アクアリウムの熱帯魚
ぶくぶくぶく
ブィーン
ゴボォ
その水槽からは、酸素を送るための圧縮機の音と空気泡の音が、物静かに響いていた。
「よぉ、久しぶりだな」
俺は、友人であるHの家に遊びに来ていた。
Hは熱帯魚を飼うのが趣味で、とにかく熱帯魚には目のない奴だった。
そんなHが出来の良い水槽を完成させたというのだから、それはもう見に行かねばいけないだろう。
「ふぅん、なかなかすごいじゃないか。水槽の景色も凝ってるし、小さな熱帯魚もかわいいもんだな」
Hが自慢する水槽は、偉く気合いが入っていた。水槽の中には沈没船のような小物が設置され、ポンプ等の設備はうまく隠されている。ゆらゆらと揺れる海藻と朽ちた沈没船に群がる熱帯魚達は、まるで映画の一コマを再現したかのようだ。
「なかなか、この水槽を作るには苦労したんだ。いいだろう? 特にこの沈没船は気に入っている」
Hは少年のように目を輝かせて、水槽のポイントを事細やかに説明してくれる。水槽の熱帯魚は、メダカのような小さな種類だったが、中々の高級魚だとか。Hは話を始めると、すぐに熱中しはじめてしまった。
俺自身もそういった趣味の話は嫌いではないので、ふむふむと相槌を打ちながら聞いていた。
「すっかり話こんでしまったな。もう夜だ。水槽の話に付き合ってもらって悪いな」
遊びに来た時は確か昼過ぎだったように思うが、陽は暮れ、空は真っ暗になっていた。俺も熱中して聞いてしまっていたらしい。
「いや、楽しい話だったよ。そうだ、少し教えてほしいんだが、熱帯魚は人に懐いたりするのか? 魚というか、アクアリウムはそういった楽しみがないように思う」
熱帯魚は可愛いのだろうか。Hの水槽のように、世界観を表現するのは楽しそうだが、熱帯魚を飼う事はどう感じるのだろう。
「あぁ、懐くとは違うかもしれないが、きちんと反応してくれるよ。餌をやるときとかね。これがなかなかね、愛着がわくもんなのさ」
Hが水槽に向かって、餌を持っていくと、熱帯魚達が水面へ上がり、口をパクパクと催促していた。何だか可笑しい風景だ。別に懐いているわけじゃないだろうに。
だが、アクアリウムが面白そうだと思ったのも事実だ。
「ふぅん、そんなもんか。しかしアクアリウムか、楽しそうだな。俺も始めてみようか」
はっきり言って失言だった。気兼ねなく呟いた一言だ。
だがHはその言葉を聞くや否や嬉しそうな顔をして、満面の笑みを作ってしまった。
「おお、それは素晴らしい! 俺の余ってる水槽をやるから、やって見ろよ! 色々教えてやるし!」
そういってHは、テキパキと機材を用意し始めた。よほど、アクアリウム仲間がほしかったらしい。俺にアクアリウムのスターターキットを用意し、聞いてもない事をいろいろと教えてくれた。
こうなると断れない。
俺自身も、Hの見事な水槽を見て興味が湧いたのは嘘ではないので、Hのスターターキットを頂くことにした。良い機会だからアクアリウムをはじめてみよう。
それにしても、ここまで準備してくれるなんて、Hも中々いい奴だと思った。
俺は、アクアリウムを始めてみた。ガラスの水槽に砂を敷き詰めて草を植えていく。なるほど、自分の世界を構築しているようで、アクアリウムの楽しみの一端を理解した。
Hから譲ってもらったメダカのような熱帯魚を入れ、泳がせてみる。人間に懐いているかはわからないが、餌をやる時だけ集まってくるのには愛嬌を感じてしまう。狭い水槽の中といえど、自由で、悠々と泳ぐ彼らを覗き見るのは楽しい。
そうしてしばらくアクアリウムを楽しんでいた。飼っている熱帯魚も、なかなか可愛らしいものだ。自由に泳ぎ回り、餌の時間だけ水面に上がってくる。何だか自分勝手な熱帯魚達が可愛かった。
俺はすっかりアクアリウムにハマってしまった。
◇◇◇
それから数年後、俺はHと喧嘩をしてしまった。始まりは、「何方のアクアリウムの水槽が素晴らしいか」、という程度の話だった。だが俺とHは熱が入ってしまい、大喧嘩に発展してしまった。もはや二人の関係は修復不可能なほどに壊れてしまったのがわかる。
俺は、Hに教えてもらったアクアリウムを見る。俺とHが喧嘩別れしようとも、悠々と泳ぎ続ける熱帯魚達。俺が近づくと、餌はまだかと水面に出てきては、口をパクパクと動かしている。
そんな能天気な熱帯魚を見ていると、なんだか無性にハラがたってきてしまう。Hもそうだ、能天気で気の利かない、そんな熱帯魚みたいな奴だった。
ネチャネチャとした感情が、俺の中でグルグルと渦巻いている。Hとの楽しい思い出と、喧嘩別れをした感情が、グチャグチャに交じり合っている。俺の頭はその感情を上手く料理できず、飲み込めない。この混沌とした気持ちをどうしたものだろう。
小さな熱帯魚達の入った水槽からは、変わらず物静かに、環境音が響いている。
ぶくぶくぶく
ブィーン
ゴボォ
ぐぅ……
突然、俺の腹の虫が鳴いた。
熱帯魚達と目が合った気がした。
「腹減ったな……、今日は、かき揚げにするか」
(了)
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