げたら永遠と堕落してもう二度と日の光りも、月の月影も見れなくなってしまう。解ってる。把握してる。けど、それでもいいんじゃないかな。このまま自由を奪われたまま、助けも呼べずに、なぶり殺しにされ続けるだけなのなら・・・いっそ・・・。
私の胸から出ようと喰い進む何かを頭ごなしに押し付けているバルブを弛めようとすると肩から全身に伝う衝撃に我に還り、中断させられる。
「・・・っはっ」
さっきの漆黒のお菊人形が肩に手を添えて枯渇しきった眼で私を見ていた。
「そっから先に行ってはもう二度と戻ってこれんぞ。」
「・・・っ」
頭が酷く軋んだ。そして酷く疲れていておまけに冷や汗まで滝の様だった。
私が頭を軽く抱えながら荒い息をきらしていると低い声が鼓膜に響く。
「にしてもよ、ビビったわ。お前も訳アリだったんだな。」
一瞬では理解できない日本語が漂う。
「・・・っと言うと?」
「訳あり。辛い過去があるってことだ。」
槍で肝を貫かれたような痛覚が迸る。
「えっ・・・。」
「「何故解ったの?」。単純なことだ。ここにいる奴は大抵心に不治の病を抱えてるんだ。長年培ったきた経験の一環ってやつだ。そして、あの桜に心を奪われるの奴ってのは決まって生への執着心が欠如してる奴なんだよな。」
枯渇しきってるくせにオアシスを欲してなさそうな双眸をゆったりした動きでこちらへ向け問う。
「お前もそうなのか・・・?」
「・・・。」
彼には優しさは似合わない。初対面でも分かるこの人は何者なのだろうか。
雰囲気が幽霊の様。二度言うけど、この人には優しさは似合わない。
「いい。思い出すな。別に言えと言ってないだろ。すまなかったな。」
彼はそう手を振り、半ば無理矢理立ち上がる。あからさまに尻の塵をはたき落とす。
「じゃ、俺は行く。仕事があるからな。んぁ、逢えてよかったよ。」
似合わない。似合わなさすぎる。だからこそ、聞きたい。彼の真意を。
心底を。
聞くのが怖い。毎朝過る憂鬱よりも遥かに凌ぐ恐怖。それが口を縫い合わす。
けど、その縫い糸を引きちぎってでも口を開きたい。
聞かせてほしい。
認めてほしい。
錆びれ腐った歯車を強引に稼働させる。
「ね、ねぇ。」
光を屠る影が足を止める。しかし、無言。
「私は何のために生きてるの・・・でしょうか?」
「知らね。」
あまりに速い即答に一瞬うちひしがれる。しかし、彼は振り向くことのなく口実を付け加える。
「知らない方がいいって言うか・・・、あぁ、なんて言うか・・・。」
彼は懊脳する。然り気無く。
「・・・?」
内容がまとまったのか、一つ相槌を打ち、今度は全身を私に向ける。
「自分の生きる意味ってのはないし、あるかもしれない、曖昧なもの。お前はそんな幻いものを探してる。そうだな?」
そう、疑問を投げ掛けられると改めて自分の探しているものがどれだけ夢にも近しいかを実感する。
「人間には可能性とやらを持っている。その可能性ことが「自分の意」を見出だす唯一の鍵だ。けど人間たちは大抵、いやほぼそれを蔑ろにいている。結果にしか興味がないのだ。それしか見据えてない。お前も。」
黒く澱んだ黒目が髪の狭間から光っている。挨拶でもするかの様に。
「わっ、私も・・・。」
「そうだ。「自分の存在意義を見つけたい」そう言ってる時点で本当に大切なものを見出だせてない。」
本当に大切なもの・・・?
