環境負荷の高い肉食、けれども。
環境負荷が高いからこそ、将来的に生まれる命が少なくて済む。野生動物で例えると、環境破壊からその数が少なくなるなら食物連鎖の下側にいる被害動物の数も少なくなる。
現状、畜産動物が出荷されるまでに食べられる餌と排泄物の量は膨大だ。その量は一説によると人間の営み100億人分に相当とされ、地球の環境寿命を半減させるような規模である。
現状の世界はヴィーガニズムに反して畜産動に頼っているものの、肉食による環境寿命を低下させる件においては自然界では食物連鎖の下側にいる被害動物の数が少なくできるという一点が、正義な視点でヴィーガニズムの正義を越えているのかもしれない。だから神はヴィーガンには微笑まない。
だとしたら環境破壊こそが正義の視点になり、放火や汚染物質、炭素増やすことも全て正義になるということ。
環境破壊をすれば神は喜ぶということだろうか?
6600万年前の巨大隕石による大量絶滅も、単に動植物を殺すだけでなく、環境を破壊したこと、生まて来れない膨大な命を増やした事にこそ、神視点の正義があったのかもしれない。
殺しの概念に神や正義の単語を持ち出すのは邪教や悪魔信仰のように思えるが、そういったものとは無関係に命への道徳性を考えていくと、肉食文化を否定できなくなるのだ。
短絡的にヴィーガニズムだけ突き止めていくだけならば、人殺しさえも正義になってしまう。
人は生涯平均、100の畜産動物を食べているとされ、人を一人殺せば100の命が犠牲にならずに済む。戦争等で1万人しねば100万の畜産動物が助かるというのを正義とすると、戦争が終わらないのが正義となる訳で




