夜道を歩いて会いに行きましょう
さていつからだったか。
私が自然と彼のもとへ赴くようになったのは。
何もない真夜中で。
静けさと星空とそのうち来る明日の朝日。
誰ともすれ違わない道。黙って光る並んだ街灯。
一人で歩きながら。
考えても考えなくても変わらないような、取り留めもなくどこにも辿り着かない思索をしながら。
きっと今夜も楽しいはずだ、と私は期待する。
(町外れの捨てられた庭。いや捨てた庭かな。)
彼女はその庭までやってきた。
そこは街に住む誰からしてもどうでもいい館であり、その館の庭および付近も含め、照らす明かりもすべて放っておかれていた。庭とその周辺の静かな雰囲気の中で、一つだけ庭に面した道の街灯が生きている。その照らされた空間だけ明るいのに、不思議と周りから浮いてるような印象は受けない。明暗で区別はできても、「静けさ」は真夜中の下ならどこにでもあるからなのかもしれない。
庭自体、手入れはされていない。しかしその割には照らされている空間に生えていてしかるべきの雑草がかなり少ないように見える。
おそらく彼が整えたのだろうと彼女は思っている。
彼女は庭に入り、明るい場所まで向かう。
そぞろな散歩のいつもの終点。
ずっと一人で歩いてきた彼女は周りを見渡す。人気がないことを改めて確認する。
落ち着くためにいちど深く息を吸って、吐く。
「こんばんは」と、彼女はそこに立つ案山子に向かって言った。
ぽつんと光る街灯に照らされて、これまたぽつんと案山子が立っている。
私の一族が捨てた館と庭とついでに一緒に見捨てられた庭の案山子。
何年前のものだろう。この街外れの舘と庭を捨てたのは祖父の代だったからたぶんその頃から誰も手を加えていないはずだ。ずいぶんとくたびれた時代錯誤な服装、誰が付けたか知れない手袋もぼろぼろになっていて、顔の有様も想像できるというものだが、その顔はつばのひろい黒帽子を深く被せられていてのぞけない。「その帽子はとっちゃあいけませんよ。」と彼は以前言った。
その彼が私の挨拶に答える。
かかしの影が私の呼びかけに反応する。かかし自体は動いてないけれどその影だけがその輪郭をやおらに、そして愉快に揺らして私に返事をした。かかしの影だけが形を変えて私の声に応じている。科学の世界となった現代において怪奇といえばそうであるが、慣れてしまった私はいまさら動じない。
「やあこんばんは、ニ週間ぶりだね。」
「このところ雨が続いたから。ここいらが乾くのを待ってたの。」
「シケったここは居心地悪いもんねぇ。」
「そうね、ある程度汚れても良い格好のつもりだけど、湿った雑草に囲まれるのは少し、ね。」
影がまた揺らめく。察するに「うんうん。」と頷いている。理由はわからないがどうしてだか彼の伝えたいことが私にはわかる。普通に会話をするように。
彼は小気味よい調子を崩さない。私もそれに合わせて自然に話せる。話せている気がする。
「元気だった?」
「ここ30年ぐらいはいい思いしてるよ。」
「どうだか。」
「君は?最近どう?」「まあまあね。」
半ば冗談めいた言葉を私は軽く流す。
以前だったら私も彼の発言をもっと気にしていたのかもしれないが。
30年。彼の時間感覚だとついこの間みたいに感じるのだろうか。
私は十八にもならない普通の人間の小娘であるが、彼の方はどうなのだろう。彼は私の歳を知っているが私は知らない。
不思議と彼と会話はできているけれど彼はかかしの影で、人ではない。だから、人間とは違う年の取り方をしていてもおかしくはないし、そも比べたってしょうがないのかもしれない。
さらに言えば、話しているとなぜだか彼が自分と同世代あるいは少し年上の人間とのように感じることもあり、「この際実年齢がどうとか考えたところで得もないのかもしれない。」と私は思うようになった。
そんなこんなで最終的に話が通じているようならそれでいい、と割り切った。彼と話すのは楽しいからつまらないことを気にしてその楽しみを損ないたくはなかった。
「─じゃあ、今夜は何を話そうか?」
彼が言ったか私が言ったかそんなことは些細である。
いつもこうして私たちの時間、私が期待していた時間は始まっていた。
これは彼らの、出会いから数ヶ月後の、あまり珍しくもない場面だった。