「・・・。」
「「本当に大切なものとは?」っね、そりゃやっぱり「ヒント」だろ?」
「「ヒント」・・・?」
「そうだ。自分にしかない「ヒント」。誰も教えてはくれない「ヒント」。
それを見つけられりゃ、その後は楽だ。虐められることもない。」
私は顔を上げる。驚愕のあまり全身が反応する。彼は少しニヤついていた。
「この街に関するとある情報を聞いた。IQ160越えの天才児がいると。しかもそれが、十歳にも満たない幼女だと。君だったのか。」
奥歯が高鳴る。
「なんで・・・、私を・・・、何処の、情報・・・?」
「情報には続きがあってな。「虐められてる可能性を示唆する。」・・・とな。」
あまりにも話が出来すぎている。私は注目されてても周りの皆だけ。どこからどうやって漏洩した?まさかあの三人組じゃ・・・。
詰んだ。そう思った。凄絶に絶望した。
「あー、別に世人の連中に知られてるわけじゃねぇから。案ずるな。」
それでも安心はできない。この世の終わりのような顔をした私を横目に影は腕時計を見ながら呟く。
「六時か、そろそろ行こうか。っといきたいが・・・」
影はこちらへ向き直り、歩み寄ってくる。
「俺はどうでもいいが、お前さんにとっては随分後味が悪ぃみたいだな。」
零距離地点で足を止め、中腰になり、私と視点を合わせる。その時初めて影の素顔を見た。優しい表情だった。
「土産話を一つ語ろうか。」
夕日の光が弱くなる。刻一刻と。
「人生比率的に観て、良いことより嫌なことの方が少なからず多い。こればかりは覆しようがない。」
全くもってその通りだろう。
「もしお前が、それ故に自分の存在意義を問うなら、大道理にある「ヒント」を見つけろ。決して近道はするな。近道は、「絶対」が約束されてないかな。
大道理を行け。そこには自分のみ知る「ヒント」がある。必ず。」
夕刻が完全に消沈し、影は文字通り影に染まった。
「患者に、根性論を追い付けるのは御法度か。クククッ、忘れてくれ。今日あったこと、俺のこと全て。じゃあな天才さん。また逢う日まで、幸あれ。」
それを最後に影は姿を消した。
唖然。最後まで全てが謎、謎を黒く全身に纏った男だった。
彼の言っていた意味も理解不能だ。話の側面こそ根性論の塊に見聞きできるものの、趣旨はそうではなさそうだった。
なんと言うか、抗弁のしようがない話だった。
三つの彗星が棚引く夜空の下、私は心に蔓延る闇の存在をも忘れるほど一人、夜を見つめていた佇んだ。
手元に闇を焼き殺す光を放つオルゴールが亜空間から降り立つ。
懐かしい音符が三拍子を安定させ、列を成しながら旋律を奏でる。
影とのかげおくりを堪能した次の日に鬱憤すら鏖殺できるような不可解なことが起こった。
虐めが止んだのだ。男三人組の存在と共に。
そして、二度と顔を合わせることはなかった。
後から聞いた話だが、彼ら三人は全身を強く打った有り様な遺体となって発見されたらしい。そして、彼は血の繋がった三兄弟らしく、その親とはシングルマザーをしていた例のキョウシだったのだ。
これを期に私が虐めに苛まれていることが表に露呈し、
大規模な大騒ぎへと発展した。
警察や狭間の人脈範囲内の友人の調査、尋問の末、キョウシが全ての根元であることが発覚した。
聞くに、キョウシは幼い頃、私と同じく天才児として慕われ、祭り上げられていたらしいが、ある日のほんの初歩的なミスを犯し、それを境にその天性の才は存在ごと忘れ去られ、誰にも認知されることもなくなり、さらには意味不明な根拠を背負わされ、いつの日からか鬼の子、忌み子、呪いの子、要らない子として罵られるようになり虐めにまで発展したと。そして、祟りがくると言うと理由で所持金ゼロのまま未成年にして実家を追い出され二年を浪人を経てなんとか小さな企業に漕ぎ着けるも程なくして倒産。助けも、助言すらないまま、堕ちに堕ち、最終的にあの幼稚園に辿り着いたらしい。そこで、とある男性と知り合い、救われ、結婚を切り出し、成立。三人の子供にも恵まれ、しばらくは夢のような私生活を謳歌するも旦那がどこから嗅ぎ付けたのかキョウシの過去の出来事や悪い偽話を知り、離婚を提示。財産を根こそぎ盗られ、子を押し付けられ、その後も度々不幸が重なり、自殺を画策するに至った矢先に私が現れ、霞がかった立ち回りに嫉妬し、憎悪し、周りからの期待や優遇に逆情し、逆恨みし、憤慨し、道連れを目的に血眼になって四肢を狂わせ、三兄弟をご馳走を餌に傀儡にし、実行し、今に至る。とのことだった。
そんな波乱万丈な人生をおくって挙げ句に全てを失ったキョウシに慈悲すら沸き出してくるが、許すことはできない。許すつもりなど到底ない。
この騒動に出張中だった両親が予定よりも大幅に早く早退し駆け足で帰ってきた。
両親は私を一人にしたこと、もっと早くに帰国できなかったこと、私に無理をさせたことを悔いて詫び、頬部を深く垂れ、土下座までした。
その際、私は父親からオルゴールをお土産として貰った。
三拍子を主軸に音符を刻む、そんなオルゴールを。
父曰く、これは両親の手作りらしく、
「これはとある偉人の加護が付いてる御守りだ。寂しくなったら聞いてみると良い。」
っとのこと。
「クソったれめが、お前のガキに、死んで詫びるんだな。」
怒りの声とひしゃげる、耳を覆いたくなるような鈍い音が至近距離からの音と共にビッグバンが起こる。
自殺とは自殺であって他殺である。
どうも、最近、自販機でジュースを買おうと120円持っていったのですけれど、全て溝の中に落っことしてしまうという大失態をやらかした有機物の轆轤輪転です。
第三話、ご読破、誠にありがとうございます。
また逢う日まで。