第1話 (3)
階下を見ると、暑さで不機嫌を露わにした鴇がいた。
鴻が洋なら鴇は和。
滑らかで繊細な黒髪に、華奢な肢体。
ビー玉のような透き通った瞳。
鴻とは違い見た目は好青年な彼だが、冷ややかな視線を鴻に向けると小さく舌打ちをした。
「あーらら。えらく不機嫌でねーの。何かあったわけ?」
鴻は階段の上から言葉を投げかける。
「……暑い。邪魔。臭い」
顔を背ける鴇の様子を見、鴻は苦笑した。
3語中2語は自分に向けられた言葉。
「道塞いじゃって悪かったね、おにーちゃん」
壁にもたれるように道を開け、小さく息を吐く。
そして自分に付けた香水がきついかどうか、鼻に腕を持ってき嗅いでみる。
(そんな香水振ってねぇけどな……。と、そうだ)
階段を上がってくる鴇に、鴻は思い出したように顔を上げた。
そんな彼の口端は、悪戯っ子のように吊り上げられている。
「何だ」
自分を面白そうに見てくるのは、気分の良いものではない。
鴇は怪訝そうに鴻を睨んだ。
「鴇、お前リビングに顔出した?」
「……は?」
「だーから!リビングに顔出したかって」
弟が一体何を言いたいのか理解できず、鴇は眉の皺を一層と濃いものにした。
自分は早く部屋に行き、休みたいというのに。
「……後にしてくれ。汗かいて気持ち悪い。先にシャワー浴びたい」
パタパタと手で扇ぎながら鴻の前を通り過ぎる鴇。
どうやら、家にいる間に面白いものを見ることはできなさそうだ。
あの少女と兄がはち合わせたら、それはもう今までにないくらい爆笑が期待できたのに。
鴻は自分を外へと呼び出す携帯を、密かに呪った。
「俺、オシゴト行ってくるわ。何かあったらメールか電話ぷりーず」
自分の部屋へ行く鴇を尻目に、鴻は片手を上げ階段を下りて行った。
(何かって……何もないだろ)
そう、何もない。いつもならば。
この時、鴇は想像だにしていなかった。これから幕を上げる悲劇に。




