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雨の秘密

作者: hisa

 今日は月曜日だ。

 しかも朝から憂鬱になる様な雨が叩きつけるように降っている。

 昨夜から降り始めた号泣した様な雨は雨足を弱める気配はなかった。

「ケイちゃん、今日は止めておこうよ。雨が凄くて見つけられないよ」

 窓へ打ちつけられる雨に顔をしかめた、利発そうな面持ちのケイは背後から話掛けられ声の主を睨んだ。

「じゃあ、ミトはうちで待ってろよな」

 ケイは冷たい眼差しで弟のミトに言った。

 ケイは今年小学四年生になった。弟のミトは年子である。利発で活発なケイと少し気の小さい弟のミトは性格も見た目もお互いあまり似ていなかった。

 似てはいない兄弟だけど、ミトはお兄ちゃんが大好きだったし、そんなケイもミトをたった一人の弟だから大事にしていた。

「でも、ケイちゃん…」

 まだ何か言いたげにしたミトは口をつぐんだ。

 こうやって口をつぐんだミトは最後は言うことを聞くのをケイは知っていた。

「行くぞ!夏休みだって後少しなんだ。早くしないと大変な事になるからな」

「た、大変なことって?どうなっちゃうの」

 兄の言葉にミトは少し青ざめて声が上擦った。

 ケイはミトには答えず、自分の雨合羽に手を通す。慌てたミトも兄に習い結局同じようにした。二人は子供部屋を大きな足音を立てながら玄関まで走る。首から提げた家の鍵を取り出しながらケイは雨靴に乱暴に足を突っ込んだ。

 共働きの両親は夕方にならないと帰って来ない。だから、夏休みの間は殆どが兄弟二人きりで留守番だった。もちろん今日は雨だから家にいなさいと母親に釘を注されていたのだが。

 不安げなミトの手を引きながら、ケイは胸元の鍵を玩んでいた。

「ねぇ、ケイちゃん。ミミはこんな雨で寒くないかな?元気にしてるかな?」

 ケイは半分泣きそうな顔になっているミトに視線をちらりとくれたが、敢えて返事をしなかった。ミミが平気なのかはケイには答えられない。だからこうして雨の中、不安を拭う為に探しに行くのだから。




 それは二週間程前の事だった。

 自宅の団地の中の公園の隅で、茜色に染まり始めた夕焼けを背にケイとミトは二人で遊んでいた。それまでは同じ団地の子達も一緒に遊んでいたのだが、辺りに夕食のいい香りがし始めると共に各々の母親が迎えに来、嬉しげに帰って行った。

 最終的に二人は取り残されてしまった。 いつのも事ながら、二人は心に空悲しい思いが広がった。

「ミト!あっちに、行こうぜ!」

 小さい沈黙を振り切るようにケイはミトを振り返った。

 物悲しげに顔を歪めていたミトはケイの顔を見、安心したかの様に明るい笑顔を見せた。そんなミトにケイも安堵の息を吐いた。これも毎度の事だった。自分が感じている寂しい気持ちをミトには感じて欲しくなかった。

 お前には俺がいる。

 子供ながらにケイは弟を大事に思っていた。たまにはやっぱり喧嘩もするが二人は仲良しだった。

 公園内をグリコをしながら二人は端から端へ移動していた。じゃんけんに勝ち進んでいたケイが漸くゴールに辿り着こうとした時、ふと視界の隅に小さなダンボール箱の中から弱々しく動く茶色いものが見え隠れした。

