二回目 の二
1941年七夕
4年前に中華民国政府が、国内での失政から国民の目をそらすために、陸軍に対してロシア帝国ハバロフスクへの攻撃とウラジオストックへの侵攻、ハバロフスク以南の沿海州占領とそこにつながるシベリア鉄道の爆破破壊を命令。ロシア側は日本からこの情報を得て、当該地域の住人を避難させ、一時的に中国軍に占領させた後、これを奪還する名目で逆侵攻を行った。この際日百が同盟に従い派兵を行ったが日本は実質的には後方支援にとどまり、実兵力は百済軍が全体の3割を占め、満州地域の占領へと至った。
この中露間の紛争に世界各国は静観をしていたが、ロシアが、賠償として占領下の満州を割譲させた上で、百済に援軍の礼として譲渡した事で、ちょっと盛り上がった。
史実満州国と異なり、事の起こりが中国側からの侵攻に対する報復とその賠償だったこと、破壊されたのが、ユーラシア大陸の東西を結ぶ大動脈である、シベリア鉄道だったことから、国際社会の批判は露百日ではなく、中国側に向けられた。
百済は譲渡された満州の土地を開発し、市場開放をすることにした。そこへヒデ・フランクコンビがやってきて、お手伝いをさせてくださいと告げる。百済側は、お願いしに行こうと思っていたほど来てほしかったと大歓迎。日米露百の4カ国協議の結果、40年1月に新京と名を変えた長春を首都とする満州国が建国され、中華民国と、大韓民国以外の国が国家承認を行い翌月に国際連盟への加盟も決定していた。日本は、急な建国にもかかわらず、満州国を関東万博に招待、どこぞの素っ頓狂集団が、1日でとっても立派な、パビリオンを建設した。
いい加減話を戻すが、中国側は満州国を反政府勢力による不法占拠としていたが、国際社会からの圧力。特に、40年の3大挙国国際イベントを控えものすごいガルガル状態だった日本からの圧力に屈し、40年度までは事を起こせなかった。
その後、日本が、賢者モードに入ったのを見計らい、満州国北京市に侵攻占領した。反政府勢力への懲罰行動のため、宣戦布告は不要と考えていたが、100カ国弱が承認する、れっきとした独立国家への完全な奇襲攻撃は連合国はおろか、同盟国である枢軸各国からも強い非難を浴びた。ならすればいいんだろとばかりにやけくその宣戦布告。この宣戦布告を行った日が、1941年の七夕だったので日本では満中七夕開戦と称されている。
欧州では、39年の時点で事実上の開戦となっていたが、英仏露米に対しものすごいガルガル状態の日本が例の40年度までは事を起こさないでくれ要請を行い、その上で、戦争の代わりにスポーツで戦うのはありかもと、かなり理性的だった欧州各国は長野、東京両オリンピックを各国間の代理戦争として熱く、それはもう熱く戦い、万博で日本のいうこと聞いといてよかったねという状態になった上でのおよそ半年の賢者モードに入った。
41年春ドイツはオーストリア併合をしようとして侵攻、その際によせばいいのに在欧日本陸軍を攻撃。なんとかオーストリアの西半分は併合できたが、日本陸軍を攻撃した部隊は周辺部隊とともにたたきのめされた上に、国境沿いに拘束された状態で将兵が座らされて並べられるという事態が起きた。英仏はその際の縛り方を見て、さすがHENTAIの国日本だといったとか。というのも、おい誰だ。数万単位の男に対して亀甲縛りにしやがったの。
ドイツは馬鹿にされたと感じたが、そもそも日本にはものすごい過保護な親ばかのように日本が二万六千年かけ蓄積した国力を保証するどこぞの素っ頓狂集団がついてるし、その力知っているはずなのに馬鹿だねえと、いう感覚を英仏露は持っていた。
在仏日本陸軍と、フランス陸軍によって、ベネルクス三国の抗議をカレーに無視して対独抵抗線(通称新マジノ線)が構築された。
昭和16年12月
英日百米夢の5カ国がムーの帝都ヒラニプラに集い、会合を持った。
「欧州大戦は陸上戦が主だ。陸軍は実戦経験が積み重なるが、日本を除くと連合各国の海軍における練度はかなり不安がある。そこで、この広大な太平洋の上で、実弾演習を行いたい。」
アメリカの提案に、英夢は即賛成を示した。日本百済も賛成をしたが、オブザーバー参加の素っ頓狂集団が、また飛んでもなことを言い出した。
「じゃあ、連合国内の軍事レベルだけ30年分引き上げて、太平洋全体に非破壊結界展開しますかね。あ、あと、連合国の軍事、民政各物資と戦費は任せて。戦費請求はこの口座ね。」
どこの世界に、地方銀行の口座をメインで使う国があるか。ここにいる。
2020年現在猿をマスコットキャラクターにしている某二桁数字の名前を持つ銀行のとある口座から、送金されるのでよろしくねと宣ったのだ。
同行は、日本大蔵省と協議を重ね、そこに王国最大の民営銀行であり、王国の中央銀行を兼ねるLFBが王国政府の口座から日本の地方銀行にLFBが持つ口座を経由してこの地方銀行が日銀に持つ口座へと振り込みを行うという話を聞いた。
