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ファントム、保護者になる5

「おはようございます」


 そのすべてが終わるころ、マスターは店にやってくる。


「おはようございます」


「おはよう、マスター」


 ちなみにユキは掃除もしないし、準備にも参加しない。初日にカップを2セット割ったところで、灰島がストップをかけたのだ。


「今日は夕方雨が降りそうですから、駆け込みのお客様がいらっしゃるかもしれません。ケーキとスコーンは少し多めに作りましょうか」


「え? 食べたい!どんなケーキなの?」


 笑顔でそう質問するユキに、マスターはにこりと笑い彼女の頭をそっと撫でる。


「そうですねぇ、バスクチーズケーキにしましょうか」


「わっ! 食べたい! いいでしょう?」


 こうして会話するシーンは、傍から見れば仲のいい祖父と孫の会話に見えるだろう。


「ユキ、もうサプリは取ったんだろう? 必要以上の栄養は体に毒だ」


「あら、最低限を摂取しただけよ。少しくらいはいいじゃない」


 二人の会話に、マスターの笑顔が固まる。


「ちょっと待ちましょう。お二人とも、朝ごはんはサプリだけ? なんてことはないですよね?」


「え? まさか。ミルクも飲んだわ」


「プロテインに必要な栄養素をちゃんと配合して──、どうかしましたか?」


 二人の解答にマスターは頭を抱える。


「いいですか? 一日の始まりは朝食です。ちゃんとしっかりとした朝食を取らないと、良い一日は始まりません」


「……」


「……」


 灰島とユキが、揃って押し黙る。 そのあまりにも栄養学的には、正しいのかもしれないが、人間的にはあまりにも間違っている朝食の光景に、マスターの穏やかだった表情から、すっと笑みが消えた。 彼はいつものエプロンを身に着けると、二人の前で仁王立ちになった。


「……いいですか、お二人とも」


 その声は、静かだった。静かだったが故に、絶対的な有無を言わさぬ迫力があった。


「プロテイン? サプリメント? それは『燃料』であって、『食事』では決してありません。ただ生命を機能として維持するための、無機質な『作業』です」


 マスターは、まず灰島を見た。


「灰島くん。どんなに優れた兵器も、粗悪な燃料では最高のパフォーマンスは発揮できません。人間も同じことです。あなたの体は兵器かもしれませんが、魂まで鉄にする必要はないでしょう」


 そして、彼はユキへと向き直る。


「ユキくん。これから、あなたは新しい世界でたくさんのことを学び、感じていくことでしょう。そのためには、体だけでなく『心』にも、栄養が必要なのです。温かい食事は、体を養うだけでなく心を、そして一日を豊かにするのですよ」


 そのあまりにも正しく、そして温かい「説教」に二人は返す言葉もなかった。


「……というわけで」


 マスターはそこで一度言葉を切ると、にこりといつもの優しい笑顔に戻った。


「ユキくん、君は新しい『普通』の生活に慣れること。食事は大人にお任せを。ですが、それ以外の掃除・洗濯は自分で出来るようになりましょう」


「は、はいっ」


 素直に返事をするユキに、マスターはにこりと笑うが、その視線はすぐに灰島に向けられた。


「灰島くん、君には新しい任務を与えます」


「……なんでしょう」


 彼に『任務』という単語を使われると、無意識に背筋が伸びてしまう。


「……確か、調理師の免許もお持ちでしたよね? その素晴らしいスキルを、ただ眠らせておくのはもったいない。彼女の食事と、ご自分の食事を出来る限り用意するように。サプリはあくまでサポート、ちゃんと食材から栄養を摂るのです。これがユキくんを守るための新しい『任務』です」


「……あ、いや、お言葉ですが彼女と衣食住を共にしているわけでは──」


「出来る限り、です。セグレトにいる間の昼食はもちろん、これまで通り私が作ります。よろしいですか?」


「……了解しました」


 有無を言わせない彼の言葉に、イエス以外の答えは用意されていない。


 伝説のエージェント「ファントム」は、史上最強の諜報員「サイレント・マスター」によって、完全にその退路を断たれたのだ。

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