「あ!なんかいる!」

 突然遊びを放り投げその場を離れたケイに弾かれたようにミトは後を追った。

 そして二人は顔をお互いにくっ付ける勢いで箱の中身を覗き込んだ。

「わー!かわいい!ケイちゃん。子犬だよ!」

「小さいな。もしかして弱ってるのか?あんまり動かないぞ」

 はしゃいだミトとは裏腹にケイは神妙な面持ちで子犬を見詰めた。

 まだ産まれたばかりの子犬だろうか。一匹だけハンドタオルの上に力なく座っている茶色い毛の子犬にミトはほうっと感嘆の息を吐いた。

「すっごくかわいいね。ケイちゃん、家に連れて行こうよ」

 満面の笑みの弟をがっかりさせたくはなかったけれど、ケイは力無げに首を横に振った。 

「無理だよ。ここはペットは飼っちゃいけないんだ。連れていったら怒られる」

 ケイは夕焼け色に染まった顔に陰を注した。兄の言葉に心底顔を悲しげに歪めたミトは、哀切の眼差しを子犬に向けて、

「じゃあ、この子はどうなっちゃうの?」

 恐る恐る子犬に手を差し伸べた。小刻みに震える体をミトの手にすり寄せか細く一声鳴いた。

 そんな子犬の様子とミトの様子にケイは考え込んだ。そして、

「俺たちが面倒を見ればいいんだよ!うちには連れて行けないけど餌をあげて、遊んであげよう」

 ケイの名案にミトは大層感激した。そしてそんな兄に尊敬の眼差しを向けながら大きく頭を振った。



 それから二人は毎日子犬の下で過ごすようになった。

 毎日家のキッチンを漁り、こっそり餌になる物を探してはミルクと一緒に持って行った。

  親にバレないようこっそり持ち出すのは意外に苦にはならなかった。それを、子犬が食べて元気になっていく様は嬉しくて仕様がなかった。

 ミミという名前を付けたのはミトだった。耳だけ真っ黒だった子犬に、ミトは笑いながらミミと安易な名前を付けた。

 そして一つしか違わない弟をケイは子供なネーミングだと、少し鼻に掛けて笑った。

 目の前で繰り広げられるやり取りはミミには理解している訳はなかったが、前より元気になり嬉しそうに二人には見えた。

 二人は毎日欠かすことなくミミのもとへ訪れた。そして団地の中の誰も知らない筈の秘密基地へと、ミミの隠し場所を移した。

 それから数日間、二人は秘密基地でミミと朝から家に帰るまでの時間を楽しく過ごしていたのだ。ミミが快適に過ごせるように、夏とはいえ気温が下がる明け方の為にバスタオルも自宅のタンスからケイはこっそりくすねた。

 元気を取り戻したミミをミトは頻りに喜びじゃれついていた。どちらが子犬か分からないなと、幼心にケイは満足気に様子を見つめていた。

 ミミが二人のもとに来てからというもの、ミトはあまり悲しい顔をしなくなった。他の友達が母親に手を引かれて帰路についても。

 だから、ケイもミミには大いに感謝し、かわいがっていた。

 だけど、そんな中突然その日は訪れた――


 いつも通り朝早くにケイは、ミミに朝食の残りを運んで行った。時刻はいつも通りだ。ただ、いつもと違うのはミトが一緒じゃなかった事だけだった。

 夏休み中のプール教室に参加したミトは朝から学校へ行っていた。だから今日はケイ一人でミミのもとへ訪れた。

 鼻歌を口ずさみながら元気良くミミの住処の秘密基地へ行き、そこでケイの目は驚愕に見開いた。今までの陽気な気分は一気に吹き飛ぶ様な惨状がそこに広がっていた。

 思わず、手に抱えていたミミの餌を足元に落としてしまった。その派手な音に弾かれた様に、ケイはミミの傍へ駆け寄った。

 見るも無惨なミミがそこにいた。

 呼吸がままならなくなる。ケイの顔は見る間に歪んだ。

「誰が、こんなことを…」

 血まみれのミミが、微動だにすることなく、バスタオルの上に横たわっていた。血の乾き具合から、時間が少なからず経っている事が窺えた。

 小さなミミの体は、何かで切り刻まれたのか、全身を自身の血で染めていた。名前の由来の黒い耳はそこにはもうなかった。

 ケイは口元を押さえ、茫然と暫くそこを動く事が出来なかった。次第に、どこからともなく震えが沸き起こりそれは怒りと悲しみと恐怖心を煽る。

 昨日までは間違いなくミミは生きていた。弱っていたのを、二人で元気にしたのだ。ミミは確かにここに居て、生きていたのに!

 悔しさに、涙が溢れて、それはミミの固まった血を洗い流すかの様に落ちた。

 気が付けば声を張り上げてケイは泣きじゃくっていた。ミミの亡骸を抱えて――



「ねぇ、ケイちゃん」

 遠慮がちに後ろから話掛けてくるミトに、ケイは振り返らず立ち止まる事で返した。

「どうして、ミミはどこかに行ってしまったのかな?それとも、誰かに秘密基地がバレて連れてかれちゃったのかなぁ」

 最後の方の言葉はほとんど聞こえないくらいだった。

 言えない。

 これまで弟のミトに隠し事なんかする必要がなかったから、何でも言ってきた。

 でも、これだけは言えないのだ。ミミが死んだことを言えば、ミトは間違いなく悲しむ。自分でさえこんなにも辛いのだから、ミミを可愛がっていたミトは尚更だろうとケイは思う。

 だから、こうやってミミを探し続けているのだ。もう、ミミはどこにもいないのに――

 あれから、ケイは一人でミミを埋めた。誰にも見つからないように、ミミがそっと眠れるように。いつか、ミトがもっと大きくなって、ケイ自身も大人になったらミミのお墓にミトを連れて行こうと思った。

 でも、それまでは隠し通さなければ。

 朝から降り続ける雨は止む事を知らず、ケイの胸中を代弁しているかの様な降りを見せている。 ミミがいなくなってからミトはあきらかに元気がなくなった。

 だから、探さずにはいられない。ミミは生きているのだと――

 ミトをこれ以上悲しませない為に。

 悔しくて、ケイはこっそり浮かんだ涙を拳で拭った。

 いつまでも止まない雨にケイは悲しい視線を投げ掛けた。

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― 新着の感想 ―
[一言]  読ませて頂きましたm(_ _)m  弟のことを大切に思っているからこそ、嘘をつき続けなければならない兄の葛藤が良く伝わってくると共に、平気で可愛がっていたペットを捨てたり、虐待を加える人達…
[一言] 読んでいて主人公の気持ちがひしひしと感じられる作品でした。短い文章の中にも感情がしっかりでていてとても良い作品でした。
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