そこで日銀は、王国側の意向を組み、この地銀名義でLFBの口座を作成。名目上は上記のことが行われるが、この地銀における一日の最大振り込み限度額という制限を無視した大規模金額移動が可能になった。
この例として、LFB経由で王国とLFBの親会社LSNが日本の国家予算(というより、地球上の全国家GDP合計)の数万倍を一括で振り込もうとして、日本大蔵省と、会計監査院に必死で止められて結局押し切られ、日本は数万年間は無収入でも破産しないほどの実質資金を抱えることとなり、他の国と逆の意味で大蔵官僚が頭を抱えることとなった。そしてぴんときたのが、鉄道整備である。
1920年の時点で東京には史実2020年と同じ鉄道網が張り巡らされていた。
だが、防衛省でももてあます(防衛省には例の素っ頓狂集団が負担した戦費が別途供給されていたので)超天文学的額を押しつけられた鉄道省は途方に暮れていた。そこで、まずは路線整理を行うこととした。
戦時にかこつけて交通整理を行うこととしたのだ。
詳しくは別に記すことにして、問題は整理してもあまりある金額だった。そこで成田・富里地区に建設を計画していた、大規模内陸空港の建設を実行。国権が強い上に戦時下ということもあり、強制収容が行われ、4000m級滑走路4本に2500m級滑走路を2本持つ日本最大の巨大内陸空港が生まれた。
どこぞの金余り国家が「内陸に空港作るの?じゃあ騒音問題起きないようにこれあげる。」と押しつけてきた防音結界技術が、この計画反対派のよりどころを破壊した。
史実ではお高いと非難された、この「成田」空港へ乗り入れる鉄道省の特急は限界まで増発しても「乗れない!」という非難でいっぱいだった。
第二次大戦中でも太平洋は文字通り平和な海だった。
敵性国家はすぐ隣に有るが東と北はおっかないというのは理解していたので、南へ、西へと動き出した。
そんな中、自分の力をわきまえない虎の威を借る狐状態な半島のお国が、東にある島国にいちゃもんを付け奇襲をかけた。
大韓帝国が、東にある百済王国に奇襲をかけたのだが、そもそも、百済はえらい前に登場した結界の範囲内。なもんで、奇襲部隊の到達地点は海底となりました。このときから、対岸から半島国家の動向を観察する第1次韓流ブームが起こります。
日本と百済はこの事態を「へー大変だねぇ。」と人ごとで見ていた。
この時代アジアにおいて、戦略兵器である戦艦を、それも超弩級戦艦を保有していたのは、日本とムーの二国のみ。
また複数国の合同艦隊を組織するほど日夢百の結びつきは強かった。故に布告なしの奇襲となるこの攻撃は、逆に日本とムーから反撃を食らっている。
南半球にある大陸まるまる一つを国土としている某国も、日本に対しては建国以来批判的な態度をとっていたが、宗主国との間に交わされた条約が、批判的な態度にとどめていた。と言うのも、本来その大陸は、日本の物だが、本国から遠いことなどを理由として、英国に租借されていた。それが、この某国が生まれる際に、英国と、日本の間で領土をレンタルする契約がなされた上で、某国と英国との間に「本島は日本が保有する日本固有の領土であり、それを日本国民の好意により租借しているに過ぎない。よって、以下の条件に対し一つでも反することがあれば、国家解体の上で、大陸を日本に返還する。」という内容の条約が交わされていた。そのため条件に基づき批判的な態度であるが、2020年に至るまで国際的に見て、日本の味方を続けている。隣の島国は日本に好意的である。
その2カ国に対して日本の西にいるアジア側枢軸のガキ大将がけんかをふっかけた。
とはいえ、宣戦布告しただけ。行きたくてもいけない。海路は間に日本を守る素っ頓狂集団謹製の結界が。陸路は英国東洋軍がいる。この東洋軍は史実と違い、純粋に他の欧州列強が、現地国を食い物にしないための抑止力として、現地国家を対等な独立国と定めた上での交渉の上で駐留している。その力は、何度か実弾演習をしている日ロのお墨付き。そして、基本的に日本・百済以外のアジア人を殺すことに何の感傷も無い。英露の人はなぜか日本・百済人とそれ以外を完璧に見分ける。南下してくるガキ大将の兵隊たちは、海を見ること無く、そこらの畑に肥料として埋められていった。もちろん感染症とか起きたらいやなので、全部燃した上で。
その上で、まだ存在していた上海租界にて、他の列強とともにガキ大将に圧力をかけた。ガキ大将側は、快進撃を続ける同盟国を頼りに強気で、英国側の日越航路をゆく民間貨客船を数隻拿捕、乗員乗客の一部を見せしめとして公開処刑した。この時代、そんなことをしたら、私は数百年遅れた文化を愛する野蛮人ですといっているような物であり、英国だけで無く、英露が欧州のズッ友と言ってはばからない文化と教養と、ワインとカタツムリをこよなく愛するフランス王国が強い非難とともに対中宣戦布告し、枢軸側の対中援助を南からつつきまくった。
そして昭和16年12月8日
香港沖合に建設された英国東洋艦隊の基地にガキ大将が空爆した。