箱の中身はなんでしょう
翌日、進路相談室。二つの椅子と一つの机、後は観葉植物だけの小さなこの部屋で、辰郎と長谷川先生は向い合って座っていた。先生はいつもの通り優しげな表情で、辰郎が話しだすのを待っている。対して辰郎は、何時になく緊張した様子だ。膝の上でで拳を握っている。俺はその隣に立っていた。
駅の用事はあっさり終わった。辰郎が少し駅員さんに質問しただけだ。質問内容は、人が飛びそうな程特別風が強い日はあるか、昭和五十一年から展望台は変わってないか、この駅も昔はどうだったかの三つで、その答えは台風の日くらいしか無い、柵と立て看板が付いただけ、昔は無人駅で駅員が付いたのは十年前、らしい。
辰郎は電車の中で、多分箱の中身が分かったと話していた。明日先生がいればその答え合わせをするからついてきてほしいとも。
つまり辰郎は今その答え合わせをしようとしてるわけだが、わざわざ別室をを借りて、しかもそんなに緊張する必要があるのだろうか。わかったのなら、クイズの答えを言うようにサッと言って正解かどうか確かめればいいだけなのではないか。
「先生、オレ達、今から先生に酷いこと言うと思います。」
辰郎は緊張した面持ちのまま、そう宣言する。酷いこと、ということは、自殺の話もするのか。それなら確かにサッと確認できる話ではなくなるが、さすがの先生も怒るんじゃないだろか。
「え、ええ……」
先生は困った顔になるが、言わないでとは言わない。
「まず、事件のことなんですが」
「事件!? なにかあったの?」
「すんません先生、不謹慎だとは思ったんすけど、先生が在学中にあった自殺の話、ちょい調べさせてもらいました」
慌ててフォローする。緊張するとこういうミスは起きがちだ。俺を連れてきた辰郎の判断は正解かもしれない。
「あ、なんだ、そのことね……。やだわ、私が休んでる間に何かあったのかと思っちゃった」
先生は笑顔に戻る。怒らないようだ。あのオヤジの反応が過剰だっただけなのだろうか。
「ええ、その事件のことなんですが先生は何も関わっていないんですか?」
「あら? これって浅見くんが当時の謎を推理してくれるって話じゃないのかしら?」
いや、箱の中身を当てるって話だったはずだが。言いたくない、ということだろうか。
「……じゃあ、話しますね。死亡した一人の堀根さんを覚えていますか?」
「ええ、もちろん」
優しげな笑顔はそのままだ。
「あの人の死は事故死ということになってますが、オレにはそうは思えないんです」
辰郎の声は、時々ひっくり返りそうになっている。
「柵のない崖の上で絵を書いてる時に落ちて死んだ、と言えば確かに事故死として違和感はありません。でも、オレ達はあの崖は、端の方が緩やかな坂になってるんです。キャンバスを置いて書くのに、わざわざ坂の上を選ぶ人はいないでしょうし、芝生が引っかかるから転んでも滑って行くことはありません」
先生は相変わらずだが、その説明には俺が驚かされた。あの自殺未遂に見えた行為にそんな意味があったのか。
「言われてみれば、そんな形だった気もするわね。続けて頂戴」
「はい。だとすれば自殺か他殺かになるわけですが、オレは他殺、それも衝動的な殺人だと思っています。自殺なら、画材を持って行ってしかも一緒に落ちるだなんて、どう考えてもおかしいです。何か特別な思いがあって一緒に落ちたのだとしても、そうするならば遺書か何かを残して置かなければ他殺か事故死だと思われてしまうのはわかるはず。そして、これが計画的な殺人であったなら自殺に見せかけるために辞書を用意するか、事故死に見せかけるためにもっとそれらしい場所を選ぶでしょう」
辰郎は、先程より早口で、半分まくし立てるように話す。こいつなりに落ち着こうとはしているのだろう。
「なるほどねえ。なら、その堀根楓殺人事件の犯人は誰になるのかしら?」
「……それは正直、はっきりしませんでした」
ここまで来てか! なら今までの話は何だったんだ!
「だから、ここまでが“推理”で、ここからは手がかりから推測しただけの“仮説”です。それも、先生は必ず不快な気持ちになるであろう、酷い仮説です。ごめんなさい」
辰郎は握っていた拳を開き、頭を下げる。
「いえ、いいのよ。もしかして私が犯人だなんて言われちゃうのかしら?」
先生は怒るどころか、むしろこれを楽しんでいる節すらある。昔のこととはいえ、自分がリアルタイムで体験した事件をそこまで他人事のように扱えるのか……?
