平盛最後の10年間
平盛24年8月 日本国 臨時国会
7月に行われた衆議院議員選挙で20年ぶりに与党自民党(自主民主党)が単独で、絶対安定多数を遙かに超え、衆議院議席の75%を占めるに至った。
そして衆議院選挙後に行われていたのが最大野党、民主党の選挙惨敗責任の押し付け合い。ただ、史実の同名政党よりましだったのが、押し付け合いという名の取り合いだったこと「今回の責任は討論会で満足に政策を国民に理解出来るよう説明出来なかった代表である私にある。故にその責任を持って、代表を辞し、1党員議員として云々。」
「いや、それを言うなら、各候補者に党としての政策をしっかり説明していなかった私にこそ。」
「いや私「俺」が。」
連日こんな調子だったが、史実と違うのが、民主党の党是が「対案無くして、反対無し。」だった。
他政党の政策に反対するならば、根拠ある対案を示さなくてはならない。どうしても対案が出ない場合は、その政策について、相手よりも精通し、逆に乗っ取るぐらいしなくてはならない。
これに自民党が「柔軟に広い視野で国民第一。国益第一。」を掲げており、過去に社会党(史実社会党が社会主義政党を出発点としていたが、この世界では、単純に企業側にたった政策を実現することから社会の党→社会党と名乗っているに過ぎない)から、消費税一律10%が定義されたとき、すでに各種納税がむこう10万年間停止が決定し、その上で、いろいろといい意味で無駄遣いをしまくらないと他の国と逆の意味で国庫が崩壊する状態だったため、自民党が数の暴力で薄く広ーく圧力をかけつつ政策の根拠や、その使い道予定などを追求していくのに合わせて、民主党は重箱の隅を藁でつついてつついて穴を空ける勢いのねちっこさで追求し社会党崩壊にまで追い込んだ実績を持つ。
大体このねちっこさは、自民党相手が多かったが、最近はむしろ自民党からねちっこく反抗されることがほとんどでむしろ、自民党の出す政策にはねちっこく絡んだ結果満場一致で賛成と言うことをよくやるのがこの民主党という政党だった。
自民党と民主党の議員だけで衆議院の全議席中95%をしめるが、自民党の議員が法案を出し、それに対し、別の自民党議員が委員会で厳しく鋼鉄の箱の隅っこをたこ糸でつついてつついてつつきまくって穴を空けるしつこさで追求し、結果廃案と言うこともよくある活発さがある。
まあ話を戻すがこの臨時国会で4年ほど前から国内外で事実無根の政策を放言し続ける鳩岡時夫、小川三郎、小和泉清太郎他衆参合わせて15名に対して懲罰動議の発動と、会期中の司法逮捕を制限する議員特権の停止が発議され、審議参加、投票権を停止された当該議員を除く賛成絶対多数で決議され15名は議員にとって最も重い処分となる、懲罰辞職命令からの議員資格剥奪が言い渡され即日適用となった 。
平盛25年 7年後の東京オリンピック、9年後の札幌オリンピック。そして、12年後の大阪万博が一気に決定した。この決定により、欧米諸国は最低でも15年間はオリンピックや万博が開催出来ない国際情勢にならないように相互監視を行うことで合意した。
二月にカトリックを始めキリスト教界隈で神の奇跡と大騒ぎになった事件が起きた。
時のバチカン、ローマ教皇ベネディクティウス15世ことヨーゼフ=ラクト=バッツィンガー氏が60歳近く若返った姿で聴衆の前に現れたのだ。
日本語圏では、ベネディクティウス15世が日本、ムーで、クリスチャンも非クリスチャンもひっくるめて、異常に人気なことを受けて、素っ頓狂集団が何かしたんだろうなと受け止めていた。
この日本語圏の反応を知った英露が、駐日大使を長野に送り素っ頓狂集団に直接尋ねたところ、
