箱の中身はなんでしょう
仮説は、建築する前に設けられ、建物が出来上がると取り払われる足場である。足場は作業する人になくてはならない。ただ、作業する人は足場を建物だと思ってはならない。 ゲーテの言葉だ。
壁にかけられた時計を見ると、もう九時を回ろうとしていた。室内とはいえ、流石にこの時間は冷えてくる。ここは職員室前の廊下だ。
真っ暗で本も読めないのでただただぼうっとして待っていると、カラカラと引き戸が開く音が響く。
「六嶋くん……? ずっと残ってたの?」
出てきたのは、手さげ鞄を持った長谷川先生だ。職員室からの逆光のせいで顔はよく見えないが、きっとポカンとした顔をしていただろう。見ておきたかった。
「いや、一旦帰って戻ってきたんすよ。先生の言ってた『若きウェルテルの悩み』の結末、思い出しちゃったんで」
「あら、どんな結末だった?」
思い出してしまえば何のことはない。むしろなんで今まで忘れてたんだろうと、自分自身にあきれてしまった。
「拳銃自殺でしたね。十二時ぴったしに」
二隅治子の自殺は、その模倣だった。モデルガンの改造を勉強してまで拳銃自殺にこだわっているのだ。その意味を何故俺も辰郎も考えなかったのだろうか。
「そうそう、悲しい最期よね」
「なんで教えてくれたんすか?」
先生は、明らかにそのことを俺に気づかせようとしていた。
「その前に、思い出したんならもう分かるんじゃない? この事件のあらまし」
俺は、そう言われて、少し考えてみる。結末がわかっていただけなのに、驚くほど簡単に組み立てられた。辰郎の“仮定”のおかげだろうか。
「そうっすね、足場は取り払わないと」
俺は組み立てた物を公開する。
「まず堀根楓、この人は自殺っす。理由はイマイチわからないんすけど、画材を一緒に落としたのは多分、二隅治子に迷惑をかけるためじゃないすかね。まあそう思った理由は後で説明するとして、その目論見は達成されたんでしょうね。警察は彼女を疑って、生徒も彼女を疑った。逮捕されてないってことは警察からの疑いは晴れたんでしょうけど、やっぱ生徒はそうもいかないっすよ。大城くんがどうとは言わないけど、自殺の原因はその疑いが晴れなかったことだと思うっす多分。
で、ここからが本題すけど、二隅治子は自殺する時、ウェルテルの模倣に拘った。女の子が一人でモデルガン改造っすからね。でもそれなら必ずあるはずのものが一つないんす。それが、先生が思い出させてくれた、“遺書”っすよね? ここまで模倣に拘った人がそんなものを忘れるはずがないと考えるなら、誰かが隠したって考えるのが自然なんすよね。だったら当然それを隠したのは第一発見者の先生っす。そんで何故隠したかってなると、ちょっとややこしいっすけど、それは遺書に堀根楓を殺したって書いてなかったからっすよね? 書いてたら隠す必要ないんすよ、紛れも無く他殺だったってことになるんだから、先生は無関係のはずっす。でも書いてなかったから隠したってことは、先生にやましいとこがあった。それってなんすかね? 自殺をそそのかしたとかがしっくりくるんすけど。ああ、なんで堀根楓が自殺かと思ったかって言うと、事故死は環境的にほぼありえず他殺は先生が遺書を隠したことで否定したから消去法で、迷惑かけるためと思ったのは自殺なのに画材が落ちてるからっすね。こんなもんすか?」
長々と喋って、自分の敬語の不自然さを実感する。癖になってしまっているから、早めに直さなければ。
先生はとても満足気な顔をしていた。
「もうほとんどあらましというよりは六嶋くんの推理になってたけどけど、十分及第点ね。付いていらっしゃい」
そう言って先生は、また職員室の中に戻っていくので、俺もそれに続いて中に入った。まだ残って仕事をやっている教師は、三名ほどしかいない。
先生は自分の卓の、一番下の大きな引き出しから、例の和紙の箱を取り出して、鞄の中に入れる。そのまま何も言わずに屋外に通じる扉から外に出たので、俺もそれにならった。
「捨てたのかと思ってました」
自然な敬語を意識した。
「捨てるわけ無いじゃないの」
先生はスタンド灰皿の前で立ち止まり、鞄から煙草を取り出して吸い始める。どうやらここが教師の喫煙所のようだ。長谷川先生が吸うのはかなり意外だったが、口には出さなかった。
先生は一度煙を吐くと、煙草を咥えたまま鞄からカッターと例の箱を取り出して俺に渡し、「開けていいよ」と言う。職員室の明かりで手元は明るい。
確認するのも野暮な気がしたので、俺は何も言わずそのまま箱の隙間にカッターをねじ込み、糊を剥がしていく。半分ほど終えると、そのまま手で強引に蓋を開ける。パリパリという小気味のいい音がした。
中に入っていたのは、ギザギザに折られた厚めの紙。遺書だ。
先生の方を見ると「読んでいいよ」と許可をくれたので、その紙を開き、煙草の臭いと古書のような臭いを同時に感じながら、ビッシリ書かれた文字を読む。
『私は決して、大衆的な侮蔑の視線に屈して死ぬのではない。愛だ。私は愛のために死ぬのだ。
まずは弁明をしておく。私は堀根楓を殺してなどいない。私は彼女を愛していた。何故私が彼女を亡き者になどできようか。私は彼女から鳴代への誘いを受けはしたが、そこには誰もいなかった。いなかったのだ。その後、彼女が遺体として見つかったのを知った時は、天が崩れ落ちてきたのかと思った。