「いいえ、そうではありません。でも、先生の姉を犯人扱いするかも知れません」
一瞬先生が固まった気がする。
「先生の旧姓、もしかして、二隅じゃありませんか?」
どういうことだ、と面食らうが、すぐに理解した。二隅治子の第一発見者である妹の名前は二隅晃子、十六歳と書いてあった。そして先生の名前は長谷川アキコ、当時は十六歳。つまり辰郎は、長谷川先生は死んだ二隅治子の妹ではないかと言っているのだ。
しかし、昭和五十一年にどんな名前が多かったかなんて知らないが、アキコというのは決して少ない名前では無いだろう。むしろ、そこがはっきりしないから仮説なのか。
だが、先生は目をぱちくりさせ感心した様子で、あっさり答えてしまう。
「へえ~凄いわね、正解よ。私は確かに二隅治子の妹でした。よくわかったわね、そんなことまで」
「ごめんなさい、その治子さんをオレは犯人だと思ってます」
再度、頭を下げる辰郎。
「ああ、そうなるわよね……。大丈夫、聞かせて、貴方の仮説を」
ふと、窓を見て気づく。外はもう日が暮れて、真っ暗になっていた。
辰郎は語り始める。
「堀根さんと治子さんは、同じ美術部であり、良きライバルでもありました。一緒に絵を描きに出かけることもあるような仲です。
しかし、ある日展望台に出かけた時、二人は喧嘩をしてしまいました。原因は色々考えられますが、あえてひとつを選ぶなら、後輩の大城くんを巡った事情でしょう。二人共を慕っていた後輩は、彼だけです。
その喧嘩はやがて取っ組み合いになり、堀根さんは崖から落ちてしまいました。治子さんは自分が殺してしまった事実に恐れながらも、発見を少しでも遅らせようとしてか、残された画材も崖の下に落とします。そうして帰ってきた治子さんですが、数週間の間罪の意識に苦しめられ、とうとう自殺してしまいました」
「へぇ。でも、それだと箱のなかには何が入ってることになるのかしら」
「現代のオレが考えることを、当時の警察が考えないはずがありません。しかし、治子さんは逮捕されていない。それは、決定的な証拠がなかったからじゃないでしょうか。例えば、間違えて治子さんが堀根さんの所持品を持って帰ってきてしまっていたら、それは決定的な証拠になってしまいます。妹の貴方は、それをどうにか処分しようと、箱に入れ学校に隠したんじゃないかと、そう考えました」
筋は通っている気がする。曖昧な部分もあるが、そこがどうであっても結論は変わらないはずだ。だがなんだろう、この釈然としない感じは。大事な、当たり前のような何かを見落としている気がする……。
「……ええ、そうね。課題はチャラにしてあげる」
先生は、いつの間にか机に乗り出していた体を引っ込め、深く座り直す。
「え? じゃあ……」
「姉はね、ゲーテが好きだったのよ」
先生は、思い出が蘇ってきたのか、今は亡き姉のことを語りだす。
「特に『若きウェルテルの悩み』って小説が好きでね。有名なお話だから、六嶋くんなら知ってるんじゃない?」
先生の言うとおり、俺は一度その小説を読んだ覚えがある。確か、ウェルテルと言う男が友人に宛てた沢山の手紙で構成された、悲恋の物語だ。結末は思い出せないが、確かウェルテルは死んでしまうはずである。
「そんなものばっかり読んでたら、そのうち死んじゃうんじゃないかーだなんて言ってたものだけれど、本当に自殺しちゃうんだものねぇ」
そうだ、ウェルテルも自殺をしたんだった。理由は何だったか、方法はどうだったか……。
何故か異様に気にかかるド忘れに悶々としていると、先生は手を一回叩き元気よく立ち上がった。
「あまり昔のことばかり言ってても仕方ないわね! さあ、あなた達はそろそろお帰りなさい。戸締まりは私がやっておくから」
そう言って先生は、自習室から出るように俺たちを急かす。いや待って欲しい、もう少しで思い出せそうなんだ。見落としている何かがわかる気がするんだ。
しかし先生はもう聞いてくれない。課題を免除されたはずの辰郎ですら、何がなんだかよくわからないという顔をしている。
渋々去っていくオレたちの背中に、先生はもう一声かけた。
「もう暗いから、気をつけて気をつけて変えるんだよー」
いや、まだだ。
まだ、終わってはいない。