「加齢で体の調子が悪そうだったのでお歳暮に復調のためにうちで一番よく飲まれているお薬を送った程度しかしてないけど、あの薬は人間を若返らせるなんて効果一切無いんだよ。もしそんな効果があるなら、今頃日本にぱっと見で老人とわかる人居ないでしょ。」嘘で有り、事実である。各細胞の強制分裂能再定義など、いろいろと若返らせる役目をもうナノマシンの詰め合わせなカプセル剤はあるが、今回ベネディクティウス15世に送ったのは、それでは無く、原材料がちょっと生々しい物。
「万制丸とベストロイドトキシンの複合材にはたいていの病気を癒やす効能はあるけど、若返らせる機能は無いよ。あ、おたく(英国)の女王陛下に若返り用の薬を盛ったって、うちの怪力ド天然国王が白状したのだけはお伝えしておきます。効果が出始めるのが、服用から3年だから2015年頃から年10歳のスピードで若返るそうですぞ。」
やっぱりやりやがったと思いながら上層部に報告し、英国では、大騒ぎで、女王陛下の健康診断をしたが、めちゃくちゃ健康体だった。というより、女王陛下若返りのことご存じでこれで若返り仲間が増えたとご満悦だった。ちなみに増えたという話だがその若返り仲間とは誰かと問えば、「え?日本の寛仁、晶仁親子よ。寛仁なんて、もうすぐ120よ。」と鈴が鳴るかのごとくころころと笑いながらお答えになったそうな。
日本の隣に有る半島では二つの出来事があった。
一つは前年に行われた大統領選挙で当選を果たした、おばさんがはなっから無いこと無いことぶち上げて日本を非難しまくった。
やれ日本は過去の植民地政策の賠償と謝罪をしろだの、 やれ日本政府は戦時中の従軍慰安婦被害に遭った韓国女性に謝罪と賠償をしろだのと。
日本は建国当時から今に至るまで、国際的に極度の大陸アレルギーであることが知られており、日清戦争の賠償として清国の属国扱いだった当時の李氏朝鮮をと言われた際に「その内容の場合、この講和会議を蹴って継戦をしてでもあきらめて頂く。」と大騒ぎした上、講和仲介者であるアメリカまで巻き込もうとしたのは皆さんご存じの通りだが、植民地政策も従軍慰安婦被害も当時の清や中華民国による物なのに何をほざきよるかこのおばはんは。と言う反応の日本と、愉快な仲間たちでした。
Microware社が西暦2015年11月に発表、発売したwindos10は最後のwindosと言う発表がされたが、正確には、windos「10」や「wista」といった愛称がつく最後のバージョンとなるという発表だった。
平盛30年6月
翌月に大阪で開催されるG20のために行われる、交通規制へご理解とご協力をお願いするために、日本語圏で大人気の新喜劇に安達総理が登場。
「ほんまに本物?」
「ほんまに本物です。」
と、役者さんとの絡みもばっちし行った後、お願いを行った。
「えらいもんでね。さっき、私が飴ちゃん投げたでしょぅ。そしたら、そのうちの1個、そこに座ってるSPさんのここ(またの間の座面)に、おっこったんやけど、身動き一つせんでこう、おなじ姿勢のまま、うち等のことじっと見張ってはるんよ。すごいわぁ。」
平盛32年10月10日
東京代々木の国立競技場は異様な熱気に包まれていた。
昨年末から日本語圏を除く地域で世界的流行の兆しを見せていた、新型コロナウイルス感染症だが、それを理由に中止なんてした日には中国滅ぶぞと言われるレベルで、全国的な盛り上がりを見せていた東京オリンピック。欧米各国は出場選手を隔離、徹底的に健康管理をして送り込んだ。
4年前に行われたブラジル、リオデジャネイロオリンピックの閉会式で世界一有名なひげの配管工のコスプレをして登場した安達総理。今回はあの自重という物を知らない我らが素っ頓狂集団が、手を変え品を変えいろいろやらかしまくった上で弟や奥さんと一緒にひげの配管工一味として登場。
ただ、諸外国にああ、日本のオリンピックが始まるんだと実感させたのはこの安達総理のコスプレでは無かった。安達総理が登場し席へ着いた後、開催国の元首が座ることになる位置の席に一人の白衣を着た初老の男性が現れ、赤と白のボールを会場中央に向けて投擲した。そして、白衣と、カツラをとると、そこにはみんな大好き晶仁帝が居た。
