誰にも語られない明日の話
朝練がある日は、地方に住む私は始発の電車に乗らねばならなかった。
冬の始発の時間は大抵まだ日が出ていない。凄く寒いし、他に人もいないから駅構内も閑散としている。
だから私は、部長になって妙に張り切る先輩へ内心で恨み言を並べつついつもひとりで電車を待っているのだけれど。
今日は珍しく、反対路線側に人がひとり座っていた。
地方の小さな駅だ。待合のベンチなんて背中合わせの四人掛けが一組だけ。立って待っているのもなんだし、私もその、高校方面へ向かう側の線路向きのベンチに座った。
背中合わせで座っているのは、正確に言えばひとりじゃなかった。
ひとりと、一匹だ。
真っ白い、何ていうんだろう、オコジョ?
私よりいくつか年上っぽい男の子の隣に、ちょこんとオコジョが座っていた。
座る間際にちらっと見ただけだけど、なんか可愛い。
動物って電車に持ち込めたかなと思ったけど、ローカル線だし始発だしいいのかなと思い直した。何より、可愛いから許す。
ついでに見えた男の子の顔は何だか妙に疲れていた。徹夜明けか何かなのかな。
私が座って手持無沙汰に音楽プレーヤーを操作し始めたときに、ふと背後から声がした。
「――本当に良かったのか、お前」
独り言? と一瞬思ったけど、電話かと思い直した。
男の人の声だったけど、妙に老成した耳に残る声だった。これが男の子の声だったらびっくりだと思ったけど、
「何が?」
はっきりと答えが返った。こちらは確かにあの男の子らしい、年相応という声だ。声音に混ざる疲れの色もそれを確信させる。
え、でもそれなら、先の低い声は誰の声? 腹話術で一人二役? 意味わからないけど。
私の困惑をよそに背後の会話は続く。
「これで明日出会うはずだったあの娘がお前と出会うことは決してない。お前は確かに過去を変えた……だがそれで良かったのか? そう訊いている」
低い声には苛立ちも聞き取れた。でも男の子の声は平坦に、
「良かったよ。良かったに決まってるじゃないか。でなきゃ僕は何のためにこれまでやってきたって……何も顧みることはないよ」
爽やかな声音だ。でも内容は意味不明だ。過去を変えた? 電波さん?
にしても私の後ろには男の子とオコジョさんしかいないはずだけど、男の子と話してるのは誰? オコジョさん? ……まさかねえ。
「そもそもあんたはそのために僕を連れて来たんだろう? これで万々歳じゃないか。何で今更そんなこと言うんだ?」
「それはまあそうなんだが……」
「悔いることも惜しむことも何もないよ。むしろこの十日間、充実していたと思えるくらいだ。何せ彼女にもう一度会えたんだから――そして彼女はもう、あんなところで死ぬことはない」
「数ある一点を回避しただけだ。いずれ死ぬときは死ぬ。何よりお前の過去を変えたところで過去のお前や娘の未来が変わっても、お前自身の現在は何も変わらない」
「それでもいいよ」
それでいいんだ、と男の子は、そっと降ろすように言った。
「彼女は僕を知らないまま、僕も彼女を知らないまま、それぞれに死んでいく……それで、いいんだ」
はは、と軽やかな笑い声。
「それが彼女の望まなかった過去で、僕の願う未来なんだから」
轟、と。
電車がホームに滑り込んできて、はっと私は我に返った。
ふたりの話に気を取られて全然気づかなかった。
私が乗るのはこの電車だ。立ち上がって、ドアを開いた電車に向かう。
立ち上がりざまにさりげなく背後の男の子を振り返って、
「――あれ?」
そこには誰もいなかった。
呆然とする私の背後でジリリと発車を告げるベルが鳴り、慌てて電車に飛び込む。
間一髪。閉じられたドア越しにさっきまで私も座っていたベンチを見る。けどやはりそこには誰もいない。
反対行の電車は来ていないし、隠れる時間も理由もないと思うのだけれど。
電車が発進し、駅が遠ざかる。
ドアに背中を預けながら、ふと思った。
実は彼は未来から来た人で、オコジョさんはそのサポーター。
彼の目的は、近日中に発生する『この』時間平面上での『彼』と『彼女』との出会いを阻止すること。
この時間での、つまり彼にとっての『過去の自分』が『過去の彼女』と出会わないことで、『彼女』にとっての何らかのイベントも回避される。
『彼女』が救われる……?
「なんて、ね」
SFの読み過ぎかな。電波入り過ぎ。
あるわけないじゃん、そんなこと。
私はひとりで苦笑して、イヤホンを耳に差し込んだ。
仮にそれが本当のお話で、彼がその物語の主人公だったとしても。
それは彼の物語で、私が物語るものじゃない。
私は朝練へ向けて気持ちを高めるべく、一番好きな曲を選んだ。
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時空モノガタリと重複投稿。