そしてやはり、官僚主義の犬共はなんとも無能であることを書き記しておこう。彼奴らは私をさんざ殺人鬼扱いしたくせに、ある日ころっと手のひらを返し、私に対し知らぬ存ぜぬを通そうとしている。己等の振りまいたウイルスは世間という巨大なものに感染してしまったことを一切認知しない。彼奴らは私から愛というものを奪い去ろうとしたのだ。愛に私を裏切らせようとしたのだ。大城直樹から怖気の目を向けられた時には、怒りに任せ本部にかちこみに行こうかというほどだった。
最後に、私を裏切った、私の最愛の者に書き残す。私はお前のために死ぬと言っても過言ではない。恨みがないといえば嘘になる。だが、私はお前に感謝する。感謝しているのだ。そして、それ以上に愛している。私にとってのシャルロットはお前だったのだ。いつからかお前は拒絶するようになってしまったが、私が絵を描くのも、彫刻を彫るのも、詩を紡ぐのも、全てはお前の初めて見せてくれた、笑顔のためだ。普段は全く笑わないお前が、私の絵を見てニンマリと笑ってるのを見た時、私は得難い喜びを感じたのだ。以来私はお前の虜だったと言ってもよい。笑顔の亡者だ。笑ってくれ。私がいなくなった後もどうか、たまには笑っていてくれ』
力強い字だ。そして、喚き散らすような文だ。だが、少しだけ羨ましい死に様だ。
「私ね、姉のことが大嫌いだったのよ」
先生は空を見上げながら呟いた。今日は星がよく見える。
「だから、同じように敵対心を持っていた堀根さんとはよく話す機会があったわ。彼女にとっては、敵と言ってもライバルのようなものだったのかも知れないけど」
「……でしょうね」
「でもね、ある日から彼女、死にたい死にたいって言うようになるのよ。元々絵画が自分のアイデンティティだと思ってたみたいだから、治子に負け続けて疲れたんでしょうね。私はその度慰めてたんだけど、ある時急にそれが煩わしく感じて、死ぬなら置き土産残して死ねって言っちゃったのよね」
先生は灰を落として、またいっぱいに吸い込む。
「そしたら、死んじゃった。治子のしわざに見せたのは、私への置き土産のつもりだったのかもね」
先生はそう言って、煙草を灰皿の中に落とす。俺は、息を整えて尋ねる
「……先生は、先生はどうして俺にそんなことを教えてくれるんですか?」
「どうしてって、そうね……こんなものお墓まで持って行きたくないから……いや、違うわね」
先生は困った顔して悩み「あ、そうか!」と答えを見つける。
「これはクイズだからよ。クイズを出した人は、最後にはちゃんと答えを教えてあげなきゃ」
先生は、面白いものを見つけた子供のように笑っていた。なるほどその顔に、ニンマリという表現はピッタリだ。
文化祭終了から数日後、長谷川先生の葬儀が執り行われた。
元旦那と思われる人が、葬儀中ずっとすすり泣いており、棺が開かれると堰を切ったようにうおんうおんと泣きはじめた。
死因は教えてもらえなかったので、もしかすると自殺だったのかもしれない。
責任を感じていないわけではない。しかし、これは長谷川先生が選んだ道だ。その責任を俺が背負おうとするなんておこがましいという気持ちのほうが強かった。
実はあの後先生がこっそり教えてくれた、と事件のあらましを教えると、辰郎は恥ずかしさをごまかすように悔しがっていたり言い訳をしたりしていた。あれだけ大見得切ってたんだ、それは恥ずかしいだろう。
「あーでもあれだよね! 先生はこのことクイズって言ってたよね?」
「ん、ああ、それがどうしたんだ?」
恥ずかしさがまだ残っているのか、辰郎の声のボリュームが大きい。
「じゃあ、あのメールくれたのって、意外と長谷川先生本人だったのかもよ!?」
「なんでそうなるんだ?」
「だって出題者は長谷川先生じゃないか、最後に正当を教えるのが役目なら、ヒントを出すのだって出題者の役目だよ!」
そういえば、あの日、先生は風邪でお休みしてた。もし、辰郎がクイズを得意とすることや、俺が本を好んで読んでいることのように、辰郎がネットに強い奴だということを把握してれば、あるいは……。
「無いな。先生がパソコンを使いこなせるとはとても思えん」
「いやぁ? 意外とわからないもんだよ、そういうのって。」
「まあ確かに先生じゃないにしても、送ってきた人は本当に五十代だったみたいだしな」
「やっぱり新しいものを取り入れていくのは大事だよ……っとそういえば」
辰郎はポケットから携帯を取り出して、画面をこちらに向ける。
「オレもこれからは、ネットからクイズ取り入れてみることにしたよ。カズが本から取り入れてるみたいにね。ほら、試しに解いてみてよ」
それはいいが、頭のなかに入れないなら結局出題のスピードは遅いんだろうなあ、などと思いつつも、画面に映る問題文を読んでみる
『会社の大事なファイルが盗まれた!
犯人はこの中にいるぞ、当ててみよう
・犯人は嘘を付いてます
・犯人以外は本当のことを言っています
・犯人は一人です
イ「オレは犯人じゃないよ」
ロ「ハが犯人だ」
ハ「イかニが犯人ね」
ニ「私は無罪だ!」
ホ「ニは嘘を付いてません」』
「ああ、よくある嘘つき探しだな」
「え? よくあるの?」
辰郎が素っ頓狂な声を上げる。そういえばこういった問題は、こいつに出したことがなかった。基本的に問題は口頭で出すから、避けているジャンルだ。
「ああ、こんなの三十秒で済む」
とりあえずニとホは除外するとして、イはオレってややこしいな俺でいいだろ、ロが嘘つきだとイまで犯人になるし逆もまた然り、つまり
「答えは――」