投げられたボールが会場中心に落ちるとボールが色の境目で割れ、閃光とともに、そこに最後の聖火ランナーがいた。蒼い、全身を覆うぴっちりとしたスーツに口元以外を覆うフルフェイスヘルメット。ハヤブサの異名を持つ名レーサーである。だがヘルメットをとればそこには5年前、胆嚢炎により生死の境をさまよいつつも、世界中からの声援に応えから奇跡の復活を遂げた、京都の世界的ゲーム会社を率いる祝田社長だった。
この5年で体はばっちり鍛え上げられ、アスリートと言われても困らない。
『皆様に、直接、聖火をお届けします。』
最後のランナーとして走り出す前にコメントを残した祝田社長。
走り出すと、その後ろをちょこちょことついて行く者たちが居る。青だったり黄色だったり赤だったり、紫も居れば白も、岩のような物も居る。その後ろには、多くの世界中で愛される電気ネズミを筆頭として総勢800種類を超える者たちが国立競技場のトラック上を埋め尽くしていた。
そして祝田社長が、聖火台へとたどり着く。
そこへ現れたのは、大きな赤を基調とした鳥。その頭には晶仁帝が居た。鳥が一声するとまるで燃えているかのような鳥が現れ、祝田社長を自らの頭上へのせ、晶仁帝が乗る鳥とともに、会場を、各競技場の上を一周した。
聖火台の上に戻ってくると、祝田社長が、聖火を掲げる。そこへ晶仁帝が乗る巨鳥が、口から聖火めがけ、巨大な火炎弾を放った。
火炎弾を受け、一際大きく燃え上がった聖火は聖火台に移された時、会場中央に、淡い青色の肌を持つ四腕マッチョマンに抱えられたIOCトミー会長が、悲鳴を上げていた。
なんの通告も無く心の準備も無く、ここまで連れてこられたトミー会長。彼は後に、「今思い返せば、あれが、人生最高の瞬間の連続だったのだと実感出来る。」と語る。
マッチョマンが、一本手を上げると、晶仁帝が笑顔で答えた。
「落ち着いてください。トミー会長。これも開会式の演出の一つです。プロットにも記載し、会長も合意された内容です。」
若干パニックとなりつつあった、トミー会長に声をかけたのは、20代前半と思われる女性だった。
そのメリハリある背の高い体に白のタンクトップと黒いベスト、ポケットが見えるほどに切り込まれたデニムホットパンツを身につけ、長くウェーブのかかった髪をポニーテールにして、日の丸キャップをかぶった彼女は静かに一言、
「カ○○キー、陛下の横へ地球投げ。」
マッチョマンがトミー会長を晶仁帝めがけフルスイング。それを巨鳥が見事にくちばしで優しくキャッチし、晶仁帝の横へ。
晶仁帝の優しい笑顔に落ち着いたトミー会長、開会の挨拶を促した。
開会の挨拶の後、晶仁帝は日本語圏では大木戸として、それ以外の国ではProfessor Oakとして知られる人物に扮し、安達総理はプラターヌと呼ばれる人物に扮して一言。
「「選手の諸君、みんなもメダルをゲットじゃよ~。(していってね~。)」」
これには会場が大いに沸いた。
東京オリンピックは大いに盛り上がり、会場は連日満員。
その中で日本は開催国としてメダルを量産しまくった。
スパイク・ウィッチーズと呼ばれた女子バレーボール日本代表。人類最強とまで呼ばれた女子レスリングの吉田女史。
この大会のためにたった一度だけ現役復帰した、北島某。
遠くパラオで行われた、水泳諸競技、サーフィンや、ビーチバレー。
マラソンは、日本が誇る東京駅丸の内口をスタートし、秋葉原、上野寛永寺、本郷の東大赤門、後楽園の東京ドームシティ、池袋のサンシャイン60を見つつ、JR全面協力で実現した、別名ダンジョンの異名を持つ新宿駅を東口から西口へ抜けて、都庁前を通り、代々木の国立競技場へと至る、42.195kmの参加者をして「みて楽しいマラソン。」と言わしめた。
スタートは、東京駅長、自身も重度のテツオタとして知られる、日本国土交通大臣石庭茂雄により行われた。東京駅51番線で使用される発車メロディの後に石庭の笛と、東京駅長が示す旗が赤から、青に変わり、お辞儀とともに一斉スタート。
秋葉原では、あの800種類以上やら、頭に花だの葉っぱだの生やしたちっちゃい小人が、選手と伴走したり、寛永寺では各選手への、完走、必勝祈願の念仏。
東大赤門では加賀、前田家開祖ともされる前田利家に扮した教授だの、ヘルメットとホース片手にかつての学生活動家に扮して給水所で選手へスポドリだの水の入ったスポンジだのを配る学生だのがいた。ヘルメットには必勝や、GBY(God Bless You)と書かれた、これまた、各選手の健闘を祈るステッカーが所狭しと貼られていた。
新宿東口では7年前に惜しまれつつも終了した、お昼休みのうきうきウォッチングのテーマが、選手を出迎え、あの司会者が生で、「最後まで熱い走りを見せてくれるかな?」と問えば、日本、百済、ムーの選手が拳を突き上げ『いいともー。』の大合唱。これにびっくりした他国の選手がずっこけ、西口では「まーるいみどりのやまのてせん」が選手を見送った。そして、ゴールはいいのだが、そのゴールがくせ者だった。
ゴールテープを持つのは、おまえ等仕事はどうした。あの配管工に扮した安達総理とその弟の岸氏。トップを独走していた、日本の選手はゴール手前でずっこけて、そのまま、ゴールテープを切ってゴール。
これがお茶の間の笑いをかっさらった。
表彰式も大騒ぎ。なんせメダルボーイは、金メダルが、晶仁帝。銀メダルにあと二ヶ月で皇位を継承なされる愛仁皇太子。銅メダルは成人後一月で立太子と少し忙しい栄仁親王と日本のロイヤルファミリー三代が登場。しかも御正装の上でご登場なさる物だから表彰だの上に居る物はがくがくだった。
金メダルを取った選手は男女ともにこう語った。「二度とあんな緊張する表彰台はごめんだ。」
まあ、味を占めた皇室が、自重するわけが無く、どこぞの自重を知らない素っ頓狂集団率いるお祭り大好き国家が、こんな面白いお祭り騒ぎを見逃してくれるはずも無く、妖怪金出させろと組んで、会場内の治安、衛生レベルなどを絶対安全にした結果、今と2年前と後があるわけで。
平盛30年2月の長野オリンピックでは、全域が素っ頓狂集団率いるお祭り大好き国家の大使館扱いとなる、長野県を舞台としたため、あの素っ頓狂集団が一切の自重をしないわけが無く。県知事はこき使うは、マスコット?そこのリンゴかぶった緑の熊の家族でもでっち上げりゃいいじゃん。と長野県に提案したら長野県側は賛成。
既存の施設を改修、再利用。
新しく造ってもいいけど、土地買収の資材手配だのが面倒。は、妖怪金出させろの担当者談。
そして、礼輪2年には札幌オリンピックが控えている。
この世界でにおいてソウル、北京、ピョンチャンオリンピックは開催されていない。韓国は五輪を開けるほどの経済基盤が無く、北京はこの世界では満州国の領土で満州国が五輪開催に魅力を感じ得居らず意欲もない。
史実でソウルオリンピックがあった年は百済の任那でオリンピックが開催され、北京(夏期)はカイロで。2018年、2020年、2022年は日本の3都市で開催することが1964年の東京オリンピック直後に決まっていた。
今後のオリンピック開催予約と言われる日程表は向こう百年のうち2038年から2044年までと2064年、2070年、2098年、2100年、2104年、2112年、2118から2122年までの各大会で開催都市が確定していた。
ちなみに、東京オリンピックの終わりだが、『次は冬の札幌と夏のパリでお会いしましょう。』という文章が空中に浮かんだ後、ピンク玉が現れ、配管工に扮した安達総理を吸い込み、安達総理はスーツ姿になってはき出された上で、壇上で、お辞儀をした。
その前で、配管工の帽子をかぶったピンク玉が飛んだり回ったりとダンスをして、終幕という、歴史に残る閉会式となった。
話の内容が、視点が大きく輪変わるため、次回で最終回です。
ただ、この世界でのお話は別視点から、続きます。